『遺書』 vol.10 |
さて。 馬車へと何かを運び込んでいる、見知らぬ老人……恐らくこれが彼女の御者さんだろう。 そのそばで、エイミィさんはこちらに気づき顔を上げた。 彼女があたしを通り越して後ろのガウリイへと微笑んだ、と思うのは特別皮肉な見方じゃないだろう。 (やっぱし。ムカっ!!) それでもエイミィが笑うと、ぱっと光が差し込んだように辺りが華やかになった。 ……徹夜したとは思えない彼女の身奇麗な様子は、あたし達に問い詰められ憔悴していたレイスとは、まるで初めから別世界の存在のようだった。 「ガウリイ様。遅かったですわね」 「あ〜……その件なんだが」 「なんかガウリイが馬車の同乗をお願いしてたみたいで、お騒がせしました。けど、あたし体調は治りましたので、もう気にかけてもらわなくても大丈夫です。ありがとうござましたっ!」 うし。これでいちおうの礼儀は守った。 あたしは極力柔らかく、かつ簡潔にひとつめの用件を済ませて、おもむろに本題に入る。 「んで、昨夜のことで、エイミィさんにお伺いしたいことがあるんですけど♪」 「なんでしょうか」 「どこで何をされてましたか」 「どういった意図で、そんな質問をなさいますの?」 詮索されたくありませんと憂い顔をするエイミィに、あえてあたしは回りくどく答えた。 「昨晩、に限んないですが、この屋敷で何度も犯罪行為が繰り返されているからです」 「ジェンダルが何かしたのですか」 「……いーえ。彼は被害者よ」 「あの男が被害者?まさか、わたくしを疑っているわけではありませんわね?昨夜は、ずっと中庭の離れにおりました。そちらにいらっしゃるガウリイさまもご存知ですわ……ね?そうでしょう」 「はぁ、まあ」 ちらっとガウリイはあたしに目を向け、頬を掻く。 「馬車のことは、そこに頼みに行った」 「ええ、そーね。エイミィさん、それじゃ話は変わりますけど、ここで働いている男性はご存知ですよね」 「え?」 「下男の……えーと、名前は何って言いましたっけ」 「この屋敷の下男?さあ、見かけたことはあるかもしれませんが、名前までは存じませんわ」 相当分かりやすいカマかけに対して、エイミィは怪訝そうに首をかしげた。 「本当に?彼が、昨晩貴女と一緒にいたといってるんだけど」 「まさか!他所の下男と、あたくしはそのような浅慮なことはいたしませんわ」 あんまりの言い様にぴくぴくこめかみ辺りが痙攣する。 く、くぉの女……そもそもガウリイの証言が正しいなら、しっかりはっきり「レイス」を知っているはずなのに! きっと否定はするだろうとは思っていた。 彼を唆したという後ろ暗いところがあるなら、きっと、エイミィは心理的にそうせざるをえない。 でも。まさか他所の下男と、と『下男』のとこを強調した彼女を、あたしは決定的に嫌いになった。 「彼が、グレイさんを傷つけようとしたのは、ほぼ間違いないわ。けど、彼は貴女が自分の無実を証明してくれると言った。今からグレイさんが街の自警団に連れて行くそうだけど……貴女の証言が彼の扱いを左右するわ。どっちにしろ、自警団に同じこと聞かれたら答えてあげてね」 「ひどいことを仰いますわ」 「酷い?」 「リナさん、貴女は貴族社会の噂の口さがなさをご存知ない。従姉妹のためにこの屋敷に来ることすら、こうして御者しか連れず秘密にしていますのよ」 「そん………」 「そんなことがどーした、エイミィ?そりゃてめぇの都合だろうが」 新しい声にぎょっとして振り返る。 「え?グレイさ……」 「レイスに手ぇ汚させて自分は高みの見物かよ。そこの御者のじいさんが持てない荷物を、いつもこいつに持たせてたのはどこのどいつだ?その男の顔を覚えてもいないってか」 現れたグレイさんの隣には、後ろ手に縛られたレイスが立っている。 その表情は絶望とも諦めともつかぬ、暗い光が宿っていた。 「グレイさん」 「こいつが、ひとめでもお前に会わせろって言い張ったからな」 「申し訳ありませんが、わたくしが、そちらの方のために出来ることはないと思いますわ」 「……」 「こいつの望みを、お前は知っていたんだろうに」 「いいえ。何故わたくしが、こちらの使用人の望みなど知っているというのです?」 身分が違う。 柔らかく言外にそう匂わせたエイミィの中には、最初からレイスに応えるという選択肢はない。 「てめぇは何様だ。お前の望みだけ叶えばいいってか?……お前なんかのために、レイスやこの屋敷が存在するんじゃねえ。これまでは特にとがめだてもしなかったけどな。ずかずか入り込んできたお前が何してたか、気づかないほどおれが耄碌してると思ったか?」 「タニアを殺したという負い目があるから、ジェンダル、貴方は私がここに来ることを止められなかったんです」 「違う。お前なんぞどうでも良かったからだ」 おっちゃんが、はき捨てる。 「……お前が屋敷から、タニアの昔の作品を運び出しては我が物顔で発表しようが。親戚連中が俺をここから追い出す前にと、『真の青玉<ブルー・ローズ>』の製法をこそこそ嗅ぎ回りに来ようが。死んだあいつは、もうそんなこと気にしやしねえ」 「!」 「でもな、お前が貴族だろうとタニアの従姉妹だろうと、やってることは盗人だぜ。面倒が嫌で黙っていた俺が馬鹿だった。二度と、お前にはこの屋敷に足を踏み入れさせねぇからな」 「わたくしは……貴方が、タニアの貴重な研究を世にも出さず隠し持っているのが許せなかっただけです」 「タニアが生きてる間は見舞いにも来なかったやつが、あいつの話をするんじゃねぇよ。お前がタニアの作品を発表して、随分魔道士協会でお前の地位が上がったぐらいは話に聞いてる。……うちからものを盗むぐらいは良かったし、レイスがてめぇみたいな女に惚れたのも、いい大人なんだ、こいつ自身の責任だろうよ。でも、お前こいつに何を吹き込んだ?……それを聞いてレイスが何を仕出かすのか、知っててお前は」 「おっちゃん!!」 あたしが遮り、ガウリイはエイミィに詰め寄ろうとするグレイさんの身体を捕まえた。 青ざめた顔で、御者のじいさんがエイミィへと駆け寄る。 「お嬢さま」 「……グレイさん、落ち着いて」 「これが落ち着いてられるか?」 「グレイさんが言ったのは全部、ただの憶測よ」 エイミィがレイスを利用したなら、自分にまで類が及ぶような言葉でけしかけるのは避けただろう。 そして彼女が故意でなかったなら、それはただのレイスの暴走であって、やはりエイミィは関係ないと言い張ることができる。 (これが、二人の身分が逆だったならまた話は変わってくるんだけどね) それが分かっているから、グレイさんは怒りを抑えかねているのだ。 出るところに出て争っても、街の有力者だという彼女の一族にかかれば、おっちゃんの台詞はただの言いがかりになる。 グレイさんに死をもたらしても、レイスには何の得もないけれど。 彼とエイミィを繋ぐ線は細すぎて掴めない。 二人がどんな会話を交わし、どんな関係だったのかはあたしには分からない。 でもそれは、彼女側からすればあっさりと切り捨てられるものでしかないんだろう。 「おっちゃん。憶測でこのひとを罪には問えないわ」 「俺が言いたいのはそんな難しい話じゃねえ。このレイスは救いようのない馬鹿だが、エイミィが少しでも」 「……知らねえよ」 初めてそこで口を開いたレイスに、はっとそこにいた全員が動きを止めた。 「そんな女、知らねえ。何回か荷物を運んでやったかもしれねえけど、顔も覚えてないね。アリバイのことは言ってみただけだ」 「レイス。お前」 「けどよ」 暗い表情で嘲笑い、レイスが続ける。 「いっこだけ忠告させてもらうが、」 「………」 「今度からは、人前で書き物を読むのは止めとけよ?目の不自由なはずの間抜けなお嬢さん」 エイミィの顔色が少し変わったのを見届けて、彼は自分勝手に背を向けた。 彼を連れて行くのが雇い主としての勤めだと言うように、黙ったまま後ろにグレイさんが続く。 (知ってたんなら、じゃあどうして?) レイスは彼女のことを薄々知ってて、それでも事件を起こしてしまったのだ。 あたしには分からない。 自分を見下し、利用しようとしている人間に惹かれてしまった男の、レイスの気持ちなんて想像もつかない。 「……リナ」 顔を上げると、いつものようにガウリイとちょうど視線が合う。 それは別段どうということはない、表情がちょっと複雑そうなだけの奴で、あたしは緊張を緩めて苦笑する。 (あんたなら、分かる?……って分かんないわよね、誰にだって語られない他人の気持ちなんて) 「あたし達も屋敷に戻りましょ、ガウリイ」 「おう」 「おっちゃんに、留守番も頼まれてるし。それに調べたいことが」 「……お待ちください」 「へ?」 そこで呼び止めたのは、エイミィ。 「あの男の話は……いえ、止めましょう。あれは戯言ですわ。それより本当によろしいのですか?街までこの馬車で向かうという話は」 「え〜と」 彼女の細っそりとした労働の跡のない手がガウリイの腕にかかるのを、あたしは無感動に見ていた。 困惑顔で、ガウリイはあたしの方を向く。 (このひと、あくまでレイスの名前を呼ぶ気はない訳ね。別にあたしはレイスに肩入れする義理はないけど) 「ご親切にどーも。でも、この通り調子は戻りましたから」 どーゆーつもりか知らないけど、この人の世話になる気は毛頭ない。 例え本当に親切で言ってくれてるんであっても、きっぱし断るまでである。 「ご病気とお伺いしましたが?」 「それは、グレイさんに治してもらいましたから」 「あの男の専門は、外科ですのよ……ガウリイ様、この方がご心配ではないんですの」 「!……そ」 「貴方は保護者さんなのでしょう?」 (なっ!) 言いかけたガウリイをやんわりを遮るエイミィの、この後に及んで蕩けるように甘い微笑み。 あたしの目には、毒々しいような流し目。 かっと顔に血が上る。 「あのねっ、んなのは余計なお世話よッ!」 「わたくしのことがお嫌いのようですわね。でも貴女は昨夜ガウリイ様がわざわざ馬車のことを頼みに来たのを、むげになさって平気なんですか?」 何の罪もないような顔をして、無邪気に親切ごかして彼女はうつむく。 綺麗な、甘い表情。 でも……腹いせか逆恨みだか知らないけど、エイミィはあたしに悪意をぶつけてきたのだ。 子供扱いする言葉ではっきりと分かる。 そして。彼女の意図に嵌るのだと理解していても、あたしの頭には一瞬嫌な光景が浮かんでしまう。 『オレは、あいつの保護者だから』 昨晩、エイミィに語ったガウリイの姿が。 今目の前でしているように、ガウリイに触れながら、その言葉を聞くエイミィが。 (……それが今更どーしたってのよッ!) ガウリイはずっと、いつだって誰にだって、そう答えて来た。 あたし自身も、冗談ならとにかく本気では一度も、そう言ってくれるガウリイを拒否したことはない。 初めは単に面倒臭くて。 次に人が良い彼に半分呆れて、それから……。 (それから) 「何度も言うが。オレが心配じゃないとでも思うのか?」 はっと、あたしはガウリイを見上げる。 似合わない硬いしかめっ面は、そのままガウリイの感情を表していた。 珍しく怒っているガウリイの言葉が嬉しい。そして、保護者なのだと肯定されたようで胸が痛い。 自分の内側に巣食うこれはなんて始末に負えない感情だろうか。 (今更ガウリイ相手に、心臓が焼きついてまともにものも考えられないなんて) 「なら、ガウリイ様。どうかこちらのことはお気にな……」 「ちょっと、そこの人っ!!」 もー聞いていられない。 あたしは無礼を承知で、思いっきしエイミィを遮る。 「あたしは自分の行動は自分で決めるってのがモットーなのよ。その役目とか責任をガウリイに押し付ける気はこれっぽっちもないわ。回りくどい説得しても無駄だから、ちょっと黙っててちょーだい」 「な……酷い、わたくしは、」 「あたしの心配してくれるんなら、あたし自身に馬車を勧めなさいっての!」 傲慢といえば傲慢な台詞をかましたあたしに、眉を歪めてエイミィが言葉を止めた。 「それから。あたしがガウリイの心配を知らないって言われれば、そうなのかもしんないけど。これに関して本人以外の非難は受け付けてないから、そこんとこよろしく。あんたも分かった、ガウリイ?」 「了解。」 「……それから。ガウリイ」 「なんだ?」 「あんたは、あたしの父ちゃんじゃないわ」 調子を落として。 静かに、あたしは告げる。 自称保護者のその男は、ただ心底きょとんとした様子で瞳にあたしを映している。 「?そりゃ、オレもこんなでっかい娘がいるよーな歳じゃ」 「いや、だから……言いたいことはそうじゃなくて(汗)」 そうじゃない。 一瞬自己嫌悪に陥りそうになる。 ……これじゃくらげなガウリイに伝わるわけがないわよ、そりゃ。 でもこのあたしともあろうものが、言葉が喉につまって表現に困る。 今言わなけりゃ、もう永遠に駄目なんじゃないかって気がするのに。 「……ガウリイ」 ずっとあたしよりも高い位置にある、不思議そうな青い目。あたしを信じて疑わない瞳。 ね、ガウリイはこれは裏切りだと思うかもしんないけど。 別にあんたはあたしの父ちゃんじゃないし、あたしだってあんたの娘じゃない。 こうゆう展開もしょーがないでしょ? 口調とは裏腹の心の震えを蹴飛ばすように、挑むように強く強くガウリイを見据える。 「どうした、リナ。なんか怒ってるのか?」 違うわよ。 あたしが言いたいこと、どうしたらあんたでも分かるの。冗談じゃないって信じてもらえる? 拒絶されるより今一瞬はそれだけが、重要だった。 力任せにガウリイの胸倉を引っ張ると、本当はびくともしないでいられるくせに、うわっとか言いながらよろけてくれる。 あんたの相変わらずのその付き合いの良さに、付け込む。 「!!!」 ほんの一瞬で、唇は離れた。 to be continued … |