『遺書』 vol.5 |
(ぐへ……お腹痛ひ) その夜中、あたしは絶不調な身体に鞭打ってベッドからのそのそとベッドから這い出した。 症状は、下腹部の激しい鈍痛(いやまぢで)及び体温調整機能の低下。 手足も顔も冷たいような熱いような妙な感じで、とてもじゃないが寝つかれない。 お昼、エイミィさんを厨房に送って食事をした時も、いまいち食欲が湧かなかった。 「わたしし魔道士協会の施設で魔道具の研究をしているのですが……サイラーグでの伝説は正確な年代がわかっていませんが、一体どのぐらい前からガブリエフ家に伝わっているのです?」 「う〜ん、ひいひいひい爺さんぐらい……??とか聞いた覚えは……(汗)」 厨房にいる間中、色々とエイミィさんがガウリイに話し掛けていたが、あんましまともな会話になってなかった気はする……しかしまぁ、ガウリイのぼけぼけな返事にも根気強く微笑んでいる彼女の姿には脱帽した。 (よくやるわ……(汗)) ついでに言えば、二人が隣で語り合えっている姿はむちゃくちゃ絵になっていた。 その時あたしがご飯を食べながら何をしていたかといえば、途中廊下で会ったここの下働きのレイスというあんちゃんに事情聴取。 あんちゃん、というか十六歳というからあたしより年下である。 隣の妙に華やかな感じのコンビが気になるのか。 エイミィさんとガウリイにちらちら目をやりつつ、どこか上の空でレイスは答えた。 「おれは間違えてないよ」 「これは重要なぽいんとよ。間違いない?農薬と砂糖の袋はほとんど見分けつかないんでしょ?」 「知らねえよ。間違えたって証拠もねぇだろ?ジェンダルの旦那がうっかりしたのさ」 「って、人の命が関わってるってのにねえっ!!」 「おれは、おれがやったって証拠があるのか聞いてるんだ」 「うぐぐ……」 (別にそうゆう話じゃないでしょーに。おにょれこいつムカつくわねー!) 色々質問はしてみたが、レイスは自分のせいではないの一点張りでらちがあかなかった。 思い出すだけでげんなりである。 ……書斎に戻っても成果はなかったし、どうも歯車の合わない日っていうのはあるものだ。 (どーぜ眠れないんなら、厨房借りてお茶でも沸かそふ) げっそり疲れた気分で、あたしは廊下へと出た。 灯りのない廊下は暗くてやたら陰気な雰囲気を醸し出している。 「…ったく。今回なんでこんなに調子悪いんだろ」 (ま、最近の無理が祟ったってとこだろうけど……やだやだ) ガウリイが、あの戦いで疲れたあたしを気遣って、故郷のゼフィーリアへの旅を思いついてくれたときは嬉しかった。久しぶりに家族に会うのも、懐かしい故郷の風景を見るのも楽しみだった。 だけど、こんな気持では帰れない。 どうやって家族にガウリイのことを言えばいいのか、決められない限りは。 (単に旅の相棒よって言えばいいんだけど、ね) これは本当だ。 あたしにとってガウリイは、唯一無二の存在で大事な仲間。 でも、そこでガウリイがにこにこして『保護者』なんて名乗ったら? ……姉ちゃんも、父ちゃんも母ちゃんも怖いぐらいに鋭い人だから、その瞬間のあたしの顔でこの胸のわだかまりに気付く。 こんな情けないあたしじゃ、ゼフィーリアに帰れない。 でも、どうしてもガウリイと一緒にゼフィーリアへ行きたくて。 家の向こうの丘にあるあの葡萄畑の斜面や、わくわくするような店の倉庫の地下なんかをあいつに見せたくて。行き先を変えられないままついずるずると、決着を伸ばしてしまっている。 パジャマ姿のお腹を部屋の分厚い枕で抑えつつ、重厚で真っ暗な廊下をぽてぽて歩いた。 厨房が近づいて、あたしは小首を傾げる。 「あれ?」 廊下に漏れる明かり。 こんな夜中に誰だろうと訝しく思いつつ、気配を殺して用心しながら中を覗く。 あたしはそこにグレイさんを見つけた。 ……どうやらここで晩酌をしているらしい。 ぽっかりと音の失われた光景。 厨房のテーブルにはグラスと、それから彼の奥さんが遺書を入れたものと同じだという小箱が乗っていた。その二つを見詰めるグレイさんの目は、ぞっとするほど冷たい無表情だった。 あたしは思わず、昼間の彼女の言葉を思い出す。 (従姉妹が死んだここは……沼地の『青髭屋敷』と) それは、幾人も若い妻を娶っては地下室で殺し続けた変質狂の男のお伽噺。 間違い無くエイミィさんが語った噂は、遺産めあてでグレイさん自身が奥さんを殺したのだと当てこすっていた。 「!」 ……かた。 ふと覗いていた部屋の奥から小さな音がした。 背筋が少し寒いような感覚が走って、あたしは勘が命じるままに厨房へと飛び込む。 「…!?どうしたんだ、お嬢……」 さっきまでの無表情が嘘のように、目を丸くして問い掛けるグレイさんを無視して。 (どこ!?) 部屋の奥の料理用ストーブに目をやったとたん、まさしくその炉からもう一度、かたんと嫌な音が響いた。実に締まらないパジャマ姿のあたしは、咄嗟に腕の枕を放り出して詠唱をはじめる。 「空断壁<エア・ヴァルム>っ!!!」 風の結界。 詠唱時間が短いのがウリのこの呪文を唱えるか唱え終わらないかのうちに、ずがん、と石づくりの床から重い振動が伝わってストーブは爆発した。 「……っつ……!」 熱気が部屋に四散し、鉄の破片が容赦なくあたし達に降り注ぐ。 間一髪グレイさんの前へ出て結界を張ったおかげで、飛び散るそれは空気の壁に弾かれていった。そうでなければ、料理用ストーブの破裂した鋭く熱い欠片は彼の身体中に突き刺さっていただろう。 がんっ…かん。 鉄片が転がる音の合唱の中、何時もなら簡単な結界を死に物狂いで維持する。 「クっ……」 弱い結界の穴をかいくぐるようにして、焼けた鉄片があたしの足にグレイさんの肩に刺さる。 肉を焦がす嫌な音がして、ふっとあたしの集中力が途切れた。 かんっ。 ……荒い息を吐きながら観察する。 軽く小さくなった音はまだ続いていたが、幸いもう大きな破片は飛んでこないようだ。 咄嗟に呪文を使ったけど、よくまぁ『あの日』の弱い威力しかない結界で防ぎぎれたものだ。 それをほっとする間もなく、突然あたしの視界は傾いだ。 (はれ……?) 「な、大丈夫かっ!?おい、お嬢ちゃん」 遠くに聞こえる、焦った声。 発動させた呪文で、爆発を凌ぎきることはできたが……あたしは術を解いた途端にひどい吐き気を眩暈に襲われてしまった。 急に動いたのが悪かったのか、術を使ったのが弱った体に影響を与えたのか。 よく分からないが、とにかく眩暈がして耳が遠い。 床に転がりそうになる直前に、両腕でなんとか支えられる。 でもグレイのおっちゃんが何を言っているのか、よく分からない。 「……おい、お嬢ちゃ……?!……今……」 ぐるぐる回る視界が、暗くて気持悪い。足元が頼りなくて、自分の身体じゃないみたいだった。 (駄目。まだ敵がそのへんに……) 必死に思うのに、ぐらりと視界は傾く。 そして……あたしはそのまま意識を失った。 to be continued … |