悠久の風のなかで









 ────── 重破斬 ───────

 


 もう二度と使うことは無いだろうと思っていたこの呪文を、また使う日が来るとは……
 全員に、沈黙が訪れる。
 その中で、口を開いたのはガウリイだった。
「なあ、どういうことなんだ?教えてくれよ」
 その問いに答えられるものはいない。
 あたしは、ゆっくりと口を開いた。
「いまの御神託に出てくる『赤き瞳』はシャブラニグドゥのこと。
 そして、それを倒せるのは人間で、しかも『金色の揺らぎ』の力を使える者。
 『金色の揺らぎ』とは『ロード・オブ・ナイトメア』のこと。
 『ロード・オブ・ナイトメア』の力を使える人間はあたしだけ。
 そして、魔王を倒せる呪文と言えば……重破斬だけよ」


「な……んだ……って?」
 眼を見開いたままあたしを見つめるガウリイに、言う。
「だから……あたしが重破斬を使わないと、魔王は倒せないのよ。
 もちろん、完全版の……ね」
「……その通りです……それしか……道はありません」
 たしかに、姉ちゃんでも無理な以上、それしか手は無い。
 フィリアの力の無い言葉に、みんな何も言うことができなかった。
 ただ一人、ガウリイを除いて。
「…………ダメだ…………ダメだ!ダメだ!ダメだ!!
 重破斬だけは、絶対にダメだ!それくらい、みんなわかってるだろ!!」 
 ガウリイが悲鳴に近い声で叫ぶ。
「でもっ……ガウリイさんっ!」
 フィリアが悲痛な声を上げる。
「なんでだよ!みんな知ってるだろ!重破斬を使ったら、リナがどうなるか……」
「ガウリイ……しかたないのよ。もうこれしかないわ」
 あたしは静かにガウリイに語りかけた。
 ガウリイは激しく首を振る。
「しかたなくなんかない!ルナさんも、リナのご両親も、いいんですか?それで?!」
 ガウリイの視線を正面で受け止めながら、姉ちゃんは頷いた。
「世界を滅ぼすわけにはいきません」
「こういう宿命の元に、リナは生まれてきた。覚悟はできている」
 父ちゃんは拳を握り締めながら、呟いた。
 姉ちゃんと、父ちゃんの気持ちが、あたしには痛いほどわかった。
 母ちゃんは、涙を流しながら、あたしに微笑んだ。


「ちがう!他に何か方法があるはずだ!リナじゃなくてもっ……!」
「ガウリイ、気持ちはわかるが……もう時間も残されてない」
「ガウリイさん……他に、何も無いんです……」
 ゼルとアメリアは沈痛な面持ちでそう言った。
 シルフィールは泣き崩れてしまった。
 みんな、きっと一生懸命他の手段を探してくれてたんだ。
 もう何日も眠ってないのだろう、顔色がわるい。
 あたしは、なぜか、落ち着いていた。
 本当は、こうなることがわかっていたのかもしれない。
 あの幸せすぎる時間は、こうなる事への代償だったのではないかと。


「もし、重破斬が暴走したらどうする?そうなったら世界は終わるんだぞ!
 それに……あの時は……リナを取り戻すことが出来た。
 でも、きっと二度も同じ奇跡は起こらない!わかるだろ!?」
「わかってるさ!俺達だってリナにそんなことさせたくない!
 でも……それでも、重破斬に賭けるしかないんだ!!」
 ガウリイの問いにゼルが叫ぶ。
「嫌だ……嫌だ!そんなことはさせない!!」
「ガウリイっ……」
「うるさいっ!だまれっ!!」
 感情を剥き出しにして、ガウリイが叫ぶ。
 こんなガウリイの姿は見たことがない。
 いつも自分の感情を押し殺してきた彼が、それを一気に解き放った!
「そんなことさせやしない……絶対に…………リナを……連れて行こうとするなら……
 ここにいる全員、殺してでも阻止する!」
 そういうと、すらりと『ブラスト・ソード』を抜き放つ。
「……仲間だろうと……何だろうと……斬る」
「ガウリイ!」
 あたしの声すら、ガウリイには届いてない。
 薄紫に輝く抜き身の剣を片手で正面に構え、
 凄まじい殺気を放ちながら、皆を冷たい蒼い瞳で見つめていた。
 本気だ……ガウリイは本気で斬るつもりだ。
 そして、そのガウリイを止められるのはあたしだけ……

 あたしは、ガウリイに向かって歩き出す。


「ガウリイ……」
「リナ……」
 あたしが、固く握られたガウリイの左拳を手に取ると、ガウリイから殺気が消える。
「ガウリイ……みんな、苦しんだのよ……あたしに、重破斬を使わせたくないから。
 でもね……これしかなかったの……世界を守るには…………
 あたしは、魔王を倒したい。この世界が大好きだから、大事な人たちを守りたい。
 だから……あたしは、あたしの意思で、重破斬を使うわ」
 ガウリイはあたしを見つめたまま、そっと頬に触れる。
「どうしてだ……?お前は今まで、何回も世界を救ってきた。
 お前がいなければ、とっくの昔に世界は終わってた。 
 それなのに、どうしたまたお前が犠牲にならなきゃいけない?
 なぜ、お前が死ななきゃならない……」
「あたしは……この世界にいてはいけなかったのかもね。
 あたしのせいで死んだ人はたくさんいるわ。
 あたしは……こうなるべきだったのよ……」
「なに……なにいってんだ!お前がいてはいけない者だってのか?
 じゃあオレはどうなる?
 お前と共にいることで、生きる意味を見つけたオレはどうなるんだよ……!」
 ガウリイの眼から、堪えきれずに大粒の涙が零れ落ちる。
 それは止まることなく、彼の頬を濡らしてゆく。
「オレは……夢見てたんだ。小さな家で子供に囲まれながらお前と暮らす……そんな夢を……
 いつか……そんな幸せな日が来るって……」
 ガウリイの言葉に、あたしも涙を堪えることが出来なくなった。
 あたしも、いつかそんな日が来ると心のどこかで願っていたから。
 ガウリイといる時間があまりにも幸せで、それは永遠に続くのではないかと
 錯覚するほどだったから。
 こんなにも強くガウリイを想っているから、だから守りたいの、あなたを。
「オレは……お前を失いたくない……リナを……失いたくないんだ……
 なぜ……なぜなんだよ……リナぁ!」
 涙を流し続ける彼を、きつく抱き寄せる。
 震えながら泣くガウリイを抱きしめながら、あたしも泣いた。
 みんなも、涙を流していた。
「…………どうしてっ…………」
 消え入りそうな声で泣くガウリイに、あたしはそっと口付ける。
 ガウリイの深い、深い悲しみが心に流れ込んでくる。
 その時、あたしはガウリイが愛するものを失うことを、どんな事よりも
 何よりも恐れているのに気付いてあげられなかった。
「あたしは……ガウリイの気持ちも、皆の気持ちも、痛いほどわかるの。
 皆……あたしを愛してくれてる。あたしも、愛してる。だから、守りたいの……
 ……お願い……わかって……」
「────っ!」
 ガウリイは、何も言わずただあたしを抱きしめた。
 その瞳に、何か覚悟を決めたような輝きが宿っているのに……
 あたしは気付かなかった。




「一つ……頼みがある……いや、条件だ」
 いつもよりずっと低い声で、はっきりと言い出す。
「条件……?」
 あたしは、何のことかわからず、首を傾げる。
「オレも連れて行け」
「……え?」
「お前が混沌の闇の中に行くと言うのなら、オレも一緒に連れて行け」
 あたしの両肩をしっかりと掴み、あたしを見据えたまま、
 ガウリイはそう言った。
 あたしも、聞いていたみんなも、一様に絶句してしまう。
「なっ!なに言ってんのよ!そんなことできるわけないでしょ!!」
「どうして!」
「あたりまえじゃない!なんであんたを道づれにしなきゃいけないの!」
「オレは一緒に行きたいんだ」
「だめよ!絶対にだめ!!あんたは生きなさい、この世界でみんなと共に生きてほしいの!」
「お前がいなくなるのに……オレ一人で生きろというのか?」
「……そうよ」
「どうしても、だめか?」
「だめよ」
 皆、固唾を飲んであたしたちのやりとりを聞いている。
 すでにアメリアやシルフィール、フィリアは泣き出し、
 ゼルも苦しげな顔をしてこっちを見つめていた。
「……わかった……」
 絞り出す様な小さな声で、ガウリイは呟いた。
 あたしを見つめる蒼い瞳。
 その瞳が、いつもと違うことにあたしは気付かない。
 ガウリイの返事を聞き、安心したあたしはフィリアの元へ行こうと踵を返し、
 ガウリイに背を向ける。
 


 その時だった。



「だめよっ!ガウリイさんっ!!」
「やめろおおぉぉぉ!!」
 姉ちゃんとゼルの叫び声が辺りに響き渡る。
 振り向いたあたしが見たものは……



 自らの体を、手にした『ブラスト・ソード』で貫く、ガウリイの姿だった。 
 





3へ続く