いつか旅立つ日まで 〜7〜 |
窓の外を見ると、大きな木材を抱えたガウリイと、その周りをちょろちょろとうろついているロナの姿が目に入った。 「あら。ガウリイ君、けっこうがんばってるわねー」 あたしの正面に腰を下ろして。頼んだ(もとい命じた)本人である姉ちゃんは、優雅に紅茶をすすっていたりした。 ちょっと可哀想かも、と思わないでもなかったが、それはあたしもよくやるパターンなので、ノーコメント。 「まあ、あいつ、体力バカだから・・・」 「ロナ君も、手伝いしてるわけ? お父さんの」 「手伝いってゆーか―――」 ロナは手伝ってるつもりなんだろうが、あんまり役には立っていないようだ。 あんな風にちょろちょろ走ってたら転ぶぞ―――あ、転んだし。 「まあったく、しょうがないわねぇ」 思わず苦笑してもらしたあたしに、姉ちゃんもにっこり頷くと。 「ほんと。仕方ないわね。ねえ? リナちゃん」 「・・・・・・」 どうしてそこで、わざわざあたしの名前を呼ぶんだろ? 暗に何かがほのめかされてるようで・・・・・・怖いんですけど。 「で? 私に聞きたいことって?」 あたしが帰ってきたからバイトはしばらく休むといった(わざわざ休まなくてもいいのに・・・)姉ちゃんに、買い物に行く前に聞きたいことがあると言って。 姉ちゃんのことだから、大方気づいてるんだろうけど――― 「・・・・・・あの、ね。ロナのこと」 「ロナ君の? 自分の子供のことを?」 「ロナってゆーか―――赤の竜神の騎士のこと」 姉ちゃんの目が、一瞬氷のような冷たい輝きになったのを見て。 ―――・・・・・・背筋が、震えた。 例えばそれは、高位魔族を相手にした時のような。 絶対的な力の差。眼差し一つで、それを見せ付けられた。 「知りたいわけ?」 「知らなきゃいけないと、・・・・・・思うの」 旅に出る前は、べつに気にもしなかった存在。 姉ちゃんがそれだとは知っていたが、だけどあたしには関係はなかったから。 神族とか何とか言っても、降魔戦争のことだって、大して信じてもいなかったあたしには。 「ロナが、ね。たまに、すごい表情になることがあるのよ」 「すごいって?」 「・・・・・・子供じゃないような」 ふとした拍子に。見せるそれらが、あまりにもいつものロナとかけ離れていて。 見放したような、冷めたような。とても、生まれて七年やそこらの子供とは思えなくて。 そしてそれは、姉ちゃんにも同じことが言えるから。 「それはね―――仕方ないわよ。あの子も私と同類なんだから」 「ってことは・・・?」 聞くまでもなく、答えはわかってはいたのだけれど。 「知らなくてもいいことまで、嫌でも理解してしまうからね。私だって、物心ついた時には、今の世界がどういう状況なのか知っていた」 「え・・・」 物心ついた時に―――もう、世界のこと―――? 「人間が、生まれついたと同時に呼吸するのと同じよ。私達は、自然とそれを知ってしまう。抗うことはできないから、素直に飲み込むしかないのよ。それが、赤の竜神の記憶で、ただ忘れていたのを思い出したのか、それともそうじゃないのか・・・・・・私にもわからないけどね」 「姉ちゃん、辛いって、思う?」 愚問だと、自分でも思った。姉ちゃんはそんな人じゃない。少なくとも、あたしの前では。 自分の状況を哀れむよりは、逆境こそ楽しまなきゃとか言って、ますますハイになりそうな人だ。 「べつに? 生まれた時からこうだから、赤の竜神の騎士じゃない自分なんて想像もつかないしね。 たしかに面倒な部分もあるけど、その分の見返りはちゃんとあるしね。何事もギブ・アンド・テイクよ」 「うん」 ほーら、やっぱり。なぜか、少し嬉しくなったりして。 畏怖すると同時に、姉ちゃんはあたしにとって目標でもある人で。 「だけど・・・・・・ロナはたまに、潰されそうになってるから―――」 赤の竜神の騎士という、常人には有らざる力。 それを有りしていることが、ロナにはプレッシャーになっている。 あたしは、そのことについて何も言ったことはない。 べつに、そんなことは関係なく。ただ、元気に育ってくれればそれでいいと思っているから。 なのに―――どうして、ロナは、それがわかってくれないんだろう? 「あたしは、何とも思ってないのよ。ロナがロナなら、べつにそれでいいのよ。そんなこと、気にしないで」 「無理でしょう? あなたとロナ君は全くべつに人間なのだから」 あっさりと。けれどスパっと。姉ちゃんに、何かを、切られた気が、した。 「そ、それは・・・」 確かに、べつの人間だけど。それに違いはないけれど。 だけど、子供なんだから。母親であるあたしが、ロナのこと理解したいって言うの、当然のことじゃない? それを―――そんな、あっさりと。 ・・・・・・だけど。確かにそれはそうだから、何も言えなくて。 「完璧に人を理解しようたって、そんなのは無理なのよ。親子とはいえ違う人間なのだから。 あなただって、ガウリイさんのこと、全て理解したとは言えないでしょう?」 「・・・・・・」 ぐうの音も出ない、ってやつだ。 姉ちゃんにはいつもこう。あたしも、口がたつ方だとは思っているのだが―――姉ちゃんに勝てたためしは一度もない。 「あなたがどう思おうかなんて、それはこの際関係ないのよ。ただの気休め程度にしかならないわ。 問題は、ロナ君の自意識よ。それを改めない限り、何の解決にもならないのよ」 「あたし―――何にもできないわけ?」 自分が無力だと言われたようで、何とも居心地が悪かった。 がんばれば、何とかなるとか。努力すればいいとか。問題はそんな時点ではなく。 もっと難しいものだから、あたしは何もわからなくて。 一気に沈んだあたしに、姉ちゃんは肩をすくめると、あきれたような口振りで言った。 「そこまでは言ってないでしょう? ただ、一番肝心なのは、ロナ君の意識だって言ったまでで。 いつから私の妹は、こんなにまで理解力が落ちたのかしらねぇ・・・・・・」 「う・・・っ」 ますます居心地が悪くなった。 昔から、姉ちゃんの目に映りたくて仕方がなかった。認めてもらいたくて、褒めてもらいたくて。 姉ちゃんに、しょせんあたしはこの程度かって、そう思われるのが嫌で。 「私はね。いきなりあなたに、一人前の母親になれだなんてこと、望んではいないわよ。人間としてもまだまだなのに、いきなりそんな風になれだなんて無理な話よ。 あなたはあなたのするべきことを、きちんと見つけなさい。あなたにしかできないことが、何かあるはずでしょう?」 あたしにしか―――できない、こと? そう言われても、すぐには何の事だかさっぱりで。あたしは首をかしげる。 「何? それ」 「自分で考えなさい」 すぐさま、姉ちゃんに返された。 う〜みゅ・・・・・・そう言われてもなぁ。姉ちゃんらしいけど。こーゆーやり方。 昔っからこう。問題だけ出しておいて。答えは絶対に教えてはくれない。自分で見つけなさいって。 その答えが、合ってる間違ってるその際関係なくて。答えを見つけるってことに意義がある。 「他力本願は、自分のためにはならないのよ」 「わかってるけど」 姉ちゃんと話してると、いつでも説教になってるような気がする。 首をかしげたままのあたしの耳に、足音が聞こえてきた。 ドアが勢いよく開いて。ロナとガウリイの二人が、疲れたような面持ちで入って来た。 「ただいまですー。倉庫の修理終わりました」 「あー、つっかれたぁ・・・」 「ずいぶんお疲れみたいねー」 苦笑しながらあたしは言って。二人は、テーブルについてくる。 しょーがない。茶ぁでもいれてやるか。姉ちゃんはやんないだろうし。 「ちゃんと直してくれたのかしら? ガウリイ君」 「ああはい。直しましたけど・・・・・・あんなでっかい倉庫の天上に、どうしてまた、あんなでっかい穴が空いたんですか・・・・・・?」 「それは聞かない方が身のためよ」 ガウリイの最もな問いに、姉ちゃんは冷めた笑みを浮かべながら答えた。 ・・・・・・って、何か怖い答えだし。姉ちゃん、いったい何したんだか? 「あ。アップルパイだ♪」 語尾に可愛らしく音譜マークをつけて。ロナがテーブルの上のそれを見つけて声を上げた。 「食べる?」 こくこく、こくこく。ロナとガウリイが同時に頷く。 ホント、行動が似てるんだから、二人とも――― パイを二人に切り分けて。それからしばらくは、穏やかなお茶の時間だった。 それに終止符を打ったのは、もちろんのこと、この場では帝王の姉ちゃん。 「さて。ロナ君、食べ終わったことだし、ちょっと付き合ってくれる?」 笑顔で席を立った姉ちゃんは、口の周りにパイのカスをくっつけたロナを誘い出した。 「姉ちゃん? 何すんの?」 「あなたには聞いてないわ。―――で? ロナ君、どう?」 考え込むような目で、姉ちゃんを見つめて。それからぐいっと袖を口をふくと、ロナも立ち上がった。 「はい。いいですよ」 「素直な子は好きよ」 腰に剣があるのを確認してから。二人は、さっさと部屋を出て行ってしまった。 「ちょ、ちょっと、ロナ? 姉ちゃんっ?」 「座ってろって、リナ」 立ち上がったあたしをの手を、ぐいっとガウリイが引っぱった。 あたしとは対照的に、こっちは落ち着き払った態度で。 これが本当の落ち着きならいいのだけど、ガウリイのは、ただのボケって感じがするからなぁ・・・・・・ 「ルナさんのことだから、平気だろ。ほら、パイでも食ってようぜ」 「あ、あんたねぇ・・・っ」 そりゃ、あたしだってそうは思うけど。だからって、呑気にパイよそってていいのか? 立ったまんま、どうするべきか少し考えるあたしの目に映ったのは。 窓の外に。庭に出た二人の姿。って、それはいいとしても――― 「姉ちゃんっ!?」 「ほへっ」 あたしの大声と、ガウリイのマヌケ声。 何でそんな声しか出ないのよって、怒る気も起きなかった。 どうして・・・・・・いきなり、戦いなんておっぱじめてんのよっ!? 「な、何やってんのよ・・・っ」 すぐさま走り出そうとして。またもやガウリイに腕をつかまれた。 「ガウリイ! 放してよ!」 「大丈夫だよ。落ち着けって。どーせ、稽古だろ。ルナさんが、ロナの、さ」 「稽古・・・?」 ああ、そっか。ガウリイじゃ、剣技だけならいいけど、力使ったロナには敵わないし。 ロナの相手まともにできるのって、世界広しといえども姉ちゃんぐらいだから。 ―――だけど。それはわかるけど。二人がとんでもなく強いってのは知ってたけど。 「これって、全然稽古のレベル超えてるわよっ!」 「あー。・・・・・・まあな」 まず、二人の動きが見えない。あまりにも早すぎて。 二人とも剣を使っているのだろう。その他にも、双方ともに力を使っているようで・・・・・・周りに、余波が飛び散りまくっている。 それでも破壊がまぬがれているのは、姉ちゃんが事前に結界でも張ったのか。 見ていて思い出すのは、高位魔族同士の戦い。物理的な攻撃もしつつ、同時に精神世界面にも干渉するそれと、驚くほど似ていた。 「こんなんじゃ、いつ怪我するかわかんないじゃない!」 「ルナさんだって、手加減はするって。ロナにしても、防御はするだろ」 確かに、それはそうかもしれないけど。 だけどあたしには、どうしてこうもガウリイが平静でいられるのか、そっちの方が信じられない。 ガウリイが非情ってわけじゃなくて。二人のことを信頼しているからこその落ち着きであって。 あたしだって、頭ではガウリイと同じことを思ってる。姉ちゃんは、無闇に人を傷つけるような人じゃないし。とくに相手が子供ともなれば、充分注意はしてくれるはずで。 ロナにしても、今まで実戦経験が何度もあるのだから、いくらあの姉ちゃんが相手であったとしても、そう簡単にやられるわけもないのだ。 わかってる。ちゃんと理解している。だけど心はそれについては行かない。 「リナ。だから・・・」 「わかってるわよ! 何度も言わないでよっ!」 無性に腹が立って。思わずガウリイに八つ当たり。 バカ。ガウリイは悪くないじゃない。子供みたいなことしちゃって。 だけど側にいるのはガウリイだけだったから。他に人はいなくって。 「―――部屋行くから」 これ以上ここに居ても、ますますガウリイに当たるだけだとわかったから。 食べかけのパイとガウリイ残して、あたしはさっさと自室に戻っていった。 だってさ、目に見えるものなんて何もないから。 形になんて残らないし、何もしてあげられないから。 だからせめて、あたしの役割ぐらいは果たしたいのよ。 ―――そんなのが。ぐるぐると、回っている感じ。 ぼふっとベッドに顔を沈めて。あたしはばたばたと、ベッドの上で手足をばたつかせた。 「・・・・・・盗賊いじめしたい」 ぼそっとつぶやきもらすと同時に、「こら」と頭の中でガウリイが言った。 だって、ストレス発散には、やっぱあれが一番いいのよ。攻撃魔法連射して、気分爽快で。 なのに、ガウリイってば「危ない」って言っては、毎回毎回、うっとーしーぐらいには止めに来て。 ああっ、もう! どっかの某中間管理職でも何でも、現れてくれないかな!? 思 いっきりぶちのめしてやるのにっ! ―――そう思うがしかし、ここは姉ちゃんの住むゼフィーリア。ンなとこに、のこのこ魔族が出てくるわけもなくて。 ・・・ったく、必要ない時にはひょこひょこ出てくるくせに、出てきてほしい時には、全然出てこないんだからさ。 まったく。いらいらばっか溜まって、気分悪いったらありゃしない。 「それも―――あたしが、子供なだけなんだけどさ」 あお向けになって、天上見つめて。はあっと、大きなため息一つもらした。 もらしたついでに、ドアを方に顔を向けて。 「入ってきていいわよ。少しは、気持ち落ち着いたから」 いつから居たのかわかんないけど。ドアが開いて、ガウリイが部屋に入って来た。 「・・・・・・気づいてたのか?」 「あんた、わざと気配消してなかったでしょ。消してたらわかんなかったわよ」 「いやぁ、何かさ。気になって」 ぽりぽりと頭をかきながら、ガウリイはイスにベッドに腰かけた。少し揺れる。 「二人は?」 「ついさっき戻ってきた。ロナの奴、ルナさんには全然敵わなかったみたいで、すっごい悔しがってたぞ」 子供そのものの態度で、素直に悔しがるロナの様子が目に浮かんで。小さく笑ってしまった。 「ロナってば、けっこう負けず嫌いだからねぇ」 「おまえさんと一緒だな」 「・・・ふんっ」 悪かったわね。どーせあたしは負けず嫌いよ。 「姉ちゃんの方が年上で、経験豊富なんだから仕方ない―――って言っても、ロナは納得しないでしょうね」 「口で言っても、多分な。・・・・・・ますますおまえさんと一緒だな」 「・・・う、うるさいわねっ」 わ、悪かったわね。どーせあたしは、人の言う事聞きませんよ。 「さっきはどうしたんだ?」 ねっころがったままのあたしを、ガウリイはいつもの穏和な瞳で見つめ、そう訊ねてきた。 心配、してたの、かな。過剰なほどの過保護なこいつのことだから。 そう思うと、ちょっと申し訳なく思えてきて。そういえば、八つ当たりなんてしちゃったし。 「ガウリイさ。姉ちゃんのこと、どう思う?」 答えになっていないあたしの問い。だけどガウリイは素直に答えてくれた。 「ルナさんか? 何つーか・・・・・・一筋縄じゃいかないっつーか、すごい人だなって感じ、か?」 「知り合ってまもないのに、そんな風に思うんだ?」 「ああ。だってこのオレが、ルナさんの気配は読み取れないんだぜ? 妙な迫力もあるし。魔族とは全然違うけど、向き合ってると怖い雰囲気があるな、あの人」 ガウリイでさえも姉ちゃんの気配は読めないと聞いて、少し驚いた。 何たってガウリイ、本能というか野生のカンというかは、とにかくものすごい。 そのガウリイにさえこうまで言わすとは―――さすがは姉ちゃん。 「でも、嫌いじゃないでしょ?」 根拠のない確信。ガウリイは頷いた。 「ああ。わりと好きだな。話すのに緊張するけどな」 「あたしも同じ。緊張すんのよね」 苦笑してから、ちょっと遠くを見つめて。あたしは言った。 「姉ちゃんってさ―――あたしにとって、目標だったのよ。小さい頃からの」 「目標?」 「うん。姉ちゃんって、何でもかんでもできちゃう人で。それが、元からの才能だけじゃなくって、ちゃんと自分で努力して掴み取ったものであって。 自分の考え方ってゆーのもきちんとある人で、大きくなったら姉ちゃんみたいになりたいなあって、物心ついた時には思ってたのね」 だから、そのために。姉ちゃんに認めてもらいたい一心でがんばって。 少しでも、近づきたいと思ったからこそ。幼い頃は、ただそれだけを思って。 「だけどさ、成長すると共に、どうがんばっても姉ちゃんには届かないって思い知らされて。それがすごい悔しくって。だけど、努力すればいいってものでもなくって。 だから―――あたしは、魔法に手を出したのよ」 「何で、そこで魔法になるんだ?」 クラゲなガウリイらしい質問だった。 「姉ちゃんは赤の竜神の騎士。立派な神族よ。神に属する者が、魔の力を借りる術なんて、とてもつかえっこないのよ」 「へぇぇぇ・・・」 やけに間延びした返事。わかったのやら、わからなかったのやら。 「じゃあさ。たまに、ロナが使うあれ―――魔法じゃないのか?」 「ロナが使ってるのは神聖魔法。あたし達が使う魔法とは違って、神の力を借りるものだからね。 姉ちゃんは絶対に使えない魔法。どうやっても、あたしより上に行くことのできない『魔法』という分野で―――姉ちゃんに、勝ちたかった」 今思えば、何てくだらない動機だったのだろうかと、自分でもあきれる。 始めから、同じ土俵に立てない相手に勝とうとするだなんて。そうでもしなきゃ勝てないって、自分で言っているようなものだ。 だけど、事実はそうで。そこまでしても、姉ちゃんに勝ち・・・・・・いや。勝ち負けではなかったのかもしれない。 「でもねぇ・・・・・・魔法なんて習得しても、姉ちゃんには全く敵わなかったんだから、お笑いよね。 勝負になんてなりゃしなかったもの。あたしの放った竜破斬、姉ちゃんは包丁でぶった切っちゃうんだから」 「うげっ」 竜破斬の威力は何度も目にしているからだろう。ガウリイが、カエルの潰されたような声を出す。 「マジかよ、包丁って・・・」 「大マジ。あの時はあたしも死ぬかと思ったわ。んま、それで懲りて、姉ちゃんと勝負しようだなんて無謀なこと、しなくなったけどさ」 そう、勝負はしない。表面上では。けれど、あたしの中では何も変わってはおらず。 「―――姉ちゃんに負けたくない。小さい頃から、あたしのできないことを何でもやっちゃって。そんな姉ちゃんを尊敬していると同時に嫉妬もしていて。さっきも・ ・・・・・ロナまで、取られちゃうみたいで。嫌だったのよ」 「リナ?」 予想していなかった答えだったせいか。ガウリイが眉を寄せて。 一度口から出した言葉は、せきを切ったようにあふれ出てきた。 「だって悔しいじゃない。あたしは母親なのに、ロナには何も教えてあげることができない。ロナの稽古の相手をしてあげることだって無理よ。本気を出したロナには、あたしなんかじゃ絶対に勝てっこないんだから。 なのに姉ちゃんはそうじゃない。同じ赤の竜神の騎士として、色んなことを教えてあげることができる。稽古だってできるし、ロナの気持ちだって理解してあげられる。 あたしじゃ絶対に無理なこと、姉ちゃんならしてあげられるのよっ!」 飛び起きて、ガウリイ相手にそう怒鳴った。 ―――ガウリイに言っても仕方ないじゃない。言ってどうするのよ? 心の中で、そう問いかけて来るあたしがいるけど、そんなことは関係なくて。 ただ、言いたくて。言ってどうなるものでもなかったけど、とにかく口にしたくて。 「あたし、何にもできないのに。姉ちゃんは、それを軽々とやってみせちゃうのよ。 それが悔しいけど、だけどロナにはやっぱり必要だと思うし。本当ならありがたいと思うべきだって、わかってるのよ。 なのに、こんなこと考えてる。姉ちゃんは、ロナのこと思ってやってくれてるのに、あたしは全然感謝もしないで、汚いことばっか考えて。 自分でもわかってるけど、だけど、考えずにはいられないし・・・っ」 「リナ、落ち着け」 「落ち着いてるわよ。ただ言いたいだけよっ。今ぐらい言わせてよっ。 昔から、ずっと姉ちゃんの背中ばっか見てたんだから。もう見飽きたのよ。そんな位置は嫌なの。 なのに、その上また姉ちゃんに越されちゃったみたいで。あたし、絶対に一生かかっても姉ちゃんみたいにはなれないっ!」 「リナっ!」 強い口調で名前を呼ばれて。ガウリイの、青い双眸があたしをにらみつけるように見つめていた。 刺すような視線。ともすれば、相手をそのまま殺してしまいそうなほど。 こんな眼差しで殺されたら心地良いかな、なんて。そんなバカなことを考えてしまう。 ―――そのまま、思い切り抱きしめられた。 「・・・・・・いいんだよ、リナはそのまんまで。ルナさんみたいにならなくて。リナはリナで、ルナさんはルナさんだろ? おまえさんがルナさんになれないのと同じように、ルナさんだっておまえにはなれないんだから」 ガウリイの声音は不思議で。ついさっきまで、あんなに心が荒立っていたのに、すぐに元通りになってしまう。 何も、そんな特別なことを言っているわけでもないのに。ただ、ガウリイの声であるというそれだけで。 そして気がついた。―――ああ、あたし、ガウリイの顔も髪も声も体も、全部合わせて『ガウリイ』ってゆー人間が好きなんだなって。 「―――オレもは、正直言うと、おまえさんの気持ち、よくわかるんだよ。 オレにも、年の離れた兄貴がいてさ。オレとちがって出来もいいし・・・・・・いっつも、差を見せ付けられてたからな」 初めて聞くその話に、あたしは目を見開いた。 ガウリイにお兄さんがいるってのも、今まで知らなかった。 あたし達の間、知らないことがたくさんある。それを、だんだんと知っていくのは嬉しい。 「・・・・・・あたし、このまんまでいいのかな」 「ああ。それにロナは、リナのことが一番好きだぞ?」 「ガウリイのことは?」 「・・・・・・二番目だろ、どーせ」 ちょっと拗ねたようなガウリイの様子に、あたしは小さく笑った。 そりゃ、さ。ロナ、あたしとガウリイに対する態度、全然ちがうけど。 でも、ロナはあれで、ガウリイのこと、けっこう好きなんだよ? ―――なーんて、心の中で呟きながら。 居心地がいいもんだから、ガウリイの胸に、ぼすっと寄りかかってやった。 |