人 魚 姫 |
第2話 あれ以来、二人の間にはわずかな亀裂があった。 会話をしていても今までのようには話せない。 お互いうまく想いを伝えられないまま、数日が経過していた。 今日もまたろくに会話も出来ないままそれぞれの部屋に引き上げて、ガウリイは溜息をついた。 こんな状態は初めてで、自分でもどうしたら良いのかわからない。 相変わらず探し物は続けていたが、どうしても以前ほど身が入らない。 ……理由は分かっている。探し物が見つかれば自分がリナと一緒にいられる理由が無くなってしまうからだ。 けれどこのままという訳にもいかない。何よりリナが、自分の役目を放棄する事などありえない。 じゃあどうするのかと言われても答えが見つかったわけで無し。この所ガウリイは眠れなくなっていた。 下手に眠れば見る夢は自分の傍らから愛しい少女がいなくなってしまう夢ばかり。その度に飛び起きて、隣の部屋の気配を探るのがほとんど習慣になってしまっていた。 今日もこのままでは眠れそうに無い。 ガウリイは剣を手に部屋を出た。 宿の外に出て、ただぶらぶらと当てもなく闇に包まれた通りを歩く。 暗い夜空にかかる月は赫く、見るものを陰鬱な気分にさせた。 「………何か用か」 足を止め、闇の中に声をかける。 「ガウリイ=レウァール=ディン=ガブリエフ王子ですね」 すっとガウリイの目が細くなった。 国を出て以来ずっと正式な名前を使っていない。 「何者だ」 「失礼いたしました。私は海の王に仕えるものの一人で、ゼロスと申します。王の命令により、リナ姫様に海にお帰りいただくためにこちらに参りました」 ゆっくりと闇の中から出てきた男はそう言ってガウリイに一礼した。 「リナを、連れ戻しに来たのか」 「はい。ここのところ魔族の動きが活発化していますので、王がたいそう姫様を心配なさっておいでです。それで私が姫様の代わりに宝珠の探索を命じられた次第でございます」 少なくとも、見つかるまでは一緒にいられるはずだったのに。いきなり、それもこんな形でリナと別れなくてはならないのか。 そんなガウリイの考えに気がついたのか、ゼロスは小さく笑った。 「しかし……私としてはこのまま姫様を海に連れ戻すのはどうかと考えているのです。ガウリイ王子」 「どういうことだ?」 「実はしばらく前からお二人の様子を拝見させて頂いていまして……貴方様が姫様を大切に想っていただいていらっしゃるのは良く分かりました。姫様も大変楽しそうにしておられましたし、出来れば姫様を悲しませたくないのです。 ……それで、ガウリイ王子に折り入ってご相談があるのです……」 そう言ってゼロスはガウリイを手招きした。 周囲をうかがいながらそっとガウリイに囁く。 「姫様が海に戻らなくてすむようにする、良い策がございます……」 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 翌朝。 「おはよ、ガウリイ」 「…あぁ。おはよう」 朝食のテーブルで顔を会わせたものの、挨拶する以上会話が続かない。リナ自身どうにかしなければと思うもののなんと言って良いのか分からない。 気まずい空気が漂うままの食事は食べた気がしなかった。 次の町に向かうため歩き出してからも沈黙は続いていた。 「ねぇ、ガウリイ」 「ん?」 「…………やっぱ、いい…………」 「………………」 あぁもう!何やってんのよあたしは!! 頭の中では言いたい事が山ほどあるというのに。 どうしても言葉にならない思いだけが心にのしかかって、リナは溜息をついた。ガウリイと二人で旅をするようになってかなりたつが、こんな状態になったのは初めてだ。こんな風に、思っていることすら言えない自分も。 いつか帰らなければならないのは分かっていたのに。別れる時の事がこんなに影響を及ぼすなんて考えもしなかった。 思考ばかりがどうどう巡り。こんなの自分らしくないと思っても気持ちは言葉になってくれない。 その時、一陣の風が吹きぬけていった。 「今の………」 「え?」 急に立ち止まったリナにガウリイが訝しげな声をかける。リナは何かを探るように周囲の気配をうかがっている。 「リナ?」 「今の風が運んだ気配……まさか……」 でも、どうしてこんな急に………?まさか、魔族の罠…? でも気配がする以上確かめないわけにはいかない。 「どうしたっていうんだ?リナ」 「水の気配がする……それもとても強い……」 ガウリイは息を呑んだ。 「こっちだわ」 道を外れ森の中に駆け込んでいくリナの後を、ガウリイは複雑な思いを抱えて追った。 獣道さえない森の斜面をひたすら上へ登っていく。 登るにつれ次第に草木が少なくなっていく。かわりに空気に鼻を突く異臭が混ざり始めた。 「この匂い……何なんだ?」 まるで卵が腐ったような異臭に顔をしかめる。 「水の気に炎の気が混ざってる……そういえばさっきの町の人が近くに温泉が沸いている所があるって言ってたわ。もしかしたら……」 森が途切れる。 目の前に現われた光景に二人は言葉をなくした。 大地のあちこちに湯が湧き出している。立ち込める熱気にリナは顔をしかめた。 「大丈夫か?かなり暑いが……」 「平気よ。それより足元には注意した方が良いわね。濡れてて滑りやすくなってるわ」 リナは慎重に先へ進み始めた。 いつも軽やかにはねる栗色の髪も、湯気に含まれる水分で濡れあまり動かない。 リナの後姿を見つめながら、次第にガウリイの胸に暗澹たる思いが込み上げてきた。このままでは確実にリナは自分の前から消えてしまう。 昨晩の男の言葉がさっきから頭の中を駆け巡っていく。 『……リナ姫がいつも身につけておられる銀のペンダント……あれが姫を海に縛り付けているものです。あれを失えば、姫は海の力を失うんですよ…… 海の力を失えば、リナ姫は海に戻れません』 ……本当に、あれを無くすとリナは海に帰らなくてすむようになるのか…… 「あ……」 不意にリナが足を止めた。 湯気の向こうに、何かが見え隠れしている。 「ガウリイはここで待ってて」 「あ、あぁ……気をつけろよ」 ガウリイをその場に残し、リナは一人で先へ歩を進めた。 目の前の大きな湯溜りを迂回し、その先の岩場へ進んだリナの前に青海を思わせる拳大の光の塊が姿を現わした。 「“海の宝珠”……でも、どうしてこんな所に……それもこんな急に」 疑問は山ほどあったが、今はそれを考えている時ではない。リナは小さく頭を振るとそれに手をかざした。 光は一筋の水の流れに姿を変え、リナの身体を取り囲んだ。 後は、海に帰るだけ。それも一刻も早く。 今まであれだけ探していたのに見つからなかった“海の宝珠”。それがこんな突然に見つかるなんてどう考えてもおかしい。できすぎている。 きっと魔族が襲ってくる。 いつもは服の下に隠しているペンダントを取り出しながら、リナはちらりと振りかえった。湯気の向こうでガウリイが心配そうにこちらを見ているのが見える。 だめだ。このまま、今すぐ海に帰る訳にはいかない。ちゃんと、今までのお礼をしなくちゃいけない。 それがどんなに辛くても。 胸の奥に痛みを覚えながら、リナはガウリイの所に戻っていった。 湯気の向こうから戻って来たリナは、不思議な水を身に纏っていた。 歩くリナの胸に光る銀のペンダント。 「それがリナの探していたものなのか?」 「……うん、そう。ただ、このままじゃ水の力を統括するものとしての役目は果たせないの。 本来、これに触れる資格を持たない者が触れたために力を殆ど失いかけている。このままじゃ今の水の乱れを正す事は出来ないわ。一刻も早く神殿に戻って力を取り戻させないと」 「帰るって言ってもここから海までかなりあるじゃないか」 ガウリイの言葉にリナは俯いて首を振った。 「いくら力を失っていると言っても、あたしを海まで運ぶ力くらいあるわ。一瞬のうちに、ね……」 細い指先がそっとペンダントに触れる。 「今まで、付き合ってくれて有難う。……ガウリイに会えて、一緒に旅が出来て本当に楽しかった」 顔を上げてリナは微笑んだ。 彼女が最後の言葉を口にしようとした時、ガウリイの中で何かが弾け飛んでいた。 リナの腕を掴み引き寄せる。 「ガウリイ!?」 悲鳴のようなリナの声が辺りに響き渡る。 ガウリイの手には、毟り取られたペンダントが握られていた。 To be continue... |