人 魚 姫 |
第8話 地下へ下りていけば行くほど通路には熱気が立ちこめていった。長い螺旋階段を下りていくガウリイもじっとりとした汗をかいている。 螺旋階段の先に重い金属製の扉が立ちはだかった。 扉の向こう側には何の気配もしない。それでも用心深く扉を押すとそれは思っていたよりも軽く開いた。 扉の先は闇が支配する廊下が続いている。 「『明かり』(ライティング)」 エリスの灯した明かりを少し前に浮かべて暗い廊下を歩き始める。 「あれ……何かの匂いがする?」 どこからともなく甘い香りが漂ってくる。 「なんだろ。すごくいい香り……」 ふらふらと飛び立ったエリスをあわててガウリイが追いかけた。明らかに普段と行動が違っている。 「待てエリ…ス…?」 甘い香りが全身を包み込み、一瞬視界が暗転する。 「ガウリイ……ガウリイ」 ガウリイを呼ぶ懐かしい声。 「リ、ナ…」 暗い通路の先に佇んでいたのは、探し求めた少女だった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 「リナ?」 目の前の光景が信じられなくて、呆然とするガウリイにリナは微笑んだ。 「どうしたのガウリイ?あたしの事忘れちゃったの?」 「いやそうじゃなくて……」 リナはゼロスに捕らえられているのではなかったのか。 「なんでここに」 リナの赫い瞳がちかりと煌めいた。 赫い瞳……? 何かがひっかかる。 「ねぇガウリイ……」 リナがガウリイに身体をすり寄せる。 「独りで怖かったの……抱きしめて、ね?」 腕の中にすっぽりと収まる小さくて柔らかい身体…… 甘い香りが鼻腔をくすぐる。 リナの手がそっとガウリイの頬に添えられる。赫い瞳が蠱惑的な笑みを浮かべてガウリイを捕らえた。 「ガウリイ……キスして……」 ガウリイの手がリナの顎に添えられ…… 「きゃあっ!?」 ガウリイは思い切り彼女を突き飛ばしていた。 「何するのガウリイ!?」 「お前はリナじゃない……リナの瞳は、そんな濁った赫じゃない!!」 また甘い香りがまとわりつく。 「どうしてガウリイ……あたしよ、分からないの?」 「こんなものはまやかしだ!!」 ガウリイは目の前のリナに剣を振り下ろした。 「きゃぁっっ」 悲鳴を上げてリナが倒れた。倒れたままひどく悲しげな眼差しでガウリイを見上げてくる。 「どうしてこんな事するの……あたしを愛してくれていないの……?」 「愛しているさ………リナを」 「なら……」 「愛しているから………偽物なんか、赦せるわけが無いだろうっ!!」 斬りつけるガウリイからふわりと身をかわしてリナが立ち上がる。 「偽物?……そうかしら」 立ち上がったリナは小首を傾げてみせた。 「あたしは貴方が望んだ通りのリナ。貴方はあたしを愛しているのでしょう?違う?」 「俺が愛しているのはお前じゃない」 ガウリイの中で沸々と怒りがこみ上げてくる。だがリナはそんなガウリイを見てくすりと笑った。 「そうかしら。誰だって本当の心は分からない。人の事なんて真に理解することは出来ないわ。でもあたしは違う。あたしは貴方が望むとおりのリナ。本物のリナよりずっと貴方の望む存在だわ」 差し伸べられる白い腕。朱唇があやかしの笑みを浮かべる。 「あたしに愛してもらいたいのでしょう?傍にいて欲しいのでしょう? ……あたしなら、貴方の傍からいなくなったりしない。ずっと傍にいられるわ。約束する。ガウリイ一人置き去りになんてしないわ」 リナが細い腕をガウリイの首に回した。 「傍にいて欲しいさ。永遠に」 そう呟いて、ガウリイはリナの背に腕を回した。 リナの顔に笑みが浮かぶ。そっと寄せられる唇。 「だがそれは、本物のリナだけだ!!」 逆手に握った剣を突き立てる。 リナの顔に苦痛の色が浮かび、ガウリイを突き飛ばすようにして腕から離れ距離をとる。 逃げようとするその小さな身体を追いかけ、ガウリイは肩口からリナに斬りつけた。 「リナの姿を真似やがって……あの世で反省するんだな!!」 悲鳴があたりに木霊する。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 気がつくと元の通路に独り立ちつくしていた。 目の前には蝙蝠の翼を持つ全裸の女が倒れていた。薄暗い廊下に広がる血の海。 「なぜ……」 女が呻いた。 「なぜ分かったの……あれがまやかしだと……」 「だからさ。まやかしでリナの姿が映せるものか。あいつのあの瞳だけは他の誰にも真似できない。あの輝きはリナにしか出せない。 それに、お前等のまやかしに何度も騙されていられないんでね」 くっくっと女は低く笑った。 「このサキュバスの快楽の夢を破るとは……たいしたものだわ。あんたの想いは。 ……あんたの連れのフェアリーはこの先で寝てるわ。多分幸せな夢でも見ているんじゃない?あの子はどうでも良かったからただ夢を見せて眠らせただけよ。 ここまで完璧に破られるなんて。いっそ気持ちいいくらいだわ。 ……あんたの探している人魚姫は、その先の部屋よ」 サキュバスはそう言い残し、二度と動くことはなかった。 「う〜〜〜ん、もう食べられないよぉ」 「やれやれ……」 廊下で眠りこけていたエリスを拾い上げ、ガウリイはサキュバスの示した部屋へ向かった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 「やっとお着きかい。結構時間がかかったわね」 ドアを開けると下半身が蛇の女が待ちかまえていた。彼女の背後にもう一つ扉が見える。 「ラミア!?」 「あぁ、そんなに警戒しなくてもいいよ。あんた達と戦う気はないから」 身構えるガウリイにラミアはくすりと笑った。 「どういうつもりだ?」 「ここまで独りで乗り込んでくるような奴相手に戦って、勝てるとは思えないものね。それに」 ラミアは面白そうにガウリイを見た。 「あのサキュバスの見せる夢を破った男は初めてだしね。あれは夢を見せる相手が望む姿をとる。 あんただってそうだったんでしょう?愛しい相手に迫られて、よく惑わされなかったものね」 困惑するガウリイを見てラミアはクスクスと笑った。まったく敵対心のないラミアの様子にエリスが首を傾げる。 「……それでわざわざここでガウリイを待ってたって訳?」 「そうよ」 ラミアは一本の鍵を取り出すとガウリイに放った。 「あの部屋の鍵よ。ゼロスは今魔と炎の女王ゼラス・メタリオムの城に出かけているわ。帰ってくる前に早く連れて逃げた方がいいんじゃない?」 「出て来ないとは思っていたが……本当に留守にしてたのか」 「そう。でもいつ戻ってくるか分からないわよ。あんたがここに来たって事くらいもう使い魔が知らせに行っているはずよ?」 「……ねぇどうする?嘘ついてるかもしれないわよ」 エリスがガウリイの耳に囁く。 「いや、行ってみる。罠ならその時はその時だ」 ガウリイはラミアの脇を通り抜けて扉へ向かった。 振り向いてこちらを見ているラミアをエリスが睨みつける。 ガウリイは全く気にするそぶりもなく鍵を差し込み、回した。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 奥の部屋はラミアのいた部屋よりも狭く、薄暗かった。 「リナッ!!」 ぐったりとしたリナが鎖につながれている。リナの身体は不思議な真紅の光に包まれていた。 ガウリイは駆け寄るとそっとリナに手を伸ばした。 ガウリイの手が光に触れると、光はすうっと消えた。 リナは意識を失ったままぐったりとしている。 「リナ……ゼロスの奴、酷い事しやがって……」 細い腕に付けられた鎖を断ち切ってガウリイはリナを抱きしめた。 やつれたリナの様子に胸が痛む。ルビーの様な鱗も輝きが鈍り、艶やかな髪も水気を失っている。 ガウリイは持っていたペンダントを取り出した。 「すまなかったな、リナ……」 ふわりと銀の輝きがリナの身体を包み込む。 「だっ、だめえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!!!!」 エリスがガウリイの顔に張り付いて叫んだ。正確に言うなら、彼女が張り付いているのはガウリイの目、である。 「こっこら!何するんだエリス!!」 「黙んなさい!!……あぁもう、どうしよう!?」 「だから、待ってたのよ。ほらあんた、目閉じて」 「え?」 「じゃなきゃ、いつまでたってもその妖精あんたの顔から離れないわよ?」 内心首を傾げながらガウリイは目を閉じた。 ………けどなんで…あ。 腕に感じるのはリナの素肌の感触……ってまさか? そう思った瞬間リナの身体の感触が腕から離れる。 「目、開けたら酷いからね!?」 すかさず飛んできたエリスの声に仕方なくガウリイは目を閉じたまま背中を向けた。背後から聞こえてくるのは衣擦れの音。 「………もう良いわよ」 エリスの声に振り返るとリナに淡い桜色のワンピースを着せ終わったエリスとラミアがいた。 「その服…どうしたんだ?」 「ゼロスが用意していた物を持ってきたんだよ。あぁ、これはただの服だから心配しなくていいよ」 ガウリイはそっとリナを抱きかかえた。 「そうだ、あれ……」 ガウリイは持っていた袋の中からルナに渡された清水珠を取り出した。 乾ききった口に含ませようとするが、弱ったリナには口を開けることすら出来ない。 「仕方ない、な」 「!?」 声を上げそうになったエリスの口を押さえて、ラミアは音を立てずに隣へ移った。 小さくリナの喉が鳴る。 ガウリイはもう一つ口に含む。清水珠はガウリイの口の中で溶け、水に変わったそれをもう一度リナの口に含ませた。 「んっ……」 リナが小さく声を上げてうっすらと目を開けた。 「リナ……もう大丈夫だからな」 ぼんやりとした瞳がガウリイの顔を映して僅かに見開かれた。 「俺のせいで苦しい目に遭わせちまったな……すまない」 何かを言いたそうに唇が動いたが、声にはならなかった。 「とにかく、すぐにここから連れ出してやるからな」 リナを抱き上げて立ち上がったガウリイは、エリスとラミアがいないのに気がついた。 隣の部屋に戻ると二人とも明後日の方角を見ている。 「何やってるんだ?」 『別にぃ』 二人そろって答えられて、ガウリイは首を傾げた。 「さてと。さっさとここを出てった方がいいわ。あんた達火口の入り口から来たんでしょう?その近くまでファイヤーゲートで送ってあげるわ」 「ちょっと待ってよ。それって火属性の者しか通れないやつじゃない。あたし達みんな違うわよ」 ラミアはくすりと笑うと真紅のルビーの指輪を差し出した。 「このお姫様の持っていたルビー。これは火の聖石“炎のルビー”よ。これを使えば一時的に火属性の者になれる。これで問題ないでしょう? それともここからずっと歩いていく?まず間違いなく途中でゼロスに捕まるでしょうね」 「どうしてそこまでしてくれるんだ?」 ガウリイの問いかけにラミアはにやりと笑った。 「そのほうが面白そうだから、よ。面白ければ何でも良いってのは、ここの主人──ゼロスのモットーでもあるしね。あたしがやっちゃいけないって決まりはないわ」 「分かった。……やってくれ」 「じゃ、これを持って。……いくわよ」 ルビーから真紅の輝きが溢れ出し三人を包んだ。 「炎の門よ開け。我が望む地へ導け……『ファイヤーゲート』」 炎が弾け、三人の姿が消える。 「さぁて、これからどうなるか……楽しませてくれると良いけれど」 クスクス笑いながら、ラミアもまた姿を消した。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 強大な力を受けて壁が粉々に砕け散る。 使い魔から侵入者の報告を受けたゼロスが戻った時、すでにそこはもぬけの空だった。 断ち切られた鎖。一刀のもと切り捨てられた鋭利な切り口は、これを行った者の腕を如実に物語っている。 見張りにおいておいたはずのラミアの姿もない。死体が転がっていないところからするとどうやら裏切られたようだった。 用心のためと置いておいた魔物はことごとく返り討ちにあっている。 「やってくれましたね………人間と思って少し侮りすぎましたか」 紫の瞳が怒りに燃え上がる。 「逃がしはしませんよ……絶対に!!」 To be continue... |