いつか旅立つ日まで
〜5〜






















 久しぶりの実家での夕食。久しぶりの母ちゃんの手料理。
 家で食べるだけならまだしも、ここにガウリイとロナもいるのが。
 何だか・・・・・・妙に、照れくさかったりして。

 嬉しい―――ってゆーのとも、ちょっと違って。
 嬉しいにちがいはないんだけど、それに少し居心地の悪さもあって。
 あたしは、もうここに住んでいる人間ではなくて。もうよそ者であって。
 そんなあたしが、ここに居るってゆーのに・・・・・・違和感を、感じる。


 いつから―――こんな風に感じるようになったんだろ・・・・・・ねえ?



 ***



 全く変わっていない、旅に出たその頃のまんまのあたしの部屋に、妙な懐かしさを感じた。
 忘れてた、とかじゃなくて。意図的に、このままにしておきてくれたのだろう。
 掃除の行き届いた部屋に、ちょっと申し訳なさも感じる。こんな、いつ帰ってくる
かもわからない、あたしのためにだと思うと。
「リナママ? どうかしました?」
「・・・・・・ううん。何でもないわ」
 少し―――ほんの少しだけ。感傷的になっていただけ。
 すぐさまそんな想いを振り払い、あたしは笑顔を浮かべる。
「ロナも、今日は早く寝なさい。姉ちゃんのことだからね、お客様扱いなんてしてく
れないわよ。明日から、早々にこき使われること間違いなしなんだから」
「僕、ルナお姉さんのこと好きですよ」
 大人しくベッドに入りながら、ロナはほくほくとした顔で、ぽつりとそうもらした。
 う、う〜ん・・・・・・姉ちゃんのこと、好き、かぁ・・・・・・
 もちろん、ロナにとっては伯母さんにあたるわけで(もっとも、姉ちゃんに向かっ
て『おばさん』なんぞと言おうものなら、間違いなく殺されるだろう)、嫌うよりは
好きになる方がいいとは思う。
 思うけど―――あの姉ちゃん相手に、あっさりと「好き」と言われると・・・・・
・何だか、微妙なものを感じてしまう。
「そ、そお。それは良かったわね」
 としか言えないあたしであった。
「ルナお姉さんに、色んなこと教えてもらうんです。僕・・・・・・知らないこと、
たくさんありますから」
「―――」
 この場合の・・・・・・ロナの言っている『知らないこと』というのが。
 世間一般での諸々のことではなく。赤の竜神の騎士のことだというのは、すぐにわかった。
「―――そうね。姉ちゃんから、教わっておきなさい」
 そう言いながら、あたしは少し、もの悲しさを覚えていたりして。
 母親として―――ロナに、たくさんのことを教えてあげたいとは思う。子供に、で
きる限りのことを教えてあげたいと。
 だけど・・・・・・あたしでは、無理なのだ。いくら頑張ろうと、どう足掻こうと
・・・・・・あたしに、赤の竜神の騎士としてのことを教えることはできない。
 それは仕方のないことだろうけど。それは、わかっているのだけれど。
 わかってはいても―――寂しさは、ぬぐいきれないと言おうか。
 こんなことをあたしが思っているだなんてこと、ロナはきっと気づいていないんだ
ろうけど。
「ガウリイパパ、ちがうお部屋で良かったんですか?」
 口元まで毛布を引っ張り上げながら、ロナが言う。
「ガウリイ? べつにいいわよ。だいたいあたしの部屋、ベッドは一つしかないんだし」
 なので、ガウリイの部屋は、少し離れたところにある客室になっている。
 ロナはべつに一緒でもいいとしても、あんなでかいガウリイを一緒に入れる気には
とてもなれない。立派に定員オーバーだ。
 姉ちゃんにしっかり釘もさされたことだし。ガウリイは何か言いたげな顔をしては
いたが、無視して別部屋に押し込んできた。
 ああ、でも、そう言えば。釘をさすで思い出したけど・・・・・・姉ちゃん、何で
あんなことを言ったんだか?
 家でいちゃつくなってことかもしれないけど、もうとっくにロナがいるわけだし。
何を今さら? って、ちょっと思う。
 いやいや、だからといって、べつにその、いちゃつきたいわけじゃなくてっ! 少し気になるだけであって・・・・・・もごもご。
「ママ? 何で顔赤いんですか?」
「なななな何でもないわよっ。ほら、ロナはもう寝なさい。ね?」
 知らぬ間に顔を赤くしていたらしいあたしに、当然のごとくロナは当惑した顔で尋ねてくるが、答えられるわけもない。
 むりやり会話を終わらせると、毛布を軽くぽふぽふっと叩いて。頬に優しくキスをする。
「リナママも、後で寝ますよね?」
「もう少ししたらね。・・・・・・おやすみ」
 今日はゼフィーリアまでの道のりで、けっこう疲れていたから。このまま寝ちゃってもいいかなぁ、とも、ちらっと思ったけど。
 この顔の火照りをどうにかしないと―――とても、寝れそうに、ない。
 サイドテーブルの机の上、ランプの灯りを小さくする。部屋が急に暗くなる。
 最後にもう一度振り返り、ちゃんとベッドに入っているのを確認してから、あたし
はドアをぱたりと閉めた。



 外に出ると、まだまだ夏には程遠い、少し肌寒い風が辺りを優しく吹き渡っていた。
 ―――上着かなんか、羽織ってくるべきだったかなー? ま、すぐに戻るから、
いいんだけど。
 空には満天の星。あれは・・・・・・えっと、何座だったっけ。
 この前、仕事の都合で遅くなったガウリイを迎えに行くんで、ロナと二人、散歩がてら
にお城までの道を歩いている時。
 あれは多分何だの、あっちの空のあの部分、クラゲに似てるだの・・・・・・そん
な会話をしながら笑いあっていたのを、ふっと思い出した。
 子供って・・・・・・ホント、おもしろい。よりによってクラゲだなんて。大人に
はとても真似のできない発想ばっかりして。
「リナ、何してるんだ?」
 少し強くなった風に、身を震わせた時だった。
 相変わらず、気配なんて悟らせないで。声をかけられるまで気づかなかった。
「ガウリイ。あんたこそ何やってんのよ、こんな時間に」
「それはお互い様だろ? 水飲みに行ったら、物音が聞こえたからさ」
「も、物音って―――」
 ガウリイの部屋から玄関、けっこぉ距離あるんですけど・・・・・・
 普通の人が言ったら冗談に聞こえるだろうが、ガウリイが言うのだから本当なのだろう。
 さすがは野生のカン。いや、ガウリイの場合は、もはや本能だろうか?
「それでおまえは? 盗賊いじめとか言うなよ」
「盗賊いじめって・・・・・・パジャマのまんまで行ったりはしないわよ。ただ
ちょっと、ね。夜風に当たりたかっただけ」
 全くこいつは、あたしが外に出る時は、いっつも盗賊いじめだと思ってるのか?
 まあ、あながち否定できないところが痛いんだけど・・・・・・
「夜風ってなぁ・・・・・・そんな見るからに寒そうな格好で、外になんか出るんじゃない」
 怒ったようにそう言って。知能に反比例するかのように、整った顔を少し歪めて。
 羽織っていた上着、ガウリイはそっとあたしにかけてくれた。
 タンスの奥から、母ちゃんが探してひっぱり出した物。父ちゃんが若い頃に使ってた物。
 ガウリイに合うのってんで探したわけだから―――当然のこと、あたしにはぶかぶ
かもいいところで。
「・・・・・・ガウリイ」
 そんな意味合いをこめて、じと目でガウリイを見上げてやれば。
「寒いよりはマシだろ?」
 と、あたしの好きなあの笑顔で、さらっと言われてしまった。
 ・・・・・・ずるい、と思う。ため息をつきたくなる。それぐらいにはそう思う。
 ガウリイは知らない。その笑顔が、どれほどあたしにダメージを与えているのか。
これっぽっちも知りはしないのだろう。
 そんな、子供みたいな。大人なんだけど子供みたいな純粋さもあわせ持った。青い
瞳がキレイで。そんな表情で言われたら。
 何を思っていても―――言えるわけないってのよ。封じられちゃうみたいに。
 恥ずかしいから、こんなこと。絶対に、教えてやらないけど。
 これだから、ガウリイって、厄介で―――だから、あたしはこいつには敵わないん
だろう。きっと、一生。
「それよりさ、リナ」
 あたしの胸の内なんか知らないで。笑顔を浮かべていたと思ったら、また急にため
息なんかついて。
 何よ。何なのよ。ため息つきたいのは、あたしの方だってゆーのに。
「こんな夜中に一人でさ、しかもパジャマのまんま外出るって・・・・・・問題、あ
ると思うぞ」
「どこに? 自分の家だし、庭の中だし・・・・・・だれにも迷惑なんてかけてない
じゃない」
「いやそーゆーことじゃなくてだなぁ。―――おまえさん、一応、女の子だろ?」

 べしっ

 例のよって例のごとく。あたしの懐から飛び出たスリッパ君は、ガウリイの顔面に激突した。
「いってぇ・・・・・・おまえ、こんな時でもスリッパ装備してるのかっ!?」
「うっさい。だいたいガウリイの方こそ何よ? 『一応』ってのは? 『女の子』っ
てのは? あたし、もう母親なんですからねっ! 子は余計よっ!」
 そっぽを向いて。あたしはそう言い放った。
 ・・・・・・そりゃ、さ。過去なんかに行ってたせいで、成長は止まっちゃって。
元から童顔なのも加わって、外見的にはまだ立派に十六、七で通っちゃうの、わかってたけど。
 でもでもっ! でも実際には、ちゃんと一児の母親なんだからっ! もう子供じゃ
ないんだからっ!
「わかったわかった。一応ってのは取り消すことにしても・・・・・・でもな、リナ。おまえさん、まだ見た目では、二十歳も行ってないんだぞ?」
「わかってるわよ! だから何、子供だとでも言いたいわけ? でも、あたしだって・・・っ」
 言いかけたあたしの口を、ガウリイの大きな手が優しく塞いだ。
 温かいそれ。頭をなでてもらうのが一番安心するのだけど、この頃では、さすがに
あんまりやってもらっていない。
 反対に、あたしとガウリイ。二人で、ロナにしてやっている行為だから。
「・・・・・・だれが、だれを、子供だって言った?」
 苦笑して、小さく息を吐いて。
「そうじゃなくてだなぁ。おまえさん、まだ二十歳も行ってないぐらい若いんだから
―――男に、気をつけろってことだよ」
「・・・へ?」
 真摯な表情でガウリイに言われた言葉が、すぐには理解できなくって。
 あたしは数秒、ぱちくりと瞬きなんて繰り返し、意味もなく夜空のお星様なんて見
てしまい―――
「・・・・・・リナ? オレの言ったこと、ちゃんと聞いてたか?」
「あっ・・・・・・き、聞いてたわよっ。もちろんっ」
 その意味を理解した頃には、ばっちりしっかり赤くなっていたのだった。
 うう〜・・・・・・熱冷ましに夜風に当たりに来たってのに・・・・・・これじゃ
全然ダメじゃないっ!
「聞いてたんならいいけどな」
 そう言いながら、ガウリイの目は露骨に笑っている。
 あたしの反応見て楽しんでるな、ガウリイの奴。ふんだっ。どーせ、こーゆー話にはうといわよっ
「ついでだから言っとくけどな。いくら庭とはいえ、一人で出たりするんじゃない。
何があるかわかんないだろ。・・・・・・とくに、おまえさんは」
 自覚がないわけじゃないから―――何も、言い返せなかったり、して。
「・・・・・・じゃあ何よ? ちょっと夜風にあたる程度のことも、あたしはできないってわけ?」
「そうじゃないだろ」
 ガウリイは、笑った。
「そーゆー時は、オレを呼べってことだよ」
 オレが一緒なら、安心だからさ―――と、呟いた。
 その表情が、その声音が。いつもの『のほほん』としたクラゲじゃなくて―――一
人の、男としてのものであるのが。
 すぐに、わかった。


 初めて、ガウリイのこんな表情を見た時。怖いと、そう思ってしまったのを覚えている。
 その時まで、ずっとガウリイはあたしにとって保護者で。
 心の中で、そんな関係を厭いながら・・・・・・止めたいと、思いながら。
 けれどどこか、保護者な態度を貫くガウリイに、安心しても、いた。

 だから、その時は怖くて。恐怖以外の何物も、あたしの中にはなくて。

 だけど今は嬉しい。そう思える自分にも、ガウリイにも。全てに。
 口になんて出さないけど。恥ずかしいから、態度にも出さないけど。
 愛されてるんだなあって―――・・・・・・伝わって、くるから。


「うん。・・・・・・ありがと」
 月の魔力か。夜闇の所為か。すんなりと、言葉が口から滑り出た。
 夜は嬉しい。昼間なら、明るい太陽の下なら、絶対に言えないような素直な言葉も。
 不思議と―――自然と、こぼれ出て行くから。
 そして、ガウリイも変にからかったりはしないで。居心地のいい空気が、肌に、優しくって。
「―――呼べよ? 絶対に。約束だからな」
「絶対、ね・・・」
 約束してあげたいけど、ここであっさりと頷くのは難しかった。
 言うのは簡単だけど。実際にそれをやるのは・・・・・・あたし的に、ちょっと、微妙で。
 一人になりたい時だってあるし。それに―――ガウリイに、頼り切っちゃうみたいで。何か、ヤダ。
 頑固って言われればそうなのかもしれないけど。時に頼るのはいい。だけど、もた
れきっちゃうのは嫌。
 どっちがどっちを守るとかじゃなくって。お互いに、そう在れる。そんな関係にな
りたいと、思うからこそのあたしの信念。
「・・・・・・絶対って、約束はできないけど。呼びたい時は、呼ぶわ」
 何て勝手なあたしの言い分。わかるけど、あたしにはこれしか言うことができない。
 ガウリイも、それはわかったのだろう。あきれたように、疲れたように。けれど笑顔で口を開いた。
「ったく・・・・・・おまえさんは勝手だよなぁ」
「何よ。悪かったわね。あたしが勝手なのは、今に始まったことじゃないわよっ」
 ちょっと拗ねて。拗ねたように見せてあたしがそう言えば。
 ガウリイは、あたしの耳元で、小さくそっと呟いた。
「まあ・・・・・・オレは、そんなところに惚れたんだけどな?」

 ぽひゅっ

「あ。顔が赤くなった」
「う、ううううう、うるさいわねっ!」
 こいつは、こいつは・・・・・・何だってこう、恥ずかしいセリフを真顔で言うのよっ!?
 聞いてるこっちが恥ずかしくなるって・・・・・・だから、止めろって何度も言ってるのに。
 一向に、聞いてくれる気配はない。笑いながら、あたしの反応見て楽しんで。何度
も繰り返してくれる。
 ―――性格が、悪い。顔はいいクセに、何だってこう悪いのよ。
 必死に赤くなった顔を戻そうとしているあたしを横に、ガウリイはまだ笑ってる。
「あのね、ガウリイ・・・っ!」
 文句を言おうとしたあたしの頭に。こつんっと、何かが当たったのはその瞬間だった。
「リナ、何か落ちたぞ」
 すぐさま気づいたガウリイが、地面に落ちたそれを拾い上げて、あたしに渡してくれた。
 ・・・・・・って、これ・・・・・・
「紙飛行機、よね・・・?」
 ガウリイに聞くまでもなく、そうなんだけど。適当な大きさの白い紙で折られた、飛行機。
 あたしも子供の頃はよく折ったけど。こんな時間に、だれか飛ばしてるんだろ?
「あれ? 何か書いてある?」
 折ってあるせいでよく見えない。ガサガサっと、音を立てつつ、あたしは紙飛行機
を広げて行く。
 ―――そこに書いてあった文を読んで。あたしは沈黙した。


『いちゃつくのは禁止。さっさと寝なさい!』


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・リナ。これ、ルナさんか?」
 慌てて周囲を見回すガウリイ。だが、もちろんのこと、見える範囲に姉ちゃんがい
るわけではない。
 こんな時間に姉ちゃんが出歩くわけもないから―――大方、部屋から投げたんだろ
うけど・・・・・・
 何でたかが紙飛行機が、こうも都合良くあたしに命中するのよ!? ってゆーか、
なぜ姉ちゃんにばれるっ!?
「―――リナ。部屋、戻るか」
「そうね。殺されたくないし・・・・・・」
 色々と思うことはあったが、いくら考えてもわかるわけはなし。
 ここはおとなしく寝るとしよう。姉ちゃんに逆らっても、それこそ百害あって一理なし、だ。
 紙を小さく四角に折りながら、あたし達は部屋へと戻った。


 それにしても、姉ちゃん―――ホント、何を企んでるんだか―――