人 魚 姫







 第3話


「ガウリイ!?」
 ガウリイの手にはいつもリナが身につけていたペンダントが握られている。
 急激な息苦しさに襲われ、リナは喉を押さえた。
「どう、して……」
 リナを包む水の流れが消え、再び光の塊に形を変える。
「リナ……俺は……」
 苦しげに息をするリナにガウリイが手を伸ばそうとした、その時。
 突然周囲の温泉が次々と熱水を吹き上げ始めた。咄嗟にリナを庇おうとしたが、二人の間を熱湯が遮る。
「きゃあぁっっ!!」
「リナ!」
「有難うございますガウリイ王子。これでリナ姫を守る力はなくなった」
「!?」
 何時の間にか、リナの背後に紫の瞳の男が立っていた。
「お前はあの時の!?確かゼロスとかいったな」
 ゼロスはガウリイの手にあるペンダントを見て笑った。
「貴方が持っているペンダント。それは確かに彼女を海の力で縛るもの。ただし、彼女を守る為の力ですけれどね。それを身につけている限り、僕たち魔族は手が出せなかったんですよ」
「魔族!?……やっぱり……」
 リナが目を見開いて男を見た。後ずさりするリナにゼロスは獲物を前にした肉食獣の微笑みを浮かべた。
「貴女にお会いするのは二度目ですね。もっとも、あの時はまだ生まれたばかりでしたから憶えていらっしゃらないでしょうけれどねぇ」
 ゼロスはそう言いながら逃げようとするリナの細い腕を掴み、背中へ捻りあげて笑った。
「リナを離せ!」
「そうはいきませんよ。こちらとしてもこの時を長年待ちわびてきたんですからね」
 ゼロスはくすくすと笑いながらガウリイの前でリナを抱き寄せた。嫌悪感に逃れようとするリナを嘲笑うように細い身体を腕の中に閉じ込める。
「貴方のおかげでようやく手に入れられましたよ。お礼に貴方は殺さないでおいてあげます。良かったですねぇ?」
「ふざけるな!!」
「ガウリイだめ!!」
 ゼロスはガウリイの剣を避けようともしなかった。ただ軽く腕を振るっただけで、ガウリイは見えない手に弾き飛ばされる。
 剣を突き刺す事で何とか煮えたぎる熱湯の中に落ちるのを免れるが、ゼロス達からは離される結果になった。
「ガウリイ、ガウリイ!!」
 何とかゼロスの手を振り解こうとリナは暴れるが、びくともしない。かえってリナの抵抗を楽しむようにゼロスは束縛する力を強めた。
「そんなにあの男が心配ですか?なら……」
 リナの顎を掴んで自分の方を向かせ、ゼロスは囁いた。紫の瞳に酷薄な笑いが浮かぶ。
「貴女の目の前で、殺してさしあげることにしましょう」
「やめて!!」
 青ざめるリナの目に、柔らかな光を放つ“海の宝珠”が映った。
「リナァッ!」
 立ち上がったガウリイが再びゼロスに向かう。
「ダメよガウリイ、逃げて!!」
「もう遅いですよ。…さようなら。ガウリイ王子」
 ゼロスの手に青白い炎が生まれる。リナはもがくがゼロスの腕はびくともしなかった。
 放たれた炎は大地を抉りながらガウリイに襲いかかる。
「だめぇぇぇっっっ!!」
 リナの絶叫が爆音にかき消された。


 炎が弾け、辺り一面で炎と水が荒れ狂う。
 ようやく立ち込めた水蒸気が晴れた時、そこには巨大なクレーターが出来ていた。
「……宝珠の力で守ったようですね。……僕の予想通りに」
 ゼロスの視線の先に、さっきまでそこにあった柔らかな光を放つ宝珠はなかった。
 ゼロスは腕の中で気を失っているリナを抱き上げた。いとおしげに顔にかかる柔らかな栗色の髪をすくいあげ、その髪に口付ける。
「これで完全に“海の宝珠”はその力を失う……そして珊瑚の王女――リナさんも手に入れた。何もかも僕の予定通りですよ」
 ゼロスは満足げにリナの頬にも口付けると、彼女を抱きかかえたまま姿を消した。


           ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 静かな波打ち際に突然それは現われた。
 何もない砂浜に現われた水竜巻が消えると、そこには一人の黄金の髪の青年が倒れていた。
 片方の手に銀のペンダントを握り締めたままピクリとも動かない彼の傍に、ゆっくりと一つの影が近づいて行った。


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「ガウリ?」
 首をちょこんと傾げて、見上げてきた幼いリナ。
「ガウリイ♪」
 明るい笑顔で振り向いたリナが自分を呼んでいる。
「…ガウリイ」
 今度はちょっと拗ねた顔で見上げてくるリナ。
「ったく、ホントあんたってばしょうがないくらげ頭ね」
 呆れ果てたという顔で、苦笑を浮かべるリナ。
「………しょーがないから、ついてきても良いわよ」
 真っ赤になって照れながら、少しだけ振りかえって言ってくれたあの時。
 いつもいつもくるくると表情を変えながら笑いかけてくれた。
 幼い頃出会ったあの時から変わらないまっすぐな瞳に惹かれていた。
「ガウリイ……」
 裏切られ、傷ついた瞳で小さくリナが呟く。
「きゃあぁぁぁぁぁっっっ!!」
 渦巻く炎に包まれ、目の前からリナが消えていく。
 こんなつもりではなかったのに。ただ一緒に居たかった、それだけが望みだったのに。
 リナが消える。消えてしまう。
 追いかけて行きたいのに足も腕も動かない。
「リナァァァァッッッ!!」


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「リナァァァァッッッ!!」
 自分の声で目が覚め飛び起きる。
 見覚えのない浜辺。さっきまで山の中に居たはずなのに。
「ここは……俺はどうして……?」
「気がついたようね」
 冷ややかとも言える声に振りかえると、一人の栗色の髪の女性が海を見つめて立っていた。
 彼女の手には、鎖の切れたペンダントが握られている。
「それは!」
 慌てて立ち上がろうとするガウリイに、氷のような視線が突き刺さった。
「鎖が切れてしまっているわね。直さなくちゃ」
 独り言のように呟き、ガウリイを見下ろす。
 澄んだ青玉の瞳が蒼穹の瞳を貫いた。
「初めまして、ガウリイ=レウァール=ディン=ガブリエフ。私はルナ。リナの姉よ」
 息を呑み、呆然とするガウリイの前に、ルナは無言で佇んでいた。





To be continue...