『遺書』 vol.3 |
沼のほとりの屋敷についた、翌日。 一日目、あたしとガウリイはまず馬鹿広い屋敷の見取り図をグレイさんに貰うことから始めた。 その中から、奥さんが『遺書』を隠した可能性の高い部屋を選び出して見て回っているのだが……これが恐ろしく根気のいる作業なんである。部屋が百もあれば当然だけど。 「どわっ!!今、すっごいでかい蜘蛛が走ってったぞ!?」 「いったいどんだけ掃除してないのよ、この屋敷は……(汗)」 おまけに、奥さんが亡くなって以来、生活範囲でない部屋は掃除もせずにほったらかし。 どこもかしこも相当に汚くなっている。 今朝の会話など忘れたように仕事に取り掛かったあたしに、ガウリイもまたいつも通りに話しかけた。 「な〜リナぁ。こんなんで、本当に見つかるのか?全部の部屋なんて調べられんぞ、コレ」 自称保護者は、部屋の本棚から本を抜いては、埃に眉を顰めている。 珍しくぼやいているのも、よっぽど屋敷の汚さに呆れているのだろう。 いつもは憎たらしいぐらい綺麗な彼の金髪も、今日はめぼしい場所を覗き込む度に汚れるので適当な紐で後ろに束ねられている。 「まぁ確かに、ここの全部で百近くもある空き部屋を虱潰しにしよーって気は、あたしもないんだけど」 「ど?」 「いい手が思いつくまで、サボってる訳にもいかんでしょーが。それに、なんかヒントになるよーな日記とかが残ってるのが、セオリーってもんよ。それで今手がかりを探しがてら、グレイさんと奥さんの書斎をあたってるんじゃ……って、おおおっ?!これは!!」 話を中断してあたしが手にしたのは、各地の王立図書館でもお目にかかれない『混沌言語<カオスワーズ>解析』という地味なタイトルの高等魔道書。かのレイ=マグナスが記したという眉唾もんの噂があるレア本である。 「……リナ。お前、懐に入れるなっ!!(滝汗)」 「黙らっしゃひ。あんたにはこの書斎の価値はワカンナイのよっ!!『魔法道具全集』に『幻影理論』。おおっ!?これは『真の青玉』発見者とも言われるタニア=ジェンダルの『失われし呪具について』ときたっ。なんだかんだ言って、よく研究してるじゃないのグレイさんっ♪」 出るわ出るわ、稀行本の嵐とはこのことである。 ゼル辺りが聞いたら、人間に戻る手がかり求めてすっ飛んできそうな豪華ラインナップ♪♪ 「報酬いらないから、グレイさん、この書庫の中身まとめてくんないかしらね……ふふふふ」 「ええ〜〜〜っ。それじゃ腹のタシにならんだろ〜〜」 「言っとくけど。今あんたが右手に持ってる本だけで、今回の報酬分の価値があるわよ??」 「をいをい……それなのに書庫ごと貰おうって発言も、問題ないか?」 「相手が同意すれば、問題ないっ!!(きっぱし)」 (今朝会ったときも、相変わらずあのおっちゃんは酔っ払ってたし。うまく泥酔しているとこに話を持って行けばっ!!) などと思いつつ、書庫の本の埃を払う。 屋敷の見取り図を貰いがてら、あたしはグレイさんに、昨日聞いた『毒』の件も尋ねた。 数ヶ月前、酒を飲もうとしたらおばちゃんに止められ、直接倉庫で砂糖を取ろうとして間違えたと……だいたい同じ説明が面倒臭そうになされる。 「でも、いくらグレイさんが酔っ払って開けたとはいえ。それ以前に、砂糖の袋と殺虫剤をふつ〜一緒に置いとかないでしょ?」 「さぁて。最近は自分で管理してるわけじゃないからなぁ」 まるで他人事のように、気楽にグレイさんは肩を竦める……むむっ。 死にかけた本人のくせに、真剣味のない反応には腹が立った。 正直いって、グレイさんの護衛まで引き受けたつもりはないけど。あたしにとって、少なくとも依頼の報酬をくれるまでは死なれたら困るんである。 (こんな激烈に怪しい状況で、誰かが故意にやったとか思わんのかいっ。このおっさんは…!) 「じゃあ、誰が管理してるんですか?おばちゃんが言ってた、ここで働いてる若い男??」 「ああ、重たいものを運ぶのはレイスの仕事だと思うが。あいつは午前中はここには来ないんじゃないか?昼飯どきに来て、食ってからアイダに用を言いつけられてると思う」 「……例えば、その人の失敗で死にかけたんだとして。グレイさんは腹立たないんですか」 「人間、死ぬときには死ぬさ」 「あにょね……そ〜ゆ〜投げ遣りな態度でいいと思ってるんですかいっ!!」 怒鳴ると何故かふと懐かしげに目を細め、それまで酒のコップしか見ていなかったグレイさんが、あたし達に向き直る。 「ああゆう手軽な毒で、もだえ苦しみながら死にかけるのはもうゴメンだが。あん時は喉に指ぇ突っ込んで吐いたからな、そう大事にも至らなかった」 「論点が違うでしょうが!」 「……酒で集中力はそうなかったが、ちゃんと麗和浄<ディクリアリィ>も唱えたぜ」 (へ?) 一瞬きょとんとすると、グレイさんは肩を竦めて言った。 これでも元魔法医だからな、と。 「……まさか、もぐり。」 「失礼だな。医士資格もある」 「魔道士協会が『魔法医学士』と認定したとなると……もしかして、おっちゃん相当優秀?(滝汗)」 白魔術の世界は、神殿にも人々を無償で治療する優秀な人材がいる。 そのため、『魔法医』は相当優秀でオールマイティーに呪文をこなせないと商売やっていけないもんなのである……タダとお金を払うので、結果が一緒なら当然前者に人が集まるからだ。そうゆう生馬の目を抜く業界で、さらに『魔法医学士』という称号つき人物というのは……まさに癒しや治療の専門家。厳しい審査を受けた末に選ばれるエリート中のエリートで、どこの王宮に雇われたっておかしくはない。 「『魔法医学士』が自分で毒に気付かないなんてこと、あっちゃいけないんぢゃ??」 「酒を飲んでりゃ、誰でも酔っ払いだろ。患者は取ってないから、資格を剥奪されないだけさ」 「……ごもっとも」 実はそれを聞くまで、あたしはグレイさんが自分で自分の命を絶とうとしたのではないかとも疑っていた。奥さん亡き後、アル中になりかかっている男だ。精神状態が悪ければ、うっかりそんなこともなくはないかと思ったのだが……しかし、仮にも元魔法医に麗和浄<ディクリアリィ>を唱えたとはっきり言われては、一旦その疑念はひっこめざるをえない。 (『あなた、この屋敷に遺書を隠しといたから♪』とは……いやはや) 三年間、見つからないままの奥さんの遺書。 どんな気持なのだろう、目の前で死後のことを話す妻と一緒に過ごすのは。 彼が奥さんの病死に関して、悲しいとか辛いだとか言うのを聞いたことはないし、別にそこまで干渉したいわけじゃない。でも。過去の幾つかの事件とオーバーラップする事情が、なんとなくあたしにこの依頼を受けさせたといってもいい。 『遺書を隠したのは妻本人でな』 屋敷の地図を貰う時に、奥さんのよくいた場所……寝つくまではこの部屋でご飯を食べていたとかこの部屋で亡くなったとかいう事情を詳しく聞いた。グレイさんが『遺書』を隠したと奥さんに聞いた時期からして、それを聞いとかなきゃ探せないと思ったし。 考えれば考えるほど分からない。 あたしなら、どこに隠す? ……そもそも、何故奥さんは遺書を隠したのだろう?まだ手掛かりは少ない。 書庫で奥さんの日記なんかがないか調べているのも、その手掛かりを求めている訳だけど、これで駄目なら、あたしは今日グレイさんに聞いた部屋を調べて行くつもりだった。 奥さんがグレイさんに『遺書』の存在を告げた時……その時彼女は、ほどんどベッドの上の住人だったそうだから、広い屋敷の全ての部屋に『遺書』を隠すことが可能だったとは思えないのだ、あたしには。 ****** (とはいえ。探せども探せども、わが依頼楽にならざり。ううみゅ) お昼前まで埃にまみれ、いいかげんウンザリしたあたしは呟いた。 「とにかく、ここにレイスとかゆー人が働きにきたら話する必要があるわね。遺書探しとは別件で、おっちゃんが死にかけた事件を聞きに」 「なーリナ。この遺書探しなんだが……もっとなんかこーいい方法はないのか?時々、俺達がはぐれた時にリナが使うアレとかさ」 「はぁ?あの『探知』は全然状況が違うでしょーが」 多分彼が言っているのは、ミルガズィアさんが『斬妖剣』にかけた魔法を探知して、あたしが迷子になったこの自称保護者を探すときの方法のことだろう。が、あれはあくまで精神世界から「魔法」の波動を追いかけているのであって、なんでもかんでも探し出せるとゆー代物ではない。 (ぬ……まてよ?) 「でも、ガウリイにしては悪くない考えね」 「へ?」 「『探知』かけるってやつ。ちゃんと聞いてないけど、『グレイさんと奥さんの』書斎だっつーここの蔵書からみて、奥さんも魔道士関係の人だったんじゃないかと思うし。『遺書』を入れた箱に何らかの魔法がかかってれば……」 云いつつ、あたしは、とん、と近くの椅子に腰掛けた。 途端、ガウリイが心配げな声を出す。 「リナ、なんか体調悪そーだな」 「大丈夫よ」 体調については、あまり触れられたくない。 あたしがそっけなく答えるとガウリイは納得いかない顔をするが、まぁ今度ばかりは余計なお世話ってなもんである。 平たく言えば『あの日』のずれで調子が悪いのだが、これは治す方法なんてない。 ガウリイにとってはあたしは完全なる『被保護者』みたいだから、野生の勘で不調を見破ると、原因がなんであれ放っておく気にはなれないのかもしれないけど……。 (今朝の会話といい、こっちの繊細なおとめごころ♪にはけっこう辛いものがあるわいっ) 「ほんとに大丈夫か?お前さん。なんか顔色がアンデッドみたいだぞ??」 「ぬなっ(怒)?!ちょっとガウリイ、しつこいわよっ」 思わずむかっとして振り返ったあたしは、その先で深刻なガウリイの心配顔を目にした。 「あにょね」 固めた拳を振るわせつつ、ため息をつく。 他意も悪気もないのよね、こいつは……。 ガウリイがくらげだけど善意の人っつーことは、何年も相棒やってりゃ身に染みてる。 ……なのに何故か今日はいらいらしてしまうなんて、まったく体調が悪いと人間とことんマイナス思考に走るという典型的な例だろう。 そんなあたしの溜息に何を勘違いしたのだが、ガウリイは重ねて言った。 「休んだほうが良いぞ。ちょっとこの部屋暗くて寒いし、お前さん唇まで紫色になってるし」 「へいへい……!!」 んじゃそろそろお昼ご飯食べにいきますか……そう言おうとして、あたしは固まった。 手を伸ばしてきてあたしの前髪をかきあげたガウリイが、そのままひょいと首を伸ばして。 自分の額をあたしのそこにくっつけてきたからだ。 遠い子供時代の記憶に残る、その懐かしい仕草。 見開いた目の視界正面いっぱいのやつの顔。 合わせた額の温度に集中した自称保護者は、考え込むようにその青い瞳を上に向けている。 「ん〜〜やっぱり、ちょっと体温低くないか?お前さん」 「……っ!!」 そう言う掌も吐息もぞくりとするほど心地よく。 しかし怖いぐらい近い距離に跳ねた鼓動は、熱いというよりむしろ痛かった。あたしには、ガウリイと視線が合わないことだけが救いだった。 (ねえ、ガウリイ。あんたは……) 心から何かが溢れ出しそうになった丁度その時。 かたりと部屋のドアが音を立て、あたしは危ないところで我に返った。 「……嬢ちゃん?」 「あ。グレイさん、こいつちょっと熱が……」 「ったく、アンタいつまでくっついてんのよっ!!」 めきょ。 容赦なくガウリイの顔面に拳をめり込ませて振り返る。心のぎりぎりの淵にいた自分が、まともな表情を取れているかは自身がなかったけれど。 (グレイのおっちゃん……と。うぉおおっ!?) 振り返った先には驚くべき光景が待ち構えていたため、すぐにそれどころではなくなった。 そこにいたのはおっちゃんだけではなく、もう一人、見知らぬ人物が立っていた。 to be continued … |