風の彼方から















 8.記憶

 陣営から抜け出すのは、あっけないほど簡単だった。
 あれからランツが用意した兵士用の服に着替え、兜で顔を隠すようにして天幕を抜け出す。
 ゼロスの話だと、あたしってかなりの重要人物だったんじゃなかったかしら?
 それとも、あの中に忍び込むような者などいないと思っていたのか……?
 ま、いいか。見つかったら面倒だし。

「こっちだ」

 ランツの案内で、暗い森の中を進む。息を潜めるようにしてどれくらい進んだだろう。
 闇の中で、ちかちかと何かが光った。
 それ応えるように、ランツも何かを捻るとぱっと明かりが点った。何度かそれを点けたり消したりすると、闇の中に幾つかの気配が生まれた。

「良く連れ出せたな」
「任せなって言っただろ?」
「お前みたいな奴が簡単に忍び込めるとは、エルメキアの精鋭とやらも大したことないようだな」
「……てめぇは皮肉しか言えないのかよ!」
「そこまでにしなさい。あんたも、今はからかって遊んでいる場合じゃないでしょう?」
 ランツと、闇の中から出て来た人との言い合いを止めたのは、見覚えのある赤い上着の女性だった。
 ……って、あれ?

「リナ、ね」
「え………」
「大きくなったのね。見違えたわ」

 あたしの目の前で微笑むその人。
 あたし……どこかで会った事があるような……?

「あ、あの」
「覚えてない?ま、しょうがないわよね。リナはまだうんと小さかったんだもの」
 くすりと微笑み、彼女はあたしの手を取った。

「!?」

 一瞬感じた、ビリッとしたものはすぐに消える。そのかわり、あたしの中に一つの光景が浮かび上がっていた。



 小さな水辺。
 幾つもの歓声。
 なかなかその中に入れずにいた自分に手を差し伸べてくれた……



「………あなた、フレイア?」
「そう。もう泳げるようになったのかしら?リナは」
 そう、だ。
 いっぱい遊んでくれた、フレイア。
「生きてた……の」
「えぇ。リナも……元気そうで良かったわ」
 そう言って、フレイアは微笑んだ。


 フレイア達に案内されたのは、もう半分以上壊れている廃墟だった。
「ここ?」
「ついて来て」
 フレイアの後について中に入る。思った通り、中もぼろぼろ。天井が落ちて綺麗な夜空が見えた。
「さ、ここよ」
 フレイアが壁の一部に触れると、シュンッという音と共に床が無くなった。
「何これ!?」
「だろ?何回見ても分からないんだよなぁ。一体どういう仕組みになってるんだか」
「ぼやぼやするな。それとも、君たちはは一々全てを説明されてからじゃなければ何も出来ないのか?」
 あたし達を見ながら、銀髪の青年はうっすらと笑みを浮かべた。こういうのを、冷笑っていうのかもしれない。
 むっとしながらも、あたしはとにかくフレイアの後について行った。



 あたし達が中に入ると、入り口はまた壁に戻っていた。それと同時に廊下の両脇に次々と明かりが点いていく。それはランプの明かりなんかよりもずっと明るくて、それなのに全然熱くなかった。
 どう見ても信じられないような物ばかりなのに、それを当たり前のように受け止めている自分がいる。
 ……そう。こんなのはあたしにとっては当たり前の事だった。だって小さい頃からずっと、当たり前の物として使ってきていたんだから。
 ………あたしって、何なんだろう。
 それに、この人。
 あたしとランツの後ろを歩いている、背の高い男の人。ガウリイと同じぐらい……いや、ちょっとガウリイの方が高いかな。
 あたしはこの人を知らない。フレイアの事みたいに忘れてたんじゃなくて、全然知らない人。でもフレイアはこの人を信頼している。それならきっと敵じゃない。
「さ、ここよ」
 また音もなく扉が開き、あたしは促されるまま室内に足を踏み入れた。



   世界が、変わる。


   世界と関わるあたしが変わる。



 唐突に頭の中に入ってくる思考。今まで知らなかったはずの全てが記憶のどこにあるか認識できる。その中にある、今のあたしでは開けられない扉が在ることも。
 目眩を感じ、あたしは思わずその場に踞った。怖い……これは何?
「大丈夫?」
「フレイア……今の、なに……?」
「リナの記憶には封印された部分がある。それを認識できるようになったのじゃよ」

 顔を上げたあたしは、そこにゼフィーリアの神官長がいることに気がついた。
 あたしはこの人に色々教わっていた。そう、今なら分かる。その中には女王と神官長以外、他の誰も伝えられる事のない、このゼフィーリア最大の禁忌さえも。

 そう、あたしは………

「ゼフィーリア、次期、女王候補……」
「よく無事に生きていた。今ではもうそなたしか生き残ってはいないが……」
 そう言って微笑み、神官長−シャロン伯母様はあたしの髪を撫でた。
「あたし……だけ……?」
「他の者は全て、殺された」
「ころ……!?」
 殺されたって………
 不意に目の前が真っ赤に染まったような気がした。

 殺された?
 誰に………誰が?

 あの時に……………
 何かを……………あたしは……………………………



 ………………………………………………………………………………見た



「リナ?大丈夫?」
 気がつくとフレイアが心配そうにあたしの顔を覗き込んでいた。
「大丈夫。ただちょっと……目眩がしただけ……」
 大きく息を吸う。もう逃げない。そう決めたのだから。
 ゼロスがあたしを必要としているそのわけが、ここに……ある。
「教えて下さい。あの日、何があったのか」
「……知らないままでいれば、まだ平穏な生活が出来るだろう。だが知ってしまえばもう後戻りは出来ない。今までのようには生きられない。それでも知ることを望む……その覚悟はそなたにあるのか?」
「望みます」
 だってもう、あたしの生活に“平穏”なんてものは存在しない。

 ガウリイはいない。
 アメリアも、ゼルも、先生も……今まであたしを助けてくれていた人達もいない。
 いるのは………ゼロス。

 ならあたしは知らなければいけない。
 ゼロスが望んでいるモノがなんなのか。それは本当にあいつの手に渡してしまって良いものなのか。知らなければ、それを判断することも出来ない。知らないまま渡してしまって、それが元で取り返しのつかないことが起きたりでもしたら……それこそバカだ。

 だからあたしは。


「ゼフィーリアの女王………その全てを、受け継ぎます」