人 魚 姫







 第7話


 暗い室内にワインのほのかな芳香が漂う。
 ゼロスの目の前の水晶球には、熱に苦しむ一人の人魚の少女の姿が映し出されていた。
「ゼロス様」
「何ですか。…僕は今忙しいんですがねぇ?」
 振り返りもせずに言うゼロスに、使い魔は困ったように告げた。
「ゼラス・メタリオム様の居城からお迎えの馬車が参っておられますが……」
 ゼロスはワイングラスを置いて立ち上がった。それと同時に水晶球に映っていた光景も消える。
「ゼラス様のお招きとあれば無視するわけにはいきませんね。
 ……あぁ、少し待って頂きなさい。ちょっと大事な用をすませて来ますからねぇ。そう、大事な用を……」
 ゼロスはそう呟いて姿を消した。


 ゼロスが現われたのは先刻の少女が囚われている地下室だった。
「リナさん、ご気分はいかがですか?」
 ゼロスが近づいてもリナはピクリとも動かなかった。ただ弱々しくそれでいて荒い息遣いだけが薄暗い部屋の中に微かに響いている。
「話す事すら出来ませんか?」
 近づき、顔を上げさせる。
 ぼんやりとリナは目を開けた。だがその瞳は焦点があっておらず、ただ虚ろにゼロスを見上げている。
「喉が渇いているようですね。水が欲しいのでしょう?あげますよ」
 ゼロスの手に、一つのグラスが現われる。
 水の気配に、リナの身体がピクリと震えた。微かに渇ききった唇が動く。
「さぁどうぞ。僕特製の魔水ですよ……」
 ゼロスが魔水を口に含むとリナの唇に触れようとした、その時。
「!?」
 突然放たれた真紅の光がゼロスをグラスごと弾き飛ばした。グラスの中身が零れ、周囲に散乱する。
「この光は……」
 リナに何か術を使う力は残されていない。彼女の身を守るものは何一つ残ってはいない筈なのに何故……
「これは?」
 光はリナの髪を飾る珊瑚の中から溢れ出していた。光に触れないよう用心しながら覗きこむと、真紅の輝きを放つルビーが隠すようにはめ込まれていた。
「これがこの光の源ですか。しかし……」
 ゼロスには分かる。この光は明らかに炎の属性を帯びている。にもかかわらず水の者であるリナはこの光から害を受けていない。
 むしろこの光に守られているようだった。荒かった息遣いが心なしか収まってきているように思える。
「こんなものが隠されていたとは……この僕とした事が迂闊でしたね」
 ゼロスは忌々しげにそれを見つめた。
「仕方ありませんね。もう少し時間をかけるとしましょう。あまりゼラス様をお待たせすると後が大変ですし」
 ゼロスは意識の無いリナを一瞥すると姿を消した。


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 荒野を進むエリスの前に信じられないものが姿を現わしていた。
 毒の沼地から数時間。岩陰でエリスはガウリイに休憩を取らせ自分は目指す方向の偵察に向かった。
 毒は消えているといっても消耗した体力はそうそう簡単に回復しない。何しろここは魔の支配地域なのだ。それにリナが捕えられている場所には沢山のモンスター達がひしめいている筈。しかもこの地に足を踏み入れて以来ほとんどずっと戦いの連続なのだ。事情が事情とはいえ、休みなしで敵の本拠地に乗り込むのは得策ではない。
 自分は歩くガウリイの肩の上で休憩できるが彼はそうはいかない。休める時に休め。そう言ってエリスはガウリイを残し一人先に進んで行ったのだ。
 ガウリイの持つペンダントが示した方向に飛んで行ったエリスは、周囲の気温がどんどん上昇していっている事に気がついた。
「何だか暑くなってきたけど………!?」
 エリスの目の前に現れたのは、巨大な炎の湖だった。


           ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 炎と溶岩に包まれた湖。その中央の小島のような場所に一件の屋敷が建てられている。
「何考えてこんな所に屋敷なんて建てたのかしら。これじゃ中に入るのは大変じゃない」
「外に出るのもな。だがゼロスは空間を渡る。あいつにとってこんな炎は関係ないだろうな」
 侵入するのも脱出するのも至難の業になる。それに……
「リナを閉じこめておくにも都合がいいんだろうな」
 ガウリイはアルラウネから貰ったシルジアの葉を取り出した。
「エリス、あの島に一番近い場所が分からないか?」
「ちょっと待ってて、今見てくるから」
 エリスは飛び立つと高く上った。
「あっちに岬みたいになってる所があるわ。あそこからなら近そう」
「そうか。そういえばこの葉の力で上昇とかは出来るのか?」
「多分ね。けどあんまり当てには出来ないかも」
「なら脱出する時のことを考えておいた方がいいな。その岬は帰りも使えそうか?」
「ちょっと高くなっているけど……大丈夫だと思う。それにいざとなったらアタシが風を起こして押し上げてあげるわ」
「頼りにしてる」
「任せて!」
 エリスの見つけた岬からは、炎に包まれた屋敷がずいぶん間近に見えた。それでも結構距離がある。
 ガウリイはシルジアの葉を飲み込んだ。思わず吐き出しそうになるほど苦かったが無理矢理飲み込む。
 奇妙な感覚がして、体が宙に浮いた。
「前に進むって考えて。そうすれば進めるわ」
 エリスの言う通りにするとそろそろと前に進んだ。もっと速く、そう念じるとスピードが上がる。
 効果がいつまで続くか分からない以上ぼやぼやしてはいられない。ガウリイは炎の中に建つ屋敷に向かって宙を進んだ。


 足が大地を踏む。
「何とか無事についたな。それにしても……」
 対岸が陽炎で霞んで見える。ルナに貰った防具のおかげで暑いだけですんでいるが本当ならこんな所に立っている事すら出来ないだろう。
「エリスは大丈夫か?」
「何とか。でもこれはきついわね。早く中に入っちゃいましょ」
 屋敷を取り囲む壁に沿って歩く。
「あれが門ね。けどあの像…多分魔物よ」
 エリスの指さした方角には、門の両脇に二体の魔物…ガーゴイルの像が建てられている。
「結構いるのよ。普段はただの像なんだけど侵入者が近づくと石化が解けて襲って来るの。気をつけてね」
 ガウリイはちらりと像に視線を向けると無造作に歩き出した。
 ガウリイが門の一歩手前まで辿り着く。するとエリスの言ったように石化が解けたガーゴイルが襲いかか……ろうとした。
 門の両脇に、頭を切り落とされたガーゴイルの死体が転がる。
「…………」
「襲ってくると分かり切った相手など敵じゃない」
「……あんたの腕が超越してるって事忘れてたわ。んじゃさくさく行っちゃいましょ」
 エリスに頷き返し、ガウリイは屋敷の庭に足を踏み入れた。


 庭には緑が溢れていた。
 門の外は灼熱の地獄なのにこの落差はどういった事なのか。
 美しく整えられた庭。しかしここの庭には見る者をほっとさせる暖かさは微塵もない。
 幾つもの唸り声がガウリイを取り囲んだ。
「ガルムだわ。番犬ってトコかしら」
 エリスは肩の上で笑った。
「ひのふの……四匹か。んじゃさっさとやっちゃいましょ」
 魔犬と恐れられるガルムも、ガウリイの敵ではなかった。
 難なく扉に辿り着く。ガウリイの手で、それはゆっくりと押し開けられていった。


           ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 薄闇の中にそびえ立つ豪奢な城。
「やっと来たか……ゼロス」
「お招き有り難う御座います……ゼラス様」
 闇色のドレスをまとった金髪の女は妖艶な微笑を浮かべてゼロスを見た。
「なかなか顔を見せぬゆえ、どうしておるかと思ったが……彼の水の姫をついに捕らえたとか?」
 ゼラスの前でゼロスは苦笑した。
「耳が早いですねぇ。もうご存じでしたか」
「妾が気がつかぬと思ったか?あれだけ水が乱れれば誰でも気がつくわ」
 まぁ良い、とゼラスは笑った。
「あの人魚の娘名は何といったか……確かリナ、とか」
「えぇ」
「海の王の娘を攫うとは。そういえば彼の娘が産まれた時も手を出しておったが諦めていなかったのじゃな」
 ゼラスの藍色の瞳がまとわりつくように注がれる。
「今宵はじっくり話を聞かせて貰うとするか。のぅゼロス?」
 ゼロスは恭しくゼラスに近づいた。差し出された手を取り口づけする。
「ゼラス様のお望みのままに……」


           ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 玄関ホールは天井までの吹き抜けになっていた。高い天井には豪華絢爛なシャンデリアがつり下げられている。
 だがそこに居たのはそのような場所に全く似つかわしくないレッサーデーモンの群だった。
 侵入者の姿に、デーモン達が一斉に攻撃を開始する。
 雨のように降り注ぐ炎の矢をかわし、ガウリイは一気に間合いを詰めすり抜けざまに一匹を袈裟懸けに切り捨てた。
 エリスも小さな体を生かしてデーモンの群をすり抜ける。シャンデリアを盾に上からガウリイと距離があるデーモンを狙い撃ちにする。
 玄関ホールにいた15匹のレッサーデーモンを片づけるのにたいした時間はかからなかった。
「警備が手薄だな」
 ガウリイがそう言うと、エリスは呆れ果てた様子で肩をすくめて見せた。
「そう思うのはガウリイくらいよ。さて、どっちへ行くの?」
 ガウリイはペンダントを取り出した。ペンダントから放たれる淡いブルーの光はまっすぐに一つの廊下を示した。
「あっちだ。行こう」
 光に導かれ、先へと進む。


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 ぼんやりとした視界に、真紅の光が映る。
 ……なんだろ、この光……
 リナの全身を苛んでいた熱が弱くなっている。髪につけた珊瑚の飾りから暖かな力を感じた。
 炎の気配。なのにこれは苦しくない。
 ……確か、そこにはあれを隠しておいたんだっけ……
 ゆっくりと再びリナの意識が薄れていく。
 ……また、助けてくれたんだね……


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 光は壁を示した。
「隠し扉ってわけか」
 ガウリイの剣が煌めき、重い音と地響きを立てて壁が倒れる。
「お見事♪ けどこんな派手な音たてちゃっていいの?そのゼロスってのが出て来ちゃったらどうするのよ」
「その時は斬る」
「斬るって……それに、この屋敷にいる他の魔物が気がついて襲ってきたらどうするの?こーゆー場合って隠密行動が基本でしょ」
「先に出てきてくれた方が都合がいい。戻る時はリナが一緒だからな」
 なるほど。エリスは肩をすくめた。
 ゼロスに捕らわれたリナがどんな状態でいるのか分からないが、簡単に逃げ出せるほど元気ではないだろう。となると彼女を連れて脱出する方が危険度は上がる。だから今のうちに出来るだけここの魔物の数を減らしておくというわけだ。
 松明の炎がぼんやりと照らし出した階段をガウリイは抜き身の剣を片手に用心深く下りて行った。





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