人 魚 姫 |
第6話 洞窟の中は思っていたよりも明るかった。それでも奥に進むにつれ暗さが増していく。 「『明かり』(ライティング)!」 エリスが明かりの魔法を唱えたおかげで足元が明るくなる。 「それにしてもこの洞窟ってどうやって出来たのかしら?」 エリスは物珍しそうに周囲を見まわした。 「まさか魔族がトンネル掘りなんてするわけないもんねぇ」 ガウリイが足を止める。 「なに?どうしたの」 「しっ」 耳をすませる。何かが動く音が微かに響いてくる。それも、進行方向から。 「エリス、あの明かりだけ先に進ませられるか」 「うん。ちょっと待ってて」 エリスが小さく呪文を唱えると魔法の明かりはふわふわと先に進み始めた。 明かりが照らし出したものを見て、エリスは思わず大声をあげる所だった。 体長1メートルはある巨大な赤い蟻が何かを銜えていた。銜えているのはさっきガウリイが倒したあのサーベルタイガー。恐らく彼らが立ち去った後にこの蟻が見つけて運んできたのだろうが…… 「ガウリイ、あれはヤバイよ。クリムゾン・アントっていう蟻だけど、元が虫だから恐怖なんて感じない。急所をやられてもしばらく動き回るし、何より近くにあいつの仲間もいるはずよ。 ………うまくやり過ごせれば良いんだけど」 ガウリイは無言で物陰から様子を見ている。 巨大蟻は明かりの方にしばらく触角を動かしていたが、獲物を運ぶ事を優先させる事にしたらしくやがて洞窟の奥に姿を消していった。 「この洞窟って……あいつらの巣に繋がっているんだ」 手のひらサイズのエリスにとってあの蟻はでかすぎる。もっともガウリイにとってもそうなのだが。ガウリイは苦笑すると岩陰から出ていった。 途中何度か道は枝分かれしていたが、リナのペンダントが指し示す方向へと足を向ける。迷わないように曲がり角ごとにエリスが妖精の粉を目立たない所に振りかけていった。 「他のものに分からなくてもアタシ達はこれがあるとすぐに分かるから、目印にはもってこいよ」 いつまでも続くと思われた洞窟の先から渇いた風が吹き込んでくる。 「出口よ!」 洞窟を抜けた二人の前に、荒涼とした大地が姿を見せた。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 薄暗い室内に少女のか細く荒い息遣いが響く。 ぐったりとした細い身体は焼け付くような暑さに必死に耐えていた。 「………、リ………」 渇ききった喉からはすでに声さえ出せなくなりつつあった。 ぼんやりと霞み始めた意識に必死でしがみつきながら思い描くのはたった一人の存在。いつもいつも自分だけを見つめていてくれた、澄みきった優しい青空の瞳。 あの人が住む世界。 壊したくない。壊させちゃいけない。だから……負ける訳にはいかない。 ただ一つの想いに縋り、リナは炎毒に耐え続けた。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 渇ききったまるで水気のない土地をガウリイは足早に進んでいった。 時折ペンダントを取りだし方向を確かめ、休む事無く歩き続ける。 「昔はここも水が沢山あったんでしょうね……」 ガウリイの肩の上で、エリスはポツリと呟いた。 枯れた川に沿って下って行くと、やがて深い谷底に辿り着いた。本来なら水が轟々と轟かせて流れているはずの場所にはただ石が転がるばかり。 「何……何かの声がする……」 大地を揺るがして何かがこちらへ向かってくる。 不意にガウリイは前方へダッシュした。 「きゃぁぁぁっっ!」 ついさっきまでガウリイがいた場所に上から凄まじい勢いで何かが叩きつけられていた。後ほんの少し反応が遅ければ、一撃で叩き潰されていただろう。 「こいつ、ミノタウロスよ!」 巨大な戦斧を振りかざしたのは身の丈3mはある牛頭の魔物だった。狂った眼差しでガウリイを見下ろす。 ミノタウロスの雄叫びにエリスはガウリイにしがみつくが、彼は冷静に相手の動きを見つめていた。 白銀の輝きが一閃する。 重い音をたててガウリイの背後にミノタウロスの戦斧の先が落ちる。 事態が理解できなかったのか棒立ちになったミノタウロスを、ガウリイは一刀のもとで切り捨てた。 「こいつもガウリイの敵じゃなかったか………あれ?」 倒れたミノタウロスの懐から転がり出た物をエリスが見つけた。 「すっごい!!これって“虹の指輪”じゃない!!」 「“虹の指輪”?」 「これにはすっごい魔力が秘められてるの。これさえあればあたしも風以外の術だって何でも使えるようになるの!」 「けどお前さんにはでかすぎるんじゃないのか?」 どうやら人間のサイズらしいその指輪は確かにエリスには大きすぎた。 「ふふん。まぁ見てて」 エリスは指輪を抱えて目を閉じた。 すると指輪は虹色の輝きに変わり、エリスの細い指に集まって再び指輪に戻った。 「ね?すごいでしょ。これであたしもっとガウリイの役に立つよ。 さて、それじゃ出発進行!!」 肩の上で元気良く声を上げるエリスに苦笑しながらガウリイは歩き始めた。 やがて谷が開けていく。 二人の前に黒々とした森が広がっていった。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 森は歪み、捻れていた。アメリアやゼルガディスの住む森が生命に溢れていたのに対しこの森には生命の息吹は微塵も感じられない。 時折ある水溜りはどれも濁り、嫌な臭気を放っていた。 エリスはさっきからガウリイの持っていたハンカチを抱えていた。 「う〜〜〜〜〜〜この森どこまで続いてるのかしら。匂いが染み付いちゃう」 どこまで行っても捻れた森は途切れる様子が無い。むしろ深くなっていっているようだった。 「ねぇ、本当にこっちなの?」 「あぁ」 ガウリイの返事もそっけない。まぁこの腐った匂いの中では喋りたくないのも無理は無いのだが。 ガウリイの足が微かな振動を捉えた。 「何?」 「またお客さんのようだ」 エリスは目を丸くした。 微かだった振動はすぐにハッキリしたものとなり大地を揺るがす。何かとんでもなく巨大な物がこちらへ向かって来ているのだ。 「もう、今度は何なの?まぁ何が来たってあたしが術でやっつけてやるけど」 「来るぞ」 木々をなぎ倒して姿を現わした魔物は、巨大な一つ目の魔人サイクロプスだった。 サイクロプスの一つ目が、足元のガウリイたちの姿を捉える。 「気をつけて!あいつの目を見ちゃ駄目だからね!!」 振り下ろされる巨大な拳をかわして走るガウリイにエリスは叫んだ。 「サイクロプスの瞳は邪眼なの。下手に目が合ったら動けなくされちゃうよ」 ガウリイはかなりのスピードで森を駆け抜けていくが、サイクロプスの方も諦めるつもりは無いらしい。いくらガウリイの足が速くてもさすがに歩幅が違いすぎる為距離を取る事も出来ない。 「エリス!あいつの足を止められるか!?」 「えーーーっと……そうだわ、あの術ならいけるかも。任せて!」 エリスは飛び立つとサイクロプスの顔の近くまで上昇した。 「いくわよ!『ヒュプノシス』」 風が渦を巻く。その時サイクロプスの瞳が異様な光を帯びる。 「やばっ」 エリスは羽根を動かすのを止めて一気に下降した。ついさっきまで彼女が浮かんでいた空間をサイクロプスの目から放たれた光が貫き消える。 「駄目だわ。あいつの目で分かった。術は使えない」 「どう言う事だ?」 「あいつの邪眼は術も反射させてしまうのよ」 走りながらガウリイはちらりと追ってくるサイクロプスを見上げた。こんな所で時間を浪費する訳にはいかない。 「そうだ!うまくいくか分からないけどやってみよう。ガウリイは先に行っててね」 エリスは空中に佇み、複雑な呪文を唱え始めた。 「この“虹の指輪”があればなんとか……『ウィザード・ロック』!」 エリスとサイクロプスの間に巨大な光の壁が形成される。とサイクロプスがいくら暴れようともそこから一歩たりとも先へは進めなくなった。 サイクロプスは自らの邪眼で光の壁を消そうとするが、大地から立ち上る壁はびくともしなかった。 足を止めざるを得なくなったサイクロプスの瞳が、自分に向かう剣閃に気がついただろうか。 邪眼を失ったサイクロプスは、もはやガウリイの敵ではなかった。 森の木々が次第にまばらになっていく。反対に周囲に靄が立ちこめ始めた。 「何だかやな雰囲気………」 足元がぬかるみ始める。一歩進むごとに異様な匂いが鼻をついた。 軽い目眩を感じ、ガウリイは頭を振った。 「大変!ガウリイ早くここから離れて。空気に毒が含まれてるのよ」 「毒?」 「多分、ここは毒の沼地よ。下手に踏み込んだらかえって良くないわ。多少遠回りになっても迂回した方が良い。分かるでしょ?」 「あぁ……仕方が無いな」 この沼地に足を踏み入れてから、身体が重く感じられていた。今はまだたいした事はないがこのままここを突っ切って行けばかなり体力を消耗する事になるだろう。 どんな魔物が現われるか分からない以上、避けられない戦闘以外の事で体力を消耗している余裕はない。 リナが気にかかるが、今はこうするしかない。 ガウリイは沼地に足を踏み入れないよう注意しながら沼地を迂回し始めた。 しばらく進んだ時、沼地の方から四つ足の生き物の足音が響いてきた。 「もうまたぁ?いい加減にして欲しいわね」 そう言いながらエリスは呪文を唱える用意をする。 毒の霧の向こうから、ゆっくりとサーベルタイガーが歩いてきた。だがどこか様子がおかしい。 美しい金色の毛並みは薄汚れ、血のような瞳だけが爛々と輝いている。しなやかな身体のあちこちに露出した白い物…… 「ガ、ガ、ガウリイ、あ、あ、あれ……」 露出しているものはまぎれも無く白骨。しかもこの腐敗臭はたしかに生あるものの物ではなかった。 「サーベルタイガーのアンデッド、というわけか……」 「来たあ!!」 毒の沼地をものともせず、それはまっすぐにガウリイに向かってきた。 すり抜けざま急所に一撃を加える。だがすでに死んでいるこれに対しては無意味でしかなかった。 頚動脈の辺りを切り裂かれても、もはや流れ出す血は無い。 アンデッドとなった獣はガウリイを苦戦させた。奴にとっては毒の沼もただの沼にすぎない。だが攻撃を避けるため否応無しに足を踏み入れさせられるガウリイは、沼の毒の影響を受けていた。 お構いなしに沼地を走り回る元サーベルタイガーによって巻き上げられた毒が霧状になってガウリイを蝕んでいく。 次第に毒は回っていく。このまま長期戦になればガウリイが不利だ。 ……どうしよう、このままじゃガウリイが…… アンデッドは疲れるという事を知らない。おまけにアンデッドに殺された者はその場でアンデッドの仲間入りだ。 ゾンビになったガウリイなんて見たくない。 ガウリイが頭を切り落とす。切り落とされてなお頭も胴体も見境なしに暴れていたが、これはすでに敵ではない。 身体に回った毒のため、目眩や吐き気に襲われる。だが休む暇は与えられなかった。 気味の悪い叫びと共に霧の中から次々とアンデッド達が姿を現す。 「ゾンビにスケルトン、ゴーストにグール、ここってば死者の沼地なの!?」 「くっ」 いくらガウリイの腕が卓越しているといえこれだけのアンデッドの集団を相手にするのは分が悪すぎる。加えて足元の沼からは絶えず毒の瘴気が立ち上っている。 直接攻撃で倒せる数ではない。斬り抜けて突破するにはかなりの体力が要るが、さっきの戦いで吸った毒のためもうかなり削られている。 ……こうなったらアタシが何とかするしかない!!…… 指輪に備えられた魔力と知識があれば、きっと切り抜けられる筈。 「ガウリイ、ここはアタシに任せて!!」 エリスは迫り来るアンデッドの大群の前に立ち塞がった。 「聖なる光よ……ここに集い、邪悪なる者を滅ぼしたまえ。闇に囚われし魂にその光もて浄化を。……『浄化結界』(ホーリィ・ブレス)」 エリスの小さな身体から溢れ出した聖なる光はみるみるうちに辺り一面を覆い尽くしさらに広がっていった。 光の中でアンデッド達はその姿を崩れさせ、塵となって消えていく。 光が消えた後、そこにはガウリイとエリスの二人だけがいた。 力を使い果たしたようにふらふらと落ちるエリスをガウリイが受け止めた。 「ご苦労さん。助かったよ」 「えへへ……良かった」 力尽きたエリスを抱えてガウリイは歩き出した。 エリスが呼び出した聖なる光はアンデッドだけでなくガウリイの身体を侵していた死者の毒をも浄化していた。 毒の瘴気の消えた沼を抜ける。 二人の前に、再び荒野が横たわっていた。 To be continue... |