風の向こうに















 14.選んだ道、選ばれた未来


 一瞬だけ、視界を掠めた影。
 見間違えたのかもしれない。どちらかと言えば、その可能性の方が大きいだろう。

 それでも………







「ガウリイ!」
「ゼル?」
「まったく、いつも家に閉じこもっているくせに、何だって今日は出歩いてるんだ」
 リナの姿を探して町中を歩き回り。
 半ば諦めかけた所で出くわしたゼルガディスは、問答無用で俺の手を掴んだ。
「時間がない。さっさと来い」
「ちょっと待て。仕事ならそれどころじゃない。リナがいたんだ」
「知ってる」

 …………何だって!?

「破落戸どもに絡まれて……ってちょっと待て!」
 気がつくと俺はゼルガディスの胸ぐらを掴み上げていた。
「リナは!リナはどうしたんだ!」
「少し落ち着け!
 ……リナのことなら心配いらない。アメリアに預けてきた」
「そうか……」

 やっぱりあれはリナだったんだ。
 だが……どうして?何故リナが……
 まさか、群れで何かあったのか!?人間と一緒に居たりしたから苛められたとか!?

「アメリアの所か。分かった」
「ガウリイ。行く前に一つだけ答えろ」
 自分から急がせておいて、何を言い出すんだ?
 訝しげな俺に、ゼルガディスは声を潜めて言った。
「リナに会って、どうするつもりだ」
「どうするって……?」
「あの鳥達の襲撃……リナがあれをもう一度起こす為に来たのだとしたら、どうするつもりだ」

 あの事件をもう一度……?
 そんな事、考えたこともなかった。

「さぁな」
「さぁ?」
「俺はリナに会いたい。それだけじゃ駄目か?」
 リナ達が人間に抱く憎しみは根強いものだろう。ゼルガディスの言う通りだったとしても不思議はない。
 しかし……
「それに」
「それに?」
「リナは、きっと復讐なんて考えてない。俺はそう思う」
 仲間を殺される辛さを味わい知っているから。そして何より、彼女は誰よりも優しいから。
 これは想像ではなく、確信。
 ゼルガディスは溜息をつき、片手を振った。
「早く行け」
「あぁ」

 リナがここに来た理由がどんなものであったとしても。
 俺はリナに会いたい。
 リナの声が聞きたい。

 ……ただ、それだけだ。





 玄関先にアメリアが立っていた。何かを探すようにきょろきょろと周囲を見回している。
「アメリア!」
「ガウリイさん!」
 俺の顔を見るなり、アメリアは駆け寄ってきた。
「遅いです!今まで何処に居たんですか!?」
「リナは」
「ちょっと前に、行っちゃいました」
 すれ違ってしまったのか。
 だが、ちょっと前だというのなら探せば追いつけるかもしれない。
「ありがとな。アメリア」
「待って下さい!ガウリイさん、リナさん、もうここには二度と来られないって言ってました」
「…そうか」
「それに、リナさんは、本当はガウリイさんに会いたくてここまで来たんです!」
「何だって…?」

 リナが?俺に会いに?
 その為に、ここまで……来たって言うのか?

「リナさん達、今夜遠くに出発するらしいんです。それに、本当のハーピィになるって言ってました」
「本物の?」
「リナさん、本当は人間なんです。小さい頃に拾われて、ずっとハーピィさん達と暮らしてたらしいんです。でも…っ」
 なんて事だ。
 このままリナと二度と会えなくなる……そんなのは絶対にごめんだ。
 リナが俺に会いにここまで来てくれたのなら………

 もう、抑えは効かない。

「分かった」
「後ほんの少し早ければ、リナさんとここで会えたのに……」
「探し出すさ、必ず。リナの方から来てくれたのに、みすみす逃すものか」
「でも、どうやって探すんですか?」
「……心当たりがある。そこを探して駄目なら……それでも見つける」
「ガウリイさん…
 分かりました。なら、うちの馬を使ってください。ガウリイさんのよりは遅いかもしれませんけど、走るよりずっと速いですから」
「悪いな」
「いいえ、その代わり、絶対リナさんを捕まえてくださいね」
 アメリアはそう言って微笑むと、すぐに彼女の所で一番速い馬を連れてきてくれた。

 リナが、人間の町で知っている場所は、ほとんどない。
 しかもハーピィの姿では近づくことすら出来ない。人間の姿になるとしても、人目がないのは必須だ。
 となれば、あそこしかない。


 リナが射抜かれて落ちてきた森。
 俺達が初めて出会った、あの場所。

 リナはそこにいる。










 森が近づく頃、すでに空は群青に染まっていた。
 とはいえ、森は広い。この森の何処にリナがいるのか見当もつかない。とにかく俺は馬を繋ぐと森の中に入って行った。
 あの時、俺がいたのは森の中に少しだけ開けた場所だった。そこで終了のラッパが鳴るまでさぼっていて、リナを見つけた。
 あの近くにいてくれれば……

 不意に風が吹き抜けた。

「リナ!」
 真紅の翼を広げたハーピィが、今まさに飛び立った所だった。
 リナが行ってしまう?俺の手の届かないところに?

 駄目だ。それだけは絶対に!


「リナーーーーーーーーッッ!」


 風が、吹いた。
 今まさに飛び去ろうとしたリナが、振り向く。

「リナ!」
「!」
 逡巡するように羽ばたくリナ。
「行くな!」

 行かせたくない。行かせられない。
 例え、リナの幸せがハーピィ達と共にあることだとしても。
 ゆっくりとリナが舞い降りてきた。
 俺から数歩離れた場所に降り立ち、戸惑ったようにこちらを見ている。

「リナ」
「…………どうして」
 俯いていたリナが、顔を上げる。
「どうして、追いかけて来るの?」
「リナ」
「どうして……そんな声であたしを呼ぶの?」

 そんなこと決まっている。

「リナ、帰るな。ここにいてくれ」
 正直な想い。
 リナと離れたくない。
 ……あの時は、仕方ないと思った。もう会えなくても、しょうがないのだと。
 でも………もう無理だ。もう抑えられない。

「そんな風に引き留められたら……あたし、帰れなくなっちゃうじゃない!」

 その瞬間、俺はハーピィの姿のままのリナを抱きしめていた。
「帰るな。帰らないでくれ」
「ガウリイ……」
「リナが好きだ。愛してるんだ」
 腕の中でリナが震えた。

「あたし、ハーピィだよ」
「関係ない」
「人間の世界のこと、ほとんど何も知らない」
「知らないなら、覚えればいい。教えてやるよ。俺が」
「人間が、嫌いだよ」
「無理に好きになる必要はない」

 ふわりと腕の中のリナが輝く。
 真紅の羽が一斉に舞い上がっていく。残されたのは、人の姿のリナ。
 夜空へと舞い上がり、消えていく羽を、リナはじっと見上げていた。

「………解けちゃった。もう帰れないや」
 寂しげな声に、俺はリナを抱きしめた。
「俺がいる。ずっと一緒にいる。リナの仲間達の分も……」
「誰も、みんなの代わりになんてなれない。けど……」
 ふと、リナが俺を見上げた。
「あんたの代わりも……いないんだよね……」


「それで、いいわ」


 不意に響いた声に振り返ると、一羽のハーピィがじっと俺達を見ていた。
「姉ちゃん!」
「姉ちゃん?じゃあ……」
 このハーピィが、リナの……
 彼女は優しい眼差しでリナを見つめていた。
「姉ちゃん、あたし……」
「それでいいのよ。リナ。自分の心を押し殺しては駄目。人の世界を選ぶことは、決して裏切りではない」
「ごめんなさい……」
「謝る必要はないって言っているのよ。リナ、幸せにおなりなさい」
 そう言った彼女は、うってかわって厳しい眼差しを俺に向けた。
「この子を悲しませたら、許さない」
「分かった」
「絶対に、何があっても。もしこの子を悲しませるようなことがあれば、その時は………
 あんたが何処にいても、何をしていても。八つ裂きにしてやるから覚えておきなさい」
「あぁ。必ず、リナを悲しませたりはしない。絶対に」
「その誓い、違えること無いように……」
 大きく翼を広げ、彼女は飛び去って行った。





「帰ろう、リナ」
「帰る?」
「あぁ。俺達の家に。アメリアが喜ぶぞ」
「………うん」

 そっとリナの手を取る。
 小さな手。この手が翼になることは、もう無い。

 自由に大空を駆ける翼を無くしたリナを、守っていくのが俺の役目。ならば全力でそれを果たそう。
 いつでも、いつまでも、リナが笑っていられるように。

「ガウリイ」
「ん?」
「あたし……あんたの為に残ったんだからね」
 どこか悔しそうな声に見下ろすと、リナは真っ赤な顔でそっぽを向いていた。その様子に思わず笑いが零れる。
「何笑ってるのよ!」
「リナがあんまり可愛いから」
「何言って…っ」
「じゃあ、約束の印だ。ずっと傍にいるよ…………リナ」

 そうして俺は、彼女に誓いを贈った。