Sinner
『罪人は十字を背負いてただ忍従の道を行く』







6 罪人の贖罪



「リナを、故郷に連れて帰る」

 開口一番、オレはきっぱりと言い放った。
 目の前のゼルガディスとアメリアは、面食らったような顔をしている。





 宿の一階の食堂に、オレ達は集まっていた。
 真夜中に近いその場所に、人影はまばらだった。無茶な酒をあおる酔っぱらいもおらず、不思議な静けさが場を占めている。
 リナを寝かせたあと、オレ達は三人でここに集まる約束をしていた。セルガディス達が昼間集めた情報を、この場でまとめる予定だったのだ。
 リナが寝つくまでは、と部屋に留まっていたが、思ったより長居してしまったらしい。
扉の外にいたゼルの気配にも気付いていたのだが、何となくリナを一人にすることがためらわれて、部屋を出られなかったのだ。
 オレが約束を忘れているのでは、と懸念したゼルガディスがオレを迎えに来たのは、ゼル達が部屋を出て行ってから大分経ったあとだった。
 で、やっと一階に降りてきたオレの一言がこれである。それも、ゼルガディスやアメリアの意見を聞く前に。
 二人が驚くのも無理はない。





「……って、何言ってるんですかガウリイさん!」
 アメリアが驚愕して椅子を蹴る。静かな食堂に、がたんと椅子が倒れる音が響いた。
 ゼルガディスはため息をついて、アメリアの椅子を戻してやる。
「まあ座れ、アメリア」
「でも、ゼルガディスさん!」
「いいから」
 ゼルガディスに諫められて、渋々座り直すアメリア。それを確かめてから、ゼルガディスは改めてオレを見返した。
「いいのか、それで」
「ああ」
 オレは迷うことなく頷く。何を言われても、これだけは譲るつもりはなかった。
「そんな……! ガウリイさんは、リナさんの記憶を取り戻すの、諦めちゃうんですか!?
 何もしないうちに諦めちゃうなんて、そんなの正義じゃないです!」
 アメリアが反論してくるが、オレは彼女には答えなかった。視線はゼルガディスと合わせたままだ。



 アメリアとゼルガディスは、リナの記憶を戻したがっている。その気持ちはオレも同じだが、オレにとっては今のリナも大切だった。
 不安をいっぱいに抱え込んだままのリナを、これ以上見ていることはできない。ゼルガディスやアメリアには悪いが、オレは早くリナを家族の元へ送り届けてやりたかった。
 多分、今のリナにとって、それが一番いいはずだから。



 ゼルガディスは鋭い眼差しでオレの方を見ていたが、諦めたように嘆息した。
手元のグラスを引き寄せて、一口あおる。
 ゼルガディスから返ってきたのは、意外な言葉だった。
「……反対はしない。俺も、それは考えていた」
「ゼルガディスさん!?」
 アメリアがますます目を丸くする。

 この中で、切実にリナの回復を待っているのは、おそらくゼルガディスだろう。
 オレはリナが記憶を失おうが子供になろうが彼女の傍にいる意志は変わらないし、アメリアがこの旅につき合っているのはほとんど道楽の域だったし。
 しかし、ゼルガディスは違う。ヤツの旅の目的は、自分の体を元に戻すことだ。
 今ゼルガディスがオレ達と共に旅をしているのは、リナの知識を必要としていからだ。
 しかし、記憶を失い、魔道も衰えたリナは、かえって旅の妨げになる。
 もちろんリナの身を案じてもいるだろうが、それとは別のところで、一刻も早くリナの記憶を戻したいと、彼は思っているはずだった。
 当然、リナを手放すようなことには反対するかと思っていたのだが。

 ゼルガディスは冷静に続ける。
「考えてもみろ、アメリア。
 俺達が調べたところによれば、あのテの記憶障害というものは、回復に個人差があるという話だ。リナの記憶が戻るまでに、三日かかるか三年かかるか、誰にも分からない。記憶が戻らない以上、リナに以前のような魔術やバイタリティは期待できない。
 ましてや今のリナは、7歳の子供だ。いつまでも俺達の旅につき合わせるわけにはいかないだろう」
 オレとアメリアを交互に見つめながら、噛んで含めるように言う。
「それに、リナはただでさえ混乱している。
 ……当然だろうな。いきなり知らない街に放り出されて、見ず知らずの他人と一緒にいるしかないんだ。
 傍目には気丈に振る舞っていても、精神的なストレスは相当なものだろう。
 記憶障害ってヤツは、ただの怪我とは違う。精神的にもリラックスできる場所の方が、遙かに回復には適しているはずだ。
 このまま俺達と旅を続けるより、リナの安心できる場所に帰した方がいいと思う」
「…………」
 オレもアメリアも、呆然とゼルガディスを見た。


 ゼルガディスは、こんな時までゼルガディスだった。
 感情論に走るオレなんかよりも、ずっと冷静で頭が回る。
 オレなんか、たとえゼルやアメリアと争ってでも、リナを連れ去るつもりでいたのに。


「……わかりました。
 そうですよね、リナさんのことをもっと考えるべきでした」
 アメリアが素直に納得した。目が覚めた、というような顔をしている。
 アメリアは、リナが不安な気持ちを抱えていることなど、気がつかなかったのだろう。それくらい、リナは元気に笑っていたから。
 実際オレも驚いた。ゼルガディスが、オレの思った以上にリナに気を遣っていたことに。
「……すまん、ゼル」
 オレは心から謝った。ゼルガディスを見くびっていたことへの、心からの謝罪だった。
「すまん、本当に。
リナはオレが送って行くから、お前達はこのまま旅を続けてくれ。迷惑はかけん」
 ぺこりと頭を下げる。と――

 がこんっ!

「いでえっ!」
 ゼルガディスに軽く頭を殴られた。
 が、ゼルガディスの拳は例えでなく本物の石の塊だ。込めた力が軽かろうが、
その痛みは相当なものである。
 涙目になった顔を上げたら、ゼルガディスが拳を振りきったままの格好でこちらを睨んでいた。
「お前、どこまで俺達をバカにしたら気が済むんだ」
 は?
「そうですよ、ガウリイさん。
 もちろんわたし達もお供します! 一緒にゼフィーリアへ行きましょう!」
 アメリアがにっこりして言う。
「でも……」
 ゼルガディスにもアメリアにも、それぞれ旅の目的があるだろうに。
 そんなオレの心の内を見透かしたように、ゼルガディスはぎろりと険悪な目でオレを睨んだ。
「お前のくらげな頭で考えたことなんか、タカが知れてる。
 どうせ、これは自分とリナの問題だから、とでも考えて、一人でカタをつける気だったんだろうがな。
 ……確かに俺は、一日でも早く元の姿に戻りたい。
 だが、見くびるなよ。仲間を心配するだけの心の余裕がなくなったわけじゃない。それに、リナの回復は俺の目的にとってもプラスになるところが大きい。
 だから一緒に行く。これはお前に許可を取ってるわけじゃない、もう決まったことだ」
 言って、ぷいと顔を背けるゼルガディスの頬は、心なしか赤い。
「それに、お前は忘れてるかもしれんが、リナは魔族に狙われているんだぞ?
 戦えないリナを守りながら、一人で無事にやっていけるわけないだろう」
 再びオレの方を見たゼルガディスは、真剣だった。
「ゼフィーリアについたあとも、リナを護衛する必要がある。お前の手だけでは足りないだろう?
 ……俺の旅の再開も、リナの安全が確保できるまではお預けだ」
 あっさりと言ってくれる。
 ぽかんとしているオレに、アメリアもぴこぴこ人差し指を振って見せた。
「そうですよ。大体、ガウリイさん一人でゼフィーリアまで行けるわけないじゃないですか!わたし達、最後までおつきあいさせていただきますから! 覚悟してくださいね?」


 明るい表情の二人の前で、オレはどんな顔をしていただろう?
 ――きっと、ひどく情けない姿を晒していたと思う。


「……ありがとう」
「そこで礼を言う辺りがもう失礼だ」
 さらりと言い返してくるゼルガディスに、アメリアが笑っている。

 本当に……情けないな、オレは。
 昔のオレは、他人を信用することがなかった。リナと出会ってからは、いくぶん変われたと思っていたのに。
 その癖は、まだ治っていなかったらしい。

 もう言い返す言葉も見つからずに、苦笑しながらグラスの酒をあおろうとしたとき。
「!」
 突如、カンに引っかかる気配を捉えて、オレは椅子を蹴った。
「ゼル!」
 既に異変を察知して立ち上がろうとしていたゼルガディスに言い置いて、駆け出す。一拍置いて、ゼルガディスとアメリアもついてくる。
 向かう先はリナの部屋だ。階段を駆け上がり、廊下を走り抜け、その扉の前に辿り着く。
 扉の向こうには、既知の気配があった。かすかだが、やけに神経を刺激する、黒い霧のような気が。
「リナっ!」
 迷わず扉を蹴り開ける。

 部屋に踏み込んだオレが目にしたのは、漆黒の影だった。
 その腕に真白い肌の少女を抱え込み、闇色の法衣をなびかせて。
 月の光が射し込む窓をバックに、中空に佇む人影――ゼロス。

「ゼロス! リナをどうするつもりだ!?」
 追いついてきたゼルガディスが叫ぶ。その言葉に、ゼロスの笑みが一層深くなった。
「ご心配なく。危害を加えるつもりはありません。ただ少し、リナさんを預らせていただくだけですから」
「ふざけるなっ!」
 激昂したのはオレだった。
「今のリナは魔法もろくに使えないんだ!お前達にはもう用済みの筈だろう!?」
「それが、そう簡単にはいかないんですよねえ。これも上司様のご指示なので」
「どういう意味ですか!?」
 アメリアの問いに、ゼロスは眠るリナを抱えたまま、器用に腕を持ち上げた。立てた人差し指を、唇に当てる。
「それは秘密です」
 お決まりの文句を吐くと、ゼロスは闇にかき消えた。





『そして続きます♪』(ちょっとゼロス風?)