風の彼方から






















 1.舞踏会



 遠くから微かに楽団の奏でる音楽が聞こえてくる中、俺は控え室のドアをノックした。

「もういいか?」
『あ、ガウリイさん。いいですよ』

 ドアを開けると、満足そうなアメリアが出て来た。
「ふふふ。ガウリイさん、絶対惚れ直しますよ♪」
「おいおい」
 笑いながら出て行くアメリアと入れ違いに俺は室内に足を踏み入れた。

「リナ、そろそろ……」

 固まった。
 いや、リナが可愛いのは知ってるんだ。小柄で華奢で、色白で、髪なんかふわふわしてて触り心地抜群で……

「………何固まってるのよ」

 頬を染めて、恨めしそうに見上げる視線がまたなんというか……
 いつもただ背中に流している髪を結い上げ、白く細い項が剥き出しになっている。白い肌に、プラチナとサファイアのペンダントがよく映えている。
 いつも、リナはどちらかというと赤系を多く身につけているが、今回はアメリアが選んだアクアブルーのドレスを身につけている。色のグラデーションがリナのほっそりとした身体をより引き立てて……

 ………勿体ない。

「ちょっと、ガウリイ?あたし……そんなにヘンかな……?」
 リナの声が不安そうになったのに気がつき、俺は慌てて首を横に振った。
「とんでもない。凄く似合ってる」
「でも、ガウリイずっと動かなかったじゃない。それに、青ってあんまり慣れない色だし…」
「嘘じゃない。あのな……リナがあんまり綺麗だから、見とれてた」
「ばっ………」
 爆発しそうな勢いでリナが真っ赤になった。ちくしょうめ、可愛すぎる。
 こんな可愛いリナを、あのスケベったらしい連中に見せるのか?
「か……からかわないでよね」
「からかってなんかいないぞ。綺麗だ、リナ」
「馬鹿っ」
 そっと手を取り、口づける。
「エスコートさせて貰っても宜しいですか?お嬢様」
「……しょーがないから、させてあげる」
 差し出した腕に、リナがそっと細い腕を絡めてくる。

「……ね、ガウリイ」
「ん?」
「さっきから聞こえてくるあれ……何?何の声?」
「あぁ、あれか」
 リナの興味を引いたのは、どうやらダンスのために演奏されている音楽のようだった。
「楽団だよ」
「がくだん?」
「音楽を演奏するのを仕事にしている人達だよ」
「綺麗ね。それに、色んな声がする」
「声じゃなくて、あれは楽器の音だ」
「がっき?」
「あぁ。歌うだけじゃなくて、楽器を使って色んな音を楽しむんだ」
「音……楽器……」
 ハーピィとして生活していた頃、歌は彼女たちの生活の一部だったらしい。 様々な気持ちを歌に乗せ、風に飛ばす……
 そんなリナが、楽器に興味をもつのは、ある意味必然と言えた。
「今度、見せてやるよ」
「ガウリイが?出来るの?」
「一つだけ、な」
「楽しみv」
 楽しそうに笑うリナをエスコートしながら、大広間へと近づく。

「いよいよだぞ」
「うん……頑張る」
 緊張のせいか、俺の腕に添えられた手が小さく震えていた。
 せっかく綺麗に結い上げた髪を崩さないように一つ撫で、ドアに近づく。


 大きく開かれたドアをくぐると、俺達に一斉に視線が集中した。ざわめきの中を、リナを連れてゆっくりと進む。

「これはこれは、良くいらっしゃいましたな」
 最初に近づいてきたのは、でっぷりと太った大臣の一人だった。
「ほほう、これが噂の婚約者殿ですな。なるほど、ガブリエフ将軍が隠しておきたがるのは無理もない」
「初めまして。リナといいます」
「いやいや、こんな美しいお嬢さんをどこから攫ってこられたか?全く将軍も隅に置けない」
 あっと言う間に俺達の周りは黒山の人だかりになってしまった。
「残念です。是非とも将軍より先に貴女にお会いしたかった」
 そう言いながらリナの手を取る奴までいる。
「リナさん♪」
 さっとそれを遮ったのはアメリアだった。助かった。
「アメリア」
「向こうに飲み物を用意しておきましたから、ちょっと一息入れましょう?ね、ガウリイさん」
「あぁ、そうだな。ではちょっと失礼」
 まだリナにちょっかい出そうとする奴らに見せつけるようにリナの肩を抱いてその場を離れる。
「ナイスタイミング、アメリア」
「任せて下さい♪」
「ありがとアメリア」
 リナはほっと息を吐いた。
「何だかすごく色んな匂いがして……ちょっと苦しかった」
「あの人達、香水とお化粧が凄いですからね。はい、どうぞ」
 そう言いながらアメリアは小さなグラスを手渡した。
「ジュースって用意されてないんです。だから、アルコールが一番少ないカクテルを選んでおきました。いいですか?」
「ま、仕方ないだろ。ここは主催者が主催者だからな」
 そう答えながら、俺はグラスに口を付けるリナに目を向けた。
「どうだ?無理しなくてもいいぞ」
「ん………このくらいなら平気。甘くて美味しい」
「だからって飲みすぎるなよ?」
「ガウリイが飲ませないでしょ?」
 ちらりと見上げ、リナがくすりと笑う。
 本人は全く自覚していないのだろうが、今の微笑みを見てその気にならない男はいないだろうな……

「良く来たなガウリイ。待っていたぞ」

 かけられた声に振り返ると、予想通りの人物が見覚えのない男と共に立っていた。
「お招きありがとうございます、殿下」
「そおう堅苦しくなるな。ガウリイ。
 ……彼女が、お前の婚約者か」
「はい」

 そう。だから今夜ばかりは断れなかった。
 この国の王子であるレンティル主催の舞踏会。それに婚約者を連れて出席するのを楽しみにしている。そう言われたのは数日前のこと。
 口では誘いと言っているが、これはれっきとした命令だ。
 まぁ、俺が傍にいる限りリナに下手な手を出す奴はいないだろうが……

「リナです。初めまして……」
 会釈するリナの手を取り、王子が口づける。妨害してやりたいところだが、相手がこの国の王子ではそう言うわけにもいかず、ただ見ているしか出来ない。
「貴女のような美しい方に会うのは初めてですよ。リナさん。
 ……是非一曲お相手を」
 リナが困ったように俺を見た。と、王子が小さく笑う。
「……というわけにもいかないか。勿論、ガウリイの大事な婚約者に手など出さないよ」
 くすくすと笑いながら、王子はやっとリナから離れた。
「あぁそうだ。紹介しておこう。
 ……ゼロス」
 王子に呼ばれ、背後にずっと控えていた男が前に出る。
 紫の瞳に人の良さそうな笑みを浮かべているが……どうにも胡散臭い。
「ゼロスだ。今まで外国である任務に就いていたが、このたび帰国した。場合によってはガウリイにもこのゼロスの仕事に協力して貰うことになるだろう」
「初めましてガウリイさん。ゼロスです。以後お見知り置きを」
「………あぁ」

 差し出された手を、取り敢えず握る。
 氷のように冷たい手。
 一瞬、俺を見たゼロスの瞳に酷薄な色が浮かんで消えた。



 ゼロスを伴いレンティル王子が他の場所に向かう。それを見送った俺は、リナが小さく身体を震わせていることに気がついた。
「リナ?」
「………ガウリイ、あたし、あの人……やだ……」
 見るとかなり顔色も悪い。小刻みに身体を震わせるリナの様子に、俺は彼女を連れて広間からそっと抜け出した。
「大丈夫か?」
「うん………」
 周囲に他人がいなくなったことで少し落ち着いたのか、リナはほっと息を吐いた。
「御免ね、ガウリイ」
「何を謝る必要があるんだ。それより……」
「あの……ゼロスっていう人……ずっとあたしを見てた」
 呟いて、リナはぞくりと体を竦ませる。
「リナを……ずっと?」
 こくんと頷くリナ。
 リナがここまで怯えるとは……
「良く分かんないけど……あの、紫の目は嫌い……」
「大丈夫。あいつが何者でも、俺がリナに手出しさせない」
「………うん。傍にいてね、ガウリイ」
 ほっとしたのか、リナがやっと笑みを浮かべた。

 ドアの向こうから音楽が微かに聞こえてくる。

「リナさん、ガウリイさん、大丈夫ですか?」
「何かあったのか?」
 心配そうなアメリアとゼルガディスがやって来て、リナはそっと俺から離れた。
「大丈夫、ちょっと疲れちゃっただけ」
「そうですか?あんまり無理はしなくていいんですから……」



 アメリアと話しているリナからわずかに距離を置いて、俺はゼルと向かい合った。
「ガウリイ………何か言われたのか?」
「いや……なぁゼル、お前あのゼロスとかいう奴知ってるか」
「ゼロスか。お前も引き合わされたんだな」
 ゼルガディスはわずかに眉をひそめた。
「俺も見覚えはないな。外国で特務に就いていたという話だが……それが」
「リナを見ていたらしい」
「見てたって……」
「怯えさせるぐらいに、な」
「怯えさせた?」
 あんな風に怯えたリナは初めてだった。
 今でも手に小刻みに震えていた、あの様子が残っている。
「あいつの仕事に協力しろ、ってさ。俺達みたいな軍人になにをさせるって言うんだか」
「………きな臭い、な」
「………ま、ゼロスが何を企んでいるか知らないが、リナには手出しさせない。絶対に」



「何話してるんですか?」
「ん?……仕事の話」
 ちょこちょこと近寄ってきたアメリアが首を傾げた。
「珍しいですね。ガウリイさんが仕事の話だなんて。明日は雨ですか?」
「おいおい」
「それはそうと、帰る前に一曲くらい踊りませんか?」
 頬を染めてアメリアがゼルガディスに言う。
「……ダメですか?」
「いや……お前らはどうするんだ?」
「やる」
 即答したのはリナだった。
「いいのか?あいつがまだいると思うが……」
「だって、せっかく練習したのに、勿体ないじゃない。あいつはイヤだけど、ガウリイと踊るのはキライじゃないもん」
「それじゃ、行くか」

 再び腕を組んで、俺達は広間に戻った。
 音楽に合わせて踊るリナは、また集まった招待客達の注目を集めていたが、これにはさり気なく俺が睨みをきかせておいた。
 一応これでも国一番の剣の使い手で通っているし、リナに余計なちょっかいをかけようという奴はほとんどいないだろう。



 その時。
 俺は、リナに向けられた視線の一つが他と全く異なっていることに……
 気がつくことが、出来なかった。