始まりの物語
――1――

















  ある依頼を片付けて報酬として譲り受けた本の中に、
 それは紛れこんでいた。

 小さい頃に読んだ御伽噺。
  子供向けに、本来の話から大部分をはしょって
 読みやすいように編集されたお話は、小さなリナのお気に入りだった。
  今、手の中にあるのは多分その完全版。
  こんなに長いお話だったとは・・・。
  まるで辞書サイズの分厚い書物を手に懐かしさがこみ上げてくる。

  報酬として手に入れた魔道書はあらかた読みつくし、
 後は協会やらマジックショップに売り飛ばすのみ。
 旅を続けるのに重たい本を持ち歩くのは現実的ではないし、
 内容はきっちりと頭に叩き込んでいる。
 どうしても手放したくない数冊は
 魔道士協会の配送サービスを使ってゼフィーリアに送るつもりだ。

 荷物には厳重に封印を施して、リナ=インバースの署名を
 大きく書いとけば不埒な輩も盗もうなどとは思うまい。

 外は雨、懐も暖かい。特に急いで旅の空に戻る理由も無い。
 雨はまだ数日は続きそうな気配だし、ここのお料理も美味しいし。
 早めに後何泊かの延長を頼んだ方が良さそうだ。

 コン、コン。
 扉を叩くのはきっと旅の連れ。
 振り向きもせずに「どうぞ」と声をかけた。

 「入るぞ〜」と言いながらガウリイが中に入ってくる。
 「何?」
 「リナ、これからどうする?しばらく雨が続くみたいだしここで足止めか?」
 いつもの、のほほーんとした声で聞いてくる。
 「まぁね、こんな天気の中を好き好んで出かけるつもりもないし。
 ・・・あんたは暇そうだけど」
 くるっと振り返って見えた表情はいつもの優しい顔。

 「ま、あんまり暇だったらここで何か手伝わせてもらうさ」
 「そ、ならあたしはこの本を読みたいから邪魔しないでね」
 「わかった、ま、ごゆっくり」そういって彼は部屋から出て行った。

 さーて、久々に魔道書以外の本を読むんだし、
 お茶とお菓子の用意をしなきゃ♪
 確かここの隣は雑貨屋さんだったし、お菓子や何か置いてたわね・・・。

 ・・・しばらくして、片手で摘めるお菓子とたっぷりお湯の入ったポット、
 茶器と茶葉を抱えて部屋に戻るリナの姿があった。






 さてと・・・。

 ペラリと表紙を捲り、最初のページに書かれていたのは
 この本の見せ場であろう場面の挿絵。
 金髪の皇子様と栗色の髪の娘が手を取り見つめあう絵が描かれていた。

 この本を読んで、皇子様に憧れたもんよねぇ・・・。
 現実の王・・・いや、思い出すのは止めよう。
 美しい思い出をフィルさんの顔で邪魔されたくは無い。

 さて、と、本腰を入れて読み始める。





 子供の頃の読んだ物とは話の深さが全然違った。
 子供に読ませるには残酷過ぎるエピソードや、ロマンティックなシーン。
 サイドストーリーも交えた複雑に入り組む話達。
 しかし、それこそがこの物語をより魅力有るものにしている。
 たまに香茶を啜りお菓子を摘む以外、ひたすら文字を追うのに没頭していた。

 そしてクライマックスの場面。
 艱難辛苦を乗り越え、今まさに結ばれんとする二人。

 『天照(アマテラス)様・・・』
 『モイラ・・・』
 [二人の目にはもうお互いしか映ってはいなかった。
そして自然の偉大なる理に則り、魂の片割れをその身に
結びつける為二人は抱きあい、キスを交わした。
 そのまま二人はもつれ合うように ベットに身を沈め、
 その広く優しい布の海の中で思う様情を交わすのであった・・・。]

 その後の詳しい描写を赤面しながらも読み進め。
 フィナーレは二人の結婚式。

 [誰よりも何よりも深く結ばれた二人は神の御前ではなく、
 希望と言う名を持つ星の上で永遠の誓いを交わす。
 お互いがお互いに誓う、二人だけの神聖な儀式。
 そして物語は続いてゆく・・・・・・。]
 最後はそう締めくくられていた。
 これが終着点ではなく新たなスタートだと。




 パタン、と本を閉じてフウッとため息を一つ。
 それから固まってしまった体をう〜んと伸ばし、首をコキコキと鳴らす。
 そこにタイミングよくガウリイが夕食の時間だと呼びに来た。
 「リナ〜っもうすぐラストオーダーだってさ、いい加減に降りて来いよ〜」
 ギョッとして窓の方に目をやれば、外はもう暗闇。
 細かい字を読むのにライティングを使っていた為に
 日が落ちたのにも気が付かなかったのだ。


 「お〜い、リナぁ聞こえてるかぁ〜」
 コンコンと扉を叩くガウリイの声にハッとして
 「ごめーん、今行くから注文しといて。
 ディナーセット10人前と蜂蜜酒」と答える。
 「判った、早めに降りて来いよ」コツコツと遠ざかるガウリイの足音。

 言われて初めてお腹がペコペコな事に気がついたあたしは、
 急いで本を片付けると髪を整え階下に降りていった。






 いつもはにぎやかに食事を楽しむ性質のあたしも
 今夜ばかりは大人しくお肉を齧る。

 まだあの物語に酔っているみたい・・・。
 ちびり、と口に甘い蜂蜜酒を含む。
 そういえば新婚旅行のことをハネムーンって言うのは蜂蜜酒を飲むからだ、
 って聞いたことがあるなぁ。
 ぼんやりと、またお話の中に嵌り込みそうになったあたしを
 ガウリイの声が現実に戻す。

 「リナ、お前調子でも悪いのか?
 俺の皿に全然手出ししてこないし・・・。何かあったのか?」
 こいつといる限りあ〜んな甘い雰囲気になんて死んでもなりっこないわね・・・。
 何気にため息を付きつつ目の前の食事を片付ける事にした。

 食事の後、一杯引っ掛けるのも同じテーブルで、のはずが
 来た時間が遅かったために自分の部屋で飲み直すことになった。
 「なあ、俺も一緒に飲んでいいか?」
 珍しくガウリイがそういうので、少し多めにお酒を抱えて部屋に帰る。
 おつまみは・・・本を読んでたときのが大分残ってるしあれでいいか。

  




 結局あたしの部屋で、飲み直すことになり。
 すっかり温くなったポットのお湯で蜂蜜酒を割る。
 ガウリイはかなり強そうなお酒を小さなグラスでチビチビ舐めている。
 あたしは甘い香り漂う部屋の中、
 乾き物なんぞを摘みつつコクリとコップを空にした。

 うーっ、大分酔いが回ってきたかなぁ・・・。体がふわふわするぅ・・・。

 そういえば、恋するってこんな感じなのかしら・・・。
 [口付けを受けたモイラはまともに立って居られなくなった。
 その体が自分のものではないような、
 周りの空気に溶けてしまったかのような錯覚を覚えた・・・]

 あたしのは単なるアルコールの酔い。
 いつか彼女のようなときめきを感じる事ってあるのかな・・・。

 「なあ、今日は何の本を読んでたんだ?」
 おおっガウリイが本を話題にするなんて!
 ・・・・・・明日は暴風雨かも。
 珍しい事は続くもんだと思いながらも答えるあたし。
 「単なる御伽噺よ。
 小さい頃に読んだ事があって、懐かしかったから読んでただけよ」
 簡単に説明すると
 「お前さんは小さい頃からそんな分厚い本を読む子供だったのか」
 感心したように呟くガウリイ。
 「違うわよ。あたしの読んでたのはこれの子供向け、
 お話のいい所だけを集めて短くした奴」
 「へぇ、で、おもしろかったのか?」
 「おもしろかったわよ」
 「どんな内容なんだ?」
 おおっ、ガウリイが本の内容なんかを気にするなんて・・・
 明日は雹が降るかもしんない。

 「何よ、珍しい事もあるものね。興味あるの?」
 「自分で読むのは無理だけど、粗筋位なら話してくれれば判るさ」
 まぁ、話す位苦になんないけど・・・
 「もし聞いといて居眠りする様ならスリッパじゃ済まないからね」
 そういって例の本を取り出して、最初の挿絵を見せる。

 「この二人が主人公よ。金髪の男が天照、栗色の髪の娘がモイラ。
 男のほうは大きな国の皇子様で、人ならざる力を持っているの。
 そのせいで年も取らずに一人孤独に生きててね、
 たまにお城を抜け出してあちこち放浪の旅に出たりするの。
 ある時旅の途中で子供だったモイラに出会う。
 モイラは彼が皇子だと知っている友人の養い子で、
 彼女は一目で天照に恋をするのよ。
 彼女は天照の秘密を知ってなお彼と共に生きる事を望んで養父にお願いをする。

 『養父様、私を天照様と同じ体にしてください。
 父様はできるとおっしゃったでしょう? 
 私はあの方が好きです。
 長い年月を一人で過ごすのは寂しいけれど、私と一緒なら寂しくないわ!!
 だからお願いです、どうか私に魔法をかけて・・・』

 彼女の養父は力のある魔法使いだったから、
 できない事ではなかったけれど。
 ただ、人の身を人ならざるものに変える事は
 彼女の身体と精神に大きな負担を掛けることになったの。
 魔法の力は彼女を不死身に近い体に変えた。
 その代わりに彼女は二つの肉体を持つ事になったのよ。

 栗色の髪の自分と藍色の髪を持ち、
 他人の運命を絡め取る魔女の自分とを。

 そして彼女の成人式の日、その地を治めるいやらしい領主に
 無理やり婚姻を結ばされそうになったモイラを
 天照皇子が助けに来るの。
 普通ならこの後二人は結ばれました、めでたしめでたしって所なんだけど。

 この話はここからが本編なのよ。

 王子は彼女を愛していたわけじゃなくて、昔の約束を守っただけだった。
 彼女の成人の日に迎えに来ると言った、その約束を。
 皇子という立場に生まれた自分なのに、
 本当に自分だけの物と言える物は何一つ持っていなかった。
 そしてこれからも自分の物になる物なんてありえないと思い込んでいたの。

 それでも一応彼女を自分の王宮に招き入れるんだけど、
 その後すぐに世界中を巻き込む戦争が始まって
 彼と彼女は離れ離れになるのよ」

 「で、今度こそその皇子様が娘を助け出してハッピーエンドって訳か」

 「違うわよ。彼女も魔女だって言ったでしょう、
 彼女は皇子の見ていない時だけ魔法の力を使って戦う事ができるの。
 大体ただ待ってるだけのヒロインの話なんかをあたしが喜ぶと思う?」
 「いや、確かにリナに待つ女は似合わないなぁ」
 リナらしいよ、と言って、ガウリイが続きを促す。

 「そしてお互いがお互いを探す長い旅が始まって、
 いろんな経験をしながら放浪して、最後にやっと出会う事ができて、
 二人は永遠に結ばれるのよ。
 で、ここからが二人の真の旅立ちだ・・・って事でおしまい」

 「長いったってそんなに探し回ってたら
 結婚するときにはじいちゃんとばあちゃんになってないか?」
 「だーかーら、二人は人じゃないのよ。
 本当はその世界を作り上げた神様の化身だから、
 外見は少しも変わらないのよ。
 途中モイラが魔女に変わる以外はね!」
 星が生まれて消えるまでの永い長い時間を旅するのよ!!
 結ばれるべき半身を捜してね。
 ロマンティックでしょう?


 ちらりとガウリイの方を見れば、判ったんだか
 判ってないんだか複雑な顔をしていた。
 ああ、やっぱりこいつには話すだけ無駄だったか・・・。


 最後の蜂蜜酒を飲み干してそろそろ眠たくなってきた事だし、
 そろそろガウリイにはお引取り願おう。
 「ねーガウリイ、あたしもう寝たいんだけど。
 自分の部屋に戻って飲んでよね、おつまみは持って行っていいから」






 パタンと音を立ててガウリイが帰っていく。
 あたしはベットに転がってもう一度本を手に取った。
 何気なく開いてみたのはクライマックスのシーン。
 二人が再開してその思いを確かめ合う、少しセクシャルな場面。

 『二人の唇が触れ合うとそこから何かが解け出して
 混じり合う様な錯覚を覚えた。
 しばらく口付けを交わした後、
 天照の唇がモイラの首筋を伝いながらあちこちに赤い花を散らす。
 モイラは、その度に体の芯が痺れた様な感覚を味わうのだった』

 どんな感じなんだろう、好きな人と抱き合うのって。
 いつかあたしにもこんな瞬間が来るんだろうか・・・。
 アルコールが回ってきて、段々と頭がボンヤリとしてくる。
 いつしかあたしは本を枕に夢の世界に落ちてしまった・・・。




 
 ・・・・夢の中、あたしはモイラになっていて、
 いろんな土地を彷徨いながら皇子を探していた。
 やっと巡り合えた皇子の顔が金の長い髪に隠れて見えない・・・・。
 キスしたくてそっと前髪を手で払うと・・・・
 皇子の顔はガウリイにそっくりだった!!

 そのままそっとガウリイの顔が近づいてきて・・・
 もう少しでキス!!という所で目が覚めた。
 ・・・・・・心臓がどきどきしてる。
 体が妙に熱く感じて喉がカラカラに渇いてる。

 水が飲みたくなってポットを手に取ったけど空っぽで、
 それを持ったまま下の食堂に降りることにした。

 何でガウリイが皇子様なのよと呟いて、
 そういえばあの時は離れ離れになってしんどかったなあ、と
 記憶の中からサイラーグの思い出を浮かび上がらせる。

 あの時はガウリイが囚われのお姫様やってて、
 あたしが助けに行ったのよね・・・。

 つらつらと考えつつ階段を降りる。
 がらんとした食堂の隅に飲み水を貯めてある甕を見つけて
 中身をポットに移し変える。
 はっきりとは判らないけれど、夜明けには少し早い時間のよう。
 物音を立てないように部屋に帰ろうとしたあたしの耳に
 誰かの寝ぼけた声が聞こえてきた。

 ここって、ガウリイの部屋よね・・・。
 扉にそっと耳を押し当てて、中の様子を探る。
  単なる好奇心からの行動だったのだが。
 聴こえてきたのは・・・「ぅうんっ・・・愛してる・・・」という呟き。
 ドアの隙間から覗くと、布団を抱え込んで
 幸せそうな寝顔のガウリイが見えた。







自分の部屋に戻ってもガウリイの顔や声が、
 頭から消えてくれなかった。

 「愛してる」と呟いたガウリイ。
 きっと誰かにあんな風に囁いた事があるのだろう。
 あたしと出会う前のガウリイが何してようと知ったこっちゃ事無いわよ!!
 そう思っても、あたしはなんだか落ち着かなくて
 朝までベットの上でごろごろを転がっていた。



 胸の中に生まれた、形にならないもやもやを抱えながら・・・。