夜と朝の狭間で























「おかわり」


うまい。餌付けは手懐けるための常套手段ともいえなくないだろうが、悔しいかな彼女の手料理は今まで食ったどんなメシより美味かった。

オレの声に苦笑しながら、向かいに座る女が静かに立ち上がる。


「はいはい…」


空になった皿を受け取って、今までほとんど放置されていたキッチンに消えていくリナ。



その間にも、オレはまた違う皿に没頭する。

今度はシーフードがたっぷりと入ったパスタを制覇しに掛かった。


む……っ

見事にアルデンテ。

これもまた文句の付け所がないくらいに美味い。



「そんなに慌てて食べなくても、誰も取り返さないわよ?」

呆れ顔で戻ってきた彼女の手には、まだ柔らかい湯気が立つ、
ナスグラタン。

テーブルに並べられると同時に手を伸ばす。


熱い、がこれまた美味いっ!!!


背筋を震わせ舌鼓を打つオレ。


………はれ?

そういえば、オレ、どーして餌付けされてんだ?

はた、と動きを止めたオレに差し出される水。


「ったく、いくらなんでも初対面の人間に、腹減ったから、
 なんか食わせてくれはないでしょうに…」


そうぼやきながら、向かいのテーブルに座ったのは、
幼い顔立ちの女性。









ああ、そうだった。

ここ数日、まともなモノを食っていなかったせいで立ち眩みを
起こしたオレ。

どうしてかオレの警戒心を解いてしまう彼女と話していると、

耐え難いほどの空腹に襲われて、何事かと覗き込んできた彼女に訳を言い―――そして今に至る。



口や休めに差し出された水を飲み、一息吐く。


「まぁ〜ったく。ガブリエフ社長の息子なら、毎日贅沢三昧しててもいいんじゃないの?」

確かに、彼女の言うとおり金は掃いて捨てるほどあるらしいが……。


「一人で、か?」

皮肉っぽく呟くと、彼女の眉が微かに動いた。

やはり、オレのことは多少知っているらしい。

それでも同情がないだけマシだ。

彼女の瞳は冷静さを失わず、ただあるがままを受け止めてる節がある。

今のオレには、それが心地よかった。


「……それもそうね」

今回も、ただ肩をすくめてみせると、自分も手を伸ばし、鶏の唐揚げにかぶりつく。


「あーー、ソレ、オレが楽しみにしてたヤツっ!」


思わずガキ相応の悲鳴を上げると、彼女もまた母親というには
あまりに幼い表情を作って見せた。

「なぁに子供っぽいコトぬかしてるのよ。
 これはあたしが作ったの!」


「オレはまだ12。お前さんだってさっきそう言ってただろーが。
 お前さんこそ、いい年したオトナが子供じみたことすんなよ!」

さすがにこんな幼い容姿をした彼女に『おばさん』の台詞はあまりに不似合いだったため、常套文句はそっと伏せた。


それでもやはり分かってしまうのが彼女。
―――鋭すぎる聡明さも、時には困ったモノである。

ムキになって反論してくる。

「なぁんですってぇ!あたしはまだ18よ!!十代!!
 つまり、アンタと同世代なわけ、おわかり?」

「……じゅうはち……?」

「…何が言いたいワケ?」

オレの訝しげな視線に剣呑な口調で答える。

「……いや……親父のシュミ、疑うぜ………」

「…コロスわよ?」


にっこりと……
それでもコメカミに青筋をたてながら殺気を込めて言う。

慌ててコクコクと首を縦に振ると、彼女は満足したように頷いた。


「そうそう、子供は素直が一番よv」

「……お前さん、すっげぇ矛盾してないか?」

「気のせい」

涼しい顔であっさりと交わすと、大げさにため息を吐いて見せる。

「いっとくけど!!
 これでもガブリエフ氏とは書類上は正式な夫婦なのよ?」

「ふ〜ん。」


夫婦、ねぇ。
養子の間違いじゃねーのか?


「ま、夫婦別姓にしたから名字はインバースのままだけどね…」

「アンタ、学校は?」

「アンタって…あたしはリナよ。
 まさかお母様とお呼び、とはいわないけどさぁ〜」

ぶちぶちと文句を言う彼女、―――いやリナ。

それより今の、『女王様とお呼び』っぽかったな(苦笑)


「あたしはスキップで大学を卒業したの。研究室に残ってもよかったんだけどね〜ま一種の社会勉強ってヤツかな?で、入社したのが…」

「オレの親父の会社だったってわけか」

「そーゆーこと」

「おまけにその若さで親父をたぶらかして廃人同様の妻を追い出し…
 まんまと正妻に収まったってクチか?」

「……」


リナは鋭くオレを睨み付ける。


「あたしを侮辱する気?」

「……いや……そういう、気は…」


軽口を叩いたせいで口が滑ってしまった。

「…侮辱する気なんて……その、全然なかった…………すまん」

しどろもどろになってしまったが、それは嘘ではなかった。

リナも視線を外しバツの悪そうな顔をする。


「――――ごめん。
 確かにアンタの立場から見ればそう見えてもおかしくないわ」

「………」


別に彼女が来た頃には、もう全てが狂っていたのだから、
リナのせいではない。むしろ、彼女は何も悪くない。


しかしオレあえて修正せず、ただリナを見ていた。


笑ったと思えば怒る。
怒ったかと思えば、しょんぼり項垂れる。

それはオレと同じくらいの子供のようで……。



そして次に見たリナの顔は、自身に満ちあふれた笑顔だった。


「ま、いいぢゃん!
 こんな才色兼備のおねーさまが傍についていてくれるのよ〜
 ガウリイ君、ツいてる〜!って、なに顔背けてんのよ…っ
 このガキゃぁ…」

「……いや……」


思わず背けたのは、あまりにもリナの表情が違っていたから。

子供っぽいくせに、ふとした拍子にこんな大人びた顔もする。

くるくると回る表情。

こんなの、反則だ。


赤くなった顔を見られたくなくて、オレは不自然な咳払いをすると、
再び目の前の料理にがっついた。

リナもそれ以上は追求せず、ただオレが食べているのを眺めている。



テーブルに肘をつきながら見ているリナ。



…………そういえば、オレ、
こんな風に人と話ながら食事したの……初めてだ。



あまりにも自然な空気だから忘れていた。

ひどく懐かしい気さえするのは、何故なんだろう…?

胸の奥深くが締め付けられるような気もするが、それよりもずっと
ずっと嬉しくて楽しくて。



こんなの、生まれて初めてだ。





「リナ、おかわり」

「はいはい、でも残念ながらこれで打ち止め。味わって食べてよね」



そう言った顔がまともにみれなかったのが、もしかしたら‥‥

オレたちの始まりだったかもしれない。


















そして、運命の歯車は音を立てて回り始めた。

















<続く>