いつか帰る日まで
〜2〜









 あたしのことは忘れてしまって。
 悲しいのは、今だけだから。
 つらいのなんて、すぐに忘れてしまうから。
 あなたには、幸せになる権利がある。
 だから、忘れて。

 ロナを抱いたまま、あたしはライトア・シティへと足を踏み入れた。
 周りの人が、何やら言いたげな視線で見てくるが―――
 ま、それも近頃ではもう慣れてきている。
 何しろあたし、普通より背が低いのと小柄なので、年より幼く見られることが多々あったりする。
今あたしは十八だが、きっと十六、七ぐらいに見られているだろう。
 それぐらいの美少女が、生まれてまもない赤ん坊を抱いているとなれば――注目を
あびるのも無理からぬところである。
「さてと。まずはどっかでご飯でも食べましょうか」
 ロナにミルクをあげるのにも、少々台所をかしてもらわなくてはならない。
 しばらく歩いた所で、あたしは感じのいい宿を見つけた。
 ちょうどお昼時もそろそろ終わる時刻で、一階にある食堂にほとんど人はいない。
 食堂だと、いつの時間もけっこう人がいるものだが、宿だと食事時でもなければそんなに人も来ないのである。
 あたしは中に入り、てきとうな所にあるイスに腰掛ける。
 赤ん坊とゆうのは、けっこう泣くものだと聞いていたが、ロナはよっぽどのことがない限りあまり泣かない。
 何とも手のかからない子供である。
「おやおや。可愛い赤ん坊だねぇ」
 言いながら、人のよさそうなおばさんが近づいてくる。
「すみません。ちょっと台所かしてもらえませんか?
 この子にミルクあげたいんですけど・・・・・・」
「母乳じゃないのかい?」
 おばさんの質問に、あたしはちょっと赤くなりながら答える。
「あたし、ずっと旅をしているもんで。
 ミルクなら、どこでも飲ませてあげられるから」
「そういえば、魔道士のかっこしてるもんねぇ。
 その子、あたしがあずかっててやるよ。台所はあっちにある。使っていいよ」
 おばさんがそう言って笑うので、あたしはロナをおばさんの手にわたす。
 泣くかな、と一瞬思ったけど、おばさんの手つきは慣れていて、ロナも気持ちよさそうだった。
 しばらくしてから、あたしは哺乳瓶をもってロナの所にもどっていく。
 受け取って、イスに座ってから、ロナにミルクを飲ませてやる。
 ロナは素直に飲んでくれる。
 ・・・・・・ほんと、手のかからない子だわ。
「お嬢ちゃん、見たところまだ若そうだけど・・・・・・
 子連れで旅なんかしてて、大丈夫なのかい?」
 おばさんが、心配そうに問いかけてくる。
 この手の質問、実は今までにもけっこうされてきている。
「平気です。あたし、これでもけっこう魔法の腕はたちますから」
 何たって、盗賊殺しにドラまただもんね・・・・・・
「まあ、魔法が使えるようだけど・・・・・・
 お嬢ちゃん、何てゆう名前だい?」
 聞かれて、あたしはちょっとかたまった。
 ・・・・・・やっぱし名前聞かれたか・・・・・・
 べつに賞金首とかゆうわけじゃないが、あたしの名前は、そこらの悪人よりもよっぽど知名度が高かったりする。
「――リナよ。リナ=インバース」
 さてと、どんなリアクションが返ってくるか・・・・・・
「リナちゃんかい。そっちの赤ん坊は何てゆう名前だい?」
「・・・・・・はい?」
 あまりにあっさりしすぎる反応に、あたしの方が驚いた。
 今まであたしの名前をを聞いた人は、めちゃくちゃ驚くか、恐がるか、嘘だと思って聞き流すかの三つだったのだが―――
 ・・・・・・どれも普通一般とは遠くかけはなれている反応だが、それはこの際おいといて。
 けれどこのおばさん、けっして嘘だと思っている様子はない。
 だからといって、まったく驚いてもいない。
 今までにないことである。
「あ、あの、あたしの名前聞いて、驚かないんですか?」
 聞くと、おばさんの方が驚いた顔をする。
「べつに、普通の名前だと思ったけど・・・・・・
 もしかして、リナちゃん、賞金首とか何かかい?」
「いえ、あの、そーゆーわけじゃないんですけど・・・・・・」
 おばさん、もしかしてあたしのこと知らない?
 実物を見たことのある人とゆうのは少ないが、あたしのウワサは広がるところまで広がっている。
 ルーク=シャブラニグドゥを倒してからは、デモンスレイヤー・リナ=インバースとまで呼ばれるほどになっているのだ。
 ・・・・・・何でンなのが広まったのかは知らないけど。
「じゃあ、盗賊殺し、ドラまたってのは知ってます?」
「盗賊殺し? 物騒な名前だけど、聞いたことないねぇ」
 あたしの長年の二つ名を知らない!?
 このおばさん、何つー世間知らずなんだ!?
 宿屋や食堂とゆうのは、旅をしている者にとってはかっこうの情報収入源になっている。
 なのに、このおばさんが知らないとなると・・・・・・
「おばさん。その名前って、ここらへんじゃ流れてないの?」
「そうだねぇ。あたしも長年ここで宿屋をやってるがね、ここらへんじゃ聞いたことはないよ。
 旅をしてる人からも、聞いたことはないしねぇ」
「そう。ありがと」
 旅をしてる人からも聞いたことがない――?
 おかしな話だったが、おばさんに聞いても知らないものはしかたない。
 どうやらこれは少し、調べてみる必要があるようである。
 ・・・・・・となれば。
「まずは腹ごしらえよね。
 おばさん、とりあえずは、ここのおすすめ料理を三皿と、メニューの上から下まで、
一つずつお願い」
 シリアスな顔で言ったあたしに、おばさんはなぜか頬をひきつらせた。

「あー、食べた食べた」
 お昼ご飯をお腹いっぱいに食べ、あたしは表通りを歩いていた。
 お腹もいっぱいになり、これでお昼ねでもできたら最高なのだが、その前にやることはやらなくてはならない。
 中途半端な時間のためか、表通りだとゆうのにあまり人はいない。
 あたしは露店でジュースを買い、売り子をしている兄ちゃんに話し掛ける。
「ちょっと聞きたいんだけど。リナ=インバースって名前、知ってる?」
「リナ=インバース?」
 兄ちゃんは首をかしげる。
 この時点で、もう知らないことはまちがいなしである。
「あ、知らないんならべつにいいわ。
 あとは、そうね―――」
 あたしは少し考え、知名度のある人を思い浮かべる。
 この町では、はたしてあたしの名前だけがとどいていないのか――それをたしかめるためである。
「セイルーンに、アメリアってゆうお姫さまがいたと思うんだけど、あなた、知ってる?」
 かつて共に旅をしていたアメリアは、立派なセイルーンの王族だったりするのだ。
 あたしと多少知名度の種類は違うが、有名なことはまちがいない。
「セイルーンに? いたっけなあ、そんなお姫さま・・・・・・」
 兄ちゃんは再び首をかしげる。
 ・・・・・・おいおい・・・・・
 この町には、王族の名前一つまともにつたわってないのか!?
 あきれるあたしに、兄ちゃんが爆発ものの言葉をはいてくれたのは、次の瞬間のことだった。
「セイルーンっていえば、ついこの間、フィリオネル王子がお生まれになったけど・・・・・・」
「―――」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?

 あたしの頭に浮かんだのは、『平和主義者クラアァッッッシュ!』とか叫びながら、
魔族を素手でどつき倒す一人のおっちゃんの姿。
 正確なところはわからないが、多分四十は過ぎてるだろう。
 それが、この前生まれた―――?
「あの、それ、本当?」
「ああ。一月ほど前かな。セイルーンでは、国をあげての祭りになったって話だぜ。
 何たって、エルドラン国王の初めての子供だもんな。次代の国王だ。
 けど、それがどうかしたのか?」
「あ、ううん。何でもない。ありがとね」
 軽く礼を言ってから、あたしはその場から歩き出す。
 ジュースを一口飲む。
「・・・・・・どうなってんのよ・・・・・・」
 フィルさんが、ついこの間生まれたってことは・・・・・・
 ここは、あたしのいた時代から、四十年ほど昔ってこと?
 つまり、時を遡った――?
 そんな魔法、あたしは今まで聞いたことはなかった。
 時間を操るなんて、魔族にだってできない技である。
 だいたい、あたしはそんな魔法を使ったおぼえはない。もともと知らないのだから、
使いようがあるはずがない。
 何で、こんなことに――
「―――」
 考えるあたしに、ふとひらめいたのはあの時のこと。
 魔族に襲われ、殺されそうになった時、ロナは光っていた。
 目を開けた時、あの魔族は消えていたけど―――
 もし、消えたのがあの魔族ではなく、あたし達の方だったら?
 あの光りは、時間を遡るものだったとすれば―――
 そう考えれば、すべてのつじつまは合う。
 この町の人があたしの名前を知らなかったのも、まだあたしが生まれていないとすれば、
それも当然のことである。
 アメリアだって、フィルさんが生まれたばっかりならいなくて当たり前。
 あの時感じた違和感も、これが理由だとすれば。
 歩きながら考えこむあたしの髪が、つんとひっぱられた。
 下を向くと、ロナが上機嫌であたしの髪をいじくっていた。
 ロナの髪は、あたしとは似ても似つかない金髪。瞳は、あたしゆずりの赤だった。
「――ロナ。あんたがやったの?」
 問いかける。
 ロナは嬉しそうに笑っている。
「あたしを助けるために、ここまでとばしてくれたの?」
 確信はなかった。けれどあたしはそう思った。
 不思議と、怒る気持ちにはなれなかった。
 ここなら、あたしを狙う魔族もいないだろう。
 あいつらは、あたしが金色の魔王の力を借りた術が使えると知って、狙ってくるわけなんだし。

 それに―――ここなら、あいつも追ってこない。

 金髪の剣士を思い浮かべ、あたしは泣きたいような、やるせないような気持ちになった。