人 魚 姫 |
第4話 呆然とするガウリイの前に現われたルナは小さく溜息をついた。 彼女の視線が指す方角を見たガウリイは、そこに小さな光の塊があるのに気がついた。 二人の目の前でそれは輝きを失い、消滅する。 「貴方をゼロスの炎から守り、ここまで移動させる。それで力尽きたようね。 これで、“海の宝珠”は完全に失われてしまったわ」 「“海の宝珠”?」 「リナがずっと探していたものよ。これで水は制御する力を失い、流れる力を失ったわ。 ………貴方には、自分が起こした事を償ってもらわなくてはならない」 ガウリイにそう言い、ルナは傍らに突き刺してあった剣を引き抜いた。 「剣を抜きなさい、ガウリイ=ガブリエフ」 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 誰もいない浜辺に、激しい剣戟の音が響き渡る。 砂浜という足場の悪い場所だというのに、二人の動きには僅かな乱れも存在しない。 ただ一つ違うのは、ガウリイが汗まみれで息を切らしているのに対し、ルナの方は始めた時と全く変わっていない事のみ。 「人間にしてはたいしたものね。私とここまでやりあえた相手は貴方が初めてよ。けれど……」 右切り上げに掬い上げるような一撃を軽がると受け止め、ルナは艶然と微笑んだ。激しい鍔迫り合いの中、青玉と蒼穹の瞳が交差する。 ルナが小さく笑みを浮かべた。ぞっとするほど凄惨な、それでいて艶やかな笑みに背筋に悪寒が走る。 不意にルナの剣から力が抜け一瞬ガウリイの体制が崩れた。 狙い澄ました一撃を何とか回避するが、ルナの剣の切っ先が僅かにガウリイの頬をかすめた。 そのままルナが矢継ぎ早に繰り出す攻撃を冷静にガウリイは捌いた。 「妹が心配?」 何の脈絡もなく投げかけられた問い。 「当たり前だ!」 剣を返しつつ間合いを取ってガウリイは叫んだ。 「俺のせいでリナは………!」 ガウリイは剣を下ろした。ルナはただじっとそれを見ている。 「リナが捕らわれたのは俺のせいだ。俺が許せないというのは分かる。俺の命で償えるものならいくらでもやる。でも少しだけ待って欲しい」 「なぜ?」 「リナを助け出す」 ガウリイの言葉にルナは嘲るような調子で応えた。 「力を持たないただの人間の貴方が?魔族の中でも群を抜いた力を持つゼロスに勝てると?」 「勝ち負けは関係ない。リナさえ助けられれば」 まっすぐにルナの瞳を見据えるガウリイに、瞳を伏せてルナは言った。 「そう。……でも貴方を死なせるわけにはいかないのよ。リナのためにもね」「え!?」 思いがけないルナの言葉に、一瞬思考回路が停止する。 「え、じゃないわ。リナを助けに行ってくれるのでしょう。でも貴方に死なれちゃ困るの。でもこの私とこれだけ互角に戦えるのならきちんとした武器と防具があれば十分通用するわね。……それとも、やっぱり行かないの?」 「行くに決まってる!!しかし……」 戸惑うガウリイにルナは打って変わって柔らかな微笑みを浮かべた。 「それに、あの子も貴方が助けに来るのを待っているしね」 「待っている?俺を?リナが?」 驚きの声を上げるガウリイにルナは首を傾げた。 「何を言っているの。そんな事ぐらい貴方だって分かるでしょう?」 ガウリイは黙って首を振った。 「しかし、リナが捕らえられたのは俺がゼロスなんかの口車に乗せられたせいだ。俺があんなヤツの言う事に耳を貸したりしなければリナは」 「相手がゼロスじゃ、騙されても仕方ないわ。何しろ海底神殿に居た者ですら手玉に取って“海の宝珠”を盗ませたのよ。まして貴方達人間は魔族を知らないのだから、騙されたことで貴方を責めるつもりはないわ」 「しかし……」 「ガウリイさん、今度『しかし』と言ったら切りますわよ?」 にっこりと微笑みながら、ルナは切っ先をガウリイの首筋に向けた。間合いの外だというのにガウリイの背を冷たい汗が滑り落ちる。 「今の貴方がするべき事はリナを救出する事なんじゃなくて?うだうだと何をいつまでも過ぎたことを愚痴るつもり?」 「ルナさん……」 ガウリイは苦笑した。本当に何をやっているのだろう。今は何よりもしなければならない事があるというのに。 「……いい顔になったわね。そう、それでいいわ」 ルナは持っていた剣を鞘に収めるとガウリイに差し出した。 「持っていきなさい。貴方のその剣では魔族には太刀打ちできないわ」 「有難うございます」 「それと、防具もね。人が作った物では一歩足を踏み入れた瞬間灰さえ残さず燃え尽きるのが目に見えてるわ」 何時の間にか、浜辺には海の蒼の胸甲冑とショルダーガードが用意されていた。 「これはちょっと特別製。炎以外の属性の攻撃にも強い耐性を持たせてあるから。もちろん打撃とかの物理攻撃にも強いからたいていの攻撃にはびくともしないわ」 ガウリイが防具を交換している間、ルナは面白そうにその様子を眺めていたが、不意に視線を海へ向けた。 「ねぇガウリイさん、貴方妹のどこがそんなに良いの?」 「え?」 「一国の王子ともなればどんな相手でも選り取りみどりでしょう?何でまたあの娘なの?」 向けられた流し目にガウリイは苦笑した。ルナにこんな視線を向けられたら殆ど全ての男はイチコロだろう。 「全部……としか言いようがないなぁ。リナの存在全てに俺は悩殺されているから」 初めてあったあの時から。彼女の存在はいつもガウリイの心の中から消えることはなかった。 ルナはきょとんとした顔をした直後、爆笑した。 「まったく………貴方って人は………」 ガウリイにしてみれば当たり前の事なので、ルナの反応に今度はこっちがきょとんとしている。 「いくらそう考えていても、それをはっきり言う人も珍しいわね」 「そうなのか?」 「そうよ。まったく目の前でのろけられちゃ堪らないわね……あーぁ、ごちそうさまと言うより他にないわ」 そう言ってまだくっくっと笑っている。 「まぁいいわ。それより修理が終わったようね」 ルナが手を開くと銀のペンダントがその手に現われた。 「リナの居場所はこのペンダントが教えるわ。あの子を見つけたら必ずこれをかけてやって。宝珠が失われて前ほどの力は無くしているけれど、それでもゼロスから守るには不可欠だわ。それとこれ」 ルナが差し出した袋の中には、光を浴びた海水のような透明感のある青い玉が幾つか入っていた。 「清水珠っていうの。早い話が携帯用の飲み水ね。まず間違いなくあの子水を与えられていないからこれを飲ませてやって。もっとも、ゼロスが渡す水なんて魔に汚染されたものだからあの子が受け付けるわけがないんだけど」 ガウリイに袋を渡しながらルナは打って変わって厳しい表情を浮かべた。 「私達は水に属する者。つまり水から離れられないのよ。今あの子には自らを守る手立てがほとんどない状態で、炎の世界に連れ去られたわ。あまり時間の余裕はない」 「分かった。必ずリナを助け出す」 「ありがとう。………それじゃ、もう準備は良さそうね。今ゼロスの本拠地をエルフ族の巫女姫が探してくれているわ。ひとまずそこまで送るから、詳しい事は彼女から聞いてちょうだい」 ルナはそう言うとガウリイから少し距離を取った。 「いくわよ。……時空の扉よ開け。我が望む地に我を誘え。『テレポート』」 ルナの言葉と共にガウリイの足元に水が魔方陣を描き、天へと吹き上げる。 水が消えると共にガウリイも姿を消した。 「ルナ様」 ガウリイを見送ったルナに低い声がかけられる。 波間から数人のマーマンが姿を現していた。彼らは口々にルナに言い募る。 「何故あの人間を?それにあの剣まで……」 「あの剣は水界に伝わる宝剣『光の剣』……それを人間などに」 「我々にリナ様救出の任を下されれば良いものを……」 口々に不満を述べる彼らにルナは静かな視線を向けた。 「“海の宝珠”が失われた以上、王によって封じられている魔物の封印がいつ解けるか…いつ暴れ始めるか分からない。今まで以上に危険な状態になっているのは貴方方も分かっているはずでしょう。私たちが今しなければならないのは海の魔物を押さえる事」 「しかし、あの人間の為にリナ姫様は!!」 「……それに」 ルナはゆっくりと海の中に足を踏み入れていく。 「確かめたい事があります。もし、彼が私の予想通りの存在なら……」 ルナの姿が人から人魚へと変化する。振り替えったルナは毅然と彼らに言い放った。 「彼は必ずリナを救い出します。そんな事より、海底神殿の方に使いを。リナが戻り次第儀式を始めます」 『はっ』 一礼し海中へ姿を消す彼らを見送り、ルナはふと空を見上げた。 彼の青年の瞳と同じ色の空。 くすりと笑ってルナもまた海中に姿を消した。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 目の前の水の壁が消えると、今度は一面の花畑が眼前に広がった。 「こんにちわ!貴方が、ガウリイ=レウァール=ディン=ガブリエフ王子ですね!?私、アメリアですっ!!」 後ろからかけられた元気一杯の声に振りかえると、肩で艶やかな黒髪を切りそろえた少女が瞳をキラキラさせて見上げていた。 「君がエルフの巫女姫の」 「はいっ!どーぞよろしくっ!!」 「あ、あぁこちらこそ」 やたらと元気一杯のアメリアに少々圧倒されつつ、ガウリイはアメリアに会釈した。 「ゼロスさんの居場所ならちゃんと調べてあります!!任せて下さい!!」 アメリアはどんと胸を叩いて言った。と、突然大きな瞳をうるうるさせてガウリイを見上げた。 「……それにしても、うらやましいです〜〜」 「は!?」 アメリアはぐっと握りこぶしを作って俯いた。 「邪悪な者の手に囚われた姫君を助け出すナイト!!なんて燃えるシチュエーションなんでしょう!!これこそヒーロー!!」 「はぁ!?」 「あぁっ私も一度でいいからそんな役やってみたいですぅ!!」 拳を振り上げ雄叫びを上げるアメリアを、ガウリイは一歩引いて眺めていたがその肩を誰かがポンと叩いた。 振りかえるとゼルガディスが頭を抱えて立っていた。アメリアは完全に自分の世界に浸っている。 「あんた確か…ゼガルディス」 「ゼルガディスだ。……まったく、また始まった」 「また?」 はぁぁっと溜息をついてゼルガディスはアメリアに近づいた。 「アメリア」 「あっ、ゼルガディスさん」 「いい加減にしろ。あいつが困っているだろうが」 「え?……あ」 どうやらようやくこっちの世界に帰ってきたらしいアメリアはガウリイを見て口を押さえた。 「ご、ごめんなさい。あんまりにも燃えるシチュエーションだったからつい」 「いいから早く用を済ませろ。あまり時間の余裕はないんだぞ」 呆れたような口調のゼルガディスにアメリアは小さくなった。 「ごめんなさいゼルガディスさん。……えっっと、どこまで話しましたっけ?ガウリイさん」 「ゼロスの居場所は……」 一抹の不安を隠しきれないガウリイに対し、アメリアは自信満々で答えた。 「そうでした!今ペガサスが来てくれますからそれに乗って行って下さい。ゼロスさん達火属性の魔族の本拠地はここから南に行った火山地帯に入口があるんです」 「ペガサスならもう来ている。……遅いから様子を見に来てみれば案の定」 ゼルガディスが天を見上げると見事な純白の天馬が舞い降りてきた。 「こいつが一番足が速い。これなら火山地帯まですぐだ」 「ありがとう、ゼディルガス」 「だから、ゼルガディスだ」 「ガウリイさん、必ずリナさんと一緒に帰って来てくださいね!二人一緒じゃないとダメですからね!!」 リナを無事助け出す。その為なら自分の命などどうでも良い。そう考えていたところへ自分の命を引き換えにしては駄目だと釘をさされ、ガウリイは苦笑した。どうやらただの妄想爆発娘じゃないらしい。 「分かった。必ずリナと戻る」 「絶対ですからね!!」 ペガサスが翼を広げ舞い上がる。 みるみるうちに遠ざかる姿を、アメリアは祈るように見送った。 ペガサスの姿が蒼穹に消える。 それをじっと見つめていたアメリアがやおらくるりと振りかえった。その瞳が潤んでいるのを見て、ゼルガディスはこっそり溜め息をついた。 「………やっぱり私もやりたいです!!囚われのお姫様を救うナイトの役〜〜 ゼルガディスさぁ〜〜ん」 「……俺に言うな」 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 暑さと息苦しさにうっすらと目を開ける。 薄暗い部屋の中に他に人の気配はない。 身動きが取れない事に気がつき周囲を見まわす。両手は鎖で壁に繋がれ、光源は壁に付けられた松明のみ。 「ここは……」 「おや、気がつかれたんですね」 声と共にリナの前にゼロスが姿を現わした。 睨みつけるリナに薄笑いを浮かべてゼロスは彼女の顎に手を掛けた。 「ここは僕の館ですよ。もっともここは地下室ですけど。リナさんが僕に協力して下さるのならすぐにでも上に用意してあるリナさん専用のお部屋に移して差し上げますが……どうしますか?」 「冗談じゃないわ。協力なんてするわけないでしょ」 顔を背けながら吐き捨てるように言うリナにゼロスはくすくすと笑った。 「そう言われると思いましたよ。ですからここにお連れしたんです。ここは僕の館の最深部。 ……この館は溶岩の海に建っていましてね、ここは一番炎に近い場所なんですよ。人間の姿なら多少暑い程度ですみますが、人魚なら……どうなるんでしょうねぇ?」 リナが息を呑む。 笑みを浮かべるゼロスの手に力がこもった。 「今なら余計な苦しみを味わわなくてすみますよ?」 「そんな脅しにのるとでも?」 まっすぐに睨み返す強い眼差し。彼女なら当然そう言うと考えていたゼロスは糸の様に開いたアメジストの瞳に凄惨な笑みを浮かべた。 「そう言われると思いましたよ。では……」 ゼロスの手から放たれた黒い炎がリナの全身を包み込む。 「あ、ああーーーーーーーっっ」 炎が消え、悲鳴が途切れる。 さっきとは比べ物にならない熱を感じてリナは喘いだ。 「やっぱり、貴女はこの姿の方がお似合いですね」 最高級のルビーの鱗を撫でながらゼロスが囁く。 「いつまで頑張れるか……楽しみにしてますよ。リナさん?」 身動きの取れないリナの首筋に口付ける。白皙の肌に赤い痕が付いたのを確認して満足げな笑みを浮かべるとゼロスは姿を消した。 To be continue... |