風の向こうに















 11.嫌悪・絶望………好意?


 風が鳴く声がする。
 
 目を開けると、見慣れた景色。
 切り立った岩山と、絶えず吹き荒れる風。交わされる仲間達の歌声が風に乗って辺りに響いている。

 あぁ、そうだ。


 ………あたしは、帰って来たんだ。







「おはよう」
「おはようリナ。やっと起きたのね」
「もう怪我は大丈夫なの?」
 休んでいた岩陰から外に出ると、あっという間に仲間達が集まってきた。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
「良かった。貴女が人間に襲われたって聞いた時は、もう二度と会えないのかと思ったわ」
「そうそう。風に乗って貴女の歌が聞こえて、安心したわ」

 仲間達が次々と羽を広げ、空に舞い上がる。
 あたしも翼を広げ、風に身を任せる。


 力強い風があたしを天の高みに押し上げる。今までいた岩陰が見る見るうちに小さくなる。
 歌う仲間の声に合わせ、あたしも声を出した。





 ひとしきり仲間達と歌い、飛び回った後、あたしは一人で岩陰に戻った。
 翼を休め、風の音に耳を澄ます。


 あたしは飛ぶことが好き。
 風に乗るのが好き。
 だから、空を飛んでいて疲れを感じた事なんて無かった。なのに……
「かなり飛んでなかったからなぁ……身体がなまっちゃったかな」
 ふと見上げた空。
 青い蒼い空。

 ……あいつの瞳と同じ……

「って、何考えてるのよあたしは!」
 あいつだって人間なんだから。
 あんな非道いことを平気でする、人間の仲間なんだから。
 だから……だから。
「あいつに会えなくて寂しいなんて……そんな事、絶対に無いんだから」

 頭の中がごちゃごちゃしてきて。
 あたしはただ声を上げた。

 心が、歌うままに。

「誰かと思ったらリナだったのね」
「あ、ルーアハ……」
「ふぅん……成程」
 あたしをしげしげと見つめ、ルーアハは意味ありげな笑みを浮かべた。
「何?」
「リナってば、一体いつの間に相手を見つけてきたのよ」
「へ?」
「何とぼけてるんだか。今歌ってたじゃない“恋の歌”」

 …………………………はい?
 誰が、何を歌っていたって?

「あの……ルーアハ?あたし、何を言われてるのか分からないんだけど……」
「リナこそ何言ってるのよ。あんだけ情熱的な歌を歌っておいて。まさか無自覚なわけ?」
 あたしが首を傾げたら、ルーアハは盛大に溜息をついてくれた。
「本当に無自覚なのね」
「だって……」
「会いたくて堪らない。あんた今そう歌ってたわよ?」

 嘘。
 だってそんな事……あるはずがない。あっていいわけない。
 だってあいつは……

「人間に掴まったって聞いたけど、格好いいバードマンでも助けてくれた?」
「あのいや……」
「ま、いいけどね。もうすぐ祭りだし、それが過ぎたらあんたも立派な大人のハーピィになれるんだから、それからゆっくりお付き合いすれば?」
「………………………」
「じゃあね」
 にっこり笑ってルーアハは飛んでいってしまう。
 残されたあたしは……呆然と彼女が飛んでいった空を見上げていた。

「人間は………嫌いなんだから………」

 頭の中で、ルーアハの声が木霊する。
 『会いたくて堪らない。あんた今そう歌ってたわよ?』
 そんなはずない。

「そんなはず………ないんだから………」

 確かにあいつには世話になったから……あんな形で出て来ちゃったのは悪かったかもしんないし……
 あいつが気になるのは、きっとそれだけ。

 祭りが終われば……
 ちゃんとした、大人のハーピィになったら……
 こんなもやもやした、訳の分からない気持ちなんて、きっと無くなるんだから……

 きっと………





 帰ってきてから、数日が過ぎた。
 あたしはいつもと同じようにみんなと過ごしていた。歌を歌って、一緒に舞を競って……
 それはとても楽しくて、みんなとはしゃいでいる時は忘れていられた。
 でも。
 夜一人になると。気がついたらあたしはあいつのことを考えているのに気がつく。
 うぅん、本当はそうじゃない。
 ふとした弾みに出てくるのはあいつの顔。困った顔、辛そうな顔………笑った……顔……
 あいつと一緒にいるのは、嫌じゃなかった。アメリアも、ゼルも、嫌いじゃない。そう、人間でも。

 それでも、思い出すのはあいつのことばっかり。
 アメリア達とあいつと……

 何が。
 どこが。

 ……違うんだろう。

「?」

 今聞こえた声。
 あれは……間違いない。姉ちゃんだ。帰ってきたんだ!!

 岩屋から飛び出す。もう沢山の仲間達が空を舞って戻って来る仲間達を迎えていた。
 先頭を飛んでいるのはやっぱり姉ちゃんだ。

「お帰りなさい!」
「ただいま、リナ。帰ってきてるとは思わなかったわ」
「え?」
 あたしが首を傾げると、姉ちゃんはくすりと笑った。
「話は後でゆっくり聞かせてもらうわ。そう。ゆっくりと……ね」
「は………はひ」

 な、何だか姉ちゃん、怒ってない?
 人間に掴まったことで、何か言われたのかな。とにかく、これ以上姉ちゃんの機嫌を損なうのは百害あって一利なし。

 急いで岩屋に向かうあたしは、あたしの後ろ姿を姉ちゃんが寂しそうに見ていたことに、全然気がつかなかった。






「今度の旅はどうだったの?引っ越し先は大丈夫そうだった?」
「その点は心配いらないわ。風の強さも風向きも申し分ない。近くに他のハーピィのテリトリーもなかったし、移住しても問題ないでしょうね」
「そっか、良かった」
 仲間達からの歓迎を受けた姉ちゃんが、寝床にしている岩屋に戻って来たのはあれから暫くたっての事だった。
 姉ちゃん達は、これから引っ越す場所までの偵察隊を率いて行っていた。途中に危険な場所や、人間の狩り場がないか、近くに他のハーピィの群がないか、よく確かめておかなくちゃいけない。もちろん最初に目をつけた時にも調べてはいるが、時間が経てば状況も変わる。
 最近の人間によるハーピィの狩り。その為に移住するハーピィの群は少なくない。おかげで縄張りが重なってしまったり接近しすぎたりして、問題が起きることもしばしばだった。
 でも大丈夫みたい。これならみんな安心して暮らせるようになる。
「ところでリナ」
「何?」
「人間の町で何があったか。全部話してくれるわね?」

 ……きた。
 また叱られるんだろうなぁ。ぼさっとしてるから、人間なんかの矢に当たるんだって。
 実際、そう嫌みを言ってきた奴もいる。
 でも、姉ちゃんに嘘なんか絶対に話せない。
 覚悟をきめ、あたしは思い切って口を開いた。



「………そう。大体のことは分かったわ」
「うん」
 良かった。どうやらお仕置きはされずにすみそう。
 あたしが思わずほっと息をついた、その時だった。
「で?」
「……で?」
「もちろん、きちんとお礼を言って出て来たわよね?」

 ………えっと。
 どこをどうすれば、あの状況でお礼を言えと?

「まさか、ちゃんと助けてもらったお礼もせずに帰ってきたんじゃないでしょうね?」
 姉ちゃん、目、怖い。
「あ、あの……その……
 で、でも、あたしあの時、ぷちきれてたし……」
「ずっと?今まで?」
「……違います」
「じゃあ、落ち着いてからお礼を言いに行けたんじゃないの?リナ」
「それはそうだけど……でも……」
「でも?」
「行きたくなくって……人間の町なんて……」
「じゃあ、あんた一人のおかげで『ハーピィは最低限の礼儀もわきまえていない。所詮ただのモンスターか』って言われるのね。嘆かわしい」

 でも。

 でもでも。
 あの状況で、流暢にお礼なんて、言えるわけない。

 黙り込んだあたしの目で、姉ちゃんが小さく息を吐いた。
「あのねリナ、良く聞きなさい」
「姉ちゃん」
「あんたが、あの時した事を責めているんじゃないの。きっと……私も同じ事をしたでしょうね。いいえ、きっとあの程度じゃ済ませられなかったかもしれないわ。
 でもね?だからと言って、彼に助けられた事実は変わらない。あの時あの場にいたのが彼でなかったのなら……リナは今頃、ここにいる事はなかったでしょうね」
 あたしは黙ったまま頷いた。
 あいつは、あたしがハーピィだって知ってた。知ってて助けてくれた。
「本当のハーピィになったわけではないリナが人間に掴まったとして。羽を奪おうとした瞬間あんたは人の姿に戻る。人間達はどう思うかしら。あんたを、どう扱うかしら。
 良くて見せ物、悪ければ玩具ね。どちらにしろ死ぬまで」
「……………」
「あんたが無事にいられたのは、幸運だったから。彼と、その周囲にいた人間が彼と同じ人間であったから。だからあんたは無事でいられた。
 ……それでもリナにとって彼は、あんな卑劣極まりない人間と同じ存在なの?」
「…………違う」

 あいつは……違う。
 あいつらと同じ人間だけど……でも違う。

「リナ?今夜何があるか、知らないわけではないでしょう?」
「うん」
「祭りが終われば、私達はすぐに旅立たなければならない。幼い雛を抱えた母までが襲われるような場所に、いつまでもいられない。そして……そうなれば、あんたが彼に会う事は二度と無い」

 分かり切った事なのに。
 待ち望んでいた事なのに。

 もう会えない。その姉ちゃんの一言に、ショックを受けているあたしがいた。

「……だから、行って来なさい」
「姉ちゃん」
「そしてちゃんと言ってきなさい」
「はい」

 あたしは一つだけ頷いて、岩山を後にした。
 あたしの後ろから、風が姉ちゃんの声を届けた。

「自分の気持ちを殺しては駄目。いいわね?リナ……」






 久しぶりの、人間の町。
 沢山の人間。
 その中を、あたしは必死で歩いていた。

 羽衣は、森の中に隠してきた。
 そういえば、外に出たのはあのピクニックの時だけ。それも、馬に乗せてもらってたから良く分からない。
 どっちに行ったらいいんだろう。
 人間はみんな忙しそうに早足で歩いていて、あたしは何度もぶつかった。

 どれくらい歩いたんだろう。
 足が痛い。
 その時だった。聞き覚えのある声に、あたしは顔を上げた。

「………あ………」

 いた。
 あいつが。

 でも。
 ………あれ、誰?知らない、ひと………



 自分でも分からない息苦しさ。



 あたしはそこから走り出した。
 あいつの呼ぶ声が……聞こえた、気がした。