風の彼方から















　７．喪失、そして…

　あれから、何日経ったのか分からない。
　何も感じない。
　何も聞こえない。




　………貴男が、もう何処にもいないから………







　お城に連れてこられて、何日たったんだろう。
　あれ以来、ガウリイの話は全然聞けない。
　無事なんだろうか。元気なんだろうか。
　右手の指輪が、やけに冷たく感じる。

　これが。
　こんな物が。こんな物があったから。

　こんな物、さっさと捨ててしまっていれば、こんな事にはならなかったのかな……
　今更、そんなことを考えてもどうにもならないのに。

　　　コンコン

「はい」
『リナ姫、少し宜しいですか？』

　ゼロスだ。
　あの日、あたしにこの指輪をはめ、ガウリイがくれた指輪を持っていったきり、あいつはあたしの前から姿を消していた。
「…どうぞ」
「失礼しますよ」
　入ってきたゼロスが、ゆっくりとあたしに近づいてくる。
　何だろう……すごく嫌な感じがする……

「お久しぶりです、リナ姫。あまり顔色が良くないようですが…？」
「別に……変わりはないわ」
「そうですか？なら良いのですが。
　……実は、今までゼフィーリアに行ってきたんですよ。貴女の帰還準備のために」
　きかん……あぁ、帰るって事ね。
　そんなこと言われてもちっとも嬉しくなんか無い。あたしが帰りたいのは……帰りたかったのは、そこじゃない。
　でもそれは言えない。言ってはダメ。
「リナ姫？」
「何でもないわ。それより何か言うことがあるんじゃないの」
　ゼロスとはあまり話していたくない。何故だかそう思う。
　最初に会ったあの時から……こいつを見ていると、あたしの中で何かが引っかかる。
　何か、とても嫌な……思い出したくない記憶……そんな気がする。
「そこで、ガウリイさんの話を聞きましたよ」
「！？」
　抑えることなんか、出来なかった。
　顔を上げたあたしに、ゼロスは何故かひどく残念そうな顔をしていた。

「ガウリイさんが、処刑されました」

　しょけい………？
　言われた意味を理解するのを、心のどこかが拒絶していた。

「……どうして」
「姫」
「どうして？どうしてよっ！
　何でガウリイを……言うとおりにしたじゃない！なのにっっ」
「………遅かったんですよ」

　遅かった……って？

「ガウリイさんが向かった先がゼフィーリアだったんですが……僕が到着する数日前に軍事裁判が開かれてしまい、即日刑が執行されたそうでした」


　その瞬間。
　あたしは、全てを無くした。


「うそ」
「リナ姫」
「嘘よ……だって………じゃあ、あたしは……」

　なんのために、ここにいるの？
　言葉は声にならず、あたしはただ呆然と立ち竦んでいた。

「ここだけの話ですが……裁判が急がれたのは、理由があるようなんです」
「…………り、ゆう？」
「はい」

　そう言って、ゼロスは、あたしの耳にそっと囁いた。








「着きましたよ」
　声をかけられ、窓から外を見る。
　一面に広がる緑の森。
「どうです？故郷に戻って来たお気持ちは」
「………別に………」
　何も感じない。　
　ただ一つ分かる事は、ここでガウリイがいなくなってしまったという事だけなのだから。


　促され、馬車を降りる。
　周囲にずらりと並ぶ兵士達。その中から一人の女性が進み出てきた。
「ようこそ、リナ様」
　彼女は微笑み、あたしの前で跪いた。
「私はシェーラと申します。長旅で、さぞお疲れのことでしょう。どうぞこちらでおやすみ下さい」
　あたしは無言のまま、シェーラの後をついて行く。
　案内された天幕は、とても天幕とは思えないような豪華さだった。この全てが、あたし一人のために用意されたらしい。
　……でも、それが何だと言うのだろう。
「何かご入り用のものがありましたら、何なりとお申し付け下さい」
「……べつに、なにも」
「では、失礼いたします」
　入り口の幕が下ろされ、あたしは一人天幕の中で立ち尽くしていた。


　ガウリイは、この森の何処にいたんだろう。
　ゼロスの話では、ガウリイはここにあるという遺跡を守るのが仕事だったらしい。
　そして、その遺跡はあたしと関わりがある。
　ガウリイは、あたしがその遺跡にあるモノをガウリイの手に渡すのではないかと恐れた者達の手で、処刑された……ゼロスは、あたしにそう言った。

　ガウリイは、あたしのことを恨んだだろうか。
　あたしなんかに会わなければ。こんなに早く…しかも殺されたりはしなかっただろうに。
　恨んでくれたら、いいと思う。
　そうであれば、どんなにいいか。

　それでも。
　奇妙なほど、最期までガウリイはあたしを恨まなかったという思いがあった。

　……それは、単なるあたしの身勝手な願いなのだろうけど。


「リナ姫、少し宜しいですか？」
「…どうぞ」

　幕が開けられ、ゼロスが近づいて来る。
「お疲れのところ申し訳ないです」
「何か用」
　あたしの故郷だという、ゼフィーリア。
　帰ってきた、と言われても、あたしには何の感情も湧いてこない。
　ゼロスは今までもこの国のことをよく話したけれど、それでも思い出せることなどあたしには何一つない。
「思い出せないのが気になられてますか？
　そう心配されなくても、必ず思い出せますよ。全ては姫の身体に流れるゼフィーリア王家の血が記憶していることなのですから」
　じゃあ、ゼロスは何を言いたいのだろう。
　今は……今だけは、一人にしておいて欲しいのに。
「明日、遺跡を見学していただきます。今日はごゆっくりすごされて、旅の疲れを癒してください」
「自由にしていていい、ということかしら」
「はい。ですが、この陣営内からはお出にならないで下さい。何しろ、この国で争乱を起こした者達がいつ何処で姫のお命を狙うか分かりませんから」
「大人しくしていればいいのでしょ？だったら心配ないから」
「お出かけになりたい時は、シェーラを連れて行ってください。女ですが並の剣士以上に腕が立ちます。それに、無骨な兵士よりもずっといいでしょう」

　あんたの部下だから、よけいに嫌なのよ。
　……なんて言ったら、少しはすっきりできるのかもしれない。
　でもあたしの口から出たのは、ゼロスの話を受け入れる返事だけだった。



　誰もいなくなった天幕で、ぼんやりとすごす。
　ガウリイは、どこで殺されたんだろう。
　あたしなんかの為に殺されてしまったガウリイ……

　あたしと、出会ったりしなければ良かったのに。そうしたら……

　ふと入り口の方で物音がした。
　またゼロスが来たのだろうか。だったら今度は追い返してやろう。もう今日は顔を会わせたくない。
　だがあたしの予想に反し、そこにいたのは一人の兵士だった。

「ゼロスが何か？」
「リナさん……だよな？」
　兜を外した男の顔をまじまじと見る。
　どこかで見たような……？
「誰？」
「俺、ガウリイ隊長の部下で、ランツっていうんだ」
「ガウリイの…？」
　そういえば、何度かガウリイが働いていた兵舎に行ったことがあったっけ。
　会った人の顔……あんまり覚えてないけど。
「じゃあ……あたしのこと、恨んでるよね……」
「恨む？なんで？」
「だって、ガウリイは……」
「絶対死んでないって。大体あの人が処刑っていわれたてはいそうですかって死ぬような、そんな人じゃないだろうが」
　ランツはそう言って笑う。
「でも、処刑されたって……あたし……」
「確かに、そう言って何人か来たけどな、でも絶対逃げ切ってる」
　逃げ切った？
　でも、ゼロスは確かに、ガウリイは処刑されて殺されたって……

「……何が、あったの」

　何が本当なのか、何が嘘なのか、あたしにはもう全く分からない。
　ガウリイが殺されたって聞かされて。もう全てがどうでも良くなって。
　そんな中、勝手な思い込みでガウリイを殺したという相手に腹がたって。ゼロスに言われるままここに来た。
　でもそのガウリイが、生きてる？
　もしそうなら……こんな嬉しいことはない。でも、もし本当にガウリイが死んじゃっていたら……

「実は、リナさんに会ってもらいたい人達がいるんだ」
「会う…？」
「隊長が連れて行かれた後、俺達も色々理由をつけて拘束されて……まぁ、それでも何とか脱出したけどな、行くアテはないわ隊長は処刑されかけるわでどうにもならなくなったところを助けてくれた人達がいるんだ。んでその人達が、何がなんでもリナさんに会わなくちゃならないって言ってたんで、それで俺が来たわけだ。
　ここの中のことなら、良く知ってるからな」

　どうしよう。
　実際、どうしたらいいかなんて分からない。誰を信じていいのか、誰が嘘を言っているのか。
　ゼロスとランツ……どっちが本当のことを話しているんだろう。
　あたしは、どっちを信じたいと思っているんだろう。

　……姉ちゃん。
　ルナ姉ちゃんなら、こんな時どうしたんだろう。分からないって言って、誰かが答えを教えてくれるまでただ踞ってじっとしているだろうか？

　違う。

　ルナ姉ちゃんなら、確かめるはずだ。どっちか一方だけを聞いて、それだけで判断を下したりなんかしない。どっちの言い分が正しいのか、信用できるのか、自分の目と耳で確かめる。そうでなきゃ、本当なんて分かるわけがない。
　なら、今あたしがすべきことは一つだけ。

　ゼロスか、ランツ達か。
　生きているのか、死んでしまったのか。

　自分が、何をするべきなのか。


　全部、自分の目で、確かめるんだ……！




「行くわ」