風の向こうに











 8.大事な存在


 これは、ある意味賭だ。
 上手くいけばいい。だが失敗すれば……きっと、彼女は二度と心を開こうとはしないだろう。
 それでも。

 上手くいく。そんな気がしてならない。







 ゼルガディスとアメリアが家に来たのは、あれから三日後の事だった。
 さぁ、賭の始まりだ。

「初めまして!私、アメリアですっ!」
「……ア、メリ、ア?」
「はい!えっと、お名前教えてもらえますか?」
「………リナ、だけど………」
「リナさんですね!宜しくお願いします!!」

 ………嘘だろ。
 俺なんて、今まですっと一緒にいたのに、名前教えてくれなかったんだぞ?それなのに、アメリアにはいきなりか?

 アメリアはいつものあの勢いであの子…リナに話しかけている。リナ自身、とまどいがちながらもそれに答えている。
「あー……俺、ゼルガディスの所にいるから……
 って………全然聞いてないな」
 何とも形容しがたい脱力感に襲われながら、俺はゼルガディスの待つ居間へ向かった。





「どうした。お気に入りの玩具を取り上げられた子供みたいな顔してるぞ」
 こいつにしては珍しく人の悪い笑みを浮かべているゼルガディス。
「ほっといてくれ……」
 カップの紅茶を一口啜る。
「やっぱりさ、女同士の方が気が合うのかな」
「そりゃそうだろ。どちらも見知らぬ相手なら、男より女の方が気が合うに決まってる」
「………そーだよなぁ………」
 分かっていても、なぁ。
 リナの部屋から楽しそうな笑い声がしてきた。そういや、リナが笑った顔、まだ見たことなかったな、俺……
 警戒心のこもった表情と……あ、でも果物につられた時に無防備な顔見せてくれたっけ。
 ……一瞬だったけど……
 笑い声に、ジト目を向ける。いつもあまり表情を表に出さないゼルガディスがカップを手にしたまま腹を抱えて笑っていた。
「お前なぁ……何も笑うことないだろ」
「お前、その子に惚れただろ」

  がっちゃんっ☆

 思わず固まった俺に、ゼルガディスは本格的に吹き出した。
 ………んなに笑うことないだろうが。

 惚れた、という自覚は無いんだが……そういう事になるんだろうか。俺は…ただ、あの子に、リナに笑って欲しかっただけだし。
 そりゃ、仲良くなりたいとは思っているが。
「それにしても、あの子の身元とかは分かったのか」
「………いや。多分調べても分からないだろ」
 まさかハーピィだとは言えないし。
 人の姿も持つハーピィがいるなんて、知っている人間はいないだろう。生まれつきのハーピィなのか、本当は人間で、何かの理由でハーピィになったのか、俺には分からないが。
 まぁ、その辺りを調べる気は最初から無い。
「あの子は、森で倒れてた。俺が知ってるのはそれだけだ」
「ってことは、周辺国の難民って可能性が高いな」
 最近この国に逃げてくる難民が増えている。ついこの間も隣国で戦争が起きていた。何年か前にはあのゼフィーリアが滅んだし……
 この国にも、妙なきな臭さがある。もしかしたら、そのうち戦争の知らせがあるかもしれない。そうなったら俺も……

「ガウリイ?」
「なんでもない。それより、お前らはどうするんだ?」
「何をだ」
「あのなぁ……お前とアメリアの結婚式に決まってるだろ?」

   げほげほげほげほげほっ

「そんなに咽せる事じゃないだろ?」
「いや、お前からそういう話題がふられるとは思わなかったんでな」
「そうか」
「……………暫く、様子を見ようかと思ってる」
 カップを置き、ゼルガディスはテーブルに両肘を付いた。
「どうも、様子がおかしい」
「………気がついてたか、ゼルも」
「あぁ。そうでなくても、最近好戦的な連中が台頭してきている。周りの国もごたごた続きだ。この機会に領地拡大を狙っても不思議じゃなかろう」
 そうなったら、まず俺やゼルは最前線に行くことになる。
 戦争で、危険な目に遭うのは一般兵だ。戦争をやりたがる連中に限って、自分たちは安全な場所にいる。自分の家族も、だ。
 俺はそんなのが嫌で、いつも前線に出て行く。が……
「戦争が始まれば、どうなるか分からない。だから、まだ婚約止まりにしておこうと考えている」
「……………」
「生きて帰れる保証がないのなら……むしろ」
「それなら余計に、一緒にいてやったらどうだ?」
 ゼルガディスに会いに来るアメリアは、いつもとても嬉しそうに笑っていた。こいつもそうだ。普段は無表情なくせに、アメリアが傍にいるときはいつも穏やかな顔をしている。
「大事なんだろ。アメリアが」
「だから、悲しませたくない」
「別に死ぬと決まった訳じゃないだろ?今から暗くなってどうするんだよ」
 俺がそう言うと、ゼルガディスは苦笑を浮かべた。
「………まったく、お前ときたら」
「喜ばせてやれよ、アメリアを」


  ぱたぱたぱた…

「ゼルガディスさん!ガウリイさん!」
「アメリア、どうした?」
「あのあの、リナさんと今度お出かけしてもいいですか?」

 ………お出かけ?

「リナが、行くって言ったのか?」
「はい!向こうの丘までピクニックに行きましょうって話になったんです♪行きますよね?」
「俺達もか?」
「はい!その方が楽しいじゃないですか」
 ……ピクニックか。いいかもな。
 そういう場所には、ハーピィの羽で着飾る連中はいないし、リナにとってもいい気分転換になりそうだ。
「そうだな、じゃあ次の休みにでも行くか?ゼル」
「……ダメですか?」
「付き合おう」
「良かった!じゃあ、お弁当たっくさん持って行きましょうね♪」
 ……ぱたぱたと走って戻って行くアメリアを見送り、俺達は顔を見合わせた。
「俺達の役は荷物持ちかな?」
「何でもいいだろう」
「アメリアが喜ぶなら、か?」
「……お前、さっきの仕返しのつもりか?」
「さぁな」
 返事をしながらも、俺の頭の中はすでに何を持っていくかで埋め尽くされていた。
 リナは今のところ果物とか、スープばかり食べているからなぁ……果物を使った何かお菓子でもあった方がいいか……いやそれよりも……
「……これにつける薬は、昔から無いな……」
「何か言ったか?」
「いや。
 ……ここまで楽しそうなお前を見るのは、久しぶりだと思っただけだ」

 そう言いながら、ゼルガディスはずいぶんと意味深な笑みを浮かべた。





 二人が帰った後でリナの部屋を覗くと、ベッドの上に広げられた色とりどりのアクセサリーをリナはしげしげと眺めていた。
 アメリアのお土産らしいそれは、ビーズや貴石を使って作られた物だった。

「気に入ったのか?」
「………綺麗」
「そうだな」

 驚かせないよう、ゆっくりと近づく。
 リナは、よほどそれが気に入ったのだろう。俺に警戒心を向けることなく熱心にそれを見ている。
 所々いびつだったりするそれは、どうやらアメリアのお手製らしい。

 アメリアを紹介したのは、どうやら成功のようだ。人間の持つ裏表というものを、アメリアほど感じさせない人間を俺は知らない。
「外に出かける事だけど…」
 話をふると、リナがぴくりと体を震わせた。
「ずっと動かないでいるのは体に良くない。だいぶ体力も戻って来たようだし、様子を見るのにもちょうどいいと思う。まぁ……早い話がリハビリってやつだ」
 リナは何も言わなかったが、やがて一つ頷いてくれた。
「あ……それで、なんだけどな」
「………………」
「お前さん……これだけは食べられないって物、あるか?弁当持って行くんだが、今のところ果物とかスープしか口にしてないだろ。
 せっかくだから、好きな物とか……あったほうが楽しいんじゃないかと……その……」
「別に………何でも食べないと姉ちゃんに叱られるから……」
「そうか。じゃあ、甘い物は好きか?パイとか、そういうの」
「食べたこと無い……」
「そうなのか……じゃあ、俺がとっておきのを食べさせてやるよ。……リナに」

 最後の一言。
 アメリアから聞いた、彼女の名前。俺が呼んでも、嫌わないでくれるだろうか……?

「不味かったら、承知しないから」

 リナが言ったのはそれだけだった。
 名前を呼ぶのを……許してくれたんだ。そうだよな?

「もちろん。結構上手いんだぞ、俺」
「……どうだか」
「信用してないな。よし。こうなったら俺の自信作を披露してやるから、覚悟しておけよ」

 じっとこちらを見ている瞳に笑いかけ、俺は部屋を後にした。

 ピクニックの日まであと数日。
 こうなったら、とびきり美味いのを作って、リナを驚かせてやろう。
 俺は心底うきうきした気分で、台所へと向かった。