Sinner
『罪人は十字を背負いてただ忍従の道を行く』







2 天使の微笑み



 どうしようどうしようどうしようどうしよう。

「逆行性記憶障害、というヤツですね」
「ゼロス。お前、いつ宿屋に帰ってきた?」
 ゼルガディスの問いを、しかしゼロスは完全に無視して、
「つまり、おバカでクラゲなガウリイさんにもわかるように説明するとですねぇ」
「ゼロスさん、朝帰りですか? その割に元気そうですね」
「……アメリア……、お前がそういうことを言うな……」
「だって、徹夜でお散歩してたなんて、疲れるでしょ?」
「……………………」
「リナさんの記憶は、幼児期――つまり子供の頃に戻ってしまったということです。リナさんは完全に、自分が7歳の子供でいるつもりなんですよ」

どうしようどうしようどうしようどうしよう。

 後ろではゼロスのうんちく解説やゼルとアメリアの漫才が繰り広げられていたが、パニくっているオレにはもはや何も聞こえなかった。
 目の前では、ベッドに上体を起こしたリナが、ぼんやりとオレ達の方を見つめている。





 リナの『おにーさん』発言から30分。
 オレの叫び声で目を覚ましたアメリアとゼルガディス、そしていつの間にか戻ってきていたゼロスと共に、リナにたくさんの質問を浴びせかけた。

「名前は?」
「リナ=インバース」
「年は?」
「7さい」
「お家はどこですか?」
「ゼフィール・シティ」
「昨日、何したか覚えてます?」
「近所のいたずらボーズを炎の矢でせーさいした」
「す、好きなものとか」
「お金とゴハンとまほー!」

 りっ、リナの好きなものに、盗賊いぢめが出てこない……!?



「どうやら本物のようですねぇ」
 ため息混じりに言うゼロスの口元が、いつも以上にニコニコしている。
「楽しんでるだろう、お前」
「えぇえ〜!? 僕がですかぁ!?
 そんなことないですって、もちろん心配してますよぉ。誠意を疑われるのは心外だなあ〜♪」
 ジト目で言うゼルガディスに、ゼロスが大仰なポーズでもって答える。
……って、口調がめっちゃ嬉しそうだって……。
 まあこの際、そんなことはどうでもよろしい。ゼロスが他人の厄介事を面白がるのはいつものことだし。
「で? どうしたら治るんだ、これ」
「おやおやおやガウリイさん、いたいけな子供の前で、そんな物騒なモノ持ち出すもんじゃありませんよ」
 はっ、しまった。
 ゼロスの態度など気にすまいと努めていたのに、ついつい無意識のうちに剣を抜いてしまった。
 オレは慌てて剣をしまいつつ、
「だから! どーしたら元に戻るのか教えろっ!」
 食ってかかると、ゼロスはさも神妙な顔つきで(でもやっぱり目は笑ってるし)、
「そうですねえ。大抵は一時的なものらしいですから、放っとけば治るでしょうけど……。
 まあ、手っ取り早く治したいのなら、セオリーにのっとるしかありませんね」
「セオリー? そんなのあるのか!?」
「ゼロスさん、まさかそれって……」
 ヤな予感、とでも言いたげに、アメリアが上目遣いでゼロスを見る。
 ゼロスはピンポン♪ と人差し指を掲げて、
「そのとーりっ!
 同じ衝撃を与えれば、リナさんはきっと元に戻るはずっ!
 というわけで、もう一度リナさんを階段から突き落としちゃうんです♪」

 どがっ!

 今度こそオレは、ゼロスの脳天を剣の鞘でどついた。
「や〜ん、ガウリイさんてば、いつもと違って乱暴〜っ」
「やかましいっ! もっとマトモな方法はないのかと聞いているんだ!」
 大して痛くもなかっただろうに、しくしくと涙を流すゼロスに、アメリアも声をあげる。
「そーですよ、ゼロスさんっ! あなた、仮にも魔族なんでしょう!?
 なんかこう、魔族だからできる治療法とかないんですか!?」
 そーだっ! もっと言ってやれ、アメリア!
「例えばほら、一度リナさんを粉々に分解して、記憶を失う前の状態に組み立て直すとか」
 ……それはイヤだ。何となく。
 ゼロスはオレに襟首掴まれたまま、ちっちっち、と人差し指を左右に振った。
「何言ってるんですか。僕だって魔族の端くれ、『謎の神官』とまで呼ばれた者ですよ?」
「行く先々で自分からそう名乗ってたんだろうが」
 ゼルガディスの冷静な指摘にも、ゼロスは眉ひとつ動かさない。
大いばりで胸を張って、
「その僕が、人助けになるような術を知ってるはずがないじゃあありませんかっ!」
「それってつまり……」
 言いかけたアメリアの言葉を、オレが引き継ぐ。
「要するに、治す方法知らないってことか?」
「大ピンポン♪」
「ゼロス――――っ!」
 オレが一閃させた剣を、ゼロスがいとも簡単に避ける。
「それじゃあ、僕はこの辺で失礼します。皆さん、せいぜい頑張ってくださいね〜♪」
 言うなり、ふっとゼロスの姿が消えた。



「完全にからかわれたな」
 ぜーはー息をつくオレのうしろで、ぽつりと言うゼルガディス。
 と、それまでオレ達のやりとりを見ていたリナが、ぴょんっ、とベッドから降りた。
「あ、だめですよリナさん! ちゃんと安静にしてないと」
 ぎょっとして止めるアメリアに、リナは一言。
「でも、もう家に帰んなきゃ」

 どくん、と。
 その言葉に、オレの心臓が跳ねる。部屋に苦い沈黙が落ちる。

「……リナ……」
「ねーちゃんになんにも言わないで出てきちゃったし。あんまり遅くなるとオシオキされちゃうもん」
 言いながら、出口へと向かう。その肩を、オレは慌てて引き止めた。
「待てよ! ……その、なんだ……家にはオレたちが送ってってやるから」
「へーき。ひとりで帰れるもん」
「だからダメだって!」
「どーして…………あ」
 振り返ったリナが、オレの顔をひたり、と見据える。
 その瞳が、夕べの――落ちていくリナのそれとそっくりで、オレは思わず目をそらしたい衝動に駆られた。
「な、なんだ?」
「ひょっとしておにーさんたち……ゆーかい魔?」
 ずがしゃあぁあっ!
 オレがまともにひっくりコケてる前で、リナがうんうんと頷いている。
「そりゃあたしってば、世にもめずらしーくらいのビショージョだからさあー。
ちょっとキタナいテぇ使ってでもなかよくしたいってのもわかるけど……。
 やめといたほーがいーよ。ねーちゃんに殺されちゃうから」
「あ、あのなあ……」
「さすがリナだな。こういうところは子供の時から変わっとらん」
 呆れ返るオレをよそに、ゼルガディスが何やら別のところで感心している。
「と、とにかくリナさん。ここから一人で帰るのは無理ですよ。ここ、ゼフィーリアじゃないんですから」
「えっ!?」
 アメリアの言葉に、リナが驚いて窓へと駆け寄った。眼前の景色に息を飲み、
「ほんとだ……ゼフィールじゃない……」
愕然としてつぶやく。
 無理もないか。リナにしてみたら、いきなり知らない街に放り出されたようなもんだ。
「……あたし……、ほんとにゆーかいされちゃったんだ……」
 がくぅっ。
 リナの言い様に、オレはまたもすっ転ぶ。
 いかん。このままじゃオレ、本当に誘拐魔にされてしまう。
「……どうしよう……。
 黙って知らないとこ行くなとか、知らないひとについて行くなとか、勝手にかつカンタンにひとにさらわれるんじゃないとか、さんざんねーちゃんにクギ刺されてたのに……。
 こんなことバレたら、家に帰ったときねーちゃんに殺される……」
「いや、そーじゃなくてだなあ」
 何やら物騒なことを口走るリナに、何をどう説明しようか迷っていたところに、アメリアが助け船を出してくれた。
「リナさん、これを見てください」
 言って、壁に掛けてあった鏡を指す。
 言われるままにそれを覗き込んだリナが、ビクリと体を震わせた。
「……だれ、これ……、あたし――!? なんでこんなにフケてんの!?」
 フケてるときたもんだ。
 呆然と鏡の中の自分に指を這わせる彼女に、アメリアは優しく言い聞かせる。
「落ち着いて聞いてくださいね。
 リナさんは今、17歳なんです。リナさんは昨日、階段で転んで、その時頭を打ったショックで10年間分の記憶を失っちゃったんです。
 リナさんは、今までわたし達と一緒に旅をしていたんです。
 わたしはアメリアっていいます。で、あそこで椅子に座ってるのがゼルガディスさんで、さっきから派手にすっコケてるのがガウリイさん。みんなリナさんの仲間ですよ」
「ほんとなの?」
 リナは訝しげにオレ達3人を見回して、
「なんか都合よすぎない?
 そんなウマいこと言ってだまくらかしておいて、おにーさんたち、ぢつはやっぱりゆーかい魔で、ヘンなまほーであたしのことオトナにしちゃったとかじゃないの?」
「そっちの方が全然都合いいぞ、お前」
 ジト目でゼルガディスに言われて、リナは困ったようにポリポリと頬を掻いた。短く嘆息し、
「まあいいや。おにーさんたち、そんなに悪い人ってカンジにも見えないし。 よろしくね、おねーさん」

 よく通るリナの声も、今はなんだか遠くに聞こえた。
 床に座り込んだまま、オレはじっとリナを見ていた。呆然としていた、という方が正しいかもしれない。
 その視線に気付いたのか、リナが振り返る。
 オレはよほど不安そうな顔をしていたのだろう。リナは少し大人びた表情で、オレを安心させるように微笑んだ。


 その優しすぎる眼差しが、今のオレにはひどく痛かった。