Destiny |
彼の望みと彼女の願い
「せ〜〜ん〜〜せぇ〜〜〜〜〜〜〜っ」 なんとも情けない声を上げて院長室に避難して来たのは助手のミルア。 涙ながらに訴えてくる。 「あの患者さんー とぉってもコワイですぅ〜〜〜〜」 …いや、そう涙目で訴えられても… そもそもあんた、あたしより年上じゃあ…… 「もう私ぃダメですよぉ〜〜〜 せんせぇ、お茶なんかすすってないで真面目に聞いてくださいぃ〜」 「そ〜は言ってもねぇ〜」 もう5日目になると、慣れ、というか呆れちゃって呆れちゃって。 あ〜お茶が美味しヒ… 「私ぃ、病室のドアを開けるたびにあの瞳で冷たぁ〜くに睨まれるだけで動けなくなっちゃうんですぅ〜」 「ををっ それはまさしく恋する乙女の症状! やったじゃないミルアっ一つ大人になったわよ」 「全然ー、全くぅ、これっぽっちも〜そんなんじゃない気がしますぅ〜」 エメラルドのおっきな瞳を真っ赤にして切実に訴えてくるミルアの肩に手を置き、深慮深げな顔つきで優しく微笑む。 「ん―…ミルア。ご苦労様。大変だったわね。じゃぁ、夕方の診察も宜しくね」 「せんせぇぇぇぇぇええええええぇぇぇ〜〜〜〜〜〜」 あたしの心遣いが分かったのか、だくだくと涙を流しながらミルアが感涙しつつ、胸ぐらを掴んでかっくんかっくんと揺さぶってきた。 「ミルア。感激しすぎよ」 「ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっとも分かってないじゃないですかぁ。 一歩近寄る度にプリザードのような気配とぉ、背筋が寒くなるような視線にぃ 無言の沈黙はまさにお通夜の如しぃ。あれはもう犯罪ですぅぅぅ〜〜〜」 「ほ〜〜それはそれは…」 「それにぃ、あの人が目覚めてからの一週間、先生は一度も検診に行ってくれないじゃないですかぁ〜ずるいですよぉ〜!」 そりゃそうよ。 あいつに会わせる顔ないもの。 素知らぬ振りをしてミルアが握り締めていたカルテを取り上げ、ざっと目を通す。 「うん。順調じゃない。この調子ならあと2週間もすれば退院出来るわね」 「その前にぃ、私の方が胃潰瘍になっちゃいますよぉ〜」 「大丈夫よ。あんた自分が思ってるよりはるかに神経図太いから」 あたしは確固たる自信持って、あっさりと彼女の言葉を受け流した。 結局、頑として首を縦に振らなかったあたしにミルアの方が折れて、夕方の診察に行ってくれた。 いつかは顔を合わせる事になるのは分かってる。 けど、彼があたしをどんな風に見るのか…はっきりいって不安で。 憎んでる? 恨んでる? それともせいせいした? 彼が運ばれてた時、無意識に呼んだ名は掠れてはいたけれど、はっきりわかった。 わからないはずがない。 彼はあたしを呼んだ。 あの昨日食べた夕食も満足に覚えていない、そんな彼が。 すでに一年近く経っている元相棒の名前を呼んだ。 ―――『リナ』と――― 忘れられてはいなかった。 だからと言って許されたわけでもないだろう。 彼はどうしてあたしの前に現れたんだろう。 彼はどうして…死を願ったのだろう。 椅子を軋ませ、背もたれに寄りかかる。 近いうちに会おう。 自分勝手だとは思うけど、こんなに近くにあんたが居て。 すごく、すごく会いたいから。 本当はいますぐ会いたいよ。ガウリイ――… 心の準備を十分整えられたのは、それからまた2日後。 本当はまだ割り切れたわけじゃないけれど、近くにいるガウリイにどうしても会いたくなってしまった。 ミルアに診察を替わるというと、彼女は感涙しながら手を握って喜んでいた。 どうやらそうとう溜まっていたらしい。 彼女は今、外出中――― 小さな個人経営の診療所には他の入院患者もいない。 すなわち、今ここにいるのは、あたしと…これから会う彼だけだった。 さほど長くない廊下をゆっくりと歩きながら、あたしは彼と会った時の言葉を考えていた。 いくつか思いついた言葉を口の中で小さく予行練習しつつ、彼の居る病室の前に立つ。 息を吸って、落ち着いて。 それでも震えてしまう手でドアノブをゆっくりと回した―― 白い病室に微かな消毒液の臭い。 病室の左手には部屋の半分を占める大きな病人用寝台。―――もっとも、最近まではあたしの寝床ではあったが。 そこに彼が上半身だけを起こしながら外を眺めていた。 開きっぱなしになっている窓から柔らかな風が吹き込んでくる。 彼の長い金髪を揺らす風にも、顔を綻ばせるどころか鬱陶しそうに顔を顰めていた。 綺麗なのに、まるで生気がない。 凄腕の剣士なのに、覇気がない。 生きながら死んでしまったかのような彼は、ただ外を見ていた。 一歩、靴音を立てて彼に近づくとゆっくりとこちらに視線を移す彼。 「………リ、ナ……?」 見開かれた蒼い瞳が懐かしくて、あたしは何度も練習した言葉が一瞬で掻き消されてしまった。 ただ小さく微笑むと、我に返った彼が徐々に憎悪で歪んだ渋面を作る。 けれど、それもほんの一瞬で。 無表情に戻った彼は途端に笑みを作ってみせた。 だけどそれは以前と変わらない優しい微笑みではなく、 深みのない、つるんとした無意味な笑みだった。 「久しぶりだな」 深みのない優しい笑顔があたしを迎える。 でも、以前とははっきりと違う。 彼とあたしとの間に深い距離があった。 きっとそれは気のせいなんかじゃない。 あたしは彼に詰られるつもりだった。 しかし、彼はそれすらも許してくれないらしい。 「そう、ね」 呟くように応える。 笑ったつもりだったけど、それが果たして成功したかは自信がなかった。 「こんな所にいたのか」 「ええ」 傍らの椅子に腰を下ろすと彼の診察を始める。 彼もそれをなんの抵抗もなく受け入れた。 包帯を取り替え、熱を測り、そしてリザレクションをかける。 少しずつ治さなければ傷跡が残りそうなほど深い傷。 本当はもっとこまめに彼に治療を施さなければならなかった。 けれど、出来なかった。 傷は治せても、直せないものがあたしにはあった。 しばし、沈黙だけが病室を占める。 「酷い怪我ね」 いい加減、このどこかぎこちない空間に負けて、あたしがポツリと漏らした。 「そうだったかぁ?でもお前さんが治しちまったんだろ?」 のんびりとした口調。 しかし、胸に刺さる棘が彼の言葉にはっきりと含まれていた。 それは間違いなく嫌悪感で。 彼は自分の生を疎んでいた――― 彼は自身の存在を憎んでいた―――… 「そうよ」 お願いだから、そんな風に思わないで。 死にたいなんて、思わないで。 「助かったよ」 嘘吐き。 心にもない御礼は口にしないで。 嬉しくなんてない。でも、あたしは笑わなくちゃいけない。訊かなくちゃいけない。 あの契約の為に―――― 「それにしても、本当に傷が酷いわ。一応、医者として聞くわよ。どうしてこんなポロ雑巾になったの?」 予め、こちらから予防線を張る。 あくまで『医者』として彼を気遣う。 当然の義務。 「空仰いでたら石に躓いて転んだんだよ」 今度は明らかな嘘。 「ああっそんな事だと思ったのよ。ったく、ドジね〜」 「そうだな」 低い、彼の呟き。 「お前さんはすごいな。俺を殺さなかった…そして…か…も……なかった」 彼の言葉の後半はほとんど掠れていた。 その表情も顔も長い前髪を揺らす風に遮られて窺うことは出来なかった。 けれど、その言葉はあたしに届いてしまった。 彼に治療を施す手が微かに震える。 あたしには彼の言葉に答える術がない。 彼の言うとおりだから。 全て自分で決めた事だから。 「はい。これで終わりよ。微熱があるようだけど、多分今までの疲れが一気に出たせいと思うから、ま、安静に養生する事ね」 「ああ」 「後はミルアに引き継ぐから。…あんまりいぢめないでよ」 「………だよ…」 微かに、吐き捨てるような声が耳に届く。 わずかに唇を噛み締めるが、直ぐに溜め息として吐き出す。 「お大事に」 「…ああ」 簡単な器具を適当にひっつかんで足早に廊下に出る。 あたしに届いた、彼の言葉。 とても小さな呟きだったのに、あたしの胸には強すぎる衝撃だった。 イタイ、イタイ。 「痛くなんかないわよ」 独りごちて足を止める。 耳に残る、彼の声。 『誰のせいだよ』 吐き捨てられた言葉は、彼の本音。 そんな言葉を吐かせたのは、あたし。 『お前さんはすごいな。俺ヲ殺サナカッタ…そして…生カシモシナカッタ』 それでもあたしは、彼に生きて欲しかった。 ガウリイの怪我が治ったとき、あたしはどうするのだろう。 ちゃんと彼を見送れるのだろうか。 それとも……また彼から逃げるのだろうか。 to be continue… |