人 魚 姫
――蒼天の龍 碧海の華――









 第7話

 うずくまるキャナルをミリィが支える。
「嘘だろ……あれをまともにくらって無事な奴がいるなんて……」
 ケインが呆然と呟いた。
「どうした?守護者達よ。お前達の力はそのていどか?ならば……」

 ざわざわとピシシーダの周囲に再びあの化け物達が姿を現す。

「お前達を片づけ、珊瑚の王女を我が王に捧げるとしよう」



           ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ゆっくりと海底に降り立つ。
「ふむ……以外と普通だな」
 ジオークはゆっくりと周囲を見回した。
「もっと雰囲気があるかと思ったんだがなぁ」
「何を期待していたんだか……ま、どうやら少しはご期待のモノが居るみたいよ」
 すらりとルナが剣を抜く。
「ふむ……手応えのある奴ならいいんだが……」
 ジオークは抜き身の半月刀を肩に乗せて笑みを浮かべた。

『誰だ………』
「水魔の王か」
『貴様達は……海王の……』

 地の底を這うような声が二人の脳裏に響いた。
「“深きものどもの王”…か………」
「ここはお前が出しゃばって良い世界ではないわ。大人しく封印されるならよし、さもなくば二度とおかしな事を考えられないようにして差し上げるわ」
 ルナの言い方に苦笑するジオーク。
「おいおい、仮にも相手は水魔の親玉だろ?いいのか?」
「私の可愛い妹に手を出そうとした時点で、百回死んでお詫びしても足りないぐらいよ」
 ぴしゃりとルナが言い放つ。
「私はリナを水魔などにやるつもりはない」
「あの人間ならいいのか?」
 ちゃかそうとするジオークに、ルナは肩を竦めて見せた。
「仕方ないわ。リナ自身が選んだのだから。それに………」
 くすりと笑う。
「ガウリイさん、こいつらより見目麗しいもの。ま、比べる事それ事態が間違いだけど。
 どうせ義弟が出来るなら、見た目が良い方がいいに決まっているでしょう?違うかしら」

『小生意気な小娘が……たった二人で我に敵うと思ったか』

「小娘?」
 ルナの眉が片方だけぴくりと動いた。それを察したジオークは内心水魔の王の冥福を祈った。


 ……よりによってルナを『小娘』呼ばわりとは……無知ってのは恐ろしいよなぁ……


『我を水魔王と知っての暴言か』
「それを言うなら貴様もそうでしょう?
 ……私は海王が娘、“真珠の女王”ルナ。今度こそ二度と復活など出来ないよう海底奥深く封じてやるわ」

 すらりとルナが剣を抜く。
 呼応するように海底に降り積もった泥が激しく沸き立ち、その中から巨大な影が姿を現した。

「ほう………思ってたよりでかいな」
「だから?怖じ気づいたのジオーク」
「まさか」

 豪快に笑い飛ばし、ジオークは剣を水魔王にむけた。
「久しぶりに、面白いケンカが出来そうだ」


            ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「くそ……こんな奴相手に苦戦かよ……」

 ケインが歯がみする。
 すでに辺りはピシシーダが召還した水魔で溢れかえっていた。大技を使った直後という事もあり、自分の思い通りに身体が動かない。
 ピシシーダは手下に包囲させたものの一斉攻撃はしてこない。
 楽しんでいるのだ。じわじわと追いつめられていくガウリイ達を眺めて。
「ちくしょう……どうにかしねぇとリナが……」
 もう後はない。
「こうなったら」

「玉砕ってのは、ナシな」

 今の状況に不釣り合いなほど落ち着いた声に、ケインは振り返って声の主を見た。
 圧倒的に不利な現状にも関わらず、ガウリイは不敵な笑みを浮かべていた。
「おい……?」
 目が合うと、ガウリイは困ったように笑いながら頬を掻いた。
「お前等に特攻なんてさせたってリナに知られたら、きっと一生口聞いて貰えないだろうし」
「はぁ!?」

 生きるか死ぬか、まさに極限といえる状況で一体何を言い出すのか。
 これには傍観していたピシシーダさえ苦笑した。

「そんな事を気にする必要はない。お前達はここで死ぬ。“珊瑚の王女”は我が王の物となる」
「それこそ取らぬウミウシの皮算用だな」
「………タヌキでしょ。それを言うなら」
 ぼそりとミリィが突っ込む。
「大した自信だが、根拠のない自信は破滅の元だ」
「根拠ならあるさ」
「ほう………」
 ピシシーダがにやりと嗤う。
「聞かせてもらおうか。その根拠とやらを」
 固唾を飲むケイン達に、ガウリイは笑って見せた。


「それは、秘密だ♪」


           ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「しかし、うっとおしい奴らだ」
「あら、剛勇で鳴らした“碧鱗の王”が泣き言?悪いけど、私はそれほどヒマじゃないわよ」
「だれが泣き言だって?」
「あんたよ。それ以外にいる?」
「おいおい、そりゃねぇぜ?」

 これだけ聞いていると単なる軽口の応酬でしかないのだが。
 ジオークが一言言う度に、複数の水魔がまとめて消し飛んでいく。

「この程度の相手をうっとおしがるようじゃ、泣き言と言われても仕方ないんじゃなくて?」

 嫣然と微笑むルナの周囲で、無数の水魔が消滅していた。
 繰り広げられる華麗かつ優美な舞。しかしそれは同時に対立する者を情け容赦なく切り裂く死の剣舞でもあった。

「それとも……貴方の腕が落ちたのかしら?」
「ふん……ま、こいつ等じゃ準備運動にもならねえのは確かだな」

 二人を取り囲んだ水魔の数は、ガウリイ達を取り囲む水魔とほぼ同数。しかしルナ達に焦りの色は微塵もない。

「でも、これ以上遊んでいるのはまずいかしら」
 可愛らしく首を傾げてみせるルナに、ジオークは苦笑した。
 こういう時のルナは良からぬ事を考えている。長年の付き合いの中でそれを学んでいた彼はさり気なくルナよりも後ろに位置をずらした。

 すっとルナが手を伸ばす。

「妹と義弟が待ってるの。私もそうそうヒマじゃないし……」

 闇に包まれているはずの海底に黄金の輝きが広がる。
 ルナの差し伸べた手の先に宿った黄金の光は、やがて収束し、一本の槍に形を変えた。

「トゥルースピア。
 ……いってらっしゃい」

 ルナの手から投げられた光の槍は無数に分裂し、雨のように水魔の群に降り注いだ。



「ひょえ〜〜コワイコワイ。
 相変わらず大した威力だなぁおい」

 光の槍が消え去った後。
 その場に残っていたのはルナ達二人と“王”だけだった。あれほどいた水魔の群は欠片さえ残っていない。
 しかもそれだけの大技を使ったにも関わらず、ルナは息一つ乱してはいなかった。

「いつまでも雑魚ばかりで、自分からはなかなか動かない……どうやら、思っていたよりも封印は効力を失っていないようね」
「で?あいつをどうするんだ」
「決まっているでしょう?封印するのよ。
 今度こそ、二度と解かれないように、ね」

 “王”が動き出す。
 その巨体に似合わず素早い動きで“王”は二人に襲いかかった。

「おっと」

 猛烈な腐臭にジオークは顔をしかめた。“王”がそこにいるだけで、周囲の水が腐り始めている。
 “王”の力は触れるものや近づくもの全てを腐食する。

「厄介だな……」
 光に祝福された武器なので多少の耐性はあるが、それでも全く影響を受けないわけではない。
「後で研ぎ直すの、大変なんだぞ?まぁた文句の山だなこりゃ」
「ジオーク、少しだけ時間を稼いで」
「少しで良いのか」
「えぇ」
「よしよし。んじゃあとで奢れよ」
「全く、それしか考えられないの?
 ……仕方ないわねぇ。それじゃ、とっておきの酒を一つ、出してあげるわ」
 ルナはころこと笑った。
「よし。その言葉忘れるんじゃねぇぞ」 
 笑いながらジオークも半月刀を構えた。
「んじゃ、もう一暴れするか。水竜華撃!」

 ジオークが振り下ろした半月刀から巻き起こった水竜巻が“王”の直下から襲いかかる。
 “王”は自らも生み出した水竜巻でそれを相殺する。

「ほう、結構やるじゃねぇか。んじゃ、こいつはどうだ?」
 実に楽しそうにジオークは“王”と刃を交わす。力と力が激しいぶつかり合い、その余波だけで岩が砕け、崖に亀裂が走る。



「全く、相変わらず力押しなんだから……さて、と。いつまでも義弟を待たせてたらいけないわね」
 戦場から少し離れた所で、ルナは深く息を吐いた。


 ――聖なる水の流れ
   命の源、いたわりと優しさを育むもの

   闇を払う光の奔流、
   真実を明らかにし、命を導くもの

   安らぎと安息を司りし闇
   永久の眠りをもたらすもの――


 ルナを中心として光が生まれる。
 細かな光の粒が集まり、ゆっくりと一つになっていく。


 ――我、真の名において命ず
   その力もて、生命に仇為す魔性の力、永久に封じん事を――


「聖化力、結晶」

 掲げられた手に光が集約していく。
「さて、と」
 ルナの手で、一つのサファイアが柔らかな光を放っていた。
 口元に笑みが浮かぶ。
「聖なる石に、祝福を」
 手にしたサファイアに口付け、ルナは剣を構えた。



「うぉりゃあぁっ!」
 振り下ろされた刀は、岩ですらバターのように切り裂く。
「ん?」
 背後から迫ってくる圧倒的な力の奔流。とっさにかわしたジオークの身体を掠め、それが“王”を直撃する。
「待たせたわね」
「おう。ま、いい運動にはなったぜ。で、そいつを封じに使うのか?」
 ルナの持つサファイアを見てジオークは肩を竦めた。
「それじゃ、さっさとやっちまおう。
 いい加減飽きてきたところだしな。そろそろ旨い酒が飲みたくなってきた」
「それしか言うことないのかしら。
 でも……そうね。あまり遊んでいると後でリナに嫌な顔されちゃうわ」
 低く唸る“王”に視線を向け、ルナは一点を示した。
「“王”の額には、以前海王が封印した時の封印石がまだついているの。あれが砕け散れば、奴の封印は完全に解ける」
「成る程……それに、あの嬢ちゃんの……血、が必要ってか?」
「ご名答。つまり、ガウリイさんがリナを守っている限り奴は真に自由にはなれない」

 ルナが振るう剣。その先から幾筋もの光が刃となって“王”を襲う。
 海底に突き立った光は氷の柱となって“王”を取り囲む。

「聖海陣……展開」

 柱からのびた光の網が“王”の身体を拘束する。
 呪詛の声を撒き散らしながら暴れる“王”を冷ややかにルナは見つめた。

「この私を“小娘”呼ばわりした罪……たっぷり償っていただくから覚悟するのね」
「…………やっぱり怒ってたな」
「何か?」
「いや。で?
 俺は何をすればいい」
 苦笑を堪え、ルナは“王”に目を向けた。
「私が奴を封印するから。ジオークは新しい海溝を作ってちょうだい」
 さらりととんでもないことを言うルナに、ジオークは笑って答えた。
「一つで良いのか?」
「まだ暴れ足りないの?」
 呆れた顔をするルナに、ジオークは笑って答えた。
「そうだなぁ……ま、この位で良しとしておくか」

 新たに姿を現した水魔を一瞬のうちに消滅させ、ジオークが吠える。

「“深きものどもの王”よ!」

 何の感情も窺わせない瞳に写ったのは、自分に迫る白刃の煌めき。

「永劫の闇に帰るがいい!!」

 ルナの剣が、王の眉間に突き刺さる。

「お前との戦いはなかなかだったが……遊び相手にゃ不自由してないんでな。悪いが消えてもらうぜ。
 奥技・大地衝斬刃!!」

 ジオークが海底に突き立てた半月刀から、“王”に向けて亀裂が走る。
 地響きと共に深い裂け目が生まれ、巻き起こる渦潮が全てを更なる海底へと引きずり込む。
 抗おうとする“王”を鮮やかな光が捕らえた。
 煌めくサファイア・ブルーの輝きが溢れ出しているのは、ルナの剣が突き立てられたその場所からだった。
「さようなら」
 ルナが剣を引き抜く。
 澄んだ輝きに導かれ、“王”は闇の中に姿を消した。



「新しい封印石は奴の体内に埋め込んだし……これであの子達でも残りは片付けられるでしょ」
 何事もなかったように呟き、ルナは剣を鞘に戻した。
「手伝ってやらねぇのか?」
「そこまで甘くないの。それに、私に手伝われたりしたら、かえってあの子達は嫌がるでしょうね。
 あれでも、私の妹は愛されてるのよ」
「………だろうな。
 さて、こっちは一息つけるな。約束の酒、飲ませろよ」
「こっちはまだ事後処理があるのよ?手伝ってくれたら……つまみも付けるけど?」
 苦笑いを浮かべるジオーク。
 クスクスと笑いながら、ルナは封印の地を後にした。


            ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 追いつめられていたガウリイが目を開けた。
「おい?」
「ケイン、キャナル、さっきの技もう一度出せるか」
「は?」
「……プラズマ・ブラストのことなら、ちょっと準備に時間がかかるわ。でも出来ない訳じゃ無いです」
「そうか。なら、時間稼ぎはやるからあいつに一発頼む」
「はい」
 襲いかかる水魔を一刀両断にし、ガウリイは水魔の群に飛び込んだ。一歩遅れてミリィが背を向けた水魔を狙い撃ちにする。

「何考えてる、ガウリイの奴」
 首を傾げるケインの隣で、再びキャナルが歌い始める。その様子にケインは苦笑を浮かべ、サイ・ブレードを構えた。
「どちらにしろもう後がないんだ。派手に一発ぶちかましてやるぜ!」



 後方で戦況を見ていたピシシーダは、ケイン達の動きが変わったのに気がついた。
 前衛の二人に守られるように後方に二人。しかも膨大な量の力が一点に集約されていく。
「あの技か……効かぬとはいえ厄介なものであるのは確か。奴らを先に殺せ!そいつ等は後回しに…!?」
 急速に力が抜ける。いや、ピシシーダの力の源が絶たれた。

 ……馬鹿な、まさか“王”が!?……

 異変は水魔にも現れていた。斬られ、崩れた水魔が再生しない。

「どういう事?これ……」
「ルナさんだ」
「え?」
「やってくれると思った。あの人が俺達だけにリナを任せて放っておく訳がないからな」
 ミリィは呆れて肩を竦めた。
「さっきの自信の根拠はこれだったのね。まったく……
 ケイン!キャナル!一発頼むわ!!思いっきりやっちゃって!」

「任せろ!
 いくぜ。プラズマ・ブラストォッ!!」

 青白い光が膨れあがる。
 悲鳴すら飲み込み、光は全てを喰らい尽くした。





To be continue...