Sinner 『罪人は十字を背負いてただ忍従の道を行く』 |
1 段上の魔手 「……オレは、リナが好きだ」 とある街の宿。その廊下。 ランプにはほの暗い光が灯って、オレ達を照らしている。 目の前にはリナ。 ただ目を見開いて、そこに佇んでいる。 たとえオレの顔が火照っていたとしても、この暗さではリナにはわからないだろう。そのことに多少救われながら、オレはリナの返事を待った。 どうしてこんなことになったのか、わからない――はじめは、いつも通りの他愛ない会話だったのに。 ゼルガディス、アメリア、そしてゼロスを旅の仲間に加えてから、リナと2人きりになる機会が減った。 ところが、今日に限って3人が3人とも、用事がある、と言って出かけてしまった。 久しぶりに二人きりで摂った夕食では、相も変わらずの争奪戦を繰り広げた。 ただそれだけの、日常と変わらない風景。 なのに、少しアルコールが入って機嫌よく笑うリナを、独り占めできたようで嬉しかった。 いつもオレの隣にいる、日毎綺麗になっていく、少女。 リナに対する独占欲は、ここのところ強くなるばかりだ。 それでも、オレはその気持ちを押し殺していた。 リナには、自分が保護者として旅に同伴していることを、明言してある。リナはまだ、オレを男として受け入れるほど、大人になりきれてはいないから。 自分に言い聞かせて、邪な考えを打ち切る。 何年もそうやって、自分の気持ちを誤魔化し続けてきた。少なくとも昨日までは、それができた。 なのに。 夕食を終えて、二階の部屋に戻るべく階段を上がり終えたときには、言葉が口をついて出ていた。 きっかけは、リナの冗談混じりの一言。 『あんたみたいなクラゲに、恋愛なんて高等な感情、理解できるわけぇ?』 その言葉に、オレは振り返った。目が合うと、リナは少し驚いたような顔をして黙り込んだ。 きっと、オレがあんまり真剣な顔をしていたから。 そして、気がついたら言っていたのだ――『好きだ』と。 「…………あ」 リナの瞳が、揺れる。ランプの柔らかい光を受けて、その色は一層濃い紅に染まっている。 「……やだ……、冗談、なんでしょ……?」 笑おうとして、やめる――オレが本気だということがわかって。 「リナ」 「……あ……」 オレがのばした手を、リナが避ける。よろよろと一歩、後ずさって。 オレはその時になって気付いた。リナが、あと半歩で階段の縁にさしかかることに。 「リナ、危な――」 反射的に彼女の細い腕を掴もうとして――その行為が逆効果であることを知ったのは、リナが更に足を引いたときだった。 オレの手から逃れようとしたリナが、階段を踏み外してバランスを崩す。ぐらりと揺れる上体。 「リナっ!」 互いに手をのばせば、届く距離だった。 なのに、それがリナから差しのべられることはなかった。 精一杯のばしたオレの手が、空を切る。 見開かれたリナの視線は、まっすぐにオレを見ていた。 落ちていくリナの姿は、ひどくゆっくりとオレの目に映った。踊り場に右肩を叩きつけ、その衝撃で後頭部を打ち、更に転がりながら一階の床まで落ちて、止まる。 オレが反応したのは、その一瞬あとだった。 「リナ……っ!」 「どうぞ、入ってください」 リナの部屋から出てきたアメリアが、開口一番、オレに向かって微笑んだ。 廊下には、壁にもたれて佇むオレとゼルガディス。 あの時――リナが階段から落ちたとき。 ぐったりするリナを抱えてオレが途方に暮れていたところに、アメリアとゼルガディスが戻ってきた。すぐに状況を理解した二人にリナを部屋へ運ぶように言われ、オレは従うことしかできなかった。 アメリアが治療をかって出てくれ、オレ達は今までそれが終わるのを待っていたのだ。 「リナは……?」 尋ねると、アメリアはにっこり笑ってオレ達を手で招いた。 「ケガは大したことありませんでした。 今は眠ってますけど、打ち身や打撲は魔法で治しましたし、もう大丈夫だと思いますよ。どうぞ入って下さい」 「でも……」 「いいから入れ。顔を見ないことには安心もできんだろう」 ゼルガディスに背中を押され、オレは室内に踏み入った。そのまま、リナの眠るベッドの前に押し出される。 明かりの魔法で照らされたリナの顔は、いつもより白く、生気がないように見えた。 嫌な考えが、頭をよぎる。 「ガウリイさん。そんなに心配しなくても、リナさんは頑丈なんですから、大丈夫ですって」 「ああ、そんなに心配するほどのことじゃない。それに、リナよりあんたの方がよっぽど重傷に見えるぜ?」 「ゼルガディスさんの言うとおりですよ。 階段を踏み外したのはリナさんの勝手なんですから、その場にいて助けられなかったからって、ガウリイさんが落ち込むことないです」 二人に交互に慰められる。 確かに、今のオレはひどく情けない顔をしているだろう。自分でも十分自覚がある。 「……でも……オレのせいなんだ……」 リナを守れなかった上に怪我までさせて、しかもその原因はオレなのだ。自分を責めるなと言う方が無理だろう。 「オレがもっと、時と場所選んでれば、こんなことには――」 「は? どういうことだ、それは」 う……っ。 ゼルガディスに聞かれて、返す言葉に詰まる。 『好きだ』って言って詰め寄ったらリナがオレから逃げようとして階段から落ちた――なんて言えない。絶対。 どう誤魔化そうかと考えていたら、横からアメリアが、 「ガウリイさん、リナさんがすっコケるほどつまらないギャグ飛ばしたんですか?なるほどー、それはリナさんが足を踏み外しても、仕方ないですね。 でも、それってほんとに危険ですから。次からは選ぶの忘れないでくださいね、時と場所」 さも納得したように、うんうんと頷いている。 ……何か……激しく馬鹿にされたような……? まあいい。どうせオレが考えたってろくなアイディアも出ないだろうし。 都合がいいので、この際黙っておくことにする。 「けど、大丈夫なら、どうしてリナは目を覚まさないんだ? 何か、受け身も取れないで落ちてたみたいだし、頭とかも打ってたし……」 オレが言うと、アメリアはぱたぱたと手を振って、 「軽い脳震盪だと思います。調べてみましたけど、打撲以外の外傷もありませんし。こればっかりはどうしようもないですよ。わたしがちゃんと看病しますから、ガウリイさん達は安心して休んでください」 「あ、それ! 看病、オレがやる!」 手を挙げて言ったら、ゼルガディスとアメリアが目を剥いた。 「……正気か? 旦那」 「まずいんじゃないですかぁ?」 「へ? 何が?」 「だ、だから……」 ゼルガディスの頬が、わずかに染まっている。 「お前が言ったのは、その……一晩中、この状態のリナと一緒にいるってことだろう」 あ。なるほど。そこまで考えつかなかったな。 「まあ、ガウリイさんはリナさんの保護者のつもりなんしょうし、そんな甲斐性ないでしょうから大丈夫だと思いますけど……」 おい。 オレだって一応男なんだけど。 「そうだな。間違ってもあるわけのないリナの色香に迷うなんてことはないだろうが、問題はリナの方だ」 あのな。 確かにリナにそんな色気はないが、そこまで言うか。 「そうですよ。リナさんが朝目を覚まして、隣にガウリイさんがいたら、どうすると思います?」 「逆上したリナに宿ごとふっ飛ばされるぞ。 そんなことになってみろ。お前の命はともかく、俺やアメリアの命だって危ない」 ……………………。 ……オレって、かわいそうかもしれない……。 結局、リナを心配したオレが残ると言い張り、そのオレを心配したアメリアが残ると言い出し、更にアメリアを心配して――というか、 『ゼルガディスさんだって、リナさんのこと心配ですよねっ! わたし達、正義の仲良し四人組ですもんねっ!?』 とアメリアに押し切られてやはり残ったゼルガディスと共に、リナの部屋で一夜を明かした。 「……う……、ん――」 耳元で漏れた吐息のような声に、目が覚める。 「リナ!?」 それまでリナベッドに突っ伏して居眠りしていたオレは、がばっ! と体を起こした。 アメリアは備え付けのソファで、ゼルガディスは諦めたように床に転がって、寝ている。 「ん……」 少しだけ眉を動かしてから、うっすらと目を開ける。 「リナ、大丈夫か? どっか痛いとこないか?」 顔をのぞきこむが、リナはとろんとした表情で、反応がない。心配になって、目の前で手を振ってみる。 「おいリナ? 大丈夫じゃないのか? ダメならダメって言ってくれないと」 おろおろしながら聞いたら、リナの視線がゆっくりと動いた。オレを見て、かすかに唇を動かす。 「……だぁれ……? おにーさん ――」 ……………………。 「アメリア――――っっ! セルガディスうぅぅうう――――――――ッ!」 オレの絶叫が、早朝の宿に響きわたった。 続きます・しかも、まだほんの序章♪ |