Destiny


そして終焉が始まりを告げる














「どうして…どうしてだ!?」

「………分からない…ただ」

「………な、ん……!?」

「あたしは弱いのね」

「…な、にを…し……た…リ、…ナ…?」

「お休みなさい。ガウリイ………もう二度と出会わないことを願ってるわ」

「…ま、…て……」



苦笑が漏れる。
彼はあたしに油断したのだ。
なんの危機感も感ずることなく、無条件で心を許していたのだ。
超一流の剣士が聞いて呆れるわ。

あたしは、彼の重い体が床に沈む音を聞きながら踵を返した。














月日が過ぎるのは早かった。例えそれをどんなに望もうと望むまいと。否応なく。

長すぎる一日を幾度も数えれば、そこにはあっという間に過ぎたと感じさせる長い年月。
もう一年近く積み上がった、一人だけの時間。




カルテを書く手を止め、夕日が差し込む窓の方を眺める。
もう春とはいえ、窓から入り込む風は夕方にもなればぞっとするほど寒い。

あ〜〜もう、やめやめ!もう終わりにしよ!
今日は気分が乗らないわ。
ペンをその辺に放りだし、医者のトレードマークとも言える白衣を脱ごうと手を掛けた。
ふと、手を止めて、壁に掛かっているカレンダーに視線を注ぐ。

もうすぐイチネン……か。早いものね。
過ぎてみれば、の話だけど……。

一人で感傷に浸っているあたしの耳にパタパタとした軽快なスリッパの音が近づいてくた。


「せんせぇぇ〜タイヘンですぅぅぅ〜〜」

慌ててはいるのだろうが、ちっともそう感じない間ノビした声。

「あ〜はいはい。ミルア。深呼吸して」

あたしの言葉に部屋に飛び込んできたミルア――二十歳過ぎのはずだが、年より若く見られることも多いだけあって、幼さが残る顔立ちをしている――が、あたしの言葉に従って素直に大きく息を吸い込み、胸に手を当て吐き出す。
柔らかくウェーブしたブロンドは肩で揃えられ、大きなモスグリーンの瞳はエメラルドのようで、掛け値なしに可愛い子ではある。…のだが、どーーーーもいまいち気の抜けた炭酸っぽい子なのだ。

「ぜぇ…はぁ…………ふぅ、」
「落ち着いた?」
「あ、はい〜 そりよりせんせぇ、すごーーーーくタイヘンなんですよぉぉ〜〜〜」
「何が?」
「急患なんですぅ〜。出血が酷くてぇ、一刻を争いますぅ〜」

彼女のしゃべり方事態が一刻を無駄にしている気もしなくはないが、いつもの調子からは3割り増しですぴーでぃではある。
それよりもあたしは不服があった。

「もう勤務時間は終わりよ?」
「医者は24時間営業ですぅ」
「あたしは便利屋じゃないやいっ」
「そんなぁ〜私だけじゃとても手に負えませんよぉ〜〜」

泣きつくミルアに溜め息を吐き、脱ぎかけた白衣を着直す。

「しょーがないわねぇ…ったく…案内して」
「あぁ、でもぉ…患者さんの状態を〜」
「あのねぇ…一刻を争うんでしょ?案内しながら報告して」
「ぅぇ…あ、…は、はぃ〜」

ぱたぱたと足音を響かせ、先に廊下に出たあたしと並びながら説明をし始める。

「えっとぉ〜…とにかくすっごい出血なんですよ〜」
「それは聞いたって」

あたしは苦笑して、ミルアが次の情報を思い出すまで待った。


…彼と別れてから、もう1年近くになる。
あたしは、と言えば、小さな村の診療所で住み込み医者をさせられていた。
本当はミルアが継ぐハズだったんだけど…
まだ十分な経験と知識を得る前に、彼の祖父が亡くなってしまったのだ。
そこで、ちょうど滞在していた黒魔道士のあたしが、村人全員に泣きつかれ、ミルアが一人前になるまではと渋々承諾をした。
それが大体半年前のこと。
あたしは自分自身も魔法医としての勉強がてらに、ミルアに薬草の知識や治療の仕方を教えていた。


「あ!思い出しましたぁ。
発見者はリット君5歳でぇ。その子がぁ、何故か世界の毒草図鑑・挿し絵付きを持って山の散策途中にぃ、血まみれの若い男性を発見したそうですぅ。発見当時は、ちゃ〜んと意識があったんですよ〜。アレで意識不明なら火葬場直行だったらしいですぅ〜〜」

朗らかに言う彼女は、ある意味強者かもしれない。
あたしの関心を余所に、ミルアは思い出したことを一気に喋り終えた。

「…あたしとしては、怪我の具合より、なんで年端もいかない子供が毒草図鑑なんか持って散策してたのかの方が気になるわ」

ミルアが首を傾る。

「山菜でも採るつもりだったんじゃないですかぁ〜?」
「なら、普通の食用図鑑持っていけばいいじゃない?」
「あ、そーですねぇ〜」

どーでも良いけどね。別に。



「あ、せんせぇ、着きましたよぉ♪」

…ってをひっ!

見慣れたドアに佇んだあたしは、非難がましくミルアの方を向く。
「…ちょっと…ここ、あたしの寝室じゃない」

「う゛…」

痛いところを突かれたたのか、ミルアは小さく呻いて押し黙った。

「『う゛』じゃないわよ。あたしは今日から何処で寝ればいいのよっ」
「でもぉ、この診療所ってぇ、病室ってモノがないんですよぉ〜」

そ、そりゃーたった一つの病室だったこの部屋をあたしが占拠しちゃったのは知ってたけど…

「あ〜 大丈夫ですぅ。部屋ならぁ、まだありますよぉ〜
たしかぁ…地下にぃ、10年前から開かずの間となっている霊安室がぁ〜」
「み〜る〜ぁ〜〜あんたが寝てみようかぁ!?とりあえずっ!」
「うきゃぁぁぁぁぁああぁごめんなさ〜〜い…ってぇっ!ですからぁ〜〜!」

「そうよ。こんな漫才してる場合じゃないのよミルア、自覚を持って」
「う゛う゛」

いぢけるミルアを視界の端で捕らえつつ、ノブを回す。









見慣れたその部屋は、この時ばかりは血の匂いで溢れていた―――



そこに横たわっていたのは、全身が赤く染まった一人の男性。
金色の髪はすでに血が赤黒く固まり、身を覆う防具はほとんど原型もないほど粉砕し、深い傷をいくつも残している。
体から溢れ出す血液はシーツを深紅に染め、もはや紫色に染まった唇が男の限界を知らせていた。
一目で分かるほどの重傷。



「……な、ん…で……?」




震え掠れた声が漏れれ、自然と口を手で押さえてしまう。
――――決して悲鳴を漏らさぬように。

視線はベットを鮮血で染めてゆく剣士から離れない。

ど…う、して…?

あたしは…―――こんな姿を見るはずじゃなかった。

こんな想いをしなくてもいいはずだった。

なの、に………………罰?罰なの?
冗談じゃない…っ!!!


「せんせぇ?」


逃げるのよ。
あの夜と、同じように―――…


「何処に行くんですかぁ!?」


踵を返しかけ、背を向けたあたしの動作に気づいたミルアが悲鳴を上げる。
彼女の珍しく切羽詰まった声にあたしの足が止まる。
息苦しくなるほどのむせかえる血の匂い。
それに混じるのは、彼の懐かしい匂い。
酸素が欲しくて肺が震えだすまで、あたしは息を吸うことがではなかった。




「だ、れ…だ……」

「あ〜。良かったですぅ。まで生きてらっしゃるんですねぇ。直ぐに手当しますねぇ」

不意にミルアが伸ばした手をカンだけで払い除けた。
そう…勘としか言いようがない。
彼の瞳は潰され血で染まっているのだから。
足もおかしな方向に折れ曲がり、明らかに折れている。
縦横に奔る傷と、汚れ破れた服。

酷い……。

どんな戦いをすれば、これだけの傷が負えるのだろうか。
拷問を受けたような傷つき方。
彼ほどの剣士がなぶり殺しされかけるなんてまずあり得ない。

………人間では―――

なら、彼にこんな傷を負わせる種族がいるとすれば…まさか……
浮かんできた一つの答えを強引に打ち消す。
それだけは、絶対ない。
あり得ない。
あってはならないこと!



「………俺に触、な、放ってお、け。  殺…せ……っ」

荒い息を吐きながら、掠れた声で訴える彼。

「それはぁ、難しいことですぅ」

ミルアが本気で怒ったように眉を顰める。
彼女がまだ何かを言おうとしたとき、あたしは耐えきれずに声を上げた。


「ふざけんじゃないわよ!!!!」


振り向きざまに怒鳴り、ずかずかと寝台に近づく。
息を吸い込んで、改めて怒鳴ってやろうとした所で息を飲む。
暫くして、捌け口のなくなった息を全て吐き出す。
ぐったりとして気を失ってしまった彼。
もうあたしの言葉は届かないだろう。


力を失った手はだらりと寝台からはみ出し、垂れ下がっている。
蒼白を通り越した土気色の顔と紅のコントラストがこの上なく美しい。
まるで精巧に作られた魂のない、人形。
不意に零れる血の涙。それは瞳から流れ出ていた。
目から流れ出す血の涙が彼の死を彷彿とさせる。



「ふぇ〜患者さんー? 死んじゃったんですかぁ?」


ミルアが試しに人差し指で突いてみるが、まったく反応はない。
なおもつつくミルアに呆れながら彼女の肩に手を置く。

「大丈夫。カッコつけて喋ってるから気絶したのよ。
ほらまだ死んでないって。つっつかないで治療始めるわよ」

「あ、はぃ〜。早く元気になって貰ってぇ、治療費をぉたんまりとぉふんだくりましょうねぇ〜♪」

爽やかな笑顔。
瀕死の患者が居るのに、それは不謹慎だと思うのは気のせいだろうか…。

………この子、前々から言葉の端端が微妙に気になるのよね…。


あたしの疑問を余所に、慣れた手付きで片端から傷の手当をし始める。
あたしもすぐに彼に意識を集中し直し、傷の具合を確かめる。
改めて見ても本当に酷い。
良く息を保っていられたものだ。
あたしは一番重傷だと思われる深い刺し傷に手をかざし、意識を集中する。

「復活(リザレクション)」

今、あたしが使える最高の回復呪文。
この呪文があたしが彼と別れて過ごした月日の証。

流石に、黒魔術のほうを主体とするだけあって、魔法の手応えは弱々しく。
とても巫女や神官には及ばないものの、それでもなんとか辿々しいあたしの呪文は彼の傷を癒してゆく。

「うっ…」

微かな呻き声が手応えの証。
痛みのせいか、無意識にあたしの白衣の端を強く握り締める。

「安心しなさい。ちゃんと治してあげるから。瞳も潰されているの?
じゃあ、ちゃんと元の蒼い瞳を戻してあげるわよ」

…昔のよしみでね。
最後の呟きだけは胸中に留める。

「せんせぇ?」
「どうかしたの」
「どうしてぇ、患者さんの目の色なんか知っているんですかぁ?」
「それは…」

べつに、いつかはバレる事じゃない。
隠す必要なんて…ないじゃない。
それなのに、あたしから出た言葉は曖昧なものだった。

「なんとなく、そんな気がしたのよ」

苦笑を浮かべ、治療に専念する。
ミルアもあたしの口調に何かを感じたのか、それ以上は追求してこなかった。




「……ナ…」


微かな彼の呟き。
唇だけが短い名前を呟く。
無意識に出た名前だろうか。
もしかしたらあたしの声が聞こえたのかもしれない。

あたしはぐちゃぐちゃと渦巻く考えを振り切るように頭を振り、彼の瞳に手を移動させる。
彼の蒼い瞳を取り戻すために。
たとえその瞳に映るあたしが彼にとって憎悪でしかないとしても。
あたしはあんたの瞳が好きだから。
だから……

「アンタに紅は似合わないのよ」


独り言のように呟き、彼がずっと握り締めていた妖斬剣を外してやった。








to be continue…