現代スレイヤーズ
第九話

ラブコール




















「ちょっと!聞いてるの!?」

「ああ、なんとかな‥‥」



内心ウンザリしながら受話器を耳にあて、うるさい女の恨み言を適当に聞き流していた。

文明の利器とは真に素晴らしいものだ。

今もしこの男の心底退屈そうな顔を見たら、ヒステリックにわめき散らす向こう側の女がどんな顔になることかさぞや見ものであろうに。


出来ることなら、これ以上文明が発達しないことを願いたい。
テレビ電話などが日常的に出てこられた日には目も当てられないからだ。

もっとも、声だけでも彼がどんな顔をしているかを想像するのは難しくないが―――



この男はそんな些細な気遣いを相手に見せたことなど一度もないのだから、男も男ならそれに付き合う女も女だろう。

彼はため息を吐きながらこの声の主とはまた別の女が勝手に置いて行った置時計を見る。

短針と長針が丁度重なり合う、日付が変わる瞬間。
明日は今日になり、今日はイブとなった。

暖房も燦燦とした明かりもない部屋は冷え冷えとして無機質な空間を演出していたが、彼は無頓着に―――いやむしろ、その部屋と一体になるかのようにベッドの上でくつろぎ、手の中のグラスを傾けていた。

受話器を適度に放し、やかましい声を遠ざけながら口に含むと、琥珀色の液体は焼け落ちるように喉を通っていく。


「あなた、あたしと付き合ってる自覚はあるんでしょうね?」

その苛立たしげな声に、内心辟易しながら男は無感情に返す。


「何度も言わせるな。俺は誰にも縛られるつもりはない。明日は先約がある」

「あなた、あたしと別れるって言いたいの!?」

「あんたとはそもそも付き合っていたつもりもないが?」


2.3度夜を過ごしたことはあったはずだが、もはや顔も覚えていない。
それだけの関係でなぜ付き合うだの別れるだの出てくるんだ?

彼と彼女の価値観にはどうやら大きな隔たりが出来ているようだが、男は敢えて訂正する気も謝罪する気もなかった。


‥‥めんどくさいな。

―――それに尽きる。



「‥あたしのこと、どう思ってるわけ?」

ないがしろにされた怒りを押し殺した声でそう尋ねると、男は一拍おいて、


「鬱陶しい」
「な‥‥っ!!」


このあとの展開はもう記憶力が曖昧な彼でも予想がついた。
一瞬、呆然と沈黙し、何か捨て台詞を一方的に吐いて通話を叩き切る。
男はさらに受話器を耳から離して確認するだけでよかった。

電話が切れて、もう一度深いため息を吐く。

(‥‥これでもう何件目だよ?)

ウンザリするような同じやり取りを彼はすでに何度も経験していた。
それは数ヶ月前からのもあったし、今ごろ悠然と事を構えている者など多種多様。
彼はその全てを適当に受け流し、あるいは今日に限っては正直に断りつづけていた。

もう彼女たちに付き合う気も起きないのが本音だが。
それでは向こうが納得してくれないらしい。

一度抱いただけで我が物顔で男を支配しようとする女たち。
‥‥‥‥こんなオレのどこがいいんだか。
自嘲的に吐き捨てるように、彼はグラスを持て余しながら呟いた。


思いついたように、彼は携帯を手にすると、勝手に入れられたメモリーを全件削除する。

彼にはもう必要ない記憶。
始めからそんなものを望んでいなかった。

ただ女たちが自分の外見をステータスのように求めた、だからそれに応じた。
来る者拒まず去る者追わず、それが一番楽だったから。


それでも、あの少女だけは別格だった。

まるで炎の化身‥とは例えが良すぎるが、好奇心の塊のようなただのじゃじゃ馬娘の姿形、あの甲高い声まで脳裏に焼き付いて離れない。
一度あの意志を秘めた瞳に囚われると、心の中まで見透かされそうになる。

あまりに真っ直ぐで澄んだ瞳は居心地が悪い。‥はずなのに。
人の心を読むことに馴れていても、人に心を見透かされるのは不慣れで、一種の恐怖のようなものを感じる。

自分の心が腐っていることなど、当の昔から自覚していたことだったが、何故だか彼女にはそういう汚い自分を見せたくなかった。
ただ、何が何でも、もう一度逢いたかった。

今から彼女の会うのが楽しみだと心が躍動している反面、心のどこかでそんな自分を嘲笑っている自分。

彼らはどちらでも本心であり自分自身なのだが、二つの意見は折り合いが悪く、もはや収拾がつかなくなっているのが現状である。
出来ることなら、いっそのこと頭を不法占拠している奴らにさるぐつわをかませ、重しをつけて深海に沈めたいくらいの厄介者になりつつあった。




ふ、とまた間を置かず聞きなれた電子音。

これで軽く二桁は突破しているであろう二つ折りの携帯を開くと、電話番号しか出ていない。
どうせメモリーを消そうが、男は相手の顔も名前も覚えていないのだから、大した不都合はないが。
電子音の耳障りな反復に少しいらだちを覚え、彼はようやく通話ボタンを押す。

「何か用か?」
「‥‥‥‥ずいぶんな挨拶だな、おい?」

「ん?ああ、ルークか。どうした?」

どうやら唯一彼が名前と顔が一致する人物からの声であったのだが、こういう肝心なときに使えないらしい。

彼の不機嫌極まりない声に苦笑しながらこれだけはメモリーに入れておかないとなぁ、などとぼんやり考えていた。

気の短いルークのことだ。こっちが気に障る対応をすれば、相手はその三倍不機嫌になって喧嘩腰になる傾向があった。

「ルーク、何かあったのか?」

そもそも、彼が携帯で連絡を寄越すのは稀であり、たいていは仕事がらみである。

「‥‥おまえ、明日は空けてるんだろうな?」

「なんだ、おまえもイブの予約か?」

露骨に顔をしかめながら、彼は舌打ちすると、向こうは食って掛かる。

「だぁぁれがンな気色悪いことすっか!!
 俺だってミリーナと過ごしたいに決まってんだろうが!!‥‥‥‥明日はでも、ほら。前前から仕事入れてあっただろ?」

不機嫌極まりなく、言うルーク。
そんなに嫌なら初めから予定など入れなければいいと思うのだが。
このご時世、色々と融通が利かないものらしい。

「‥あったのか?」
「あったんだ!!」

即座に言い返すルークは早くも切れて苛立たしげな声を張り上げた。

「明日は駄目だ」
「あん?ふざけてんのか、お前は…」

ルークが怒鳴り散らす前に口を挟む。

「明日は彼女と会うからな」
「…彼女ぉ?……また新しいオンナか?」
「あいつらと一緒にするな」

自分が考えていたよりずっと不機嫌な声が出ると、流石のルークも束の間沈黙する。

「……もしかして、見つかったのか?」
「おかげさまでな。今日見つけた」

「それで、早速上手いことイブの約束を取り付けたってわけだ?
 仕事よりも優先させて?」

「忘れてたんだよ」

トゲトゲしい声に苦笑する。
サラリーマンとは違い、彼らの仕事はある意味特殊った。
出勤もなければ、職場も地位もない。

あえて言えば、事務所はルークの部屋で、従業員は彼と自分。
そもそも深く考えることのない彼はそれ以上のことをルークに尋ねたことはなかった。
与えられた仕事だけを全うし、働いた分だけ金が入るならそれで十分だったのである。


「まぁ、クライアントとの話し合いならお前なんかいなくてもいいがな。
 だが俺だけがミリーナとの甘いひとときを減らされるのは癪だ」
「悪かったって。埋め合わせはいつかする」
「……ゆずらねぇな」
「ああ」

キッパリ言うと、ルークの呆れたため息が聞こえてくる。

「分かった…。後で覚えてやがれ」

「助かる」

呻くような捨て台詞にまた苦笑すると、向こうから切れたようだ。
忘れないうちにルークのだけは携帯電話のメモリーに登録しておく。




次が来る前にケータイをベッドに放り出し、その上のシャツを脱ぎ捨てて丁寧に巻かれた包帯を外すと、浴室へ向かう。


久しぶりに熱いシャワーを全身に浴びたくなったのだ。
頭からしとどに濡れていくと、しみる傷が嫌と言うほど自己主張始める。

それらはまだ生々しく残っていたが、幸い化膿もしていなければ、徐々にではあるが確実に治癒していた。

彼女の手当は実に迅速でしかも手慣れたものだ。
もしかしたら医療系の知識があるのかもしれない。


今は何も知らない彼女コト。
これからは知っていく少女のコト。


その体り傷をそっと撫でて、いつの間にか緩んでいた口元を引き締める。


明日会うだけだろ?
童貞の思春期のガキじゃあるまいし……
なんでいちいちアイツを思い起こさなきゃならないんだ?

理解不能なココロを持て余し、彼は考えても出ない答えを導き出そうとして黙考しかけ―――思いとどまった。
これで満足のいく答えなど出た試しがないのだ。

不条理を感じつつも、彼は諦めて平静を装うよう、心にも指令を出した。

しかし、胸の高鳴りは制御できそうもなく―――彼は深いため息を吐いて、お湯の温度一気に下げることくらいしか出来なかった。









らぶこーる・終