Sinner 『罪人は十字を背負いてただ忍従の道を行く』 |
9 奇跡 「……がうりー?」 宿のベッドに寝かせ直したところで、リナが目を覚ました。 ゼルとアメリアは自室に帰り、リナの部屋にはオレが残ることにした。ゼロスを警戒したためだ。 ゼルがこっそり『今はまだ手を出すなよ』などと耳打ちしていったのが、どーにも忘れられない。 誰が出すか。身体はともかく、中身は7歳だっていうのに。 「なんだ、起きちまったのか?」 「うん……なんか、ゆめ、見て」 「夢?」 何気なく聞き返したら、リナは毛布に沈み込んだ。顔だけを半分のぞかせて、 「……黒いひとが、でてくるの」 ――ゼロスか。 「むずかしいこといっぱい訊くの。よく、おぼえてないんだけど……」 不安そうに視線を彷徨わせている。 何を聞かされたんだろう? 小さなリナに、あのゼロスは何を言ったんだろう。 ひどいことを言われていなければいい。リナが覚えていなければいい。 心からそう願って、オレは安心させるようにリナの髪を撫でた。 「……夢のことなんか、忘れていいさ。……もう寝ろよ」 しかし、リナはふるふると首を横に振った。口元まで引き上げた毛布を、今度は手で押しのける。 「目、さえちゃったよ。あそぼ?」 遊ぶぅ? こんな夜更けに何して遊ぶ気だ、お前は。 「ダメ。外は真っ暗だぞ? いい子は暗くなったら眠るもんだ」 「月でてるから、まっくらじゃないもん」 ええい、ああ言えばこう言う。 大体なあ、オレはいっつも、お前さんの夜遊びにつき合わされて大変なんだぞ? こんな時くらい大人しくしてくれてもいいだろうに。 それとも、本能で盗賊いじめに目覚めたか? 「とにかく、ダメなものはダメだ」 オレが突っぱねると、 「じゃ、お話して」 へ? 「なんかお話ししてくれたら、寝る」 ……なんかって言われてもなあ。オレ、童話とか知らんし……。 「いっとくけど、ふつーのお話じゃヤだかんね」 ……………………。 どないせーっちゅーんじゃ、オレに。 「あのなあ」 「がうりーの、話。で、いいから」 オレがほとほと困っていると、リナがぽそりと言ってくる。 オレの話、ねえ? そうだなあ――…… オレは手近にあった椅子を、ベッドの側まで引き寄せた。いつものように逆向きに腰掛ける。 「むかしむかし――」 ――そう。 いつが始まりかなんて、オレが思い出せないくらい、遠い昔。 それは、たった一度の奇跡。 「お姫さまがいました。ただ、そのお姫さまは、普通のお姫さまじゃありませんでした。 旅をしてて、魔法が大好きで、誰よりも強いお姫さまだったのです」 ――そう。 誰よりも強くて、誰よりも綺麗で。誰よりもまっすぐな瞳と意志を持っていた。 「ある日お姫さまは、森で盗賊に襲われているところを、ひとりの――」 そこで少し、迷う。 「――ひとりの傭兵に、助けられました」 本当だったら、王子さまとでも言うべきだったろうか。でも、自分は王子さまにはなれないから。 リナはじっと聞いている。視線が少し痛かった。 「傭兵は、勘違いしてました。 お姫さまだったら、盗賊なんて簡単にやっつけられたのに、傭兵はお姫さまのことを小さくてか弱い普通の女の子だと思っていたのです。 それで、傭兵は決めました。大きな街に着くまで、お姫さまを守ってあげようと」 ――そう。 あの時は、まだリナのことを知らなかった。本当の意味では、何も。 「でも、しばらく旅をするうちに、傭兵は気がつきました。お姫さまが、自分が守る必要もないほど強い力を持っていたことに」 ――そう。 リナは強かった。 魔王も圧倒する魔力と、屈することのない意志の力を兼ね備えていた。 「でも……傭兵は、お姫さまと旅を続けました。大きな街に着いたあとも、何年も……ずっと一緒に」 ――そう。 保護者だなんて言い訳しながら。 「お姫さまがどんなに強くても、どんなに魔法を使えても――それでも傭兵は、 お姫さまを守りたかった」 「……どうして?」 初めてリナが口を開く。オレはしばらく考えて、 「……お姫さまが好きだったんだ、その傭兵は」 ――そう。 いつからか、そんな感情を抱いていた。 リナの側にいすぎて、どんどんリナに惹きつけられて。 もしかしたら自分はもう必要ないんじゃないか、なんて思いながら、それでも離れられなかった。 「でも傭兵は、お姫さまにその気持ちを隠してた。それを言っちゃったら、もうお姫さまと一緒にいられなくなると思っていたから。 でも、そうやって何年も旅したある時、傭兵はとうとう我慢できなくなって、 お姫さまに言っちゃったんだ。 ――『好きだ』って」 「で? おひめさまはなんて言ったの?」 興味津々、と言った顔で聞いてくる。オレは笑うしかなかった。 「聞けなかったんだ」 「なんで? 答えてくんなかったの?」 「……いいや。お姫さまは、傭兵がそんな風に自分を見てたなんて、ちっとも知らなかったんだ。 突然『好きだ』なんて言われて、びっくりしたお姫さまは――」 「おひめさまは?」 「……滑って転んで、大怪我した」 「ええ!?」 「で、お姫さまはその怪我が元で、眠ったまま目覚めなかった」 途端に、リナがジト目になる。 「……で? まさか今さら、よーへーがキスしたらおひめさまは目ぇ覚ましてハッピーエンド、なんて、ありがちなオチじゃあないでしょーね?」 「いいや」 だったら楽でいいんだけどな。 でもオレは、自分のしたいようにすることにしたから。ゼルにも許可をもらったことだし。 「傭兵は……待つことにしたんだ。お姫さまが自分で起きるまで。 ――それでこの話はおしまい」 「はあ!?」 リナがすっとんきょうな声をあげた。思わずベッドに上体を起こす。 どうやら、話が終り方が、いたくお気に召さなかったらしい。 「なにそれえ!? どーせだったらハッピーエンドで終わらせなさいよ!」 「何だよ、普通の話じゃヤなんだろ?」 「ちゅうとはんぱもイヤ!」 きっぱりと言い切る。……リナらしいな、こういうところも。 「でもなあ……その先は知らないんだよ、オレも」 「おわりも知らない話なんかするああっ! だいたい、なんで目が覚めるまで待たなくちゃいけないわけ!? たたきおこせばいーのよ、そーゆーときはっ!」 ……全くもってリナらしい。 でも、理由はちゃんとある。 「……起こす必要なんて、ないんだ」 「どーして!?」 文句言いたげなリナに、オレはそっと手を伸ばした。柔らかい髪に触れ、その瞳を覗き込む。 前と変わらず光を放つ、強い意志の宿った瞳を。 「だって、傭兵は知ってたんだ。お姫さまは、必ず自分で起きるってな」 「…………」 リナが目を見張る――ほんのわずかに。 「傭兵は、お姫さまが誰よりも強いってことをちゃんと知ってた。お姫さまはきっと自分で目を覚ますことができるって信じられた。 だから、傭兵は待つことにしたんだ。お姫様の目が覚めるまで、彼女をいつまでも守りながら――。 今も、そいつはお姫さまが目覚めるのを待ってる」 「……がうりー……?」 たまらなくなって、オレはリナから目をそらした。 このまま話を続けたら、責めてしまいそうだった――オレに答えてくれなかった、リナを。 「がうりー?」 リナが呼ぶ。オレは何も答えられない。 ――と、その時。するりと頬に触れる温もりがあった。驚いて、オレが顔を上げると。 間近に迫る、リナの瞳。 オレの頬に手を添えて、こちらを覗き込んでいる。 「……リナ……?」 「だって、泣きそうな顔してるよ? がうりー」 「…………」 今度はオレが目を見張る番だった。リナは続ける。 「だいじょーぶだよ、きっと。おひめさまはコンジョーで起きるし、よーへーはきっと返事をもらえるから」 リナ? 「きっと、だいじょーぶだから。……がうりーがそんなカオ、しなくてもいいんだよ?」 「…………」 「それにねえ、そのおひめさま。よーへーのこと好きだよ、きっと」 ……は!? 「キライな奴と何年も旅するひとなんて、いるわけないじゃん。それに、強いおひめさまが、わざわざよーへーと旅してたのは、ぜったいよーへーといっしょにいたかったからだもん。 このテのお話なんて、だいたいそーやってハッピーエンドになるんだから」 そうだろうか? 「……そう、思うのか? リナは」 「あったりまえでしょ? それとも、このあたしが信じられないってーの?」 言って、にこりと笑う。 胸の奥が熱くなる気がした。 信じてもいいのだろうか? ――けれど、オレは信じられるから。リナだけは、信じることができるから。 「が……っ、がうりー!?」 気がついたら、その腕にリナをかき抱いていた。驚いて暴れるリナを、強引に押さえつけて。 「…………から」 「え?」 耳元で囁かれた言葉に、リナが大人しくなる。 「オレは、信じてるから。ちゃんとリナのこと待ってるから……だから――」 「……がうりー……」 リナが大人しくなる。 オレは更に腕に力を込めて、リナの髪に顔を埋めようとし―― そこで、リナの身体がびくんと跳ねた。 「?」 何事かと思い、そっと身体を離す。リナの顔を覗き込む。 「リナ?」 目の前にあるリナの顔は、例えようもないほどボーゼンとしていた。 「お、おいリナ!?」 慌てて揺さぶったら、リナの目の焦点があった。次に、頬がカッと赤くなる。 な、なんだあ!? 知恵熱か!? 「リナ!?」 「……が……っ」 何かを言おうとしてるらしいが、口ばかりぱくぱくして、なかなか言葉が出てこない。 「リナ?」 「ガウリイっ! こんなとこで何やってんのよ!?」 その声は悲鳴に近い。 ……って、あれ? 今確か『ガウリイ』って―― 「お前さん、まさか記憶が」 「こんな夜中に乙女の部屋に忍び込んで何してんのよ炸弾陣――――っ!」 『記憶が戻ったのか』という確認すら取れぬまま。 窓の外まで吹っ飛ばされたオレは、しかし何故か、その衝撃を心地よく感じていた――。 |