人 魚 姫
――蒼天の龍 碧海の華――









 第8話

「とりあえず、一区切りついたようだな」
 ガウリイは呟いて辺りを見回した。美しい海底は、激しい戦闘のためもはや見る影もない。
「大丈夫か」
「あぁ。しかしこりゃ……」
 辺りの惨状にケインも顔を曇らせる。
「仕方ないわよ。相手が相手だったんだし……リナを守れたんだから良しとしましょ、ね、ケイン」

 力つき、泳ぐことさえままならないキャナルを支え、ケイン達は一旦島を離れることにした。
「いいか、俺とミリィが戻ってくるまで」
「あぁ分かってる。ちゃんとリナを守ってるよ」
「今までの戦闘の分、リナには負担がかかっているはずだから……ちゃんと支えてあげてね。なるべく急いで戻るから」

 気になるのか、何度も振り返るケイン達と別れ、ガウリイは一人神殿のリナの元に戻った。
 結界を抜け、水から上がる。

「ん?」

 奇妙な違和感。

「………リナ」

 慌てて走り出す。
 結界の中に侵入できた奴はいないはず。なのに、何故これほど嫌な予感がする?
 リナの元に走ろうとしてガウリイは足を止めた。
 違和感は外から漂ってくる。

「……まさか」

 神殿から走り出たガウリイの目に飛び込んできたのは、次々と枯れ落ちていく島の植物だった。
「これは……一体……」

「水魔の王は破れましたか。それにしても、随分苦戦していましたねぇ。おかげで島に侵入できましたよ」


 嘲笑と共に、ゼロスが姿を現した。


               ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ケ……イン……戻って……」
「キャナル?」
 ぐったりと目を閉じていたキャナルが、掠れた声で呟いた。

「リナが……危ない……

 早く……ルナ、様にも…………報告…………………………」

 それっきり気を失ってしまったキャナルを、ケインはミリィに押しつけた。
「戻って様子を見てくる。ミリィはキャナルを頼む」
「分かった。気を付けて、ケイン」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 目を見張るガウリイに、ゼロスは薄笑いを向けた。
「思い通りに踊ってくれましたよ。貴男方も、“王”の一派も」
「そうか……貴様の狙いは最初から……」
「えぇ。僕の目的は最初から変わっていませんよ」

 糸のように開かれた瞳。
 口元に浮かぶのは冷たい微笑み。

「僕が欲しいのは、リナさんの命。ただそれだけですから」



 ゼロスの周囲から放たれる何か。それによって次々と草木が枯れていく。
「貴様!」
「ガウリイさん、いくら貴男の剣の腕が卓越していても今度ばかりはどうにもなりませんよ」
 くすくすとゼロスは嗤う。
「いくら“光の剣”でも、空気までは切れませんからねぇ?」

 ゼロスを中心として広がっていく死の空気。
 目には見えず、匂いも何もない。だが確実にそれは島中に広がっていっていた。
 ゆっくりと枯れていく植物。
 汚染も死も、緩慢に広がっていく。

「さぁどうします?ガウリイさん。僕を倒してもこの汚染は止まりませんよ? 魔気を浄化する力は貴男には無い」

 ガウリイはゼロスを睨み付けるが、確かに今の彼に打つ手はなかった。
 形ある魔物ならいくらでも戦う術はある。だが形を持たず、ただゆっくりと広がっていくだけの死の空気に対し、為す術はなかった。

「どうしました?リナさんを守るのでは無いんですか?」
 ゼロスの嘲笑が周囲に響く。
「早く何とかしないと、リナさんは死んでしまいますよ?
 生まれたての、“海の宝珠”と共に、ね?」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「畜生、やられた!」

 神殿を包む結界。それに傷が付いているのにケインは気がつき歯がみした。
 島全体を包む結界。それは滅多なことで破られたりはしない。
 だが、水魔の力により部分的に綻びが出来てしまっていたのだ。そしてそれこそが、真の狙い。
 もとより、神殿そのものは戦うために出来ていない。だからこその結界だったのだ。中に入られた場合、“珊瑚の王女”も新しい“海の宝珠”も無防備になってしまう。
 入り込んだのが魔物ならまだいい。
 しかし、空気を相手に戦う事は出来ない。あくまでも、浄化するより他にないのだ。

 だが………

「神官も巫女も軒並み力を使い果たしている……底なしみたいなキャナルでさえあの状態だ。他の奴らなど、使い物になりゃしねぇ」

 浄化する手だてがない。
 このままではどうなるか、分かり切っているのに打つ手がない。

「リナ…っ」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「そう来たのね……」
「はい。ルナ様、どうしたら……」
 泣き出しそうなミリィに、ルナは微笑んだ。
「大丈夫。心配は要りません。
 リナは大丈夫。それより、今は休みなさい。いいですね?」
「でもっ!このままじゃ……」

「この水界を守っているのは、私達だけではありません」

 凛とした声に、不安で揺れ動いていた声が静まっていく。
「フィリア」
「ここに、ルナ様」
「少年聖歌隊を呼びなさい。それと、海界の歌い手達を」
「え?」
 戸惑いを隠せない臣下達に、ルナは玉座から宣言した。

「剣を取るだけが、戦いではありません。
 力だけで、守れるのでもありません。
 ……そして、全ての力は互いに繋がり影響しあっている」
 ルナは微笑みを浮かべ、集まった者達を見回した。
「水界を、リナを守りたいと願っているのは。

 決して、私達だけではないのです」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 じわじわとガウリイは追いつめられていた。すでに神殿はぐるりと死の空気に取り囲まれている。
 ゼロスを倒そうと斬りかかるが、ゼロスは最初からガウリイと戦うつもりはなかった。わざと剣の間合いぎりぎりの所まで近づき、ガウリイを挑発する。
 ……猫が鼠をいたぶるように。
 じわじわと追いつめられるガウリイを見て、楽しんでいるのだ。


「……………………………………♪」


「何だ、今のは……」
 微かに聞こえた、小さな旋律。



「………歌?」

 高く低く。
 ゆっくりと響いてくる歌声。



「……風」

 さわさわと木々が揺れる。
 僅かに残った生命を揺り起こすように。



「光…」
 降り注ぐ太陽。
 弱まった命を目覚めさせ、支える力。



「!?」
 死の空気が広がるのを止める。いや、これ以上広がることが出来ない。
「何が……起きている?」



 その時。
 神殿から光が溢れた。





To be continue...