夜と朝の狭間で




























嬉しい、温かい。……愛しい。

そんな気持ちにさせる彼女と一緒にいたいと実感したのは、いつ頃だっただろう?
心がじんわりと温まるあの特別な感覚を覚えたのは、いつの頃からだろう?


…それはおそらく、あの日、あの紅の瞳と交わった瞬間。

刹那で虜にされた。
瞬時に魅了された。



だから、こうなるのは必然だった。










「リナ〜 ただいま! 会いたかったぞぉ♪」


がばちょ、と躊躇いも恥じらいもなく小さな背中に覆い被さるように抱きつくと、腕の中のそれはカチンコチンに硬直する。
オレに抱き込まれた人物はその反応を誤魔化すように、殊更大げさにため息を吐いてみせる彼女。

「はいはい…。
 …ったく、いい加減その新婚さんっぽい発言はヤメテよね?」


ジロリと睨んで振りかえるリナ。
そして彼女めがけて飛びついたオレの腕をぽんぽんと優しく叩いてくれる。


「リナv今日のおやつは何だ?」

「‥‥お目当てはそれね?今日はリナちゃん特製タルトよ」

「お〜!美味そうだな」

「ほら、離して。今持ってきてあげるから」

「むぅ‥‥すぐ戻ってくるんだぞ?」


渋々、腰に回していた手を放すと、するりと手からすり抜けるリナ。

「顔、真っ赤だぞ?」

「うっさいやい!」

「照れ屋だな〜リナはv」

「やかまひい。ンなこと言っている悪い子にはおやつ抜きよっ」

「ああっっ!! 大人気ねぇコトすんなよ〜」


ひらひらと舞いながらオレを交わすリナとじゃれ合う。











あの日の出会いから、すでに5年。

オレは17になり、それなりに高かったオレの身長は、リナ曰くウドのように伸び、今ではリナを完全に見下ろす形になった。

そしてリナは‥‥‥なんというか。
贔屓目無しに綺麗になった。

あの頃から幼い容姿ではあったが、それは今でもほとんど変わっていないはずなのに。

ふあふあの栗色の髪も。
ルビーのように鮮やかな深紅の瞳も。
シミ一つない瑞々しい肌に、漲るパワーがいっぱいに詰まった小さな体も。

何も変わっていないはずなのに。
時々、オレの本能を刺激する小悪魔なほど可愛いその仕草。
それは、はっきりと男をその気にさせるもの。

いつも傍にいるオレだからこそ、分かる微かな変化だったけれど、


それでもリナは以前にも増して美しくなった。


今だってオレの言葉を上手く交わせず、顔を赤らめるリナ。

可愛い可愛い、リナ。



ふっと、紅茶を煎れるために一度戻ってきたリナが、
オレの瞳を訝しげに見て、不思議そうな顔をする。


「どうかしたか?」

「ん?‥‥ううん。なんでもない。
 あ、おやつ持ってくるからイイ子にしてるのよ」

「お前さん、オレのこといくつだと思ってるんだよ」


苦笑して言う言葉は、最近はもう言い慣れた言葉だった‥‥が。

リナは逃げるようにキッチンに引っ込んでしまった。


オレ、なんか悪いことしたのか?

この頃、こんなことが良くある。
オレが子供扱いすると、リナが歪んだ顔でオレを見る。
怯えた表情で、顔を強張らせる。



そんな顔するなよ。

オレはいつでもリナに傍にいてほしいんだから。

そんな、辛そうな顔しなくていいんだ。

オレは、いつでもリナの傍にいるんだから。



いままで培ってきたリナとの時間。

いつもオレたちは一緒だった。



2年前、無事大学へと飛び級したオレは、大学でもなんとか付いて行けた。

リナは初めの頃オレに諭したものだ。
まだ飛び級はそんなに例がないから特異な目で見られる、と。

確かに、オレは他人よりは大人びていたものの、やはり所詮15のガキ。
同年齢の中では大人びて浮くオレであっても、大学の中でもまた、
当然のように若すぎて浮いていた。


初めの頃はそれこそ珍品のように見られ、戸惑っていたが、
人の噂も75日とはよく言ったものだ。

1年の前期が終わる頃には、当たり前のように溶け込んでいた。


もともと体を動かす事が好きなオレは、剣道…とかいう武術のサークルに入り、汗を流したりそこそこ羽目を外して楽しんだりもしていた。

その甲斐あってか、体には以前より一回りほど大きく、逞しくなった。
飲み仲間、と呼ばれる友人たちも出来た。


それでも、オレは出来るだけ早く家に帰る。

リナが待っていてくれる、この家に。



もうすぐ再び飛び級の試験が行われる。

今年単位が認定されれば、オレは3年を飛び、4年になる。

あと、一年。


後一年でリナに追いつける…。






タルトを自慢そうに持ってくるリナ。

艶のあるタルトは確かに美味そうだ。
それでも、オレとリナの食欲を考えたのか、特大タルト。

しかも両手に2つ持っていた。


「一つは洋なしで、もひとつはラズベリー使ってみたの」

ざくざくと生地を切り分けると、皿に盛り、オレが口に運ぶのをじっと見ていてくれるリナ。

「ん、うまい♪」

オレのために少し甘さを抑えたタルトは酸味と絶妙なブレンドで文句なしに美味かった。

「んっふふふ♪やっぱし〜♪」

オレの感想に満足すると、自分もタルトにかぶりつく。


「ん〜〜〜♪でりしゃすvv」







二人で過ごす何気ない時間。

どんな友人や女と過ごすより満たされる時間。

そして、最近オレを誘うようになった女たちの傍にいるより、辛い時間。
ふとした時に香る、リナの匂い。

体が熱くなって、なにもかも投げ出して枯渇するオレの中の何かを満たしたくなる。


まだだ。

まだ………



「なぁ、リナ」

「ん〜?」


「オレが無事大学卒業できたら、聞いて欲しいことがあるんだ」

「なあにソレ?」

「今はまだ秘密♪」

タルトを口いっぱいに頬張りながら首を傾げるリナ。


「真剣に聞いて欲しいことがあるんだ」

「………」

じっとオレの目を見ると、リナは何かを悟ったのか小さく頷いてくれる。
両手にタルトをキープして、口ももぐもぐと動かしたままだったけれど、言い出すまで柄にもなく緊張していたオレには十分だった。


目の前にいるリナ。
視界にはいるだけで、嬉しくなる。
気配を感じるだけで、心が安らぐ。

今までオレはそれのためだけに生きてきた。

そう、どうしても欲しいものが出来た。
たったひとつの幸せ。

それさえあればいい。
それが叶う望みがなければ、今すぐお前の前で喉を掻き切ってもいい。
笑いながらお前の目の前で事切れてやる。

そんな狂気じみた思いに駆られるほど、―――リナが欲しい。


たったひとつの、形のない幸せ。
ほんの小さな、オレだけの宝物。


「それまで、待っててくれよな?」


せめてオレの手札が決まるまで。


オレの真剣味が伝わっているのか、いないのか。
リナは頻りにうんうんと頷いた。

それでも、食べる手を止めないのはリナならでは、というか…。


そんなリナを安心させるように微笑んで、タルトに手を伸ばそうと―――



「あ…ぁ……あーーーーっっ!!!!!リ、リナ!!
 オレのタルト、あと数切れになってるじゃないか〜〜!?!?」

いつの間にか特大タルトは、たった一人の小さな口と腹に収められ、洋なしは2つ、ラズベリーに関してはたった一つになっていた。


「わ、こらリナ!オレ、ラズベリーは一個も食べてないんだぞ!!」

「んっふふふふふ…ガウリイ、いつも言ってるでしょ?
 食事は戦争なの。生きるか死ぬか。敗者と勝者しかいないわけっ!
 我が家の掟、すなわち弱肉強食!!」

「だからってオレのおやつを取るか、ふつー!?」

「アンタがタルトそっちのけでシリアスしてるのが悪い」


最後の一切れに手を伸ばそうとするリナから、つやつやの真っ赤なラズベリーを死守すると、勢いよくかぶりつく。


「のふぉりもオレんだからにゃっ!(残りもオレんだからなっ!)」

「ふ。甘い。甘いのよガウリイっっ!!!」


そう言って洋なしタルトを一切れかすめ取ると、大きな口を開け、心底幸せそうに頬張っていた。

「くぅ…っなんて意地汚い…」


「うっひゃいよ、ひゃうりい!」













そう、こんな時間がなにより幸せなんだ。

オレと、お前しか居ない部屋で。

食事を奪い合ったり、世間話に花を咲かせてみたり。


例えばこんな風に。

お前がいつでも微笑んでくれるように。

早く大きくなったオレを、受け入れる気はないか?



お前をいつでもこの手で守れるように。

生きてきた年だけは覆ることはなくても、それ以外の事ではお前さんに決して引けは取らないようになるから。

全てを捧げるオレの手をとってくれないか?





 リナ。

 他の誰でもない、お前。



どうかオレを…男として愛してくれないか―――――?










<続く>