Sinner
『罪人は十字を背負いてただ忍従の道を行く』







4 誘惑のアイス



「がうりー、おっそいよーっ! はやくはやく!」
「分かったから、あんまり走るなって。転ぶぞー?」
「へーきだもーん!」
 露店の並ぶ大通りを、リナがぱたぱたと駆けていく。長い髪がふわりと揺れた。





 リナの怪我は完全に治っていたものの、一応プロの魔法医に見せた方がいい、
ということで、四人で町医者の元へ行った。今はその帰りだ。
 リナを看た医者の答えは『ショックによる一時的な記憶障害で、そのうち元に戻る可能性もないことはない』という、何とも心許ないものだった。
 それでも、ゼルとアメリアは何とか治療法を見つけようと、図書館や他の医者のところをまわってみると言って、街の行政区へと向かった。
 一方のオレは、リナのお守りを任されていた。リナが思いのほかオレになついていたのと、何よりオレが調べものに向かないためだ。


 ゼル達と別れてから、オレ達はこうして散歩がてらに街を散策している。
 リナには安静にしていてもらいたかったのだが、『街が見たい』と言うリナの熱烈なリクエストに負けた。
 リナは故郷以外の国に出たことがないと言っていたし、宿に閉じこめたままだとリナが暴れ出しそうだし。
 何より、露店を覗いてははしゃぐリナを見ていると、何となく安らいだ。
 本当は見ず知らずの街に放り出されて、見ず知らずの人間に囲まれて、不安で仕方ないだろうに。
 決してそれを表に出さないリナに、オレは正直感嘆していた。
 まだ7歳だというのに、何と気丈なことか。7歳でもリナはリナ、というところだろうか。
 このまま放っておいたら、一人で故郷まで帰ってしまいそうな勢いである。





「がうりーってばーっ!」
 いつもより幾分幼い口調で、リナがオレを呼ぶ。今しがた、彼女自身にねだられて買ってやったアイスで塞がった右手の代わりに、左手をぶんぶん振りながら。
「おう! ちょっと待ってくれよ、リナ」
 声だけで引き止めつつ二人分のアイスの代金を払い、オレは小走りにリナに駆け寄った。
3軒先の露店の前でようやく追いつく。
「こら、あんまり先に行くんじゃない。迷子になっても知らんぞ」
「迷子になんてなんないもーん。あ、がうりーのアイス、何? バニラ?」
 リナがオレの手の中を覗き込んで、首を傾げる。
 確かにオレが買ったのは、真っ白いアイスだった。対するリナは、確かチョコだったか。
コーンの上に、ダークブラウンの球塊がのっかっている。
「さあ、何だったっけかな。適当に選んだだけだから」
「覚えてないのお? がうりー忘れっぽいんだね」
「おう。何しろくクラゲらしいからな、オレは」
「くらげー!? なにそれ、ヘンなのー!」
 いつも彼女に言われているオレの代名詞に、当のリナがきゃっきゃと笑う。
 ……やっぱ、何も覚えてないんだよなあ。
 わかっちゃいるが、こういうときに思い知らされる。
「いーよ、覚えてなくても。あたしが味見してあげる」
「あ!?」
 言うが早いか、リナが俺のアイスに噛みついた。真っ白なアイスに、小さな歯形が残る。
「…………」
「うん、バニラだ。おいしー」
 リナが満足げな顔で、舌なめずりしている。オレの方は呆然とアイスを見下ろすばかりだ。

 ……これ……オレが食っていいんだろーか……。

 今さらそんなことで悩んでしまうあたり、オレも結構、小心者だ。
 言っとくが、別に間接キスで緊張してるわけじゃない。そ〜ゆ〜ことは、今までにも結構あったし。
 ただ、リナからこうも積極的に来られると、返って戸惑ってしまう。

「がうりー? どしたの?」
 いつまでもその場を動こうとしないオレを、リナが下から覗き込んだ。
「勝手にアイス食べちゃったから、怒ってんの? いーじゃん、ひとくちくらい」
 あっけらかんと言うな、そういう問題じゃないんだ――ってゆーかそれ、オレ以外の奴には絶対やるなよ。
 何と言って聞かせたらいいか悩むオレの前に、リナの手が突き出される。
「しょーがないから、ひとくちあげる。ん」
「……………………」
 リナ……頼むからこれ以上オレを惑わさないでくれ……(号泣)
 まさかリナがこんな可愛らしい行動に出るとは。
「早くってば。アイス溶けちゃうじゃん」


 折しも場所は大通りのど真ん中。軽く首を傾げながら、男に自分のアイスを差し出す女の子。


 中身はともかく、リナの外見は立派に17歳(いや、多少それより幼く見られている可能性は十分ありだが)なのだ。
 通りを行く人々の目には、オレ達は微笑ましい恋人同士にでも映っていることだろう。
 そんな状況が、嬉しいやら悲しいやら。
 本当はぶんぶん首を振ってお断りするべきなのだろうが、かといって今を逃したら、こんなチャンスには二度とお目にかかれないような気がする。
 ……元に戻ったリナが、こんなコトしてくれるはずもないし。
 オレは複雑な心境でしばらく悩み――結局、目の前のアイスに唇を寄せた。

 ……なんだか、リナにキスしているような錯覚に陥る。
 冷たい感触と、口一杯に広がる甘い香り。

「あーもー、早くしないからほんとに溶けてきちゃったじゃん」
 文句をたれつつ、リナが溶けかけたアイスを引き寄せて、せっせと舐め始める。
 ああ……いいやもう、どーなっても……(滝涙)
 こちらも液化しつつある白い塊を、こぼれる前に舌ですくい上げた。上昇した体温を、アイスが一気に下げてくれる。
 お子様のリナが、こんなにタチの悪いものだとは思わなかった。
 ああリナ、今まで子供扱いして悪かったよ。お前さん、実は結構大人だったんだな……。





「がうりー! なにぼーっとしてんの? おいてっちゃうよー!」
 オレがくだらない考えに取り憑かれているうちに、リナはとっとと先へ走って行ってしまったらしい。
 ハッとして顔を上げたら、リナの姿はもう見えなかった。
「リナ?」
 焦り呼んだが、返事はなかった。慌てて周囲に目を走らせる。


 視界を遮る、人の波。
 買い物中のおばさん、街娘、悪戯坊主――しかし、見慣れたはずの小柄な姿は、そのどこにも見えない。
 ざわざわと耳を占める騒音に、不安がかき立てられる。


「リナ!?」
 慌てて人混みをかき分ける。周囲を油断なく見回しながら、駆ける。
 やがて通りの交差する場所まで来たところで、込み合っていた人の群れが切れた。左右を見渡すが、やはりいない。

 ――嘘だろう?

 心臓がひきつる。たまらず胸を掻き掴む。
 このまま二度と会えないような、半身をもがれたような――恐怖。


 それは、オレが一番恐れていたことだった。
 いつか、リナがオレの手を離れて、一人で行ってしまうこと。


「リナ!」





 手放したくなくて、ずっと側にいたくて。
 だから今まで、『保護者』の仮面を被っていた。危うい関係を壊して拒絶されるくらいなら、いっそ何も打ち明けず、ただその傍らに在ればいいと。
 昨日、それを壊したのは自分。そして、もしかしたらという淡い期待を裏切る、拒絶。
 彼女はオレから逃れるために、十年もの歳月まで犠牲にした。
 そして今また、オレから遠ざかろうと――





「リナっ! どこだ!」
 まるでそうすれば繋ぎ止められるとでもいうように、渾身の想いを込めて、
叫んだとき。

「……そんなにおっきい声で呼ばなくても、聞こえるよ」

 言いながらオレの手を捕まえる、小さな手のひら。慌てて振り返ると、間近に深紅の目があった。
「も〜、ちょっと見えなくなったと思ったら、こんなとこまで走って行っちゃうんだもん。
 追っかけるのに苦労しちゃった」
「…………」
「がうりー? だいじょーぶ?」
 気遣う声に、ハッと我に返る。その時、初めて目の焦点があったような気がした。
「……ああ……すまない」
「そんな顔、しないでよ。……なんか、がうりーのほうが迷子みたいだよ?」
 リナが背伸びして、オレの頬に片手を添える。その暖かさが、やけに切なかった。
「だいじょーぶ。あたし、迷子にならない方法しってるから」
 そう言って、頬に触れていた手を滑らせる。小さな温もりが、オレの手の中に収まった。
「こーしてれば、迷子にならないでしょ? お祭りに行ったときとか、ねーちゃんとこうするんだ」
 オレを見上げてにっこり笑う。


「もう迷子にならないでよね、がうりー」