満月の夜の話
















   ・・・不意に、あたしは思い立った。

  このままどこかに飛んで行こうと。

  眼下に広がる、町の明かり。

  あまり大きくないこの町は、外周を高い城壁が覆っている。

  丸く囲まれたその中は、生活の為の明かりが其処ここに灯っていて。

  頭上には満天の星。

  そして、光輝く大きな満月。

  今のあたしの高度はセイルーンの教会の尖塔よりも高い。

  ふわふわと空を漂いながら、あたしは。

  このまま飛んで行こうと、決めた。

  宿屋においてある荷物も。

  昨日ぶん捕ってきたお宝も。

  ・・・・そして、自称保護者のガウリイも。

  あたしはこのまま飛んでって。

  そのまま自由を手に入れる・・・・。

  




  その日の夕方、いつものようににぎやかな夕食を終えて。

  あたしとガウリイはそれぞれの部屋に。

  あたしは昨日壊滅させた盗賊団のお宝鑑定に余念なく。

  きっとガウリイは剣や防具の手入れでもしているのだろう。
 
  何やかやと雑事をこなすうち、夜は更けて。

  ほうっと一息。 休憩に、と見やった窓から覗くのは。

  昇り立ての、大きなオレンジ色の満月。





  何故か眼が離せなくて、あたしはじいっと。

  ただ、月を見ていた。

  ゆっくりと色淡く変化しながら、月は天頂を目指し、昇りゆく。

  やがて、淡い卵色に変わった月光に。

  ふらりと誘われて。

  あたしはそのまま呪文を唱え。

  ゆらりと窓から身を放つ。

  ひろい、広い、夜の大海へと・・・・。





  今のあたしは、防具も、マントも無し。

  手袋さえも着けてはいない。

  微かに流れる風に髪を揺らして。

  眼を閉じ、ゆったりと舞うように。

  両腕を広げて、ツィ、と顔をあげ。

  ゆらゆら、ゆらゆら、空を漂う。

  フ、と目を開ければ。



  頭上に白い、満月。



  子供の頃は、月がどこまでもついて来るのが不思議だった。

  ・・・このまま風に乗って、流れてみようか。

  もう少し高く昇れば、ここより強い風が吹くはず。





  旅に出たばかりのあたしは、自由だった。

  ・・・・・・野原を舞う蝶よりも。

  ・・・・・・海をも渡る鳥よりも。

  ましてや、大地を駆ける獣よりも。

  いまの、あたしは・・・・!?

  



  レビテーションは、比較的コントロールの楽な術。

  あたしは殆ど、無意識に。

  操り、空を庭にする。

  ここは今、あたしだけの庭。

  花の代わりに咲くのは星。

  太陽の代わりは月。

  あたしは自由に舞い、踊る。

  誰もあたしの邪魔をしない。

  何も思い悩む事もない。

  どこにでも、心のままに。

  きっとあたしは行けるだろう・・・。





  急に風の勢いが強まり。

  身体を浮かせていただけのあたしは。

  風の勢いに押されて、流される。



  ひゅおぉぉぉぉぉぉぅっ。



  風が鳴く。



  ひゅおぉぉぉぉぉぉぉぅっ。



  まるで何かを哀れむように。



  少しづつ遠くなる、町の明かり。

  少しづつ。

  遠くなる、ガウリイ。






  ・・・あたしがいなくなったら。

  あいつは探してくれるのかな。

  意外とあいつの勝手だと。

  見切りを付けられてしまうかな。

  ・・・自称保護者と旅して幾年。

  いろんな出来事があったっけ。

  楽しい事も。

  しんどい事も。

  嬉しい事も。

  しゃれになんない事も。

  ・・・そして、悲しい事も。





  風が吹く。

  あたしはどんどん流されていく。

  ほら、もう町があんなに遠い。

  眼下には暗い森。

  その先には、大きな湖。

  湖面は月の光を映し。

  きらきら、キラキラ、金色に。

  そこにあたしの影が映りこんで。

  金の鏡に黒い影。

  光の舞台で舞う、影絵の舞姫。

  姫のダンスは速すぎて。

  誰も相手が務まらないの。

  いつも相手は保護者殿で。

  恋の一つも出きゃしない・・・。





  今宵の姫は一人きり。

  抜け駆けするにはもってこいの夜。

  誰も名乗りを上げぬなら。

  ここを飛び出し、他を当たろう。

  ・・・恋を求めて、旅立とう。





  一仕切り、ゆらゆら踊ってたゆたって。

  光の舞台に立ちたくなった。

  高度を落とし、水面ギリギリに。

  爪先が掠るかどうか。

  そのままクッと身を屈め。

  水面に浮かんでしゃがみ込む。

  湖面に映るは、哀しい女。

  愛を求めて、泣く女。

  潤んだ大きな、紅い瞳。

  その眼から一滴。

  ぽたん、と水面に零れる滴。

  うわぁぁぁぁん、と波紋が広がっていく。




  
  ・・・去年の今頃はゼフィーリアで、山ほどブドウを食べたっけ。

  結局何も変わらずに。

  一月ほどで、故郷を離れた。

  いつもあたしの横にはガウリイがいて。

  いつまでも変わらない二人の関係。

  あたしはいつまで護られてなきゃいけないの?

  いつになったら大人になれるの?

  あたしの中の、苦しい気持ちをどうすればいいの?












  波紋は広がり、大きな円を描き。

  やがて一人の男の元へ。

  「 リナ 」

  岸辺に立っていたのは。

  


  ガウリイ・・・。




  「リナ、何してるんだ? そんな格好で」

  少し怒った顔と。

  心配そうな声で。
 
  じっと、あたしを見つめていた。

  ガウリイの視線に縫い止められて、そのまま動けなくなるあたし。

  あたし達は湖の中心とその岸辺で、ただ、無言で見つめ合っていた。





  バシャン!!

  大きな音を立てて、いきなりガウリイが水中に身を躍らせた!!

  装備一式を身につけたまま、ものすごいスピードでこちらに泳いで来る。

  その様子をしばらくボンヤリと見つめてしまったあたし。

  って、やばいっ!!このままだと捕まるっ!!

  咄嗟に呪文で空に逃げようとしたけれど。

  パシンッ!!

  浮かび上がろうとしたあたしの足首を、ガウリイにつかまれて。

  ぐいいいっっっ。

  ばしゃぁん!!

  そのままあたしは湖の中に引きずり込まれた。

  「ぶはぁっっ」

  水を飲みそうになりながら、何とか顔を水面に出す。

  とっくに呪文は途切れて、水の浮力だけで浮かんでる。

  ・・・違う。

  あたしの身体に、ガウリイの腕が巻きついて。

  後ろから抱きしめられて、浮かんでいたんだ・・・。





  「リナ、いったいどうしたんだ? こんな時間にこんな格好で」

  耳元で囁く声は、心配半分、戸惑い半分といった処か。

  「リナ?」

  あたしは何も答えられなかった。

  「とにかく、上がろう。 このままじゃ風邪引いちまう」

  そう言って、ガウリイはあたしを抱えたまま器用に岸に向かって泳ぎ出す。





  「・・・なんで」

  なんで、いっつもいっつもあたしの居るところがわかるのよ。

  「ん?」

  ばしゃばしゃ、水音。

  「何で、あたしの居所がわかるのよ」

  「何でって・・・リナの気配はすぐにわかる」

  本当に、こいつって獣並みの神経してるのね。

  「で、リナ。 何でこんな格好でこんな所にいるんだ?
  盗賊いぢめにしちゃ装備が甘過ぎだし」

  ・・・いくらあたしでも、寝巻きで盗賊いぢめはしないわよ。

  グイッと、身体を持ち上げられた。

  いつの間にか岸に辿り着いていて、ガウリイと一緒に水から上がる。

  髪から、服から。
  ポタポタと伝い落ちる水滴。

  二人ともすっかり濡れ鼠。

  なのにガウリイはまだあたしを抱えたまま。




  「ねえ、この腕放してくれない?」

  下を向いて、ガウリイの腕を掴んで引き剥がそうとするけど
  あたしの力じゃビクともしない。

  それどころかギュッと、更に力が加えられる。

  「・・・嫌だね。 今、放したらお前は逃げるだろ」

  「・・・逃げないわよ」

  少しずつ気持ちが落ち着いてきて、
  いかに無謀な事をしようとしていたかに気が付いた。

  あたしらしくもない。

  本気でガウリイから逃げるつもりなら、完全武装して荷物も持って。

  こいつに一服盛るか、増幅版スリーピングでもかけないと無理だ。

  ・・・訂正。

  それでも無理かもしれない。






  ポタポタ、髪から水滴が滴り落ちる。

  ポタポタ、服からもあたしの眼からも。

  「リナ・・・? 何で泣いてる」

  ・・・泣いてる? あたしが!?

  自分でもまったく意識しないまま、ホロホロと涙の粒が
  頬を伝って転がり落ちる。

  あたしの身体は、濡れて全身冷え切ってるはずなのに。

  ガウリイに抱き締められてる部分が、燃えるように熱い。





  「リナ?」

  肩をつかまれ、グイッと身体を反転させられて。

  ガウリイと向かい合う格好になった。

  「・・・ヤダ。見ないで」

  前を向けずに、下を見つめるあたし。

  「いったい何があったんだ!? 俺で良かったら話してくれよ!!」

  心配そうなガウリイの声に、あたしは何かが自分の中で弾けるのを感じた。



  ・・・一体誰のせいで、あたしがこんなに混乱してると思ってるのよ!!



  「・・・ねえ。
  ガウリイにとって・・・あたしって、何?」

  自分でも意外なほど、その言葉はスルリと出てきた。

  「・・・何時まであたしは被保護者なの?
  あたしは、もう19よ。
   もう子供じゃないし、あんたが保護者と言う必要もないわ」

  顔を上げられないまま、あたしは言葉を紡ぐ。

  ガウリイは、黙ったまま聞いている。

  「あたしね、ずっと考えてたの。
  いつまでガウリイと一緒にいられるんだろうって。
  でもね・・・あたし、この先もこのままの関係なら。
  もう、あんたと旅はしない」

  「・・・なんでだ?」

  今まで聞いたどんな声よりも真剣な、厳しい声。

  でも、言ってしまったから。もう後戻りは出来ない。

  「あたしだって、年頃の女よ。
  ・・・恋だってしたいわ。
  いつまでも保護者同伴じゃ、何もできないのよ」

  ・・・あたしの望むものは、今のあんたの側じゃ手に入らない。

  「リナは、恋がしたいのか?」

  「・・・あたしに付いて来れる、一生を共にする相手が欲しいの」




  そう、保護者はもう要らない。

  あたしの人生は人より何倍もハードで危険なもの。

  もしガウリイがまだ保護者のつもりなのなら、

  いつまでもあたしに付き合わせる訳にもいかないし。

  あんたの側にいられるのは嬉しいけど、それじゃ胸が苦しいよ・・・。
  




  「・・・・・」

   ガウリイは何を思うのか。




  本当は、誰かに恋したいわけじゃない。

  望むのは、あなた一人。

  ・・・でも。

  あんたが。

  ガウリイが、自分は保護者だと思っているのなら。





  いつまでもあんたの人生を奪ったままじゃいられない。

  今まで、唯一無二のパートナーで。

  ここまで信頼しあえた人は、あんたが初めて。

  ・・・だからこそ。

  被保護者のあたしのために、不幸になって欲しくない。

  あたしの望む人生に、付き合わせる事はできないの・・・。






  「前に、俺は言わなかったか? 一生側にいるって」
  
  不意に。

  低い、囁くようなガウリイの声が。

  「それじゃ、だめなのか?」
 
  穏やかな問いかけに。

  「それだけじゃ・・・だめよ。
  ・・・あたしが。
  あたしが欲しいのはっ、同じ速度で人生を踊ってくれる人だもの!!  
   ・・・あたしを女として見てくれる人がいいのっ!!」

  俯いたまま、ヒステリックに叫んでしまった!!
 
  いつまで経ってもハッキリしない言葉に。

  あたしがどれだけ傷ついているのか、あんたは知ってるの!?

  だって、もうあたしはあんたを男としてしか見られない!!

  でも、あんたがあたしを女として見てくれないのなら。

  これほど惨めな事って無いじゃない!!





  急に目頭が熱くって、鼻の奥がツンとする。

  堪えなきゃって思うのに、後から後から涙は湧いて出て。

  「・・・くっ・・・ふぅぅぅぅっ・・・」

  堪えきれない嗚咽があたしの口から漏れていく。
 
  



  「 リナ 」

  ただただ泣きじゃくるあたしの上から降ってきたのは、穏やかな声。
  
  「なら、言ってもいいか?
  お前の、人生のパートナーとして横に立ちたいって。
  ・・・一生お前の側で。
  同じ速度で駆け抜ける、唯一人の男になっても良いかって」
  声と共に、目の前一杯に金色の雪崩が降って来た。




  冷たいガウリイの手が、あたしの顔を仰向かせ。

  そのまま二人の距離はゼロになる。




  「ガウリイ・・・。 あたしの事・・・好き?」

  与えられる、啄むような口付けの合間に。

  確認せずにはいられない。

  本当に、あたしの望みが叶えられたのかを。


  「好きって言葉じゃ、全然足りない。
  ・・・俺は、リナに惚れてるよ。
  愛してる・・・離したくないし、ずっと抱いていたい」

  吐息が触れるたび。

  唇が触れるたびに。

  あたしの中に巣食っていたモヤモヤが、消えていく。
  
  至近距離から見たガウリイの瞳は。

  まるで宿から眺めた満月のように穏やかで優しい。

  その色は紛れも無く蒼い宝石のようなのに。

  全てを許し、包み込んでくれるように。



  ・・・ああ。

  あたしの自由は、ちゃんとここにあったんだ。
 
  ガウリイと一緒にいる事を選んだのは、あたし自身。

  だから。 

  もう、どこにも行かなくていい。

  何も悲しまなくていい。

  昼は高く澄んだ青空の瞳が。

  夜は穏やかな満月のような金色の光が。

  いつもあたしの側で。

  ずっと見守っていてくれるから・・・。