いつか帰る日まで
〜7〜









 もし、素直に自分の気持ちを伝えることができたら。
 何のためらいもなく、好きだと口に出せたら。
 どんなに・・・・・・良かったのだろう?


 辺りは、早くも日が沈み始めていた。
 どこからか吹いてくる風は肌寒く、徐々に体温を奪っていく。
 とある山の中腹辺りで。
 あたしは―――座り込んでいた。
「・・・・・・リナママ。大丈夫ですか?」
 心配そうに、あたしの顔をのぞきこんでくるのはロナ。
 夕日に、長い金髪が眩く照らされている。
 その様子に、あたしはちょっと目を細めて。
「・・・・・・ん。大丈夫。ちょっと疲れただけよ」
 ロナを抱きながらレイ・ウィングの術をかなりの時間使いつづけていたため、体中が疲労感に包まれている。
 少し休めば、ちょっとは楽になるはずだ。
 何よりも―――今は、逃げなければいけない。
 ずっと飛んでいたため、けっこうな距離はかせげたとは思うが、ここでのんびりしているわけにもいかない。
「これから、どこに行くんです?」
 ロナの問いに、あたしは少し考え込む。
 はっきり言って、そこら辺のことは何も考えていなかったのだ。
 ただ・・・・・・彼から、逃げることに必死で。
「そうね。とりあえずはこの山を越えて・・・・・・もう少し行ってあたりで、宿でもとりましょ」
「じゃ、僕、少しこの辺りの様子でも見てきます」
 言うなり駆け出すロナに、あたしは慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっと、ロナ!」
「大丈夫ですよ、すぐに戻ってきますから。リナママは、ちゃんと休んでて下さいね」
 言って走り出したロナの姿は、生い茂る木々にかくれて、すぐに見えなくなってしまった。
 ・・・・・・まあ、ね。ロナなら、べつに心配はないとは思ってるけど。
 だけど、子供にそこまで身を案じてもらうとゆうのも、何とも複雑な心境である。
「・・・・・・」
 近くにあった、手頃な太さの木の幹によりかかって、あたしは一つ大きく息をつく。
 こんなにレイ。ウィングで飛んだのって、初めてじゃないだろうか・・・・・・?
 しかも、ロナを連れていたので、その分魔力も余計に使ったわけで。
 洗い呼吸を繰り返しながらも、あたしはめまぐるしく頭を働かせていた。
 ―――これから、どうすればいいのだろう?
 とりあえず、今は一刻も早くここから遠い所に行って。
 だけど・・・・・・行ってから、どうするのか。
 あたしはみんなのことを忘れて。みんなにも、忘れてもらって。
 それで―――事態は、解決することになるのだろうか・・・・・・?
 あたしが消えれば、全ては丸くおさまるんだと信じていた。
 ガウリイは、別の道を歩く事ができると。
 なのに、あたしは今ここで、いったい何をしているのか。
 忘れたと思っていた。けれど、いつも心のどこかで求めているのは彼一人で。
 ガウリイも・・・・・・同じだったのだろうか?
「何で・・・・・・忘れないのよ・・・・・・」
 黙っていなくなった女のことなんか、すぐに忘れてしまえばいいのに。
 置き手紙の一つなく、とうとうに消えてしまったあたしのことなんか。 
 あいつ、顔はやたらといいんだから、女なんかに不自由するはずもないのに。
 ほかのことは、いくら言っても忘れるくせに。
 あたしのことだけ―――おぼえているなんて。
「バカ。クラゲのくせして・・・・・・」 
 寒かった。体だけじゃなくて―――もっと、奥底にある何かが。
 ぎゅっと、自分で自分の体を抱きしめる。


「クラゲでも、大事なことはちゃんとおぼえてるんだよ」

 
 空耳かと―――あたしは思った。
 いや、空耳だったらいいと、思ってしまったのか。
 どくりと、心臓が波打つ。
 顔を、ゆっくりと上げる。
 いつから、そこに立っていたのか―――
 風に、長い金髪をなびかせて。
 彼が・・・・・・ガウリイが、そこに、いた。
「な、何で・・・・・・あんた・・・・・・」
 言葉がちゃんと出なくても、ガウリイにはあたしの言いたいことがわかったのか。
 彼は、小さく笑った。
「忘れたわけじゃないだろう? こっちには、黄金竜のフィリアがいるんだぜ?
 さすがにちょっと苦労はしたけどな、追いつくのはむずかしくはなかったな」
「・・・・・・」
 そうか―――フィリアが―――
 あたしは、小さく唇を噛みしめる。
 うかつだった。あたしがいくらレイ・ウィングで飛ぼうとも、フィリアに乗って来れば、たいした距離ではないのだ。
 あたしは口を開けなかった。
 どうすればいいのか―――どうするのが一番いいのか、頭を必死に回転させて。
 黙って見上げるあたしに、彼は、ゆっくりと近づいて来る。
 逃げなければ―――いけないのに。体が動かない。彼の瞳から、目が、そらせない。
「・・・・・・リナ。帰ろう」
 いつもと、まったく同じ声で。
 まるで―――何も、なかったみたいに。
 ガウリイは、あたしにやさしくそう言ってくる。
「何・・・・・言ってるの・・・・・・?」
 心の底から、そう思う。
 だって、彼にひどい言葉をぶつけたのは、ついさっきのこと。
 ガウリイのこと・・・・・・わざと、傷つけて。
 なのに、帰ろうだなんて。
「あんた、何言ってるのよ!? あたしに帰ろうだなんて・・・・・・はっ、ばっかみたい」
 嘘を―――つきとおす。
 一緒に帰るだなんて、そんなこと、できないから。
 嘘を、ついて。そして、逃げる。
「言ったでしょ!? あたしは、もうあんたに愛想がつきたの!
 だから逃げたのよ! なのに、何で追いかけてくるのよ!? 
いいかげんに、もう放って置いて!さっさと元の時代に帰って!」
 そうしないと―――危険だから。
「あんたがあたしをどう思っているかなんか関係ないのよ。あたしは、あんたが嫌いになったの! いっつもいっつも人の言うことなんて聞いてなくて・・・・・・ただ剣の腕と顔がいいだけの男なんて、あたしには必要ないの! だから―――早くどっかに行ってよ!」
 思い切り、そう叫ぶ。
 涙が出そうになるのを、必死に、こらえて。
 だけど、ガウリイは静かに笑って。
「絶対に帰らない。おまえが一緒に来るまではな」
 言っている言葉の意味が・・・・・・彼には、ちゃんとわかっているのだろうか。
「だから! あたしはあんたなんかとは帰らないって言ってるでしょ!? 何度言ったらわかるのよ!? あたしは・・・・・・っ」
「リナ」
 強い口調で、ガウリイはそう言って。
 ゆっくりとした足取りで、近づいて来る。
 そして、あたしの頬に、そっと手をのばす。
「・・・・・・本当のこと、言ってくれよ」
 びくりと、体がわずかに震える。
 本当のこと―――
 嘘ではない、真実を。
 アメリア達はだませたのに。なのに、ガウリイは無理だったのだろうか・・・・・・?
「おまえ、さっきご褒美でオレに抱かれてやったって言ってたけど・・・・・・あれ、嘘だろ?」
 そう、あれは嘘だ。
 ガウリイを・・・・・・あたしから、離すための。
 本当は、そんなこと欠片も思ってはないなかった。
 彼が・・・・・・好きだったから。心の底から、そう思ったから、一つになった。
 それが、何でガウリイにはわかったのだろうか?
 あたしのその疑問は、きっと顔に出たのだろう。
 ガウリイは、小さな笑顔を浮かべたまま、口を開く。
「おまえはさ、好きでもない男に抱かれてやるような女じゃないだろ? 本当にオレのことが好きだったから・・・・・・だから、やらせてくれたんじゃないのか?」
 ガウリイの声音は、本当にやさしくて。
 あたしは・・・・・・思わずうつむいてしまう。
「オレに、あんな嘘なんかつくなよ。おまえのことなんて―――全部、わかるんだからさ」
「・・・・・・全部?」
 あたしの声は小さい。
 だけど、彼はちゃんと聞き取って、そしてうなずいてくれる。
「いったい何年一緒に旅してると思ってるんだよ?
 だから―――帰ろう?」
 あたしは何も言えなかった。
 頬にふれている彼の手は、温かくって。
 うなずきたいけど―――うなずけなくて。
「リナ」
 ガウリイの言葉に、あたしは首を横にふる。
「一人で―――帰って」
 お願いだから。あたしが・・・・・・泣き出す前に。
「あんたには・・・・・・あたしのほかにも、すぐにいい人なんて見つけられるでしょ!? べつに、あたしじゃなくてもいいでしょ!?
 あたしは―――ここで、幸せだから。だから・・・・・・帰って!」
 いつのまに、あたしは、こんなに嘘をつくようになったのだろうか。
 ここで、幸せだなんて。
 たしかに、不幸ではなかったけど。
 彼がいなければ―――何も、意味はないのに。
「・・・・・・オレが帰ったら、どうするんだ?」
「あたしは、べつに・・・・・・っ」
「ロナだよ」
 その言葉に、一瞬、心臓が凍りついたような錯覚をおぼえる。
 ロナ―――あの子の父親は―――
 言いたかった。一言でもいいから。
 ガウリイとの・・・・・・子供だと。
 でも―――
「・・・・・・金髪なんて、あんた以外にもたくさんいるでしょ?」
 必死に自分に言いきかせる。
 駄目。うなずいては。
「オレだよ。あいつの父親は」
 自信たっぷりに、ガウリイはそう言う。
「何で、そう言えるのよ・・・・・・っ!?」
 そんな、笑顔で。
「わかるよ。そんなの。おまえとの―――子供だから」
 彼の言葉に、涙をこぼしそうになった。
 あたしが、どうしても言えなかった言葉を。
 ガウリイは、あっさりと、嬉しそうに口にしてくれて。
 何度・・・・・・あたしは、言いかけたのだろう?
 まだ、ガウリイから離れる前に。
 子供ができたと―――けれど、結局口には出せなくて。
 そして、逃げた。
 逃げて、しまった。
「なあ。ロナと一緒に・・・・・・帰ろう?」
 彼の言葉に、あたしは必死になって言葉を紡ぐ。
「帰れるわけ・・・・・・ないじゃないっ・・・・・・」
 ガウリイを、再び危険な目にあわせるとわかっていて。
「何で、帰れないんだ?」
「――っ!」
 ガウリイは何もわかっていない。
 あたしがなんで離れたのかも。あたしがなんで、あんな嘘をついていたのかも。
 もう、嘘をつくのにも疲れてしまった。
 ずっと、会いたかったのに、会えなくて。
 泣きたい時も、一人で我慢して。
 ロナを不安にさせないために、無理に、笑顔を浮かべて。
 そうして―――ずっと、旅を続けて。
 
 ・・・・・・もう、疲れちゃった。

 吹いてくる冷たい風も、気にならなかった。
 今までためこんでいた想いが全部、涙になってあふれてくる。
 あたしは、みんなが思っているほど強くない。ただ、ずっと努力していただけ。
「何で・・・・・・わかってくれないの!?」
 涙で視界がぼやける。
 映るのは、ただ金色と青色だけ。
 その色に、全てが染められる。
「あたしと一緒にいたら・・・・・・あんた、ずっと魔族と戦うことになるのよ!?
 今までは無事に切り抜けてきた。だけど、ずっとそうだとは限らない!」
 もし、あたしのせいでガウリイが命を落とすことになったら。
 あたしは―――いったい、どうすればいい・・・・・・?
「だから・・・・・・だから、離れたんじゃない! あんたに、普通の人生を歩んでほしかったから! あんたを、あたしの巻き添えにして死なせたくはなかったから・・・・・・だから、あたしは消えた方がいいって・・・・・・っ」
 何で、あたしなんだろう。
 気がついた時から、魔族に狙われて。
 ずっと、命をかけて戦いつづけて。
 はてには、何度も魔王と一戦を交えるなんて。
 そして―――いっつも、ガウリイに助けられて。
「あたしなんかと、一緒にいない方がいいのよっ!」
 なのに―――こんな所まで、追いかけてきた。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ガウリイを見上げる。
 だけど。彼の、反応は。
「―――何だ。そんなことか」
 そのセリフに、あたしは思わずかっとなる。
「何も・・・・・・あんたはわかってないのよ! だから、そんなことが言えて・・・・・・」
 あたしの言葉に、彼の顔がわずかにゆがむ。
「わかってないのはおまえの方だよ!」
 強い口調。あまり聞いたことのないそれに、あたしはわずかに驚いた。
 青い瞳が、―――光る。
「魔族と戦うとか、そんなことの前に、もっと考えなくちゃならないことがあるだろ!? 
そんな、むずかしいことより―――何で、少しもオレの気持ち、考えてくれないんだよ・・・・・・?」
 泣くのかと―――思った。
 それくらい、そう言うガウリイの声音は、弱々しいものだったから。
 そんなもの、考えたこともなかった。
 ガウリイの、気持ちだなんて。
 あたしが離れるのが一番いいと―――ずっと、そう思って疑っていなかったから。
「おまえがいなくなった後、オレがどんな思いでいたか、全然わかってないだろ!?
 つい昨日までは側にいたのに―――目覚めた時、おまえが消えていた時の、あの時のオレの気持ちなんて! どんな思いで今まで過ごしてたかなんて、何も考えないで
・・・・・・少しは、オレの身にもなれよ!」
 叫んで、ガウリイは、あたしを抱きしめた。
 今までのどれよりも、強く。まるで―――あたしが逃げるのを、防ぐかのように。
「おまえがいなくなればいいだなんて、そんなの嘘だ。たしかに、オレは平穏な人生を歩めるかもしれない。だけど―――それじゃ、オレの心はからっぽのまんまだろ!? おまえが・・・・・・リナがいなくて、オレにどうしろって言うんだよ!?」
 まっすぐな、彼の、本音。
 あたしに―――叩きつけてくる。
「頼むから・・・・・・オレを、独りにしないでくれ。おまえと・・・・・・ずっと、一緒にいたいんだ・・・・・・」
 涙が止まらない。
 悲しいのか、それとも、彼がそう言ってくれることが嬉しいのか。それすらも、もう、わからない。
 ガウリイも・・・・・・不安だったの?
 いっつも笑っていて。人の話しなんか、全然聞いていなくって。
 だけど―――心の奥では、いつも考えていたのだろうか。


「―――愛してる」


 それは、だれでも口にしている言葉。
 たとえ、本当に愛していなかったとしても、みんな、軽い気持ちでそう言っている。
 だけど―――あたし達の間で、この言葉が出たのは、これが初めてだった。
 涙が出るほど嬉しくて。
 涙が出るほど切なくて。
 それほどの想いが―――つまっていて。
 心に張りつめられていた糸が、ぷちりと音を立て、そして消えた。

 ・・・・・・意地を張るのは、もうやめよう?

 あたしは、ガウリイが好きで。
 ガウリイは、あたしが好きで。
 それ以外に、いったい何が必要なんだろう?

「・・・・・・ごめんなさい」
 何も、考えていなくて。
 ガウリイの気持ちなんて―――これっぽっちも、頭に入っていなかった。

「・・・・・・ごめんなさい」
 ガウリイは、ちゃんとあたしのことを思っていてくれたのに。
 あたしは、一人で走っていって。

「・・・・・・ごめんなさい」
 いっぱい、迷惑かけて。
 もう、数え切れないほど助けてもらって。

「―――・・・・・・ありがとう」
 こんな所まで、追ってきてくれて。
 あたしのことを、忘れないでくれて。 
 だれよりも、理解してくれて。
 ―――愛してると、言ってくれて。


 言いたい言葉はたくさんあった。けれど今のあたし達には、これで、十分だった―――