いつか叶う日まで
〜8〜









 ・・・・・・雨が降っている。どこまでも、はてしなく。あきることなく。
 涙が人間の浄化作用だとしたら、雨はだれのための浄化作用なのだろう。



 寒かった。全てが。けっして雨のせいだけではなく。心の奥底が。
 自分が何をしたのか、痛いほどによくわかっている。
 わかっているからこそ―――辛かった。
 今この時ほど、自分が赤の竜神の騎士であることを恨んだことはない。
 もし、普通の子供だったら。町中にいる子供と、同じだったら。
 そうしたら・・・・・・どれほど、良かったのだろう・・・・・・?
 いつでもどこでも、プレッシャーがつきまとう。
 べつに、リナママは何も言わない。今まで一度だって、そんなことを言ってきたことはない。
 だから―――これは、勝手に僕が自分で自分を追い詰めてるだけだとゆうのはわかる。わかるのだけれど・・・・・・それは、わかるのだけれど。


 リナママみたいに、物事をきっぱりと分けられるような性格だったら良かったのに。
 割り切って、そうしてしまえば、いくらかは楽だったのかもしれないのに。
 だけど僕は、いつまでたっても中途半端なまんまだ。
 自分で自分を勝手に追い詰めて、そしてそれに負けそうになっている。

 ・・・・・・ほんと、バカみたいだ。何をやっているんだろう。

 だけどわからない。わからないからこそ迷っている。
 自分が何をしたいのか。自分が何を求めているのか。
 複雑な迷路の中。生まれた時から僕はそこにいた。だけど今までは、かすかにだけれど、出口に向かって灯火があったのに。
 今は・・・・・・気がついたら、それが、消えてしまっていた。
 ただたんに、僕が見失ってしまっただけなのかもしれないけど。
 だとしたら、どうして僕は見失ってしまったのか。
 どうして僕は―――ガウリイさんを助けなかったのか。
 助けられなかったのか。それとも・・・・・・助けたくないと、思ってしまったのか。
 もし、そうだったのなら、・・・・・・僕は、人殺しと同じだ。
「・・・・・・・・・」
『人殺し』―――その言葉に寒気をいおぼえる。
 命をうばったのなんて、もう数え切れないほどにあるのに。
 例えばそれは、襲ってきた盗賊だったり動物だったり、あるいは魔族だったり。
 べつに自分から好き好んで殺したわけじゃない。不可抗力だった。それは今でもそう信じて疑っていない。
 だってそこでやらなければ、僕たちが殺されていたのだから。弱肉強食。強い者が生き残り、弱い者は死んでいく。それは生きていく上での摂理であって、だれにも変えることのできない絶対の理だ。
 そう、思っているのに。それでもいつも、だれかの命を奪う時に、必ず切なさをおぼえてしまう。
 しかたないと自分で言いながら―――このザマだ。
 ひょっとしたら僕は偽善者なのだろうかと、ふと思った。
 普段は『いい子』のフリをして。いかにも正しいようなことを口にして。でも実際は―――・・・・・・
「・・・・・・だとしたら、最悪だな」
 つぶやいて。心底からそう思って。
 自分でもあきれてしまうほどだ。
 なのに涙がとまらない。何に対して泣いているのかもわからないまま。


 ガウリイさんを助けなかったことに対してなのか。
 自分自身が嫌いになった、そのためなのか。
 それとも―――


「・・・・・・ママぁ・・・っ!」
 どれもちがった。いや、全くはずれているわけではない。だけど。
 ただ、リナママに嫌われたくない。そう思っているだけ。
 僕には何も無い。そこでママに嫌われたら、本当に何も残らないから。
 だから・・・だから・・・っ!
「こんなの、ヤダっ・・・お願い、だから・・・・・・っ!」
 だから―――嫌わないで。
 祈りは、いったいだれに捧げたものなのか。
 生を望む、赤の竜神か。
 それとも―――目の前の、この人に向けたものか。





「・・・・・・ロナ」





 名前を呼ばれるだけで、ほら、こんなにも嬉しくなる。
 雨にびしょぬれに濡れた体。元気のいい栗色の髪は、雨をすって重たくなり。
 暗い辺りの中、紅の双眸だけが、明るく、光っている。
 リナママの瞳が好きだった。だから、それを自分が受け継ぐことができて、本当に
嬉しかった。
 中には、血色の瞳だと、赤眼の魔王だと言って、怖がる人もいたけれど。
 でも、いいんだ。だれが何と言おうと、僕の一番好きな色だから。

 しばしの沈黙。
 僕は何も言わない。ママも同じ。
 雨の音をバックに、ただ見つめ合う。


 怒られるのかな? それとも・・・・・・嫌いだって、言われるのか。
 どちらだっていい。もう、どうにでもなってしまえばいい。
 そうされても文句も言えないようなことを―――僕は、したのだから。
 判決を言い渡される時の、罪人のような気持ち。
 緊張すると同時に、けれど、心のどこかが冷めている。


 地面に座りこんだ僕をしばらく見つめてから、歩き出す。
 右手を思い切り上げる。無表情のまま。

 ばしっ!

「・・・・・・・・・」
 ―――痛い。素直にそう思う。
 左の頬がじんじんしている。
 初めての―――冗談ではなく、初めての経験だった。
「自分が何をしたか・・・・・・あんた、わかってるのっ!?」
 わかってる。そう言おうとした。だけど。
「こんな夜に、いきなり飛び出して! しかも、こんな遠くまで来るなんてっ!
 あんた・・・あたしがどれだけ心配したか、わかってるの!?」
「・・・え?」
 きょとん、とする。とっさに、リナママの言っていることがわからなくて。
 てっきり、ガウリイさんのことを言われるだとばっかり思っていたから。
 僕の言葉をどう思ったのか、ママはさらに口を開いて。
「え? じゃないわよっ! どれだけ人に心配かけさせれば気がすむのよっ!
 もうこんな暗いのに・・・こんな、人気のないところまで来て! 何かあったらどうするつもりなのっ!?
 いくらあんたが赤の竜神の騎士でも、万が一ってことがあるでしょ!?
 ほんとに、ここまで来る間、ずっと不安で・・・・・・っ!」
 言って、濡れている地面に座り込んで。僕をぎゅっと抱きしめて。
 泣いてるのかなと思った。だって、そんな気配をしていたから。
「もう、バカっ! ほんとに、ほんとに・・・っ!」
 リナママにここまで怒られたのは初めてで。
 同時に、ここまで心配をかけたのも―――多分、初めてだ。
 状況が、よくわからなくて。しばらく迷ったのち、やっとの思いで僕が出した言葉は。
「・・・・・・だって、僕、ガウリイさんのこと見殺しにしたのに・・・・・・」
 なのに、どうして心配なんかして―――そして、ここまで来てくれるのか。
 リナママは、顔をあげて。わざと、怒ったような顔をして。
「バカ。勝手に自分の父親殺すんじゃないわよ。
 あの後、あんたを追ってきたフィリアが来て―――すぐさま回復呪文かけてくれて。
 今は、王宮で休んでるわ。ちゃんと生きてるわよ」
「え・・・」
 ―――何だ。ガウリイさん、生きてるんだ。
 ほっとしたような、拍子抜けしたような。
 だけど・・・・・・たとえ、ガウリイさんが助かったとしても。
「・・・・・・でも、僕、ガウリイさんのこと助けようとしませんでした」
「ろ、ロナ・・・っ?」
 結果は良かった。ガウリイさんは死んでない。
 けれど、だからといって、僕のしたことが悪いことだとゆうのにかわりはない。
 僕のしたことは―――間接的な・・・人殺しだ。
 リナママに会って、温かくなりかけた心が、再び重く沈んでいく。
「僕、ガウリイさんが危ないって知ってて、それで逃げ出しました! 僕、ガウリイさんのこと・・・・・・っ」
「ロナっ・・・・・・いいのよ、仕方なかったのよ。元はといえば、油断してたあたしのせいなんだからっ!」
「ちがう・・・ちがいますっ!」
 たとえ、原因がリナママにあるとしても。でも、僕にはガウリイさんを助ける
『力』があった。
 それを、自分の意志で、使わなかった。それは―――
「いいの、ちがうの。そうじゃないの。ロナ、あんな大怪我した人を見るのは初めてだったでしょ? だから気が動転しちゃっただけよ。あんたは、人を見殺しにするような子じゃない。あたしはそう信じてる。だから、ロナが罪悪感を持つ必要なんて、これっぽっちもないのよ」
 必死に、僕をなだめるかのように、リナママは切ない表情でそう言った。
 本当に、そう思っているのか。それとも、僕を救うために、そう言っているのか。
 判断は・・・・・・限りなくむずかしかった。
「リナママの方こそちがいますっ! 僕は、動転なんかしてません。自分で・・・・・・自分の意志で逃げ出した!」
「ロナっ!」
 怒鳴られても気にしない。いつもの僕ならわからないけれど。だけど、今は。今だけは。
 もう我慢なんてしない。言いたいことを―――言わなければならないことを、言う。ただ、それだけだ。
「だって・・・だって! あの時、ガウリイさんが死んじゃえばいいって・・・いなくなればいいって・・・・・・僕、そう思いました!
 ガウリイさんが―――ガウリイさんが、邪魔だったからっ!」
「ロナっ!!!」
 思い切り叫んで。僕の顔を見て。
 赤い双眸がぶつかり合う。
 何分か前と同じ光景。だけど瞳に宿る色は、先ほどとは全然ちがう。
 ためらいか、躊躇か。それとも―――悲しみか。
「・・・・・・ガウリイのこと、嫌いだったの?」
「・・・・・・・・・」
 リナママは泣いていた。雨のふっている中、なぜかそれがわかった。
「だって・・・っ」
 言いたかった言葉。だけどずっと言えなかった。
「ガウリイさんといる時のリナママ・・・・・・すっごい、嬉しそうだったから・・・・・・」
 僕といても、笑ってはくれるけど。優しく微笑んではくれるけど。
「ガウリイさんが来てから、ママ、ずっと嬉しそうで・・・・・・僕といるよりも、楽しそうで・・・・・・っ」
 それは、実にささいな態度だった。
 例えば、笑いながら、遠慮もなしに食事を奪い合ってる時だったり。
 例えば、ガウリイさんのぼけに、つっこみを入れてる時だったり。
 例えば、―――ふとした拍子に、幸せそうに小さく微笑んで、名前を呼んだ時だったり。
 どれもこれも、以前は見れなかった。僕と、二人だけで旅をしている時には。
「リナママ・・・・・・ガウリイさんといる時が、一番、幸せそうだったから・・・・・・っ!」

 だから。

「ガウリイさんに―――リナママのこと、取られちゃいそうだったんだもんっ!」
 今までは二人だけだった。いつでも、僕とリナママと、二人だけ。それが・・・・・・
「前までは、僕だけのリナママだったのに! 一変にいろんな人が来て、ガウリイさんが来てっ! もう、僕だけのママじゃなくなちゃった!」
 止まっていたはずの涙が、再びせきを切ったかのように流れ出す。
 口に出して、改めてそう思い知らされた。
 何て・・・・・・何て、独占欲が強いんだろう・・・・・・?
 自分でもそう自覚している。だけど―――どうしても、止められない。気持ちは波にのり、そのまま流れていく。流れ出して―――止まらない。
「リナママは優しかったけど・・・・・・でもっ」
 上手い言葉が見つからなくてくやしくなる。自分の気持ちを的確に表現できなくて。どうやったら伝えられるのかわからなくて。



「―――・・・・・・さみしかったの?」



 するりと身体の中に入り込んできた言葉。
「・・・・・・サミシイ?」
 つぶやいて、「ああ、そうか」と納得する。
 ずっと、自分のことがわからないと思ってたけど。どうしたいのかわからなかったけど。
 僕は―――ただ、さみしかったんだ。
 今までは僕だけのママだったのに、突然『仲間』が現れて。僕だけの居場所が、突然数人のものになってしまって。
 だから、不安で。だから、さみしかったんだ。
「・・・・・・はい」
 さみしかった。だけど、不器用だから。いっつも、我慢しちゃうから。
 だから―――上手く、それを伝えることができなくって。
「―――そっか。ロナ、さみしかったんだ。ずっと」
 小さく苦笑して、自嘲気味につぶやいた。泣きながら。
 僕を思い切り抱きしめて。耳元で、泣き声まじりに言葉を紡ぐ。
「ごめん・・・・・・あたし、自分のことだけしか考えてなかった。ガウリイ達と再会して、それが嬉しくって。いつか二人も仲良くなってくれればいいな、なんて、気楽に考えてて。全然・・・・・・ロナのこと、わかってあげられなかった。・・・・
・・こんなんじゃ、母親失格よね」
「・・・・・・リナママ?」
「フィリアにね、実は怒られたのよ」
 唐突に出てきたその名前に、泣きながらも僕は驚いた。
「ガウリイを王宮まで運んで、すぐにあんたを探そうと飛び出そうとしたあたしを捕まえて。『ロナさんはリナさんのことを考えて我慢しているのに、どうしてそれを、母親であるあなたがわかってあげないんですか?』って。それを聞いて愕然として・・・・・・今も、正直、かなりへこんでるわね」
 いつもの元気なリナママからは想像もつかないほど、弱々しい顔つきになって。
 降り続ける雨の音は、心なしか弱くなったようだった。だけどやはりうるさいことに変わりは無い。
「あたしは、両親とも、すごい優しくて。姉ちゃんも・・・まあ、あたしのことを可愛がってくれて。すごい幸せな子供時代で、家族がそろってるってゆうのは、すごい当然のことだったの。だから・・・・・・父親がいないロナの気持ち、全然考えてあげることができなかった。今の状況は、元はと言えばあたしが作ったのに・・・・・・本当に、無責任でっ。ごめん。謝ってすむ問題じゃないけど。だけど―――ごめんなさい、ロナ」
 二人そろって泣いているなんて、少しおかしかった。
 ごめんなさい、だなんて。言われても困る。謝ってすむ問題じゃないと思ってるのなら・・・・・・どうして謝るのだろう?
「ちがう」
 僕は、謝ってもらいたいわけじゃない。
「ちがう」
 謝るとゆうのなら―――それは、僕も同じだから。
「ちがうっ!」
 叫ぶ。思い切り。開いた口に雨の粒が入る。そう―――ちがうのだ。
 リナママにしがみついて。必死になって・・・・・・懇願した。
「お願い・・・・・・僕のこと、嫌わないで。嫌いに・・・・・・ならないで」
 謝らなくていいから。好きなだけ怒っていいから。何でもするから。
 だから、その後には。それが終わった後には。
 いつもみたいに―――ロナって。名前を、呼んで。
「お願い・・・リナママ・・・っ! 嫌わないでっ!」
 嫌わないで。お願い。嫌いにならないで。
 願いは、ただそれだけ。他には何もいらない。
 必死に、しがみついて。そう、吐き捨てて。
 恐る恐る・・・・・・顔を上げた僕に。
「―――バカ」
 涙をこぼしながらも、苦笑して。いや、嬉しそうに・・・笑って。
「・・・ほんとに、バカよ。普段は驚くほどしっかりしてるってのに」
「リナママ・・・・・・?」
「あたしね、もし、ガウリイとロナ、どっちかを選べって言われたら―――きっと、すごい迷うと思う。ううん、絶対に迷うわね。
 だけど・・・・・・あたしは、ロナのことを選ぶわよ」
 ドクン。心臓が波打つ。
「ガウリイさんは・・・・・・いいの? 好きじゃないの?」
 僕の言葉に、リナママはゆっくりと首をふる。
「もちろん、ガウリイのことは好きよ。あたしが選んだ男だもの。あたしにとっては、世界一の男よ。
 だけど・・・・・・母親にとって、子供は自分の命よりも大事なモノなの。それこそ、何を犠牲にしてもいいぐらいにはね。
 だから、あんたを嫌いになることなんて絶対に無い。それだけは、断言できるわ」
 はっきりと、僕の目を見て。そう、つぶやく。
 心の中で、リナママの言葉を繰り返す。
 ・・・・・・嫌いに、なって、ない? 僕が、ママの子供だから?
「あんたが生まれた時のこと、あたしは今でも憶えてる」
 僕が生まれた―――それは、今から七年前のこと。
「すっごい辛くて、一人だけなのがすっごい悲しくて。だけど・・・・・・それと同じくらいには嬉しかったわ。初めて好きになった人との初めての子供だもの。だから、あんたにはあたしの名前をあげたのよ」
 ロナ=インバース。僕の名前。リナママにそっくりな。
「例えあんたが、赤の竜神の騎士じゃなくて、ただの子供だとしても。あたしの言うことなんて全然聞かない悪ガキだとしても。あんたがあたしの子供でいる限り―――あたしは、ロナを嫌いになんかなったりはしない。何回だって誓えるわ。
 世界で一番、大好きよ。ロナ―――あんたのこと、愛してるわ」


 ―――愛してる。


 その言葉の意味を、僕はまだよく知らなかった。
 恋とか愛とか、言葉だけなら知っているけど。だけど、どうゆうものかはわからない。
 でも・・・そんな意味なんてどうでもいいのかなと、今、思った。
 だって、ほら。そんなのわからなくても―――涙は、止まるから。嬉しく、なるから。
「・・・ホント、ですか?」
 疑ってなどいない。ただの確認だ。リナママが僕にウソをついたのは、過去に一度だけだ。パパは魔王に食べられちゃったのよってゆう。でも、パパはちゃんといた。
だれよりもクラゲで・・・・・・だれよりも、かっこいい。
「もちろんホントよ。あたしの言うこと、疑うの?」
 そのセリフはどこかで聞いた。そう、つい一時間か前に。フィリアさんが言ってたんだ。
「疑ってません。信じてます」
 大丈夫、大丈夫。もう、平気。我慢なんてしてないで、心から、そう思える。
 これから先、まだたくさん、不安なことはあるのだろうけど。でも―――ちゃんと、信じられるから。僕はリナママに嫌われてないって。好かれてるって、自信を持てるから。
 ガウリイさんとも、大丈夫。急には変われない。僕は不器用だから、いきなりは走り出せない。だけど、少しずつ、近づいていける。今ならそう思う。
 大丈夫、大丈夫。もう、平気。我慢なんてしてないで、心から、そう思えるから。
「僕、リナママのこと大好きですからっ!」

 ―――雨は、いつのまにかやんでいた。