夜と朝の狭間で
























―――ついに、待ち焦がれていた時が訪れた。



背広にネクタイ、
真新しいそれは、まだ体に馴染む気配はなかったけれど。

やっとやっと。
やっと彼女に追いついた。


やっとやっと。
―――全てを変えるチャンスが訪れた。


卒業式が終わり、仲間が巣立っていく。
最後の羽目外し、とばかりに騒ぎ立てる仲間内でのパーティを丁重に断り、オレは家路を急いだ。





待っててくれたのは当然リナ。
オレのためのご馳走も用意してあるらしかった。


静かな空間―――仲間との喧噪とは雰囲気が全く違う。
リナに初めて大人として扱われた証。

テーブルの傍らにはオレが生まれた年のワインと二つのワイングラス。

注がれる赤い液体は、透明なグラスの中でゆらゆらと揺れていた。


「大学卒業おめでとう、ガウリイ」
「ああ、ありがとう。リナ」


―――チン、

グラスが重なる。



口当たりのイイワインを一口含み、その芳香と味わいを楽しむ。

酒の旨さを覚えたのも、最近のこと。



「―――長かった、な…」


感慨深げに呟くと、向かい座るリナに笑いかけた。

「なぁ、オレ今日から社会人って事だよな?」
「うん、早いものね…って。
 そもそもアンタが飛び級しまくったのが原因なんだけどね」

「そーだよなぁ〜。なんてったってオレ、まだ未成年だし…」
「なぁに?ガウリイ。せっかく公然にお酒を飲ませてあげたってのに…」

取り上げる素振りを見せるリナ。
オレは慌ててグラスとボトルを確保した。


「ち…。素早くなったわね」

「反射神経と学習の賜物だ」

睨み合うが、すぐに二人とも破顔し笑い合う。

「こんなのも最後かもね〜」

くすくすと笑うリナにオレは眉を顰めて問う。
最後なんて言葉、リナの口からは絶対に聞きたくない。


「なんで最後なんだ?」

「…だって、ガウリイは他社に就職しちゃったし」

「うん?リナはオレと同じ会社で働きたかったか?」

嬉々と尋ねる俺に、リナは顔を赤らめて抗議する。

「バカそーゆーのじゃなくて…」
「じゃなくて?」

僅かにオレの気配が変わるが、リナはそれに気付いた様子はなかった。
また一口ワインを楽しんで、続ける。

「あんたは将来ウチの会社の社長にならなきゃいけないわけ。ま、一種の社会勉強になるから異存はないんだけど。でも……よりによってウチのライバル社に行かなくてもいいじゃない?」

「それって…」

緩みきった表情が、強張るように引き締められる。


「オレより会社や親父の方が大切ってことか?」


―――ゆっくりと、今まで言いたくて仕方がなかった疑問を口にした。
途端、リナの表情にも真剣味が増す。


「ガウリイの人生は、あなただけのものよ。
 でも、会社は貴方が次がなくてはならない。でないと、会社が成り立たな
 いの。もし、会社がなくなれば、社員の人生が変わってしまう。
 ―――それは、あなただけのものじゃないでしょ?」

慎重に言葉を吟味し、選びながら話すリナ。
確かに、その通りだ。
けど……


「結局、会社?跡継ぎ?オレの意志は無視ってことかよ」

「意志は尊重する。だけど、あなたにはやるべき事があるの。
 あたしもその時はサポートするし、社長だって会長として在任して――」

「だから、大人しく駒でいろ、と?」

リナの言葉を遮って言うと、彼女は言葉に詰まったまま、口をつぐんだ。

「親父はオレを会社の…
 一族の駒とするためにリナを送り込んできたんだな?」

「そ、それは……」

「じゃなければ、何故親父はリナと再婚して一度も家に帰ってこない?」

「それは、あたしの事を信用して――」


「違うな。リナが定期報告を入れているから、だろ?」



相手の目を見据えたまま、キッパリと断言すると、ぐっと、押し黙るリナ。
やがて、肩の力を抜くようにため息混じり呟いた。



「いつから―――気付いてたの?」









彼女らしからぬ深い苦悩の表情に、さらに疲労を滲ませる。

―――初めてそんな顔見せてくれたな、リナ?

オレにはいつも明るく振る舞ってきたのに。
だから嘘だと気付いた。

アレは―――あの表情の一部は、作り物じゃないかと―――















「どこまでが嘘でどこまでが真実だ?」

「……………少なくとも、アンタが今言った憶測に嘘はないわ。
 けど、正真正銘それが全てよ。隠してきたことがないとは言わないけど、
 嘘は一つもないわ。全て真実。
 ―――ただ、あたしはあなたを守り、導くためにここに居た」

「親父との再婚もか?」

間をおいて頷くリナ。

「何故、自分戸籍に傷をつけてまで親父の道楽に荷担する?」




「ガブリエフ社長が―――…好きなのよ」

「嘘だ」

「嘘じゃないわ。あの人が進む道を一緒に歩いていきたいと思ってる」


愛おしむような女の表情をするリナ。
オレは、心に何かドス黒いものが流れ込んでくるのを感じた。
それは多分―――――オレの身勝手な独占欲。

カッと目の前が赤くなると同時に、皮肉が口をついて出た。

「親父にとっては、リナも駒でしかないとしても?」

経験上、彼女も理解しているであろう真実。
分かっていたとしても容赦ない言葉にリナの顔が歪むが、それを覆い隠すように微笑んで見せた。


「それでも、いいの」

「親父に人を愛せるはずがないっ!」



だから…



「わかってる。でも、好きなの。どうしようも、ないの」

「親父はずっと早く老いる。リナを置いていく!!」



「―――だから何だって言うの!?」



激昂するリナは立ち上がり、オレに詰め寄ってくる。
深紅の赤い瞳が怒りに燃え、オレを激しく貫いた。


「だから――――」


オレも、立ち上がり、リナの二の腕を掴み、引き寄せる。


立ち上がるとオレの胸までしかないリナの身長。
それでもリナは毅然とオレを見上げ、その瞳で貫いてくる。







「だから、オレにしろ」





「え――?」


リナの言葉を遮るように、唇が重なった。
重ねた唇はあの夜と同じように柔らかい。

けれどあの晩とは違い、間近にリナの驚愕に見開いた紅い瞳があった。




「や…っ!」


突き飛ばす、と言うよりはビクともしないオレからリナが距離を取るように離れ、ゆっくりと後ずさる。


「リナ」

「な、なに考えてるのよ……」

鈍い、鈍いと思っていた彼女。
しかし、この時ばかりは、本能が危険を察知したのだろう。
踵を返して逃げようとするリナの肘を寸でで掴み上げると、無理矢理引き寄せる。


「逃がさない――」



耳元で囁かれたオレの声に、リナの体が小さく跳ねた―――




オレを、愛して。
オレだけを、愛して――





「やだ、やめて、やめなさい!ガウリイっ!!」


捕まれた腕を思い切り引きはがそうとするが、非力なリナでは太刀打ちできるはずもなく、ダイニングのソファーに押し倒された。





「オレなら、リナを愛してる。リナの為なら、会社も継ぐ、だから!!」



「何…言って………あんたは、あたしの息子よ!!」

「血が繋がってない」

「でも戸籍上は…っ」

「だからなんだ?世間の目?親父への配慮?
 なら幾つも違わない男女を親子として扱う方がどうかしてる!」


鼻で笑い、リナの抵抗の一切封じると、初めて深紅の瞳に怯えが走った。


「ガウリ…イ……?」
「お前のために、一日でも早く大人になりたかった―――」
「―――!?」

「リナ…」

「ガウリイ…悪いじょーだん、止めてよ?」











「……どうして……オレたち、こんな風に出会ったんだろうな……」








その言葉に、リナの瞳から涙が滲む。

何かを言おうとするリナの口に吸い付くように、再びキスをした。










「…っ!ガウ……っ!!や、や、駄目ぇぇぇええっっ!!!!」



泣きながら押しとどめようとするリナ。

馬鹿だな。

お前さんとオレの体格差、比べてみろよ。













「――――オレはもう、12の頃のガキじゃない」













<続く>