横 恋 慕 |
「停めてよ!!」 「なんだ?車は嫌いか?」 「ちゃう!!あたしは歩いて帰るってんの!」 「良いぜ。逃げられるもんなら逃げてみろよ」 圧倒的に有利な状況が余裕を生むのか、男は余裕綽々の笑みを浮かべている。 こうも余裕たっぷりに言われると腹立たしいことこの上ない。 歯軋りしながら相手を睨みつけてやる。 もちろん、相手にほだされている気配など欠片も見せない。 やっぱりこんな男に警戒を緩めるんじゃなかった。 自分の不甲斐なさにも怒りが込み上げてくる。 逃げ場を探しても狭い車の中。 そんなものは精々この危険極まりない相手から少しでも遠ざかるくらいのものだろう。 あーーっっ悔しいっ!!! このリナ=インバースともあろう者が…っっ 「おまえさん、猫みたいなヤツだなぁ。 そんなに毛ぇ逆立てながら警戒しなくても取って食いはしないぞ?」 「いいから降ろしてっ」 「だから、好きにしろよ」 「この状況でどうしろってのよっ!?」 「じゃ、大人しくオレに付き合うってことで…」 「却下!」 すげなく切り捨ててみるも、内心では相手への怒りゲージはレッドゾーンを軽く突破していた。 理性より衝動が勝ると、普段ならしないようなこともするものである。 あたしは目の前の巫山戯た男の優越の笑みを崩したくて、ドアのノブを握った。 もしいつもの冷静なあたしだったならば、車は決して走り続けられないということも、止まった拍子に逃げればいいだけのこととあっさり言い切ったことだろう。 ただし、それは不利な追いつめられた状況でやたらと顔のイイ男が勝者の笑みをしていなければの話。 速度は約50キロ。流れるイルミネーション。 打ち所が悪ければ死ぬだろうか? 転がった後、後ろの車に轢かれたりしたらどうしようか?などと、あたしの頭はどこか違うことを考えていた。 それよりも今のあたしはこの男の鼻をあかしてやりたい。 アクセルが緩んだ刹那、思いっきりドア押した―――が分厚い壁を押しているようにびくともしない。 風を切って走る車の側面を開けるにはそれだけの抵抗に勝る力が必要なのは少し考えればすぐ分かること。 体当たりしても、いかにも小柄かつ事実軽くて非力なあたしでは歯が立たなかったのである。 「…お前さんね。もし開いたら飛び出す気だったのか?」 「うるさいわね。ちょっと脅かしてやっただけよ!!」 「にしても……危ないヤツだなぁ…」 苦笑しつつ運転手の声を掛け、ドアをロックさせる。 ふん。そんなものいつだって開けられるわ。 …いや待てよ…… ここに来てようやく止まったときに脱出することを思いつき、機会を窺おうとするが、 すでに相手に警戒を持たれてしまったのは頂けなかった。 「もし、またメチャなことしようとしたら……」 伸びてきた手に身を硬くするが、相手はそっとあたしの髪を一房手に取った。 「…分かってるな?」 有無を言わさない言葉と視線と共に、男が恭しく口づける仕草まであたしは目を離せない。 「保証は出来ないわね…」 「なら、せいぜいオレが監視しておこう」 言葉通り、もうあたしから目を離さないらしい。 蒼い瞳は瞬きをすることすらもどかしいほど逐一あたしの動きを追う。 口づけた仕草のままあたしを見ている男に訳も分からない寒気を感じ、雰囲気に飲まれたのか、あたしの肺を圧迫するような重い空気がのし掛かる。息を吸うのすら億劫になりそうなほど。 それを作り出している男のキザったらしい姿が様になるってのがまた詐欺くさい。 慣れない雰囲気に自然と頬が紅潮し、心拍数が跳ね上がるのを押さえられないではないか。 心臓がばくばくするのは決してあたしのせいではなく、この純粋無垢のあたしを毒牙に掛けようとしている女を落とすことに掛けては百戦錬磨並の男が悪いのである。 「可愛いなぁ、お前さん」 「あたしは宇宙一可愛いのよ」 「そうだな。だったらなおさらこっちに気を向かせたいな」 ……こーゆー短絡思考と軽口が身を滅ぼすのよ、うん。 自分に言い聞かせるように相手から目を逸らし、相手に背を向けて窓の外を見ながら次の策を練った。 次に外に出られるのは、おそらく目的地に着いたとき。 なら、その空きを見計らって逃げればいい。 簡単なことではないか。 あたしは相手に気づかれぬよう、こっそりとほくそ笑んだ。 ガラスに映るあたしの顔を相手が窺っているとも知らず――― それまではせいぜい、しおらしくして相手を油断させておかねば。 「ねぇ、あたしをどこへ連れて行く気?」 「うーん。このままオレの部屋に連れて行って大人のお付き合いって手もあるが、さっき約束した通り今日は穏便に清いお付き合いってことで、その辺のレストランで食事でもどうだ?」 …う。…食事……… 確かに、ずっと待ちぼうけでめちゃめちゃお腹空いてるけど…。 相手を翻弄してほうほうととんずらしてやろうという気が微かに揺らぐ。 「味は保証するぞ」 ………美味しいご飯……………ああやばい。 早くも本日二回目の心の葛藤が…… 「もち、奢り」 「行かせて頂きます!!」 ビシっと手を上げて賛同すると、相手にゆるゆると絶対勝利の笑みが広がっていく。 それは純粋に嬉しそうでもあり、あまりにも簡単に引っかかるあたしを手玉にして楽しんでいるようにも見える。 なんともいや〜な笑顔の相手に正気に戻るあたし。 あ・ぁ・ぁ・ぁ・つ、つい反射で〜〜〜〜!!!!!!!! この商売人の血が流れた自分が恨めしい。 ―――言い忘れていたが、あたしの両親は外国でちょっとした会社を興している。 って、誰に説明してんのよ……それよりっっ!! 「う、…あの、…やっぱり………」 「うん?まさかお前さん、一度口にしたことを取り消すのか?」 あたしの性格をばっちり見透かしているような台詞である。 そう言われてしまうと引っ込みが付かないではないか。 「卑怯者…っ」 「なんとでも」 傍目から見れば、人畜無害な笑みをしていても、今のあたしにはまさに悪魔の微笑。 あたしはハッキリと確信する。 …こいつ…むちゃくちゃ性格悪い!!! おまけに、根性も核酸分子のように拗くれ曲がっている。 「ほんとーーーーーーーーーーーーーに、何もしない…?」 「してほしいなら今すぐにでも変更するが?」 「ンわけないでしょーが!!!」 「はいはい。お姫様のご意志を尊重するさ」 「…………」 むぅっ……と小さく唸って相手を観察する。 全くもって真意が読み取れない。 …もう一度だけ、信用してみるのもいいかもしれない。 ここで下手に口出しして相手の気が変われば、車の中にいる自分など造作もなく好きなようにされてしまう。 でも…人がいる場所なら―――… いや、待てよ。 コイツ、今さっき公衆の面前であたしを担ぎ上げたばかりじゃない。 人がいようと関係なさそうだ。 ……つらつらと頭の中で並べてみると結論的にあたしはとんでもない男に捕まってしまったようなのである。 ……とんだ誕生日だわ。 今ここにいない本物の彼の顔を思い浮かべ、隣に座る同じ金髪碧眼の男と重ねてみる。 やさしい微笑みは同じ。 高い背丈も、同じ…いや、似ていなくもない。 どっちも傍目からはイイオトコだろうけど… 車で押し込まれるまで分からなかったが、あたしの印象が悪くなったからではなく、目の前の男はどこか陰を含んだ影あるような――そんな気がした。 ■ 続く ■ |