『遺書』　vol.7





















　そこは中庭ということで、雑草の生え方も表よりはマシだった。
　一瞬、窓から捨てた蛇のことが頭を掠めたが、あれは反対方向へ向いた部屋なので関係ない。

　当てずっぽうに進むと、やがて明かり＜ライティング＞の光が見えた。
　その離れの建物からは、人の気配と物音が伝わってくる。
　直進すれば、開け放たれたテラスの向こうに広げられた大小さまざまの箱と書物があって。
　そしてその中心に、目当ての人物がいた。
　昼間に一度会った女。
　実はよく顔を覚えていなかったが、なんとなく美人だったことと雰囲気でそう察する。これからリナを乗せる馬車の持ち主は、俯いて本を捲っていた。

「誰？レイス……？」
「いや違う。すまん、話があるんだが」
「あぁ……ガブリエフ様。どうなさったんですの？こんな夜分に」

　彼女は一瞬ぎくりと顔を上げた。その表情を慌てて消し、まるで優雅にお茶でもしていたような顔でふわりと微笑む。
　夜闇を照らす弱い光の中で散らかる書物を読んでいたその女に、ちょっとした疑問が湧いたが、今聞くのは止めておいた。

その代わりにこう訊ねる。

「あんた一人なのか」
「ええ」
「御者の人は？」
「御者。あぁ、うちの使用人なら表の馬車の所にいると思いますが」
「一晩中、そんな所にいるのか？」
「ジェンダルは私達に部屋を用意してはくれませんから」
「……実は悪いんだが。明日の朝その御車さんとあんたの馬車とを借りたいんだ」
「え？」
「街に出る用があって。頼む」

　小首を傾げ、彼女は怪訝そうにした。

「何故私に？あの男も、馬車は持っているのではなくて」
「グレイさんのあのボロ馬車じゃ、ちょっと具合が悪くてな。怪我……いや病人を運ぶんだ」
「怪我人。もしかしてあの魔道士の方？」
「……あぁ」

　今この屋敷にいる全員を考えれば、すぐに分かる答えだが。
　何故か目の前の女は少し得意げな顔をした。曖昧な笑みに隠れてはいたが、無邪気なほどのその光が、緑の瞳を一瞬掠めて消える。

「まぁ、御気の毒に。先ほど、何か騒がしかったようですけれど、何かありましたの？」
「ちょっとな」
「だから申し上げましたのよ。あの男は青髭と呼ばれているんだと。私だっていつもここに来る時は恐ろしい。でも、従姉妹の無念を考えると、いてもたってもいられなくて、こうして色々と調べにまいりますの……貴方がたも、同じことをあの男から依頼されたのでしょう？『真の青玉＜ブルー・ローズ＞』の製法を探し出そうとしているのですわ」
「えーと……『真の青玉＜ブルー・ローズ＞』？」

　決めつけられて戸惑う。
　オレ達が受けた依頼は、確かグレイさんの奥さんの遺書を探すってことだったと思うが。しかも依頼内容のことなどすっかり忘れていた。
　今はそんな話をしに来たんじゃない。
　……話を遮ろうとして、止める。
　この話は聞いておいたほうがいいような、そんな気がした。

「タニアは結局最後まで、『真の青玉＜ブルー・ローズ＞』の製法を発表しませんでした。生前は、まだ未完成だからと言っていましたが……全くメモの一枚も残さないなんてことがあるでしょうか？きっと、あの男が。タニアが全てを賭けて残した研究を独占しているのです」

　肩を竦め、柱に少しもたれる。
　座らなかったのが、せめてもの意思表示……だったが、座ろうにもこれだけ床が散らかった状態では、まずは片付けをしなければその場所もない。

「初耳のような気がするが、オレがそうゆう話を聞いてもなぁ（汗）」
「あの男の言うことを信じるのですか？タニアが遺書を残したなんて…何故それなら隠す必要があるのです。あの男に研究を奪われまいと、最後の力を絞って隠したのです。それを、ジェンダルはお綺麗な言葉で飾ってあなた方に探し出させようとしている。ガウリイ様、どうかあんな男の言うなりになるのは止めてください。勇者さまのご子孫が、こんな仕事をなさってはいけません」

「オレは、そんな大層なもんじゃないさ」
「ご本人だからそう仰るのですわ……それが『光の剣』ですか」
「？」

　背中の斬妖剣に注がれる熱心な眼差し。
　そういえば、『光の剣』はもうオレの手元にないと説明してない。

「どんな魔道具師でも一度は夢見ますわ。ガブリエフ家に伝わる伝説の剣とまみえることを」
「いや、この剣は」
「どうぞもっと間近で見せてくださいまし」

　鼻先にほのかな香水の香りがした。
　近付いてくる彼女の柔らかな微笑みの底に、執着が透けて見える。
　そこでようやくオレは、グレイがこの人を奥さんの同業者、つまり魔道具師だと言っていたことを思い出す。
　オレの身体に縋り付くようにして伸びた、無遠慮な白い腕を。
　反射的に払い落とす。

「！何を？！」
「あー……悪いけど」

　傷ついた勝手な瞳に、溜息が出た。
　これは『光の剣』じゃない。そう告げる言葉も惜しむ。

「ガブリエフ様」
「……大事な剣を、他人にほいほい触らせる傭兵はいないさ。そんな奴がいたらそいつはプロじゃない。」

　単なる商売道具と言えばそれまでだが、剣士にとっての剣は、自分の右腕の一部、神経と命の端にあるもの。
　今は以前にも増してそう思う。
　一度自分の剣を無くした自分の役立たずぶりは、骨身に染みた。

「わたくしを疑われるのですね」
「そーゆーことじゃない。こいつには、昔の傭兵仲間にだって近寄らせない」
「ならそのプロが、仕事の途中でお連れさんを優先させて良いのですか？」
「……は？」

「『光の剣』の持ち主が、あんな小さくて可愛い方を相棒にされているなんて聞いたことありませんわ。この屋敷の使用人から聞きました。貴方は彼女の保護者さんだと。それでも……ジェンダルから仕事を受けている以上、彼女を守ってばかりではいけないのではないですか？」

　女は唇に笑みを刷き、やんわりと言い募る。
　その口調はまるで。
　オレが止むに止まれず抱え込んでいる邪魔者を……重荷を語るかのような。

（何故リナがオレのお荷物だなんて、赤の他人に言われなきゃならないんだ？？）
　
　違う。

（ガブリエフに『光の剣』はもうない。オレは勇者なんかじゃない）

「すいません。矛盾していますわね、わたくし」
「……」
「ジェンダルの元で御仕事をお続けになっても良いことなどありませんわ。彼女も貴方もこの屋敷から早く出るべきです。朝になったら、馬車で一緒にわたくしの屋敷へ参りましょう。かかりつけの医者を呼びますから」
「馬車は頼むよ。ただ、リナがいない所で黙って仕事は降りられないんだ」
「どうしてです。彼女が心配なのでしょう？」

　オレは思わず苦笑した。

「……なぁ。オレがあいつを心配してないように見えるのか？」
「え？」

　呟いた声が、酷く低いという自覚は……実は、あった。










to be continued …