『遺書』 vol.11





















 駄目だった……か。

 実感は、正直いってまだあまりない。
 妙に柔らかい感触だけがまだ記憶に纏わりついていて、そんな中で確かめたガウリイの表情は、考え付く中でも最悪の部類のものだった。
 ……恐る恐る口を抑えて。
 目を剥いて、咄嗟にものも言えないほど唖然としてビックリしてぎょっとしているのが分かる。

(ありえないっ!!てなレベルの驚き様よね)

 これならまだ、笑われるとか困った顔されるほうがマシだった。
 ガウリイがあたしをこれっぽっちもそうゆう目で見ていなかったんだと、見事に思い知らされた気がした。
 例えば魔族のゼロスが、爽やかに『平和主義者クラッシュ(はぁと)』かましている所を目撃したとか、そーゆーかんじ。
 暴れたいほど恥ずかしい。
 悔しくて恥ずかしすぎて、居たたまれない。

 ふ。

 追い討ちをかけるように、小さく空気が揺れた。
 その向こうには事態を理解したらしいエイミィの、優越感に満ちた笑み。

(む、むかぁあああああああああああっ!(怒))

 恥ずかしさに加えて、そりゃもうぼかんと爆発しそうな勢いでムカつきが全身に回る。

「でぃ……でぃるぶらんどぉおおおおおおおおおっ」

 派手な爆発音と、悲鳴をあげるエイミィ。
 それからあっけに取られた顔のまま吹き飛ぶガウリイ。
 涙が出そうなぐらい恥ずかしい。

 フフフ。さっきの恥を隠蔽するためには、二人に死んでもらうしか……っ!(をい)。
 いやしかし相手が吹き飛ぼうが記憶がなくなろうが、恥ずかしいのはあたし自身なのだから、どうしようもない。

 悲しくて恥ずかしすぎて、居ても立ってもいられない。
 現実逃避といわばいえ。あたしは真っ赤な顔のまま背中を翻した。

「翔風界<レイウィング>っ!!」




 逃げ出したところで、事態は何も改善されない訳なのだが。
 人間、執行猶予も必要というかなんというか。パニックに陥ったときにはやはし頭を冷やす時間が不可欠である。
 切実にちょっと冷ましたいのは、頭もそうだけれど、こんな事態の原因となった……つ、つまり「こいごころ」なんてやつもそうで……諺に「鉄は熱いうちに打て」なんてのがあるように、恋なんて無茶苦茶な代物、膨れ上がった時になんとかするしかないのかもしんないけど。
 「なんとか」はさっきしてしまったし。
 ……冷まそうにもコントロールできないし。

(あんな顔されたからって、別に未来永劫チャンスがないって訳じゃないかもしんないしっ……あれはあれで、鈍ちんのガウリイには必要な処置だったのよっ!!)

 後悔はしない。

(いやしかし。さっきはまだ事態が脳みそに浸透してなかったみたいだけど、即どよーんとした顔して、『りな……もう、お前さんとは旅はできない。すまん……』とか言われたら、とか考えたくないし。そこまで返事は急いでないっつーか)
(せめてもう少しじっくり、あたしが子供じゃないってこと分かって欲しいっつーか)
(……無理やりはマズかったけど、何もあんな顔しなくったって……)

 後悔はしない、けど。
 どうやらあたしは、傷ついているらしかった。
 呪文で飛び越えて来た屋敷の門の外、見渡す限りの一面の野原。綺麗だとも寂しいとも、感想が浮かばない。
 さっきは今までで一番間近で見たガウリイに、心臓が破裂しそうなぐらいどきどきした。
 でも、それはあたしだけ。
 ……あれだけ長く相棒やってたんだし、実をいうとコッソリ期待してたんだけど。
 見事に玉砕とは読みが甘かった、なんてね。

(駄目。ちょっと時間がいるわ……少なくともあの嫌味なエイミィがどっか行くまでは)

 まだ魔法は使えそうだったけど、とりあえずは背の高い葦が生えた地面の適当なとこに降り立つ。
 いや、降り立とうとしたところで、大きな呼び声が聞こえた。

「リ〜〜〜〜〜ナ〜〜〜〜〜っ!!!」
「げっ。な、なんで追ってくんのよガウリイっ!?(汗)」

 ガウリイ。
 あんたには傷心の乙女をそっとしておこーとかいう気遣いはないんかいッツ!?
 遠くから土煙を上げるような勢いで(沼地だから土煙はあがんないけど)、こっちへ向かってくるガウリイが見える。
 しかも声の調子から察するに、ガウリイがなんだか怒っている……?ような気がした。

(まさかまさか)

 ガウリイあんた、あれが『おれの大事な、ふぁーすとちっすだったのに……どうしてくれるんだうおー!』とか本気で言わんわよねっ!?んな傍目にはハンサムなくせにっ。
 まさかよね。ありえない。……だから怒ってるんじゃないわよね?(滝汗)
 ちなみにあたしは、初めてだったけど!それでちゃらにはなんないのかっ??だったらマズイかもっ。

 とにかく慌てて止めかけた詠唱を続行し、あたしは咄嗟に逃げを打つ。

「コラっ!!そこ動くなよリナぁあああああっ!!」
「だったら、んな般若みたいな顔して追っかけてくんなーーーーーッツ!!」
「お前さん、倒れた昨日の今日でそんな魔法使ったりするんじゃないッ(激怒)」
「こんの男、この後に及んで言いたいのはそれだけ!?……つーか、平気だからあっちいけーーーーーー!!!!」

 こうなりゃ半分意地というか、無我夢中というか。
 確かに完全に元通りとは言えない魔力を温存するため、本当ならばかましたい攻撃呪文は控えて、飛ぶ。
 それでもいつ魔力が尽きるとも限らないから(普段ならとにかく、この状況でオーガ並の体力を持つガウリイと持久戦ってのは不利過ぎる)引き離した状態で葦の中に降り立ち、自分の足で走って方向を晦ます戦術に切り替えた。

「どこだリナっ!!」
「……(しばし休憩)」

 なのに。
 恐ろしいぐらいに短い時間で、ガウリイの声は間近に迫ってくる。

「そっちかッツ!?」
「……ひぃいいいっ。何故分かるぅううううううううう!?(驚愕)」

 どうやらガウリイ、斬妖剣で惜しげも無く目の前の葦をスパスパやりながら突き進んで来ているらしい。
 あんた伝説の剣を鎌代わりに使うとはなんちゅーことを……謝れっええっ!斬妖剣と葦の皆さんにぃいいいっ!!

「はっ、はう。このままじゃ追いつかれる……翔風界<レイウィング>っ」
「リナっ、お前また魔法使う気か。しまいにゃ怒るぞっ!」
「なら追っかけてくな!!」


 それでも容赦なく追いかけてくるガウリイから、逃げて逃げて、逃げる。
 ……なんだか途中から、当初の目的はどこかに行ってしまったよーな気はするけど、いたしかたない。
 傷心の乙女をやろうにも浸っている余裕なんかどこにもないのだ。

 止められた魔法を使いまくってしまった都合上、意地でも逃げなければと思う。
 でないと一体どうなるか……む?どうなるんだろ?(汗)
 悩む余裕さえない。なんだかはっきりと今は考えつかないけど、やっぱり捕まるわけにはいかない。
 どうでも、それは決まったことだから、あたしはさらにガウリイから逃げる。

 風をきって。
 髪を縺れさせて。
 葦でちょっぴし傷だらけになって。



「はっ、は、はぁっ」

 やがて、あたしは魔力もほとんど、体力は限界いっぱい使い尽くした。
 飛ぶコースも逃げる方向も考え尽くして一番効率よくやったつもりだけれど、この体調でガウリイと追いかけっこなんて、魔族相手にコサックだんす耐久戦をするより勝ち目がない話である(奴ら筋肉使って動いてないし)。
 グレイのおちゃんの屋敷はもうどこにも見当たらない。

 稼いだ距離も、それから詰められる。
 気配に顔を上げると、向こうで葦が切り開かれて、ガウリイが現れた。

「……」

 金髪がちょぴし縺れて。
 腕と頬は傷だらけで、その服には沢山、葦の切れっぱしがくっ付いていた。
 あたし達は、無言で視線を合わせる。

 乱れた息のまま斬妖剣を鞘にしまい、ガウリイが口を開く。

「いい加減にしろよッ!!どうしてお前、こんな無茶するんだ?!」
「いい加減にするのはそっちでしょ!」

 聞いたこともないような、低い怒鳴り声。
 びりびりと衝撃が伝わるぐらいのガウリイの怒りに一瞬身体が竦んだが、あたしは負けじと声を張り上げる。

「な」
「ガウリイ、あんた、あたしの何を保護してんの?してるつもり?!」

(嘘。あんたが、ずっとあたしのこと、色々、守ってくれてたのは分かってる)

 でも言う。

「……あんたが好きだって言ってんのよ。これでも子供扱いすんなら、どっかに、行って。もう相棒は解消よ」

 全然考えてもいなかった言葉が、あたりまえのように唇からこぼれた。
 けど、あたしが言えるのはもう、これしか残ってない。
 真っ直ぐに見据えたガウリイは、背が高くてさらさらの金髪で、鍛えた身体で、旅の傭兵で。
 思い返せば、初めて会ったときはこいつも、今よりずっと子供っぽかった気がする。
 あの頃、ガウリイが幾つだったかなんて逆算してもしょーがないけど……そろそろあたしだってあの頃のあんたの歳になるわ。

 自称保護者のガウリイ、あんたには適わないとこがあるって認めてもいい。
 でもそれは、あんたがあんただからよ?あたしが子供で、あんたが大人だからじゃない。

「リナ」
「……なによ」

 さく、と足を踏み出す音が聞こえる。
 身構えたあたしにガウリイが告げたのは、実に予想外の言葉だった。

「お前さん、まさか全然分かってないのか?(汗)」
「は?」
「そんないやまさか信じられないがだがしかし……相手がリナだしなぁ?」

 何故か近寄って来るガウリイが出したのは、気の抜けたとういか、脱力しきった声だった。
 ぶつぶつと何やら苦りきった顔で呟き、大男が一人途方にくれている。

「……オレが一体何が嬉しくてこんなどらまたと一緒にいるんだと……ふつーに考えれば分か……」
「あん?」
「最近それなりにいい感じだと思ってたのに、ありゃ錯覚……?ついこないだ実家とかの話もしたのに」

 うんうん唸りながらひとりごちる。
 ……気味悪い上に、わけわからん。

「ちょっと、ガウリイ。突然なに人をぽっぽらかして悩んでんのよ」
「はぁああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(特大溜息)」
「むか。なによそのこれみよがしの態度はっ」
「だってなぁ。これまでの地道な努力が全く身を結んでなかったかと思うと」
「あんたがいつ、なんの努力をしてたつーのよ」

 とゆーか、人の一世一代の告白はどこにやった!?
 このくらげ頭めッツ!!
 この可憐な乙女をほっぽらかしてのガウリイの悪逆非道に、再びふつふつと怒りが込み上げてくる。
 実を言うと最後にかましてやろうと温存しておいた、ちょびっとだけの魔力で呪文をかまそうとした、途端。

「本当に分かってないのか?お前がどんぐり眼のぺちゃぱいのチビだろうと、俺はべた惚れだって」
「…………」

(……………………は?)

「はあっ?……あ、あんた人のことを、ぺぺぺぺちゃぱいだなんて失敬なっ!?」
「あのなぁ、大事なのはそこじゃないだろ」

 いつの間にやら、間近に迫るガウリイの眼差し。
 見慣れた蒼の瞳が正面から自分を捕らえただけで動悸が激しくなって、あたしは言葉を失う。
 盗賊いぢめに出掛けるあたしを見つけた時にそっくりの、ガウリイの少し憮然とした顔がそこにある。
 紛れもないよく見知った彼の表情に、あたしは何故か咄嗟に、からかわれたのだと思った。

「あんた、また人のことからかっ……え?…ガウリイ…ちょっ…!?」

 性急に太い腕に引き寄せられて、声が狼狽でひっくり返った。
 突然服越しに感じる男の身体に、真っ赤になる。
 力の差がどうとかいう以前に、身体が硬直して全然身動きが取れなかった。

「な、がうり……??はなし……離して。あ、あんた、一体何やって…!!」
「あのなぁ…何やってるんだ、って言われても」
「からかうのも、いい加減にして!あんたなんか…あんたなんか!!」

 閉じ込められた腕の中で睨みつけると、
 怒鳴られているにも関わらず、急に小さくガウリイが笑った。

 景色まで明るくなるほど能天気で優しい、いつもの笑顔。
 でも、その瞳の奥で、悪戯をしかける子供のような、少し意地悪な光が宿っている。

「……さっき言ったこと。今まで、ほんとーに気付かなかったのか?」

 なにを、と聞く猶予はなく。

「……!」

 ゆっくり唇が、唇を塞いだ。
 呆然とし、それからもがき始めたあたしをガウリイは離そうとせず、味わうように触れた部分を動かす。
 これって。もしかしてガウリイとあたし、キキキ……キスしてるんじゃあないだろうか。
 自覚した途端、感触がいっぺんに押し寄せて来た。
 全然状況がうまく飲み込めないにも関わらず、背中に回った腕の力強さが圧倒的な説得力で、あたしから抵抗する力を奪う。

「……」

 三秒と離れていない唇。

 なんとゆーのか、あたしは、ガウリイがこんな風にするんだとは思ってもみなかった。
 ……でも。
 矛盾するようだけど、触れる温度はすっごい優しいような実は強引なような、そんなところがどこまでもガウリイだった。
 唇とおでこと瞼に、繰り返し何度も何度も口づけされて……恥ずかしさに息が詰まるけど。その感触が、愛おしい。
 逞しい腕に苦しいぐらいきつく抱きしめられ、あたしも腕を伸ばす。

「がうり……」
 
 その言葉へ滑り込むように……まずは舌先だけ触れ合って、離れるキス。
 一瞬で離れた感覚にうっすら瞼を開くと、また浅く味わわれる。
 キスは離れる度、次にもっと深くなって……最後には貪るように深く絡みつくものになった。

 どくどくと脈打つ鼓動。耳の奥に響く濡れた音。
 顔も体中も真っ赤になって、しゃんと背筋を伸ばしておくこともできなかった。

 全ての神経が甘く痺れてしまって、もう離れる気にはなれない。










to be continued …