片 翼 の 天 使 |
〜 夢幻の章 〜 リナside
人の気配がする。 おそらくは、さっき自爆したナーガのものであろう。 あたしは小屋の中を見渡し、身を隠せそうな所を探す・・・と、丁度この小屋の持ち主が狩りに訪れたときの防寒対策のためだろう、一枚の毛布と積み上がった大量の薪が目に入った。 その薪は小柄なあたしが身を隠すには十分なほどの量がある。 あたしは自らの気配を殺し、入り口からは死角になる場所を選んで身を沈め、相手の気配を窺う。 ゆっくり。ゆっくりと近づいてくる気配。 随分と歩くペースが遅い。普通の人が歩くよりずっと… あれ程の雨なら普通人は少しでも濡れないようにと足を速めるはずなのに・・・ まぁ相手がナーガなら凡人と比べるのは凡人様に失礼だけどね。 大体あのカッコなら濡れても乾かす苦労はないか。 んふふふふふ…早くいらっしゃいナーガ気晴らしに思いっきりやったげる。 人はそれを八つ当たりと言うが、あたしは元来こらえ性がない。 ストレスを溜めておくのは体に良くないのよ。 まず、油断しているナーガに出会い頭で一発喰らわす。加えて、一枚しかない毛布の使用権をチョークスリーパーをコンボで極めて快く断念してもらう。 うん。完璧。 おっ来たわね。 どうやら作戦を練っている間に獲物が入り口のすぐ近くまで来ているようだった。 もーちょい。 ・・・・・・・。 懐かしい、気配。 あ、あれ…? 訳もなく震える体。あたしの中の何かが、歓喜している。 忘れたくても忘れられないこの気配は・・・・まさか…・・・・・でもっ! この気配、ナーガの物じゃない。 これは・・・・捨ててきたはずの、逃げてきたはずの・・・彼の・・・気配。 うそ。…嘘。嘘。嘘!嘘よ!!! あいつがこんな所にいるはずがない。 あいつはまだ満足に歩けないはず。 しかもあたしはあいつと別れてから短時間で長距離を移動してきた。 追いつける筈が、ない。 けど。この気配は紛れもないあいつの気配で。 全身が、彼だと訴えてる。彼に会いたい、と。 たった二週間しか経っていないのに・・・・ この気配を感じると、柄にもなく愛しさと切なさが溢れてしまう。 でも・・・慣れ親しんだ彼の気は心許ないほど消え入りそうで。 あたしといた頃の彼は、穏やかで、優しくて、包み込むみたいな感じだったのに・・。まさか・・・・あたしのせい? そんな分けないよね。折角、子供のお守りから解放されたんだもん。 でも、あんたがここにいるって事は、あたしのこと、追ってきてくれたの? 嬉し・・・だめ!!!違う!!そう考えちゃダメ 絶対に駄目。 あいつを突き放すんでしょ?誰のためだと思ってるの? そうよ。だから・・・。なんて未練がましい男。 怪我した体で追ってくるなんて自殺行為よ。 あんたその年で人生捨てる気? お願いだから自分の命を粗末にしないで。 あたしからの最後の願いくらいちゃんと聞いてよ。 ・・・・・・・っ 来ちゃ駄目っ 来ないでっっ お願い!! しかし、あたしの願いも虚しく、ドアがゆっくりと開いていった。 キィィィィ・・・ 使用頻度が少ないドアは、二人目の来客を小さく軋んだ音で迎え入れた。 この気配。間違いない・・・ どうする? 今見つかるわけにはいかない。 だいたい、今更どのツラ下げてあいつの前に出ればいいのよ。 あいつを捨ててきたのに。 あいつの幸せを願いながら心の底ではあいつを失うことを恐れて自分が傷つかないように、さもあいつのためを思いながら逃げてきたのに・・・ アイタイ。 アイタクナイ。 アエナイ。 アッテハイケナイ! どうする!? どうする。どうする? どうする!? どうすれば…いい? あたしが気配を殺したって、あいつは絶対にあたしを見つける。 気付かないはずがない。 でも、捕まるわけにはいかない。 もし一度でもあの蒼い瞳で見つめられたら、きっと離れられなくなってしまう。今だって、出来ることなら、すぐにでもあいつに抱きつきたいのに。 どうすればいいの? 自分の考えに耽っていたあたしはその大きな音を聞いて肩を震わせる。 何?今の音?まるで重い物が倒れるような・・・・・・ あたしは相手に気付かれないようにそっと音がした入り口付近を窺う。 あれ?なにもない・・・誰もいない? そう思ったが、あたしの視界の隅に金色の濡れ鼠が映る。 慎重に窺う必要もなかった。 それはあたしの方を見ようともせずグッタリと床に倒れていたのだから。 今の音は彼が倒れる音、そして・・倒れている人物は、まさしくガウリイだった。 けれど ぴくりとも動かない。 うそ・・・どうしたの? あたしは不安に駆られながら彼に駆け寄る。 彼の意識はなく、ただ荒い息を吐きながら呼吸を繰り返すだけだった。 ガ・・・ウリイ・・・ あたしはそっと彼を抱き起こす。と、彼の体の異変に気付く。 なにこれ・・・・体が熱いっ? すごい熱・・ でもこれ、降り始めた雨に打たれた・・・って感じじゃない。 強いて言えば、ずっと悪い体を引きずってここまで来て力尽きたって感じ。 でも・・・どうして? あれから熱は下がったはず。順調に回復してたはずなのに…… いや、今はそんな事より… あたしは彼をゆっくり降ろし、積み上がった薪を数本失敬して暖炉に火を熾し、その傍に浮遊の術を使って彼を運びこむ。 少しでも楽になるようにと彼の鎧を外すと、その鎧に隠されていたものが晒される。 夥しい出血だった。 う・・そ・・傷口が開いてる!? 急いで治療呪文を唱え、開いた傷口に当てる。 風邪をひいている場合は悪化するけれど、今の彼の熱は傷口が開いたことと、無理が祟ったものだろう。 平気なはずだ。例えそうでなかったとしてもあたしにはこの方法でしか彼を救う手立てがない。 でも治療は傷を塞ぐ代償に彼の衰えた体力を奪っていく。 お願いっ 頑張って!!! 持ち堪えて、ガウリイ! どれくらい呪文をかけ続けただろう・・・ 無我夢中で分からないけど、どうにか彼の傷が塞がる事には成功した。 流石体力だけが取り柄のガウリイよね。 そうよ。あんたがリカバリイに体力取られて死ぬほどヤワなわけないじゃない。 ホッとして薄く滲んだ涙をぬぐい去る。 なんだかこの頃涙腺弱くなっちゃった。 これもあんたのせいだかんね。 責任取って、もう二度とこんな無茶やらないでよ? あたしは疲れた体に鞭打って彼の上半身の服を脱がせる。 そこには包帯の意味をなさないほど赤く染まった布。 持っていた応急箱から包帯を取りだし、彼の血で赤く染まった包帯を慎重に外す。あたしと彼との体格差で解きづらい包帯をどうにか取ると、そこには痛々しい傷。 あたしを庇ったときのもの・・・ きっと傷痕が残っちゃう・・ごめんね。綺麗な身体だったのに・・。 あたしは丁寧に消毒して、持っていた新しい包帯を巻き直す。 これで良しっと。 おかしい・・・治療も無事終わり、室内も暖かくなったというのに彼の体温が暖まらない。いや、その反対に冷たくなってる。 どうして? まさか・・ このまま冷たくなっちゃうの? あたし・・・・間に合わなかったの? や・・・だ 冗談じゃないわよ!! とにかくこれ以上体温を奪われないよう髪や体を丁寧に拭いて彼を毛布でくるむ。 けれど、彼は自分で体温調節が出来なくなっているようで一向に体温が上がっていかない。 どうしよう・・・・何か他に暖める物…… ・・・・・・・・!そうだ・・・。熱源はある。 うう……だけど……だけど抵抗が・・・。 ふるふると首を振って、羞恥心を押さえ込む。 今はそんなこといってる暇はないのよ! あたしは自分の服を脱ぎ捨て、素肌を彼に重ね合わせる。 凍りそうなほどの冷たさが彼の素肌から伝えられるが、あたしは一枚の毛布を自分たちに掛け、ガウリイの広い胸に抱きついた。 あたしに出来る精一杯で彼を包み込むように・・・ ガウリイ・・・・死なないでよ。 あんたが死んじゃったら、あたしの想いも涙も覚悟も後悔も。 全部無駄になっちゃうじゃない。 三途の川に、重しだけじゃなくて酒樽抱えさせて沈められたいの? 死んだら承知しないんだかんね。 お願いだから・・・・生きてよ。生き延びて ガウリイ… ・・・・・・・・・・・・ん? いけない!眠っちゃった!? ガウリイ!? 長時間の治療呪文をかけ続けた疲労でいつの間にか眠ってしまったあたしは、慌ててガウリイを見る。 赤みの戻った頬。不規則だけど、呼吸も確かにある。 良かったぁ……生きてる。 どうにか持ち直したみたい・・・心音も体温も安定している。 ホントに良かった・・・。 あたしは二週間ぶりの彼の顔を見る。 あのね。 あたしね。あんたに会いたかったんだよ。 会いたくて、会いたくて会いたくて仕方なかったの。 バカだよね。笑っちゃうよね。自分からあんたを捨てたのに・・・ 今更なに馬鹿なこと考えてるんだろうね。 でもね、本当に会いたかったんだ。折角だからあんたの顔目に焼き付けておいてあげる・・・あれ? あんたの顔・・・やつれてる?髪の艶もなくてぱさぱさしてない? それは丁度、彼が一週間眠り続けた時のような容貌。 よく見ると、隈まで出来ていてる。 これじゃあ、あの時よりも酷い顔してるわよ。 顔だけは良いのに・・勿体ないじゃない。 大体、あんたはあの後、順調に回復したはずじゃないの? 折角あたしが看病して、あんたを置き去りにするのを延長してやったのに。 なのに・・・なんで…… それにどうしてここに居るの? 一体どうしたっていうのよっ あたしは彼のやつれた頬に手を伸ばす・・・・と、すうすうする? そうだ・・忘れてた。 あたしは彼を温めるために自分を使ったんだっけ。 かああああ・・・/////// うわっなんか急に恥ずかしさが込み上げてきた。 もう体温も戻ったんだし、服着なきゃ。 離れようとするあたしが再び彼の胸に押しつけられる。 彼の腕があたしを抱き締めてきたから―――。 懐かしいね・・・あんたの力強い腕。 温かい。ホッとする。 もし、このままこの腕の中にいて、あんたが起きて・・・・、 あたしがいるのを知ったら、びっくりするかな? でも・・・ でも、あたしは行かなきゃ。 「リ・・ナ・」 !? 「ガウリイ?」 あたしの名前?・・・・呼んでくれたの? あんたを置き去りにしたのに? バカ・・・久しぶりのあんたの声があたしの名前なんて卑怯よ。 離れたくなくなるじゃない・・ 「リナ・・・どこ・・に・・・リ・・・いくなっ」 辛そうな表情で訴え、ますます腕の力を強めていく。 「・・・・・・。ごめん」 あたしは無理矢理彼の腕を解いて、服を着込み、火の後始末をする。 そして、自分の痕跡が残らないように細工を施して小屋を出ていく。 急いで。 彼を振り返らないで。 自分の気持ちに背を向けたままで――― ごめん。ごめんね。 応えてあげられなくて・・・・傍にいてあげられなくて・・・ 幸い雨は上がり、冷たい月が静寂の森を照らしている。 二度目の・・・さよならだね・・・・・ガウリイ・・・ そしてあたしは、あの夜と同じように起きあがれない彼に背を向け、ただ独り・・・・歩き出した。 双翼の天使に続く |