『遺書』 vol.6 |
深夜、オレは微睡の中で気付いた。 どうも眠りが浅く、気持が悪いと思ったら……部屋に何かが這う小さな気配がする。傭兵時代のくせとでも言えば良いのか、それとも剣士なら当然だと胸を張るのが正しいのか。 その静かな気配を感じた途端、剣を掴んでベッドに起き上がっていた。 (服入れといたクローゼットの中か??) 折角寝ていたのに勿体無い。 でも気付いたからには放っておくわけにもいかず、薄くかいた寝汗に纏わりつく前髪を掻きあげて、暗闇の中でゆっくり気配の方へと歩いた。 殺気なんかも全然感じられないので、朝まで放っておくという手もあったのだが。 (夜中ごそごそやられるのも、なんかヤだしな〜) 全くといって良いほど、音はしない。 でも、その狭い場所に何かがいるのが、なんとなく分かる。 用心しながらそこを開けて、思わず声が出た。 「うげっ……」 実を言うと、だいたい予想はついていたのだが……それは蛇だった。 目の高さの棚から、突然目の前に現れた俺に鎌首をもたげて威嚇をしてくる。この辺りの生き物に詳しくはないのだが、闇の中でしゃーしゃー言いながら舌を出している斑模様を見れば、毒蛇らしいと予想がついた。 俺は夜目が利くので、その気味の悪い緑っぽいぶちぶちがはっきり見えてしまう。 とりあえずは攻撃される前に斬妖剣で叩き落して踏みつけ、しょうがないので首ねっこ掴んで持ち上げた。 (だいたいどうやって、入ってきたんだ?コイツ。) かたんと窓を開けて、ぐねぐね腕に巻き付いてくる蛇を解いてぺいっと捨てる。……今日の夕方風呂に入る前には確かにいなかったものが、何故部屋にいるのかが引っ掛かった。 そりゃここは寂しい沼地に立った屋敷で、しかもかなりボロになっている。が、壁や床は頑丈な造りだし、見る限りクローゼットはぴったり閉じてしまえば他に入り口がないように見えた。服を取り出してからちゃんと扉は閉めたし、厨房のおばちゃんが沸かして帰ってくれた、離れにある風呂から帰ってきた時にもここはちゃんと閉まっていた。 裏側にネズミが開けた穴から入った……にしては、この家具は重厚な木材造りで、齧ったネズミの歯が持ちそうにないし。 どうにも、嫌な感じがした。 オレは多分そんな間抜けなことはしないが、朝寝惚けて服の中に手を突っ込んだらこいつに噛まれる……という事態も、考えられなくない。誰かが危害を加えるつもりでしたことだと思うには、ツメが甘過ぎる攻撃だったが。 (これは、リナに言っといた方がいいのかなぁ〜?) でも心配させるのも良くないしな。 自惚れる訳じゃないが、ちらとそう思う。大抵、旅で命を狙われる事態に陥るのは、トラブルメーカーのリナの方なのだが……彼女の強さを知っていても、俺は毎回それなりに心配だし。あんまり言うとリナがうっとおしがると思って黙っているけど。 いやいや、まてよ。 リナはいっつも、俺が重要なことをそれと分からずいつも後々に言うのを怒るじゃないか。 『そーいや』リナがさっき魔法で吹き飛ばした盗賊の懐には、なんか高そうな装身具の端っこが覗いてのにとか言うと、そりゃもう凄く怒って俺まで吹き飛ばされる。 それにもしこの屋敷で俺達が依頼を受けたのが気にいらない敵がいるなら、リナも何かされるかもしれない。やっぱり、ちゃんと言っておかないと!! (明日まで、覚えてられるかな……(汗)) 真面目に悩みながら、パジャマのままでまたベッドに行こうとした時。 ギイ、とそのリナがいる隣の部屋の扉が開く音がした。 それから、廊下を歩く少し足取の重たい足音。 時計を見れば、今は丁度真夜中だった。 「?」 (このへんに、盗賊はいないと思うけどなぁ) 思わず考えた自分に呆れて溜息をつく。 そして、どうせまた着替えなおすことになるだろうと思いながらも、手早くパジャマを脱ぎ捨てて楽な普段着を纏った。 リナは、眠れないのだろう。昼から調子が悪そうだったし。 病気という訳でもなさそうなので、男の自分に、できることなど何もない。 ないけれど心配だし、放っておけない。……それに長く相棒やっていたせいで、やはり隣の部屋にリナが眠ってないとどうもに落ちつかないし、な。 なんて呑気に考えていた時。 どん!と突然、扉の向こうから鈍い爆音が響いた。 「リナ!?」 背筋が妙にぞくっとした。 ******** 爆音は屋敷の中でした。外なら、こんなに響いてはこない。 リナは無茶な奴ではあるが、調子が悪いのにわざわざ外に出たりしないだろう。今は大した魔法が使えないから、彼女が起こしている騒ぎでもない。 「……リナ!!」 それからの状況はよく覚えていないが、気が付けば真っ暗な通路を必死で走っていた。 音源地へ辿りつけば、それは屋敷の台所で。 何かの破片が大袈裟に散らばる最中、床に崩れ落ちそうなリナを必死で支えているこの屋敷の主人がいた。 前髪から覗くリナの顔が苦痛に歪んでいて、血が凍りつきそうになる。 「リナ……大丈夫なのか?!」 「おい、そっと動」 「リナ!」 リナは気を失っていた。 グレイの腕から夢中でリナを取り上げ、耳を近づけて吐息を確かめる。そこで俺は、一旦胸を撫で下ろした。ちゃんと、息をしてくれている。 でもリナの蒼褪めた唇から漏れる呼吸音は、浅く苦しげだった。 昼よりまだ体温が低くなっているような気はしたが、何が原因なのかよく分からず、腕を取ってはひっくり返し身体にもよくよく視線を走らせる。 リナの片方の腿に、尖った鉄の板の破片が深く刺さっている。 「慎重に抜いた方がいいな。後で」 「ああ」 提案されて相手を見上げ、ようやくグレイにもあちこちに似たような傷があることに気付いた。 「お嬢ちゃんは、とりあえず休ませるのが先か……ちょっと待ってろ」 「触るな」 跪いて抱えたリナへと伸びた腕を、思わず制止する。 殺気立ち、理由もなく発せられたオレの低い警告に、グレイが一度は手を止めた。だが、彼は続けて冷静に告げた。 「とにかく早くその子を部屋に運べ……これでも俺ぁ、元医者だって知ってるだろうが」 「!すまん。なら早く……」 「まずお嬢ちゃんの症状は貧血で、傷は致命傷じゃねぇ。今、ここで手当てをするより、ゆっくり寝かせてやった方が良い」 「分かった」 「昔の診察室がある。こっちだ」 血を流している腕が痛むのか、ふらふらと歩き出したグレイの後ろに、オレは従った。 大事に抱えたリナは、軽い。 汗ばんだ額と時々震える背中が、じわじわとオレの心を寒くする。 寒いのだろうか、それとも苦痛が酷いのだろうか。 「何があった。なんで、リナがこんなことに……?」 「いきなり部屋のストーブが破裂したんだ。お嬢ちゃんが結界を張ってくれたおかげで命拾いした」 「魔法を使ったのか?リナは」 「ああ。なぁ……もしかしてお嬢ちゃんは持病があるか、でなけりゃ生理中か?ってあんたに聞いても分らねえよな」 「いや。後の方だよ」 「ふん」 腑に落ちた顔で、グレイが頷く。 持病なんぞ抱えて、なかなか旅はできんよなと。 「なんでそんなことを聞く?」 女達が『あの日』には魔法が使えないと聞いて知っている。 だが、その期間にあえて使えばどうなるのかは……オレは知らない。 ただ使えないのだと気楽に考えていたが、段々魔法の威力が減って、またそれが段々戻ってくる途中、今のように魔法を使い過ぎたらどうなるのだろう。一度、魔王との戦いでリナが魔力を使い果たして、あの栗色の髪が白銀に染まったことがある。 あんな風に、この小さい身体のどこかしらに負担をかけるのだとしたら?? 「リナは大丈夫なのか?……この程度の傷でリナが気を失う訳がない」 「女が生理中に調子が悪いと、こうゆうこともある。今は医者じゃないから気楽に大丈夫なんて断言はできんが……俺は内科専門だし、まず貧血の見たてで間違いないだろ」 「で、何があったんだ」 「料理用の炉が破裂した。大方、俺が狙われたんだろう。いつもここで温めた酒で晩酌するからな」 「あんたが、やった訳じゃないんだな?」 (ここは……沼地の『青髭屋敷』) 一瞬の沈黙。 昼間に聞いた言葉がふと頭を過り、口にした言葉は、やたらと宙に響いた。 「そんなこと考えてたのか?」 「……」 「お嬢ちゃん殺して、俺に何の得がある」 「……悪かった」 振り向きもしない目の前の男は淡々と応えたが、そこには微かに傷ついた気配があった。この男は嘘をついていないと、ただ直観的に思う。 「さあ、この廊下の一番の奥の部屋に行ってくれ。昔はあそこで施術をしてたからな。設備は整ってる。お嬢ちゃんをゆっくり休ませるにゃ、安全だろう」 「あぁ。頼む」 腕の中の、汗に濡れた柔らかい身体。小さいリナ。 そのくせ、ほつれた髪を頬に張りつけた蒼褪めた顔は、ぞくりとするほど妖艶でもある。こんな状態のリナを診せるなら、依頼主であろうと疑わずにはいられなかった。 (こいつは、なんでこんなに軽いんだ??) 胸が抉られるような、せつない気持になって、抱えなおす。 昼間のあの女でさえ、リナよりはずっと手応えのある重さだった。どのみち苦労するほどじゃない。なのに、自分の両足で立ってあの不敵な瞳で笑うリナに限ってどうして、こんな時には儚いような重みしかないんだろう。 不安で目の前が暗くなる。 「……ガウリ……?」 「リナ!?」 腕の中からした掠れ声に、はっと視線を下に向けた。 覗き込んだ俺はどんな顔をしていたのだろう。 蒼褪めたリナの唇から、呆れたような口調が漏れた。 「休めば、だいじょ…ぶ、だから」 「お嬢ちゃんはしばらく部屋で休んでな。俺も助かった。有り難うな」 「おっちゃん、無事ね?」 「喋らなくていい。楽にしててくれ……リナ。すぐに寝かせてやるから」 「ん。ガウリイ、あたし勘違いしてたかも」 「何をだ?」 唐突に、掠れ声で呟いたリナにオレは首を傾げる。 「……奥さんは、自分の行動範囲に遺書を隠したんじゃないわ。ヒントを信じるなら、夫の、グレイさんのよく行く場所を調べなきゃいけない。それが彼女の」 「リナ」 つい責めるような口調で制止する。 一度目的を定めるとそこから決して目を逸らさないリナらしい台詞。 でも……こっちの身にもなってくれ。 「仕事は下りないわよ。ちょっと体調が悪いだけなんだから……」 普段通り小さく言い訳するリナに、言いたい事が山ほどあった。 でも腕の中の表情を見て言えたのは、ただこれだけ。 「……分かった。いいから、寝てるんだ」 「あんたは怠けてないで、ちゃんとおっちゃんを守るのよ?」 言いながら眩暈に襲われたのか、吐き気がするのか。 胸に頭を預けたリナをオレはただ運んでやるしかできないんだ。 そう、いつもいつも。 リナを運んだ部屋は、薬の小瓶を並べた棚が壁を埋めている部屋だった。 今あいつは窓際のベッドに寝っている。 眠る彼女の顔色が、グレイのかけた呪文でようやく普段に近くなって、俺は胸を撫で下ろしたところだった。 「……子供を産むための仕組みだから、回復の呪文なんかを安易に唱えたって『治る』訳じゃない。痛みがあるのに、そもそも病気じゃねえのが辛いところだな」 男にこんな話をしても仕方ないが、まぁそうゆう俺も男だ。 そう言って、グレイはぼそぼそと説明してくれた。もしかすると……よっぽどオレが、情けない顔をしていたからかもしれない。 リナ。 どれほど見詰めても、その瞼は閉じたままだ。 「お嬢ちゃんに幾つか質問してみねぇとわからんが。……まぁ、長らくあんたは『保護者』だそうだし、多分婦人病の類じゃないだろ」 「?それが何の関係があるんだ?」 「まぁ、その……」 「教えてくれ」 「つまり。平たく言えば性交渉がなけりゃその手の病気の可能性は低い。まずは疲れが溜まって今回調子が悪かったんじゃねえのか?ま、俺も専門じゃないからな。休ませた後、余所でもいっかい診断してもらえ」 「魔法を使ったのは、大丈夫なのか?」 「無理が祟ったんだろうが、生理中に魔法を使った女魔道士がどうにかなったって話は聞いたことがねぇよ」 部屋に苦そうな薬の匂いが漂う。 起きたらこれを飲ませたらいいと、グレイは薬を煎じながら言った。 「しばらくは、安静にさせとく方がいい……ここにゃ部屋全体に、魔法道具で結界が張られている。呪文を詠唱しなきゃ、中に入れない仕組みになってるんだ、妙なことは起こらないだろ」 (……誰が?) 誰がリナを、こんな目に遭わせたのだろう。 グレイの命を狙っているのだろう。 苦手を押して、オレは考える。 リナが夜中に起き出して厨房に行くなんて誰にも予測できなかったんだから、確かにあいつは巻き込まれただけかもしれない。なら、これはおまけみたいなもんだがオレの部屋のあの蛇は誰の仕業だ?何の意味がある? 例え見知らぬ奴が犯人でも、驚くほどのことじゃないだろう。 厨房もオレの部屋も、この人気の少ない屋敷では誰でも簡単に入ることができる。 この、結界が張られているという部屋とは訳が違うのだ。 「……こんな部屋があるなら、なんでここにいないんだ?あんた命を狙われてるのに」 ふと、オレはグレイに問い掛けた。 考え無しにそんなことを言ったのは、どこかに、そのせいでリナがという気持があったと思う。 「じゃあ、お前ならできるのか?」 「!」 「結界の中で……閉じこもって、てめえだけ一生安全に暮らしていけるって訳か。この病室で何度も妻を診たってぇのに?」 「……すまん」 「ここは元々患者を診るために作ったんだ。病人でもなし、もう医者でもないおれが入ってもあいつは喜ばねぇだろ」 呟いてから、怒気を収めてグレイは続けた。 「でもお嬢ちゃんを巻き込んだのは事実だ。どうする?仕事は降りて街に戻るか」 「リナが決めるさ。ただこのまま調子が悪いようなら専門医に診せたい」 「……街に知り合いの魔法医師がいる。専門だし腕は確かだからな、後で紹介してやる」 「ああ」 「どうせこの時間じゃ開業してない。一休みして、朝になってから連れて行くといいさ。ただ……俺のボロ馬車よりは、エイミィの乗ってきたやつを借りた方がいいかもしれん。ついでに御者も借りれば嬢ちゃんの身体にも負担が少ないだろうしな。馬車ってのは結構揺れるから」 「へ?……あの人帰ったんじゃないのか?」 「いいや、断りもなく居座ってやがる。いつものことだがな」 怪訝に思って聞けば、肩を竦められた。 ふとグレイが窓の外に視線を動かす。 つられて俺も見やると、もう少しずつ夜闇は明けかかっていた。 屋敷を囲む沼地の、生い茂る草々の影の上から白んだ空の上に星が見えた。 馬車を頼んでこようと一歩踏み出したグレイを、止める。 「……あんたが行くより、オレが頼んだ方がいいんじゃないのか」 「あぁ。そりゃそうか。あれに頭を下げるのは、反吐が出そうだからな。そうゆう態度じゃ向こうも面白くないだろう」 「なんでだ?あんたリナには優しいのに」 「単に、ああゆう女には虫唾が走るのさ。妻の同業者でも、従姉妹でもな。まぁ、人のことをとやかく言えるほど、俺もまともな人間じゃないが」 「何が嫌なんだ?」 「さぁな。貧乏人のひがみかもしれん。中庭の離れの方にいると思うぞ」 さらりと受け流し、グレイは場所を説明した。 「そこに行けばいいんだな?」 「多分な」 「リナが起きたら、よろしく頼む」 「あぁ」 白いシーツの上の、細いリナの指。 今はさっきまでの苦しみ方が嘘のように、落ちついた息をしている。 それでも、本当は離れたくない。 扉を開くと、確かに勘に引っ掛かってくる結界の気配がして、俺は一瞬立ち止まった。背中に、グレイの低い呟きが聞こえる。 「アル中のオヤジなんか助けてどうするよ、嬢ちゃん?もう女に倒れられるのはこりごりだぜ」 「………」 to be continued … |