人 魚 姫 |
第1話 それは一羽の小さな小鳥が運んできた一通の手紙から始まった。 海から遠く離れた内陸の地。 緑の木々に覆われた深い森の入り口に二人は来ていた。 「なぁリナ、こんな所に何の用なんだ?」 「ここはエルフの住む森の入り口なのよ。人間には集落の場所を隠しているから今まで言えなかったんだけど……」 リナはそう言って近くの木陰に座った。 「小鳥が手紙を運んできたでしょ?あれにここに来てくれって書いてあったのよ」 「ふうーーん」 「けどここに来るのも久し振りね。実はあたしが初めて陸に来た時のスタート地点なのよ。ここは」 「ここが?」 ガウリイは周囲を見まわした。あたりは一面緑の海。海、といってもリナたち人魚の住む海からは遠く離れている。 首を傾げるガウリイにリナは笑って言った。 「何でここがスタート地点なんだろうって思ったでしょ?」 「ああ」 「……教えてやんない」 「リナ!」 くすくす笑うリナに怖い顔をして見せるが、もちろん本気で怒っているのではない。むしろ楽しそうなリナの表情を眺めるのは彼にとって楽しみの一つなのだから。 「……リナ」 木々の間から低い声がリナを呼んだ。 「ゼルガディス!久し振りね。元気だった?」 立ち上がったリナが木陰から姿を現わした銀髪のエルフの青年へ嬉しそうに走っていく。 「久し振りだな。リナも元気そうで何よりだ」 「当ったり前でしょ。あたしを誰だと思ってるのよ」 「海界一のお転婆姫だろうが」 「なによそれ」 「リナ」 楽しそうに会話を交わす二人の間にわざとガウリイは口を挟んだ。 「あ、ごめん。久し振りだからついはしゃいじゃった。彼はゼルガディス。見ての通りエルフよ。ゼル、こっちはガウリイ。今一緒にあれを探してくれてるの」 「…………」 ゼルガディスは無言でガウリイを見た。 ガウリイとゼルガディスの視線が空中で見えない火花を散らす。 「ゼル?」 「……リナに、アメリアから伝言がある。悪いが、あんたには席を外していてもらおう」 「……分かった」 ゼルガディスの事は大いに気に入らなかったが、ここで下手に衝突すればリナが困る事になる。そう考え、ガウリイは二人から距離を取った。 もちろん何かあればすぐに駆けつけられるよう注意は怠らないが。 「ゼル、何でガウリイの事睨んでるのよ」 ゼルガディスがガウリイに対しあまり良い感情を抱いていない事はリナにもすぐに分かった。 「ガウリイが人間だから?だから気に入らないって言うの?」 「リナ、お前自分の立場がちゃんと分かっているのか?」 ゼルガディスはじろりとリナを睨んだ。 「もしこのまま宝珠が失われれば世界がどうなるか。それにお前は珊瑚の」 「ゼル!」 強い口調でリナはゼルガディスの言葉を遮った。 「……分かってるわ。……自分の役目は、ちゃんと分かってる」 「なら、いいんだがな…………」 ゼルガディスはちらりとガウリイのいる方角に目を向けた。 俯いていたリナは小さく息を吐くと顔を上げた。 「それで。何なのよアメリアの伝言って」 「伝言と言うより警告だな。アメリアが禍禍しい気配を感じたらしい。それも強力なヤツをな」 「魔族?」 リナの問いかけにゼルガディスは頷いた。 「ここの所やけに活発になってきている。水の力の乱れで動きやすくなっているようだしな」 「そう……」 「あいつらは騙す事に関してはまさに天才だからな。俺としては早めにあいつと別れた方が良いと思うぞ」 リナは俯いたまま何も言わなかった。 「お待たせ、ガウリイ」 明るい声に振り向くとリナがこちらを見上げていた。 「話は終わったのか?」 「うん。んじゃ、行きましょうか」 先に立って歩き出すリナの後をガウリイはゆっくりと追った。 「なぁリナ」 「なぁに?」 「何の話だったか……訊いても良いか?」 「そうね、別に隠すような事じゃないし。アメリアが、何か良くない事が起きそうだから気を付けろって」 「アメリア?それにそれだけなのか?」 振り向いてリナは真面目な顔で言った。 「アメリアはエルフ族のお姫様よ。予知能力があるから彼女の予感は馬鹿に出来ないのよ。それに魔族の事もあるし…… ゼルはアメリアを守護する魔法剣士団の長なの。……ここだけの話だけど、アメリアとは実はいい仲なのよね〜♪」 くすくすとリナは笑った。 「ゼルはやたら真面目だから……ガウリイには嫌な思いさせちゃったわね」 「気にすんなって。俺は別に何とも思っちゃいないからさ」 そう言いつつリナの髪を撫でる。 「もう、髪が痛むからやめてって言ってるでしょーが!」 怒ったような顔をして見せるが、本当は怒ってなどいないのはガウリイも分かっていた。 「魔族ってのは、何なんだ?」 「魔族……文字どうり闇に生きる種族よ。魔族も、いろいろ属性を持っていてね。ほらあの時のクラーケン。あれは水に属する魔物なの」 「って事は他にも色々なヤツがいるってことか?」 「そう。あたしにとって一番厄介なのが火属性の魔族よ。あたしは人魚だからもちろん水に属するわ。だから火に属する相手はちょっとね……」 クラーケン。海の魔物。 あんな化け物がいる事をほとんどの人間は知らずに生活している。 「この世界に宿る力が正常に働いている時は魔族も動きにくいのよ。ただ今は水の力が乱れている……」 あちこちで異常な渇水や洪水が起き始めている。最初は小規模なものであったのが近頃どんどん拡大していっている事はガウリイも知っていた。 「もしこのままリナが探している物が無くなってしまったらどうなるんだ?」 「………最初は今の状態が続くだけ。けど次第に水は流れるのを止め、淀み、腐り始めるわ。そうなったら水はどんどん失われてしまう。一度汚れた水が綺麗になる力を失えば確実に起こる事よ。 そして水の乱れは残る力も乱し、魔族の封印は解かれてしまう。そうなったら世界は破滅よ」 そこまで言って、リナは笑った。 「もちろんそんな事させやしないけど。もし本当にあれが失われたとしてもちゃんと手段が残っているから、そんな心配そうな顔しなくても大丈夫よ」 そう。大丈夫。 でもその時は………… ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 「お帰りなさい、ゼルガディスさん」 周囲を森の動物や鳥たちに囲まれてアメリアは座っていた。 「無事リナさんには会えたんですね」 「会えたには会えたが……」 渋い顔つきのゼルガディスの様子にアメリアは首を傾げた。 「どうかしたんですか?」 あの人間の男、確かガウリイとかいった。あいつがリナに惹かれている事はすぐに分かった。 もともとリナは他人を引き寄せる天性のものを持っている。人間たちの中に出ていく際、ゼルガディスが最も気になったのがその点だった。 人間たちは魔族に対してあまりにも無防備であり、無力であり、無知だ。 「リナと一緒に人間の男がいた」 「人間の?じゃあお友達が出来たんですね」 全くもって無邪気なアメリアにゼルガディスは苦笑した。このお姫様には人間がどんなに残酷な事が出来るか理解できないのだろう。 リナはアメリアよりは他人に対して警戒心が働く。その辺りは珊瑚の王女として生まれた事で彼女の姉が教え込んだ結果であろうが。 そのリナの警戒心を解いた相手なのだ。並みの人間とは違うのだろう。現にあの場でも自然体でありながらもいつでも剣が抜ける状態にあった。 しかし相手が人間ならともかく魔族では、いかに剣の腕がたとうとも何の力にもならない。問題はそこなのだ。 もし魔族がリナを狙って動き出した時どうなるか。 もし、リナ自身もあの男に心惹かれているのだとしたら。 魔族は、いやあいつはそんな絶好の好機を逃したりはしないだろう。 ゼルガディスは、湧き上がる嫌な予感を振り払う事が出来なかった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 日が沈む頃、二人は麓の小さな村に帰りついた。 いつもどうり賑やかな食事を済ませ、宿のそれぞれの部屋に戻ろうとした時ガウリイがリナを呼び止めた。 「なぁリナ」 「?何よ」 「お前さん、探し物が見つかったらその後はどうするんだ?」 ピクリとリナの身体が震えた。 「海へ持って帰るに決まってるじゃない」 「いやそういう意味じゃなくて」 何故か俯いたリナにガウリイは近づいた。 「俺が聞きたいのはその後だよ」 「……帰ったら、ずっと海よ」 「ずっと!?」 「そう。…もともとあたしが海を離れるなんて事あっちゃいけなかったのよ。今回は事情が事情だからあたしがここへ来たけど、本当なら、あたしは一生海底神殿から出る事は無いのだから」 ガウリイは目を見張った。思わずリナの細い腕を掴む。 「二度と?」 「そうよ」 リナの探し物。もし見つからなければ世界規模で大変な事になってしまう。しかし見つかればガウリイはリナを失う事になる。 国を後にする時、ミルガズィアが言った事。海の民であるリナは遅かれ早かれ海に帰る。 今まで考えた事が無かったわけではない。しかしこうしてリナ本人の口からそう告げられた事は初めてだった。 「もう会えなくなるって事か」 「そうよ。さっきから言ってるでしょう?もともとあんたと一緒にいるのもあれを探すのに都合が良いから、ただそれだけなんだから!!」 そう言うなりリナはガウリイの手を振り解き自分の部屋に駆け込んだ。 後ろ手で鍵をかけそのまま床に座り込む。 「……そうよ……もともと……その為だけで、一緒にいるんだから……」 けれど。 ガウリイに別れをはっきり宣言した時、リナは自分がその事で強いショックを覚えた事に気がついていた。 何時の間にか、ガウリイと二人でいる事が自然な事に思えていたのだ。 帰らなければならないのに。 海が、自分の生きる世界なのに。 ――――ここを、彼の傍を、離れたく、ない………… 一方、ガウリイは廊下で立ちすくんでいた。 リナは隣の部屋にいる。なのにたった今海に帰ってしまったように感じられた。 リナを離したくない。海になど帰したくない。 けれど、どうしたらいい?どうしたらリナと離れずにいられる? 答えを見出せないまま、ガウリイはただ立ちすくんでいた。 そして、そんな二人を闇の中からじっと見つめているものがあった事に、二人はまだ気がついてはいなかった。 To be continue... |