いつか叶う日まで 〜6〜 |
いつだったか、一回だけ、訊ねたことがあった。 リナママは、もう忘れているだろうけど。 『僕のパパはどうしたんですか?』 今から約二年ほど前のこと。忘れっぽい僕なのに、なぜかそれだけは憶えている。 それまで、家族とゆうのはリナママ一人だった。べつにそれがさみしいと思ったことはない。生まれた時からずっとそうだったから、そんなものなのだろうと、知らない内にも納得していた。 だけど、ある時ふと思ったのだ。 町や村で見かける子供たちには、みんなママとパパがいた。なのに、どうして僕にはパパがいないのかと。 訊ねた瞬間―――あの時のままの表情を、僕は多分この先忘れることはないだろう。 泣きそうになるのを、精一杯我慢しているような。 瞳には、迷いとか、後悔とか、寂しさとか。いろんな、複雑すぎるほどの想いがせめぎあっていて。 「・・・・・・パパがいないと・・・・・・さみしい・・・・・・?」 僕は慌てて首をふった。今よりももっと子供だったけど、それでも、大変なことを聞いてしまったとゆうことだけはわかったから。 「僕、リナママがいればいいです! さみしくないですよ?」 ママは笑った。さみしそうに。 その日の夜、リナママは一人で泣いていた。 ベッドの中で。マクラに顔をうずめて。 暗かったし、僕はもう寝ているとママは思ったのだろうけど。 だけど僕は起きていた。その日のことは、今でもよく憶えている。 二人の消えた方を見ながら、僕はぼーっとしていた。 「ロナさん」 声をかけられて、振り返る。 「あ、すみませんフィリアさん。勝手に僕と一緒にしちゃって・・・・・・」 「いえ、それはいいんです」 でも、と言葉を続ける。 「お二人に、気を使われたんですか?」 「・・・・・・だって」 ママの気持ちもガウリイさんの気持ちも、よくわかったから。 何も言わなかったけど、リナママもガウリイさんと一緒に行きたそうで。 僕一人が我慢すればすむことだった。 ガウリイさんが、すっごいイヤな奴で、ママをだましてるとかゆうのならべつだけど。 でも―――ガウリイさんは、けっしてそんな人じゃなくて。 人の多い道の真ん中で、いつまでも立っているわけにはいかない。 屋台で二人分の飲み物を買って、ぶらぶらと歩き出す。 「―――ロナさん。あなた一人が我慢する必要はないんですよ」 ちょうどいいところに階段があって。ちょっと行儀が悪いとは思ったけど、その一番上に並んで腰を下ろす。 「我慢してるように見えますか?」 「リナさんは、少し鈍感ですから気づいてないかもしれませんけど。私とロナさんは、同じ神族同士、少しですけれど通じ合うものがありますから」 だからわかるのだと、フィリアさんは言外にそう言っていた。 思い切り否定するのもばからしいし、けれど肯定する気もなくて、僕は黙っている。 「どうして我慢するんですか?」 「・・・・・・僕が我慢すればすむことでしたから」 べつに、改めて考える必要はなかった。 ずっとずっと、こうして生活してきたから。 『ごめんね、ロナ。ママ、ちょっとお仕事があるの。しばらく、ここで留守番しててくれる?』 急ぎの仕事で、すぐにでも三つばかり離れた所にある町に行かなくてはならないとかで。僕をつれてレイ・ウィングで飛べば、スピードはその分遅くなってしまうから。 だからうなずいた。本当は行ってほしくなかった。だけど仕方なくて。 宿のおばさんは優しかった。親切で、いろいろ面倒を見てくれて。でも、一人で眠る瞬間、とてつもなくさみしかった。今も―――微妙に、それと同じような気持ちになっている。 「ロナさん。それはちがうでしょう?」 「何がです?」 「我慢すれば、とゆうのは、ただの事実。それは、あなたが気づいたことでしょう? そうではなくて―――それに気づき、そしてあなたが決意するきっかけとなったものは何なんです? 何かあるのでしょう?」 「それは―――」 そんなものはない、と首を横にふろうとして。 フィリアさんが頭を優しくなでてくれて、それを押しとどめた。 ・・・・・・甘えていいかな、なんて思ってしまって。ことん、と肩によりかかる。 フィリアさんは、嫌がったり驚いたりはしなかった。何だかそれが嬉しくなる。 嬉しくなって―――・・・・・・言ってしまった。 「・・・・・・僕、赤の竜神の騎士だから・・・・・・」 物心ついた時から知っていた。だれに教えられたわけでもない。だれに言われたわけでもない。だけど僕は知っていた。 普通の人間ではない。かつて滅んだ、赤の竜神の力の一部を身体に宿したモノ。 だから、僕は強くなければいけなかった。 だから、僕は『いい子』でなければいけなかった。 だって、普通の子供じゃないのだから。あろうことか、神様の一部をもっているのだから。 そんな力を持っているのに、悪い子になんかは絶対になれないと・・・・・・そう、思った。 もちろん、リナママを困らせるのなんて論外で。 「バカね」 ふっと笑って、フィリアさんは小さく微笑んだ。 口調が、ちょっとくだけている。あれ? と思う。 僕の体をそっと抱きしめて、フィリアさんはささやいた。 「赤の竜神の騎士だとか、そんなことは考えなくていいのよ。赤の竜神の騎士である前に、あなたは一人の人間で・・・・・・まだ子供なんだから。母親に甘えるのに、何をためらう必要があるの? もっと素直に、言いたいことを言えばいいのよ」 「だって・・・っ」 フィリアさんの言ってることは正しいと思った。だけどそれをそのまま受け入れることはできなかった。できないのは、僕が素直じゃないからなのかもしれない。 「リナママ・・・・・・いっつも、辛そうだったから・・・・・・」 向こうの時代で。僕の前では、笑ってくれていたけど。 「―――でも、本当は甘えたかった?」 「はい」 少しは素直になる。こくりとうなずく。 もっと無邪気だったら良かったのかもしれない。普通の子供みたいに、我儘なんかもいえれば良かったのかもしれない。 だけど、僕はそうはなれなかった。気がついたら、今のようで。 「それは、リナさんに非がありますね」 「・・・・・・リナママに?」 言葉の意味が理解できなかった。 リナママに非があるって―――つまり、リナママが悪いってことで。 「だってそうでしょう? 悪いのはリナさんで・・・・・・いえ、本当はだれも悪くないのかもしれない。ですけど、原因がリナさんにあることだけはたしかです。 ロナさんは、どうしてリナさんがガウリイさんから離れたのか知っていますか?」 「少しだけなら」 宿の部屋で、二人きりの時に話してくれた。 「一緒にいると、ガウリイさんを危険な目に合わせるから・・・・・・ガウリイさんのこと、信じられなかったからって言ってました」 「そう。リナさんは、ガウリイさんと一緒に生きていく覚悟がなかったんです。だから逃げてしまった。それはリナさんの弱さだわ。 だけど、もしリナさんが逃げたりしないで・・・・・・そのまま、ガウリイさんと一緒にいたら。そうしたら、どうなっていたと思います?」 今まで考えもしなかったことに、僕は目を丸くした。 もし、そうだったら。生まれた時からママとパパがいれば――― 「・・・・・・今とは、全然ちがってたと思います」 「そうね。きっと全く変わってたでしょうね。リナさんは辛そうな様子なんて見せなくて、ロナさんは平気で甘えられたでしょうし。ガウリイさんとも、何のわだかまりもないでしょうしね。 だから、わかる? リナさんが逃げたりなんかしなければ、あなたは普通の子供になることができたの。赤の竜神の騎士であることは変わらないけど、でも、我慢なんてする必要はなかったのよ。だから―――あなたは悪くないんです」 「悪く、ない・・・・・・?」 「そうです。リナさんと二人で旅をしているうちに、あなたは必然的に我慢することを覚えてしまった。だけどね、本当はそんなの覚えなくてもよかったの。だってあなたは、本来なら普通の生活を送れたんだから。 ロナさんは、何も悪いことなんてしていないんです。だからね、我儘も言っていいの。好きなだけ甘えていいの。ロナさんには、その権利があるのだから」 初めて言われた言葉に驚いた。 フィリアさんは真面目な表情で。とてもウソをついているようには見えなかった。 ・・・・・・我儘言っていいの? 甘えていいの? 「―――本当ですか?」 「あら。私の言うこと、疑うんですか?」 憤慨といった顔で、フィリアさん。 普段はおとなしそうに見えても、こうゆうところは気が強そうだった。 そういえば、よくゼロスとケンカしてたな、なんて思い出して。 さすがはリナママの友達だと思ってしまう。 「いいえ、信じます。ありがとうございます」 『ありがとう』と『ごめんなさい』。だれが相手でも、この言葉は言わなきゃ駄目だと、リナママから言われていた。 だから今、フィリアさんに言う。少し、気が楽になったから。 「お礼を言うには、まだ早いですわ」 フィリアさんの言いたいことはわかった。小さくうなずく。できるかどうかは、わからなかったけれど。 「リナさんに、ちゃんと言って下さいね?」 「・・・・・・はい」 上手く言えるかどうかはわからないけど。言ったら、ママがどんな反応をするかどうか・・・・・・ちょっと怖いけど。でも、いつまでもこのままってわけにもいかないから。 「それでは、行きましょうか」 言って、フィリアさんは立ち上がった。 「どこにですか?」 「あら。そんなの」 にこっと笑って。 「もちろん、遊びにですわ」 「ほら、ロナさん。これも美味しいですよ」 「うわっ、ちょっとフィリアさん・・・っ」 はい、と手渡された焼き菓子を、僕は慌てて受け取った。 「あの、さきから買いすぎじゃありません・・・・・・?」 「せっかくのお祭りなんですもの。こんな時こそぱーっと使うべきですわ」 ぱーっとって、そんなリナママみたいなこと言って・・・・・・ まあ、渡されたお菓子は美味しいけど。 「どうせ皆さんも、いろいろ買ってるに決まってます。私達だけがけちる必要はありませんわ。ほら、ロナさんも食べて食べて」 「はァ・・・」 う〜ん、そろそろお腹はいっぱいなんですけど・・・・・・ 「それにリナさん達ってば、こんな可愛い子供を放って、二人で遊んでるんですよ?」 「それは僕がいいって言ったからで・・・・・・」 フィリアさんに、僕の声は聞こえていないようだった。 「仕方ない人達です」とか言いながら、本気で腹を立てているようだった。やさしい人だから・・・・・・こんな風に、僕のために怒ってくれているんだろうけど。 「そういえば、そろそろ花火の時間かしら」 「ああ、それぐらいかも・・・・・・」 空を見上げて。僕はちょっと顔をしかめた。 ―――雲が出てきて、天気はくずれかけていた。 「雲が・・・・・・雨でもふるのかしら」 「このままもてばいいですね。花火ができなくなっちゃう」 アメリアさんのあの様子を見ていれば、けっこう見事らしいとゆうことはわかるし。 降らないように、ちょっとお祈りしてから、僕は視線をもどして。 「・・・っ!」 体に電撃が走ったような感覚。 理由もなしに、全身に怒りが込み上げてくる。 この、気配―――魔族っ! 「あっ、ロナさん!?」 いきなり走り出した僕に、後ろからフィリアさんが声を上げる。 だけど僕は止まらない。そんなヒマはない。 「どうしたの、ロナさん!? ロナさん・・・っ!?」 ごめんなさい! ―――心の中で謝って。 べつに、使命だとか何だとか考えているわけではない。神族だから魔族を倒さなくてはいけないとか、そんなことは関係ない。少なくとも、僕にとってはそうだ。たしかに魔族は嫌いだ。だけどそれはどうでもいい。 問題なのは、魔族の出現した場所。 気のせいではない。リナママの気配と重なっている。 つまり―――奴の狙いは――― ただひたすらに、人込みの中を走りぬける。 たどり着いたそこで。 ガウリイさんが―――剣を抜いていた。 |