夜と朝の狭間で |
――――楽しい時は瞬くように過ぎ去り。 オレとリナが過ごす月日の分だけ、オレは成長していった――― 「あのっ、わたしと付き合ってくれませんか!!」 勇気を振り絞るように、必死に思いを告げる目の前の少女。 それは自分が望んでいる姿とは似てもにつかない。 髪は茶色ではなく黒。長さも足りない。 目の色も、体つきも、声も、夢にまで見る彼女とは全く違う。 頭の隅で目の前にいる少女に罪悪感を感じながらも、心の中でその姿を彼女と重ねて投射してみる。 「………」 「わたし…初めて見たときから…あなたのこと…………」 …やっぱりダメだ。 代わりにもならない。 代わりなど、誰もなれない。 オレの心は唯一、彼女だけのものだった。 「………すまないが。 今初めて見るあんたにそう言われても、何の感情も浮かばないんだ」 「…っ」 真っ赤になった顔はひどく傷ついた様子で。 セミロングの髪がさらりと肩に掛かり、彼女の切ない顔を隠した。 「そ、そうですか…」 泣きそうな、いや、泣き声でか細く呟く。 小さく肩が震えていた。 もう立ち去った方が善さそうだな…。 そのまま無言で踵を返すと、背後から小さな嗚咽が微かに耳に届いた。 呼び出された人気のない学校のキャンパスから、校舎へと続く裏口の壁により掛かっていたのは、黒髪の男。 最近急激に身長が伸びたオレは、その男より10cm程は高いだろうか。 年季の入ったやぶにらみの目つきで見上げてくる男はこんなナリでも、オレの数少ない悪友であった。 「覗き見か?」 「まーな。いい趣味だろ?……っかし、おモテになるねぇ。 流石この学校始まって以来の美形に金持ち!」 口を開くと、刃物のように鋭い雰囲気とは裏腹に砕けた口調で軽口を叩く。 男は一拍おいて、大げさに肩を竦めてみせた。 「泣かせた女は数知れず、なのにこの男はまだ一回も付き合った事がねぇ ときたもんだ。そして明日もまたこの男を射止めようと女が身を焦がす恋に走って、散ってゆくんだろうな……で、楽しいか?」 「……そーゆーつもりじゃないんだがな」 「つもりがないなら、その無駄に整ったツラをなんとかしろってんだ。 そもそもお前は学校なんかに通わなくても、家庭教師を付ければいい立場の人間だろ?」 「………別に、それは個人の自由だろ?」 オレの少し剣呑になる声にもまったく動じず歩きながら続けてくる。 「いいや。少なくとも、お前に惚れた女はそうじゃねぇな。影響あっぞ」 見れば、オレの顔なんぞ拝みもしない男は一向に構わずオレの前を歩いて先導していた。 「オレみたいに人生かけられる女が居れば、そりゃー人気も落ちるがな。 お前は依然としてフリー。……まさかお前、自分に惚れた乙女心を弄ぶためにやってんじゃねーだろうな?」 「杞憂…というより、当て付けがましいな。 お前がミリーナにぞっこんなのは勝手だが…。 決してお前がモテるから、というのだけは否定させて貰うぞ?」 「っかーー!! 寂しい一人モンのオレの些細な羨望を、 選り取り見取りの人間は粉々に打つ砕いてくれるわけだ!」 「ほんとの事だと思うんだがなぁ…」 ぼそぼそと言い訳がましく言うと、ようやく前を行く男、ルークはそのやぶにらみの目つきを半眼にして睨み付けてくる。 「いつか後ろから刺されっぞ」 ルークのような目つきも態度も素行も悪い人間が言うと、ある意味迫力がある発言だが、 「その、いかにも楽しんでますって目ぇして頬ぴくぴくさせんの止めてくれないか?」 オレにしてみれば理不尽極まりない。 ただ普通に過ごしている学校で、なんでこうも女に目をつけられるのだか… 堪えきれないようにルークが噴き出すと、彼はブレザーの内ポケットから小さな手帳を取り出した。 「なんだそれ?」 「うんにゃ、たいしたことじゃねぇんだ」 ぶちぶちと呟きながら、 ルークは歩きながら器用にボールペンで余白に何かを書き込む。 「11月7日。…問答無用で断る…っと」 「………………」 「おお、今月はハイペースだ。2.5.7と今日で三人目の犠牲者だな!」 「………………」 「そろそろ俺たちの卒業シーズンだ。駆け込み需要が予測不可能だ…。 この手帳一冊で足りるか心配でな〜。予備も考慮に入れとくか」 「………なあ、ルーク。それって婉曲な嫌みか?」 すると、ルークはわかってねぇな、と肩を竦める。 「お前はこの嫌みが婉曲に映るようじゃあ、ちと鈍すぎだ。 オレはねちっこくそのものズバリで皮肉ってんだよ」 「なんて素晴らしい友情だ」 天を仰ぐような仕草で降参すと、嘆息してルークの手帳に目を落とした。 「ちなみに、通算は?」 「あ゙?……あ〜っと、今日ので47人目。そろそろ50の大台だな」 「………そんなにいたか?」 「ああ、卒業ラッシュと新入生の入学ラッシュが殊の外多かったからな。 ま、俺の目で見える範囲での頭数、だがな?」 意味ありげににやにやと見上げてくるルーク。 「…さて。憶えていない腹を探られる前に帰るか」 「そ〜だな、愛しのリナが待ってるからな」 「ルーク…」 戒めるように言ったところで、この男には通用しないと知っている。 それでも、オレは今度こそはっきりと怒気を滲ませた。 「リナはそんなんじゃない」 硬い声で断言しても、ルークは口の端をつり上げ、オレの怒りなど何処吹く風と言った様子で受け流してみせた。 「いいじゃねぇか、血の繋がらない母親。しかも今年で21?だったか? まーあの跳ねっ返りで根性が歪曲したあげく、俺等と同じぐらいにガキっぽくて生意気とはいえ、女盛りだろ。 しかも父親はビジネスライクどころか、ビジネスライフだ」 「…リナだって仕事はしてる。オレに構ってばかりもいられない」 「それでも、ちゃんと家に帰れば居て、うまいメシ作ってくれるんだろ? お前に気がある証拠じゃねぇのか?」 「思い過ごしだろ?アレはとことん鈍すぎる」 「ことさら都合が良いじゃねぇか。無防備な所をなし崩しにものにしちまえば?」 「………オレはそこまで鬼畜じゃねぇよ」 お前はミリーナという存在があるからそんな簡単に言える。 けれどオレにはリナしかいない。 出会ってからずっと、彼女しかオレの目には映らない。 「まー。こんなにモテるお前が超ウルトラヘビー級のマザコンとはねぇ…」 「………たった今、オレを焚き付けようとしたのは誰だったか?」 「何言ってんだ、ガウリイ。お前があいつを一言も拒まないから俺に遊ばれるんだ。ちったー反抗期のひとつでも見せてみろってんだ」 ギクリと鷲掴みにされたように胸が縮んで、足を止めると、前を歩いていたルークも立ち止まって振りかえる。 オレにはそれが出来ないと知っている冷静な顔。 全てを見透かすような瞳は、リナと同じ深紅の瞳。 彼女と同じ色をした瞳が、静かにオレを見返して、大きく息を吐き出す。 「ま、いーんじゃねぇの。 オレは例えマザコンだろーが、禁断だろーが、お前の事気に入ってるからな。インタビューに出るとしたら、級友としてじゃなくて知人として出てやるよ」 「…有り難すぎて涙も出ねぇよ」 そう毒づいてまた歩き出す。 今度は、ルークが後ろになって。 オレは自分の鞄が置きっぱなしになっている教室へと足を進めた。 ――――すでに、リナのとの出会いから3年が経ち。 ――――オレは15に、リナは21になっていた。 「お前、中学を卒業したらどうするつもりだ?」 ふと思い出したように尋ねるルーク。 進路を決定する11月になもなれば、ある意味当然の話題ではあったが。 「そ〜いや…そんなこともあったな」 オレたちには、どことなく縁の遠い話だった。 「ああ。ちなみにオレはミリーナを追っかけて一流の進学校に決めたぞ♪」 「それ、ミリーナに言ったか?」 「おう!『勝手にしてください』ってつつがなく承諾してくれたぞ♪」 実際、つつがなくではなく諦めがちに冷たく言い放ったのだが。 意気揚々と口にするルークの頭からは、多少オブラートがかかっているらしい。 というよりも、ミリーナに関しては、全て好意的に認知する特異能力を備えているようで、ルークに外野が何を言っても無駄なのであるが。 「………ミリーナも気の毒にな…」 「うっせ」 決して下位とは言わないが、ルークの学力は中の上、もしくは上の下辺り。 おそらく、それでもルークは意志を変えようとはせず、本命一本。 もし折れるとしたら、それはいつも冷たくあしらう、ミリーナの方だろう。 一方的にアプローチする男と。 無視しきれない不器用な女。 オレには羨ましい、二人。 「そもそも、お前…学力はついていけるのか?」 「とーぜん俺の愛の力で巻き返す!」 「高校浪人の知り合いを一人くらい持っておくのもいいな?」 「何故オレに同意を求めるように振る?」 そんな掛け合い漫才もどきの会話をしながらドアをくぐると、教室の窓からは夕焼けが差し込み、机や椅子に長い影を作っていた。 誰も居ない教室。 時折、グラウンドから部活であろう威勢のいい掛け声が届いた。 「で、結局聞き逃したな。お前はどうするつもりだ?」 「あ、オレ?――オレは大学に行く」 「はぁ?」 「飛び級しようと思ってな」 あっさりと言うと、ルークは押し黙り、むっつりとした顔で上背にあるオレを見上げてくる。 「…………本気か?」 「ああ」 「…………愛しのリナさんは?」 「その修飾語は抜き取れ。…あいつはオレが決めた道なら好きにしろと。 実際、試験にはパスしてる。後は大学の本試験に受かればいい」 「一言も聞いてねぇぞ、そんなこと」 「言わなかったからな」 飄々と言い返すと、ルークの目が邪険になる。 が、しばし黙考した後、詰めていた息を吐き出した。 「志望学部は?」 「……別に、飛び級できればなんでもいい」 「志望動機は…?」 「特にない。ずいぶん大げさだな、ルーク? リナだってオレの年にはもう学士は修得していた」 「………お前とあいつは違う」 「…敢えて言えば……早く自立したいから、かな?」 「……お前、一番重要なトコははぐらかすきか?」 「さてな」 素知らぬ顔で机の中身を鞄に詰めていると、隣のルークが仏頂面で頷いた。 「そうだな。お前はもともと愛想もなく、融通も利かず、他人には無関心で無頓着な人間だった」 酷い言われようだったが、オレにはそれを全て否定する事は出来ない。 思い当たることなら、多々あったからだ。 「ついついお前の人当たりのいい外見に騙されがちになるが、お前は親友の俺にも平然と隠し通せる鋼の心の持ち主で所詮庶民の俺には……」 「で、ルーク。今日は何処の店に行きたいんだ」 そのまま永遠愚痴を述べるかと思われた男の口がぴたりとつぐみ、途端に不気味な笑みが浮かんだ。 「2丁目に新しいラーメン屋がオープンしたんだ」 「…りょーかい」 鞄を持って不承不承に頷くと、ルークは打って変わって砕けた笑顔になる。 「いやぁ、悪いねぇ。次期社長に奢らせちまってさ。最近金欠でなぁ〜」 バンバンと肩を叩いて、さっさと鼻歌交じりに教室を出て行くルーク。 「ま、そんなことだろうと思ったよ」 気前よく帰りを待っていたと思ったが、ヤツなりの思惑があったからだろう。 いつもはミリーナを追っかけてさっさと帰るヤツが待っていたのだから、ある意味魂胆など見え見えだったのだが。 俺は鞄から携帯を取り出すと、素早くメールを打つ。 「『今日はメシ喰って遅くなるから、一人で食べてていいぞ』っと」 「…………なんかまるっきり新婚家庭の装いだよな」 送信のボタンを押して顔を上げると、 苦虫を噛み潰したような表情のルークがぼつりと呟いた。 「お前に捕まらなきゃ、リナの美味い手料理が食えたはずだからな」 念を押すように言うと、ルークはわぁってるよ、とぼやいた。 「なら家に招待されてご馳走してもらってもいいが?」 「冗談。お前とリナの相性を考えれば一も二もなく外で食う」 かつて一度だけ、何かのついでにオレの家へ連れて行ったルークと偶然鉢合わせたリナとの激しい口論の末。 リナとルークは犬猿の仲だという事実は周知のものとなってからは、専ら外で食べるようになったオレたち。 それは純粋に平和を願う食卓と。 不純物が混じっているとすれば………だぶん、おそらくオレの内心。 オレの目の前で、リナを他の男の目に晒したくない。 例え、相手がどんなにその気はないとしても。 オレ以外の男は、彼女には必要ない。 帰り際、程よく腹もふくれて二人の分かれ道。 街灯に照らされたルークの顔はいつになく真剣味を帯びていた。 「…なぁ、ガウリイ。オレからの最初で最後の忠告だ。 耳かっぽじって聞きやがれ」 「なんだ?藪から棒に…」 「人生は長い。何焦ってんだか知らねぇが、なにも無理して背伸びする必要はねぇと思う。…そして……どんなに願っても手に入らないモノだって、この世にゃ腐るほどある。それで自分を見失ったら、おしまいだ。 その先には何もない。そのことは絶対忘れるなよ?」 「………」 「ま、お前なりに考えた結果なんだろうがな」 「………」 冬が迫る冷え込んだ空気の中で、一瞬睨み合うような緊張が走る。 それでも、ルークが視線を外すと、糸が切れ、千切れて消えていった。 それはいつものぶっきらぼうなルークの後ろ姿で。 意外にお節介な悪友からの忠告だった。 車のエンジン音が遠ざかり、しん…とした瞬間、耳が偶然捕らえた言葉。 それはオレに聞かせる言葉ではなかったのだろう。 ルークの独り言は、冬独特の澄んだ鋭い空気の中オレの耳に微かに、 残酷に囁いた。 「お前らが、俺とミリーナみたいだったら良かったのにな……」 「……………」 オレは何も応えずに、ルークの背中を見つめ、曖昧に笑って見送った。 否。 何も応えられなかった。 考えなかったとは言えない夢。 それは変えようもない事実と現実に相反する切望。 オレはリナの義理の息子で。 リナと親父は正真正銘の夫婦で。 決して俺の手には届かない彼女。 想ってはいけない相手。恋慕するには厄介すぎる。 それは例えば、存在の柵(しがらみ)や、周囲の視線も含まれるけれど。 たとえば彼女が一会社員で、オレと偶然、街で出会ったのなら。 彼女が数年前オレの前に現れなければ。 もっと違う生き方をしていただろう。 あの時腐りかけたオレを救ってくれたのは紛れもなくリナ。 あれからオレを壊し、狂わせ続けるのも、間違いなく、彼女だ。 オレは自分と彼女の運命を、密かに―――呪っていた――― <続く> |