悠久の風のなかで |
聖なる氷に閉ざされながらも、吐き気がするほどの瘴気を放つ。 これが『赤眼の魔王』シャブラニグドゥ───── あたしたちの目の前に、その氷獄はあった。 側にいるだけで、まるで魂まで吸い取られそうな存在感。 そして、あたしたちの後ろには神族や竜族達がたくさんいるのだが、 その大半は倒れ、すでにこと切れている。 「もう、神族達の力は限界です。これ以上は抑え切れません」 辺りを見回しながら、フィリアが言う。 「この他にも、たくさんの者達が他の魔族と戦っています。 しかし、それもほぼ全滅の状態です。 あとは『スイーフィード・ナイト』の力に頼るしかありません」 不安げなフィリアに、あたしはあっさりと答える。 「大丈夫よ、フィリア。姉ちゃんにまかしときゃいいのよ」 姉ちゃんなら、余裕で魔族共の相手をしてるに違いない。 「そう……そうですね」 フィリアはゆっくりと頷いた。 「さあ、もう時間がないわ。始めるわよ」 「リナさんっ……」 あたしの言葉に、一瞬躊躇しながらも、みんなは見守るべく後ろに下がった。 「……ガウリイ、いいわね」 「……ああ……いつでもいいぜ……」 浅い呼吸を繰り返しながら、ガウリイはにっこりと微笑む。 苦しいはずなのに、笑ってくれるのね……本当に優しいんだから…… あたしは、こんな時なのに、なぜか穏やかな気持ちだった。 あたしはガウリイを腕に抱いたまま、増幅の呪文を唱える。 そして、重破斬の詠唱に入る。 ───── 闇よりもなお昏きもの 夜よりもなお深きもの ───── ──── 混沌の海よ たゆたいし存在 金色なりし闇の王 ───── 誰かが……オレを見ている……? そんな気がして、オレはゆっくりと目を開けた。 目の前に広がるのは深い闇…… ふと横を見ると、瞳を閉じ、リナが一心不乱に呪文を唱えていた。 ああ……そうか……これはリナが呼び出した重破斬の闇…… そんなことを考えていたオレの視界に、金色の光が現れた。 それはみるみるうちに人形を取り、一人の輝く美女になった。 ……これは……一体……? 『汝が自らの命を賭けて、我を呼びし者か』 その美女がそう言った。いや、言ったというより、頭に直接呼びかけられた、 と言うほうが正しいかもしれない。 と、いうことは、まさか…… 『その通りだ。我は汝ら人間がロード・オブ・ナイトメアと呼びし者。 全てのモノの源でもある者……人間の男よ、何故我を呼んだ』 呼んだ理由か……?決まってんだろ、あいつを何とかしてくれよ。 『あいつ……?汝らが赤眼の魔王と呼びしモノのことか?』 そうさ、あいつが自由になったら、この世界が滅んじまう。 だから、あいつを倒してくれよ。 あんたならできるんだろ。 『我には造作も無いこと……しかし、人間の男よ。 何故、その短し命を賭けてまで我を呼んだ?』 なぜだって?この世界を守るためだろうが。 『それだけではあるまい?』 ……ああ、そうだな。 この世界を守りたいっていうのもあるけど、もうひとつ、 リナと離れたくないってのがあったな。 『リナ……リナ=インバース……再び我を呼び出せしこの娘のことだな?』 そうさ……前に一度あんたから取り戻したんだがな。 今度はそうはいかないだろ? 『その通りだ』 だからさ、今度はオレも一緒に逝くことにしたんだ。 リナと離れたくないからな。 それに、リナの力だけじゃ、あんたの力を暴走させちまう可能性もあるだろ? そうなったら、その時点で世界が終わっちまう。 だから、リナにオレの力を分けてやることができれば、 制御はできなくても暴走させなくてすむだろ? 『そのために……命を賭けたというのか?』 ああ……何よりも大切な存在で、誰よりも愛してるからな。 リナのためなら、オレの命なんていつでもくれてやるさ。 そしてこの世界も、仲間達も、みんなオレの大事なものだから、な。 『……よかろう……我は汝らの純粋なる願い、強き意思によってここに在る。 命を賭したその願い……叶えよう』 ……ありがとな、全ての物の王様よ。 『……面白い人間だな、ガウリイ=ガブリエフよ。そしてさらに面白いことに、 リナ=インバースも汝と同じことを願っておるぞ。汝と離れたくないとな』 ……そうか……リナも…… 『さあ、来るがよい……全てを脱ぎ捨て、我が混沌に抱かれよ』 金色の魔王はあまりにも美しい笑みを見せ、オレに手を差し伸べる。 オレがその手を取ると、辺りは全て真っ白になり、何も見えなくなった。 いつのまにか、体の痛みも苦しみも無くなって、まるで宙に浮いているような 感覚に襲われる。体が……軽くなる…… 「リナ……」 オレは、そのまま意識を手放した。 ───── 我ここに 汝に願う 我ここに 汝に誓う ──────── ──── 我が前に立ち塞がりし すべての愚かなるものに ────── ───── 我と汝が力もて 等しく滅びを与えんことを ─────── そして、虚無が生まれた。 あたしのすべての力を食いつくし、その力を暴走させようと暴れ出す。 だめ!それだけは絶対に……! 大好きな人たちを守りたい!この世界を守るんだからっ! 必死に贖うあたしの魂までも吸い上げられるような妙な感覚。 もう意識を保ってられない……だめか……!? ─────リナ ガウリイ!? 急に力を無くすガウリイの体。 あたしの腕の中で、ガウリイが静かに息を引き取ったのが……わかった。 とたんに、溢れ出す涙、泣き叫ぶ心。 わかってはいた、覚悟はしていたけれど、こんなにもつらいなんて…… 胸が押し潰されそう…… ガウリイっ………… あたしは、最後の気力を振り絞る。 まってて、ガウリイ。 あたしもすぐに逝くから。すぐ追いつくから。 そしたら、また二人で一緒に旅をしよう。 一緒にご飯食べて、一緒に笑って、時々ケンカもしたりしてさ。 ずっとずっと手を繋いで歩いていこうよ。 だから、あたしが追いついたら、 「遅いぞ、リナ」って言って抱きしめてね。キスしてね。そしてもう二度と離さないで。 ……まっててね……ガウリイ…… 「ロード・オブ・ナイトメアよ、我が願い聞き届けたまえ!重破斬!!」 そして、私はゆっくりと眼を開ける。 紅から金に変わった瞳で、目の前の氷漬けにされているモノを見る。 『おおおおぉぉぉ……あなた様は……!』 その響きに含まれるのは、歓喜かそれとも恐怖か。 私はシャブラニグドゥに話し掛ける。 「我はここにいる人間達の純粋なる願い、強き意思によってここに在る。 この者達の願いはこの世界を守ること。 すなわちお前の滅びを意味する。 この者達の尊き願いにより、我はお前を滅ぼす。 赤眼の魔王よ、我が混沌に帰るがよい」 私は手の内に在る虚無を握りつぶす。 それはそのままシャブラニグドゥの中に転移し、無を撒き散らす。 『ぐああああぁぁぁぁぁおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!』 水竜王の作り出した氷が砕け散る。 そして、シャブラニグドゥは断末魔の悲鳴を上げ、消えてゆく。 金の髪をなびかせ、私はその様をただ見ていた。 5に続く |