現代スレイヤーズ
第八話

クリスマスイブのイブの奇跡




















その時は突然に訪れた。



「お嬢ちゃん!」


咄嗟にかけた声にも、周りの数人がこちらを見ただけで、等の本人はまったく振り返ろうともしない。
声をかけた男――ガウリイは彼女を見失わぬよう、慌てて後を追いかける。

なんとか距離を詰めようともがいても、人混みに邪魔されて上手く近寄ることが出来きずにいた。
歯痒い格闘を続けながらもガウリイの視線は彼女に定めたまま後を追う。


(やっと…っやっと見つけた!)


まだ彼女と言葉を交わさぬうちに勝手に全身に力がみなぎり、鼓動が高鳴る。
そして自然に零れる笑み。

まだあの印象的な瞳を見てもいないはずなのに、あの瞳で見つめられたときと同じように心が高揚していくのを止められない。

あの不思議な感覚――――
思い出したソレを決して離すまいとガウリイは足早になって声をあげる。


「待ってくれ!」


小柄な少女は人混みにまみれ、見失いかけるとまたひょっこりと現れる。
彼を誘うようにあの艶やかな栗髪がふあふあと揺れ、なびく。

「そこのお嬢ちゃん!!」

もうかなり近くに来ているはずなのに、彼女は振り返ろうともしない。
自分が呼ばれているとは気づかないのか、あまり考えたくはないが、自分の声を忘れられてしまったのか。
それでもガウリイは挫けることなく相手の注意を促そうと呼びかける。

(こいつの名……なんだったっけ?)

咄嗟に名を呼ぼうとするが、言葉にならない。

一度は呼んだはずだが、覚える気もない名前など記憶に残るものではなかった。
あの時はどうでもいい相手だと思い、覚えなかったのが悪かったのだ。



(名前……くそっ もう少しなのに、思い出せない。)


「おい、待てって!!」


自分でも解らないが――――彼女の体に触れられなかった。
彼女なら触れても平気なはずなのに。


何かが一歩手前で踏み止めさせた。

モシ、彼女ノ記憶ニ、俺ナド居ナカッタラ?

漠然とした不安のようなもやもや。
別に、覚えているかいないかなど関係ない。

とにかく、もう一度あの瞳がみたい。
なんでもいいから、もう一度言葉を交わしたい。


「嬢ちゃん、こっち向いてくれよ」


真後ろまで来て、ようやく彼女の連れと思しき女性がこちらを一瞥した。
艶やかなダークヘアを肩口で切りそろえた美人でスタイルも抜群、身長もかなりのものだろう。
彼が覚えている少女の体型に少し分けてあげたい程である。
きっと足して2で割ったらちょうどよくなるかもしれない。


「呼ばれてるわよ?」

ぽんっと彼女に手を置くと、過剰ともとれる反応で肩を震わせ、びびりまくった表情で少女が女性を見上げた。

「どうしたの?姉ちゃん」
「わたしじゃなくて、後ろよ後ろ」

ちょいちょいと指し示す方向に栗髪の少女が視線を向けると――――


蒼い視線とモロにぶつかった。

それは彼の思ったとおり。
間違いなく夢にまで見た彼女だった。


「? 何か?」

無言のこちらを訝しげるように、それでも以前と比べれば丁寧すぎる口調。
しげしげとガウリイを観察する視線に含まれるのは、見知らぬ人に向ける警戒心を持った瞳。


それは、―――彼の予想外だった。


「何…言ってんだよ。オレだよ」

思わずかすれてしまった声で自分を指さすが、少女は小さく首を横にかしげた。

「知り合い?」

振り返った二人の女性と長身のでかい男。
その3人が路上で立ち止まると、露骨に嫌な顔をする通行人もいたが、あえて口を出してくる人もいなかった。

しかも、今のガウリイにはそんなことには構っていられない。
傍から見れば縋るような目つきで彼女を見つめ、考え込んだそぶりを見せ始めた少女の言葉を待ち続けた。

「う〜ん」

小さく唸り、ほんの少し眉をひそめる。
それは本当にかすかな表情の変貌であっても、姉の鋭い視線は目ざとく見つけた。
しかし残念なことに、男にはそれがさっぱりと読めなかったのである。
普段触れば思考が読めるだけに、表情から何かを読みとる、などという器用な芸当は身につけず生きてきたのだから、しょうがない。

「なぁ、思い出してくれたか?」

忘れていたという事実があるならば、例え思い出してくれても少し腹が立つ。

自分は片時も少女の残像が頭から離れないのに、彼女はきれいさっぱり忘れていたのだから。
それなのに…………


「……ひ、人違いじゃありませんか?」

めいっぱい笑顔で無関係だと言い切ってみせた少女。
彼女は自分にもそんな風に何度となく微笑んでくれたことすら。
出会った記憶すら、残っていないというのか…


「そんなわけないだろ!」

彼の苛立った鋭い声に、連れの方が少女に尋ねる。

「本当に知らないの?」
「ね、姉ちゃん。本当よ。本当にこんなヤツしらないの。行こ…っ!」

ぐいぐいと強引に少女が姉を引っ張る。

「ま…いいけど」



姉はぼつりといい、あっさりと興味をなくしたように歩き出した。


「おい、待てよ!オレは忘れないからなっ あの時―――」
「失礼ですが!!」

彼の言葉を遮るように声を上げ、肩越しに振り返った少女が怒気を孕んだ瞳で睨む。


「妙な言いがかりはやめてください。急いでますから」

一方的に切り捨てると、今度こそ振り返らずに歩き出した。


「そ…んな……」

残された彼はもう追いかけることさえ出来ない。
ただ俯き、立ちつくした。
これが求めた再会の結果であったのだろうか?
これが自分が感じた不思議な気持ちの結末だったのだろうか?



「………わたしはバイトに行って来るわね。………。 …それと、この時期だから2、3日は帰れないと思うから、後はよろしく………そこの彼のこともね」


曲がり角で彼女と彼女の姉が何かを話していたが、彼の頭には入ってこない。
真っ白になって、視界もままならなかった。


「はははは……い、いってらっしゃい…」

冷や汗を垂らしながら、笑うしかなかった少女。
自分の姉だけは絶対に勝てない。

全て見抜かれてしまうほど自分は嘘が下手ではないと思うのだが、見抜く方が超人的なので諦めて往生するより他はない。
何しろこれが自分の姉である限り、そうそう縁も切れないのだから。

姉と別れ、彼女は肩を落としながら男の方に戻ってくる。

立ちつくした彼が何かを言おうとしても、それはやはり言葉にならない。
いや、言う言葉はもう何もなかった。


ガウリイ自身が考えていた再会とはあまりにかけ離れていて、ハッキリ言ってショックだった。

そうしている間にも、彼女は彼とすれ違って―――


「痛っ」

引っ張られる痛みに振り向けば、彼の長い金髪の一房が彼女の手に握られていた。

「話があるわ。ちょっと顔かしなさい」

前だけを見て、押し殺した声で言う。

「………」

今更なんの話だ…?
それでも、小さい彼女の後をとぼとぼと付いて行く。

連れて行かれたのは、ビルとビルの合間。

出会ったあの時と似たような場所……。

人目につかないここに来たところで、少女がくるりと振り返る。

「あんたねぇ!一体どーゆーつもりよ!」

「どうって…」

「あのままずけずけ言われたんじゃ、あたしの首が確実に飛ぶわ!」

ぶるっと体を震わせ、戦く。

「あたしがあんな卑猥な界隈で小遣い稼ぎに言い寄って来た男どもをぶちのめした挙げ句、ちょっぴし慰謝料を頂いた帰り道に男拾って、手当してました〜なーんてことまでバラされたんじゃ、姉ちゃんのお仕置きフルコースが待ってるだけよ!」

「……覚えてて…くれたのか?」

「あったり前でしょーが。あんなにインパクトある人間、そうそう忘れられる…」
「オレの事、覚えてくれてたんだな!!」

しゃべり続けようとする少女の言葉を遮って確認すると、再び生気が戻ってくる。
覚えていてくれた!
たったそれだけのことが、何よりも嬉しかったのだ。
信じられないことに、胸が締め付けられるような感覚を味わうまでに。

「へ…?な、なにそんな嬉しそうに……あ、もしかして♪」
「オレは…お前さんにっ」

「恩返しに来てくれたのね!」

今度は少女が青年の言葉を遮って続けた。
…しかも、とぉーっても自分に都合のいい言葉を。

「………………………。まぁ、そんなもんか?」

釈然としないものを感じながらも、彼は自分を納得させるように頷いた。
実は会いたいと思うだけで、そこから先の欲求がいまいち纏まらなかったのである。

もちろん、その言葉を聞いた途端、少女の瞳がキラキラと輝きだしたのは言うまでもなく。

「やった〜!やっぱり人助けはするものねっ!何、何くれるの?」

ぶりっこポーズでおねだりをする少女。
彼女の顔が笑えば彼も顔を綻ばせ、心から嬉しくなる。
……例え、その手と笑顔と全身のオーラと心の底からご褒美を強迫していても。

やはり会う価値はあった。

笑顔一つ、無関心の仕草一つで、こんなにも心がざわめく。
こんな思いは生まれて初めてだ。
そして彼女だけだ―――っ!


「お前さん、明日暇か?」
「へ?明日?」
「せっかくだから、ムード良く――――それとも、もう予約入っているか?」

探るような目つきで尋ねると、思いついた少女が手をぽんと叩く。

「ををっ!明日はクリスマスイブだっけ」

あっけらかんとした表情に少し、気が楽になる。

どうやら、その類のイベントにはあまり興味がないらしい。
……ということは、彼女彼氏がいない確率が高い。

何故そんな方向に思考が飛ぶのか自分でもよくわかっていなくとも、その結論に心が軽くなり、気分がこのうえなく晴れる。

「ずいぶん厚かましいじゃない。
 出会ったばかりの美少女にイブの予約をいれるなんて?」
「何処の誰が美……いえ、なんでもないデス」

つっこみをいいかけて、潔く止める。
もちろん彼女の瞳が剣呑な光を放っていたからだ。
ガウリイの視線が明後日の方を向くと、リナもすぐ視線を和らげ、気にもせずに続けた。

「ま、いいわ。どうせ明日は家族もいないし。奢ってくれるっていうなら、付き合ってあげても良いわよ」
「もんろん。そのつもりだが…」

「よ〜し決まり!明日は食べるぞぉ〜〜!!」
「はいはい。じゃ、約束な」


まんまと次のアポをとり、ご満悦の彼。
身長でいけば、ガウリイの胸の位置にリナの頭。
そのふあふあして触り心地の良さそうな頭をポムポムと軽く叩いてやる。
そしてガウリイのココロに直接伝わってくるイメージ。



……彼女の頭の中には、正真正銘食い物のことしか入っていなかった……



ちょっと…いや、かなり淋しい。

そんな、複雑な男心であった。








クリスマスイブのイブの奇跡・終