月影の闇 月華の雫









その3『開放の時』



 気のせいだろうか。
 何だかガウリイのあたしを見る目つきが変わったような気がする。彼にとってあたしは拾ったただのウサギのはずなんだけど……?
 今日なんて山ほど料理の材料を買って帰って来たし……まぁ、そろそろあたしの家の材料の予備も無くなってきた事だし丁度良いって言えば丁度良いんだけど……
 まさか、正体がバレた?
 けどそれなら何も言ってこないのはおかしいし……??
 分からない事は沢山あったけど、あたしはとりあえず料理を作ってしまう事にした。
 あたしは忘れていたのだ。
 人間の姿に戻ればゼロスに見つかる事になる、という事を……


               ◆ ◆ ◆


「見つけましたよ、リナさん」
 不意にかけられた、二度と聞きたくなかった声に背筋が凍りつく。
「ゼロス!?」
 思わず一、二歩後ずさった拍子にテーブルの上の皿を落としてしまったが、今のあたしの耳にはまったく届いていなかった。
 目の前のゼロスの紫の瞳に浮かぶのは怒りと…別の何か。
「どうして……」
 思わず呟いてからあたしは唇を噛んだ。
 見つかって当然だ。人間に戻っている時のあたしはゼロスの探知に引っかかる。それなのにここ数日あたしは完全にその事を忘れていた。この間なんて一晩中人間の姿をしてたし……
「随分探しましたよ?いけませんねぇ、若い女性が夜中に男性の家に忍び込んだりしては」
 ゼロスの紫の瞳が獲物を前にした肉食獣の目になる。
 逃げる術は……ない。
「さぁ帰りましょう?こんな所長居するものではありませんよ」
 有無を言わせぬ口調でゼロスがあたしの腕を掴もうとした、その時。
「不法侵入者はお前の方だろうが!」
 鋭い声と共に飛んできた物がゼロスの頭を直撃した。

 金属のボゥルが床に落ちて甲高い音をたてて転がった。あれ、このボゥルって確か小麦粉を入れておいたやつじゃ……
 目の前のゼロスに視線を戻すと……雪だるまがそこに立っていた。
「ぷっ」
 堪えきれずに吹き出してしまう。ゼロスの後ろにいたガウリイがあたしに目配せした。
 ショックで固まったままのゼロスの脇をすり抜けると、ガウリイはあたしの腕を取って自分の背後に庇った。
 剣を持った手は何時でも抜き放たれるように添えられている。
「貴様が何者かは知らないが、夜中に人の家で騒ぐのは止めてもらおうか」
 真っ白に染まったゼロスの顔。開かれた紫の瞳に怒りがこもる。ガウリイの背後にいるあたしはゼロスの気配に身をすくませてしまったが、ガウリイは平然と睨み返す。
 けれどゼロスは小さく笑っただけだった。
「………やれやれ、邪魔が入ってしまったようですねぇ。今日のところはこれで失礼するとしましょう。
 …………また、お会いしましょうね。リナさん」
 手にしていた杖を一振りしてゼロスはいやにあっさりと姿を消した。


 あたしは小さく息を吐いた。ガウリイがこちらを向いたのは分かったが顔を上げられない。
 バレちゃった。とうとう。
「………お前さんだろ?いつもうまい料理作ってくれてたのは」
 優しい声にとりあえず頷く。
「そっか。ありがとな。おかげで久々にうまい食事にありつけた」
 どうして良いか分からず俯いたままのあたしに、ガウリイも黙ってしまったその時だった。
 何かが焦げる匂い。
 そういえば、鍋を火にかけたままだった。あれって焦げやすいのに!!
「あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
 慌てて鍋に駆け寄るが、時すでに遅し。
「あう……やっぱし焦げちゃってる……」
「どれどれ」
 あたしの脇から手を伸ばしたガウリイが鍋の中のものをつまみ食いした。
「………うまいぞ、これ。この焦げ目が香ばしいし」
「ホント?………あらま、これって焦がしても良いみたいね」
 何となく顔を見合わせて。
 とうとう二人同時に吹き出してしまった。
「あんたって変な人ね。普通気味悪がったりするもんでしょ?」
「そうか?俺は別に気にしないぞ?」
 きょとんとするガウリイ。ホント、この人ってのんきな人ね。
「普通は気味悪がるものよ」
「んーーでもお前さん可愛いし、何で気味悪く思わなきゃいけないんだ??」
 可愛い!?
 面と向かって可愛いなんて言われて真っ赤になってしまう。あたしに出来たのはそっぽを向いて赤くなった顔を隠す事くらい。
 もっとも隠せてなんかいないんだろうけど。
「良かったら名前を教えてくれないか?」
「……レディに名前を尋ねる時は、最初に自分から名乗るのが礼儀ってものなのよ」
 本当は知っているんだけど、照れ隠しにそっぽを向いたまま言う。
「俺はガウリイ=ガブリエフだ。お前さんは?」
 う、あっさりと名乗られてしまった。まぁ、そりゃあガウリイには名前を隠す理由なんてないんだけど。こうなっては黙っているわけにはいかない。
「……リナよ。リナ=インバース」
 こんな小さな声なんてあたしらしくない。
 何だか気まずくてふと下を見ると、さっき落として割ってしまった皿の破片が転がっていた。
「リナ、か。いい名だな」
「誉めたって何も出ないわよ。…っ」
「なんだ、切ったのか?」
 破片の先で指先を切ってしまった。ぷつりと真紅の雫が溢れてくる。
 不意にガウリイがあたしの手を取り……!?!?!?
「なっなにすんのよ〜〜〜〜〜っっ!!」

すっぱぁーーーんっっ!!

 懐から取り出したスリッパを電光石火の勢いで一閃させる。
 これぞ我家に伝わる秘伝のスリッパショット!そういえばよく父さんも母さんに引っ叩かれていたっけ。
「〜〜〜〜〜っっ…消毒しただけだろ?」
「んな消毒するんじゃないっ!!」
 何考えているのよこひつは!!よりによっていきなりあんな……!!
 恥ずかしさと怒りで真っ赤になって怒鳴るあたしをガウリイはにこにこしながら見つめている。
 う・う・う……どうしよう、何だか妙に居たたまれない〜〜〜っっ。
「…………と、とにかく。あんた明日も仕事でしょーが?いつまでも起きてないでさっさと寝たら?」
「なんでさっきの奴に襲われたのか教えてくれるか?」
 照れ隠しに言うとガウリイはいきなり真面目な顔で尋ねてきた。
「リナ?」
「……あたしがあいつの誘いを断ったからよ」
 そう。あたしはあいつの手を取らなかった。そして……
「それでウサギに?」
「………」
 あたしは何も言わなかった。けれど、ガウリイはあたしの言いたかった事を察知してくれたようだった。
 ……あの後、あたしはガウリイをベッドに押し込んで作りかけで止まっていた料理を再開した。
 もうすぐ、満月の夜が来る。
 ゼロスは、きっと何かをしかけてくる。
 きっと………


               ◆ ◆ ◆


 ゆらゆらとした感触。まるで、何かに包まれているような……
 目が覚めると、ガウリイの腕の中だった。
 なんで?どうして??それよりもここはどこ???
「…………なんでウサギ連れなんだ?ガウリイ」
 不機嫌な声をかけてきたのは、この間来たゼルガディスだった。
 見た事の無い部屋。飾り気が無くて、ガウリイの他に二人の男の人が居る。
 そういえば、ガウリイが街の警備の仕事しているって言ってたっけ。とするとここはその詰所って事か。
「たちの悪いのら犬がリナを狙ってるんでな。危なくて一人で留守番させられなくてな」
 立ちの悪いのら犬?それってゼロスの事ね。
 ちらりと見上げると極上の笑みがあたしに降ってきた。うぅ、また顔が赤くなっちゃう。
「リナってのはそいつの名か?」
 そう言ったのは、黒い髪のやたら目つきの悪い青年。欠伸混じりに気味の悪いものでも見るような顔つきでガウリイを見ている。
「おう。可愛いだろ?」
「あんたならどんなイイ女でも選り取りみどりだろうに……何でまたそんなちんくしゃのウサギなんだ?」
 ち、ちんくしゃですってぇ〜〜〜〜〜っっ!!
 自分だって人の事言える顔ぢゃないでしょお!!

げし

 このあたしに失礼な事を言ってくれたお返しに渾身の後ろ足キックをおみまいしてやる。
「……言い忘れたが、こいつ馬鹿にすると蹴られるぞ。ルーク」
 ガウリイの呟きはこの際無視。
 臨戦体勢で睨み合うあたしたち。こいつの顔にはしっかりさっきのあたしの足跡がついている。
 ふふん、あんたのマヌケ顔にはお似合いよ。
「そおいう事は早めに言っといた方が良いと思うが…」
 頭を抱えてゼルガディスが呟くと、不意にルーク(というらしい)は格好をつけて髪をかきあげた。
「こんなちびウサギに構ってられるか。何せ俺の帰りをミリーナが一日千秋の想いで待って」
「なんかいません。勝手に話を作らないでくれませんか」
 やーい、フラレてやんの。
 ルークの台詞を一刀両断にしたのはプラチナブロンドの髪を結い上げた知的美人。確かにルークには勿体無いわね。
「ミリ〜〜〜ナ〜〜〜」
「おはようございますガウリイさん。ゼルガディスさん」
 ルークを完全に無視してミリーナという女性はガウリイたちに近づいた。
「もうすぐ月華祭ですがその警備について町長がご相談したいそうです。お手数をおかけしますが、ゼルガディスさんに庁舎まで来ていただけないでしょうか?」
「あぁ分かった。ガウリイ、こっちは任せた」
「おう」
 ミリーナの後について出ていくゼルガディス達を慌ててルークが追いかけて行く。
「ミリーナ、それなら俺が」
「あなたは夜勤明けでしょう。寝ぼけた頭で町長の前に出るつもりですか」
 冷たくあっさりと宣言し、さっさと出掛けて行くミリーナ。
「あ、待ってくれよミリ〜〜ナァ〜〜〜」
 あれだけはっきりフラレたというのに、ルークはミリーナの後を追いかけて行った。ガウリイはそんな二人を肩をすくめて笑いながら見送った。
《……変なヤツ。目つき悪いし》
「そう言うなって。まぁ確かに目つきは悪いが結構良いヤツだぞルークは」
 警備の詰め所は今ガウリイとあたししかいない。誰かの目を気にする必要がないのであたしは後ろ足で立ち腕を組んだ。
《それで、何であたしまでここに来なくちゃいけないわけ?しかも人が寝てる間に》
「俺がいない時にゼロスが来たら危ないじゃないか」
 それは確かにそうなんだけど。一度居場所が知られた以上、いつゼロスが襲ってくるか分からない。そんな状況で襲われでもしたら。
 あたしを守ろうとしてくれているガウリイの気持ちは嬉しかったけど……それでもやっぱり、ねぇ。
「確か満月の夜だったよな。その特別な月見草が咲くのは」
《そう。その花の蜜があればゼロスのかけたこの魔法を解く事が出来るのよ》
 このいまいましい魔法さえ解く事が出来れば……
 それにしても、なんでガウリイはいっつもいっつもあたしをにこにこしながら眺めているんだろ。
《けど次の満月の晩はここで月華祭があるんでしょ?あんた仕事で忙しいんじゃないの?》
「んなもの休む」

げし

《ちゃんと仕事をしなさい!》
 蹴りを一発いれて怒鳴ると、ガウリイは真剣そのものの眼差しであたしを見つめた。
「悪い奴に狙われている女の子を守るのも立派な仕事だぞ」
 そう切り返されては何も言えない。
 こいつって、意外と過保護の心配性かも……まぁ、ガウリイの言う通りではあるんだけど。
 あたしは頭に手を当てて溜息をつくしかなかった。


               ◆ ◆ ◆


 月華祭の夜が始まる。
 本来ならゼルガディス達とはめを外しすぎる者を監督する仕事をしているはずのガウリイは、あたしと一緒に街外れの丘に向かっていた。
「ねぇ、本当にいいの?仕事ほっぽり出しちゃって。後で叱られても知らないわよあたし」
「構わないって言っただろ。それに」
 ガウリイは極上の笑みを浮かべた。
「たまには祭りに参加する側にまわりたいし、な」
「え?」
 何よそれ……
 ここの月華祭って、早い話が告白の最大のチャンスなのよね。今まで参加した事ってないんだけど、お客さんがそんな話をしてたっけ。
 けどそれに参加したいって事は……
「あんた告白したい相手がいるって事?だったら余計こんな所にいちゃいけないじゃないの」
 あたしがそう言うとガウリイはちょっと困ったような、顔をしてあたしを見た。その眼差しは「仕方ないなぁ」とでも言っているようで。
「いいんだよ。俺がしたくてやっている事だから」
 あれ?
 何だか無性に腹が立ってきた。なんで?
 なんであたしいらついてるの?
「そういえば、リナを見つけたのもここだったけ」
「そうね。……あの時はおかげで助かったわ」
 何だか目を合わせていられなくてあたしは咲き乱れる月見草に目を移した。
「いいって。もしかしてあの夜も花を探しに来てたのか?」
「ええ。探している花は満月の夜にしか咲かないんだけど見当ぐらいはつけておきたかったから」
 銀の月見草さえ見つかればあたしは自由になる。
 今までの生活に、戻れる……
「人の姿に戻れるのは日が沈んでいる間だけだし。この時ってゼロスに見つかりやすいのよ」
「銀の花びらの月見草。それがあればリナの魔法は解けるんだな?」
「だけど満月の夜なら必ず咲いているってワケでもないのよ。一度咲いたらかなりの期間花をつけないし……」
「かなりってどの位咲かないんだ?」
 ガウリイが首を傾げた。
「はっきりとは知らないけど……数百年単位でしか咲かないって話よ。あたしの家の近くにも月見草の群生地があってその中に一株だけあったんだけど…」
「ゼロスだな」
 ガウリイの声は今まで聞いた事がないぐらいに低かった。
「そう。あたしが魔法を解けないようにね」
「それにしても随分詳しいんだな。魔法に」
 打って変わって明るい声で感心したようにガウリイは言った。
「そりゃそうよ。あたしも使えるもの」
 ガウリイは目を丸くした。……それにしても、こいつあたしが眠りの魔法を使って眠らせてたって事忘れてないか?
「……怖い?」
「いーーーや」
 わざと挑戦的な笑みを浮かべてガウリイを見たらいきなり抱きしめられた。
「怖いんじゃなくて、可愛い」
 ななな、何言い出すのよこひつはぁ〜〜〜っ!
 真っ赤になったあたしは何とかガウリイの腕の中から逃げ出そうとしたけど彼の腕はびくともしなかった。そんなに力を入れていないようなのに。
「ちょっと!月見草探せないでしょお!!」
 あたしがそう言うとようやく離してくれた。ったく、ゼロスが来るより先に見つけなくちゃいけないってのに!!
「銀の花びらの月見草だからね!」
「おう!まかせろ!!」
 暫し二手に分かれ丘に咲く花々を見て回る。
 秋になってだいぶ減ってきているようだけど、ここにはまだかなりの花が残っている。けれど見つかるのは全て黄色い普通の月見草。
 このまま見つからなかったら……そんな思いを振り払う。弱気になるなんてあたしらしくない。
「あったぞ!リナこっちだ!」
 ガウリイの声に立ちあがる。
 手を大きく振る彼の元に走って行き、指し示す花を覗きこむ。
「ほら、これだろ?」
「ホントだ!これ本物よ!!」
「これであいつの魔法が解けるんだな?」
「そうはいきませんよ」
 月の光が遮られる。闇を纏い虚空に浮かぶゼロスはぞっとするほど冷たい笑みを浮かべてあたし達を見下ろしていた。
 ゼロス………まさか、あたし達がこの花を見つけ出すのを待っていた…?
「こうしたらどうなるでしょうねぇ?」
「リナッ」
 ガウリイがあたしを突き飛ばすようにして覆い被さる。
 彼の背後で、灼熱の炎が弾けて広がった。
「花が!」
 みるみるうちに丘が炎に包まれていく。
 あたし達は炎から逃れるだけで精一杯だった。
「何て事を……」
「もう一つ。おまけですよ」
 ゼロスが杖を振るう。
 あたしの全身を、憶えのある不快感が駆け抜けた。
「あ、……あ、あぁーーーーーっっ」
「リナ!?」
「今回はちょっと手を加えましたからねぇ。夜になっても元の姿には戻れませんよ。それに時間がたてばたつほど人としての心も薄れていく。
 魔法を解いて欲しかったら何時でもいらっしゃい?僕の所には銀の月見草なら沢山ありますからね」
 その言葉を最後に、あたしは気を失った。


               ◆ ◆ ◆


「気がついたか。……大丈夫か、リナ」
 あたしは無言でガウリイの腕を逃れようと暴れた。彼はあたしを抱き止めようとするけれど、今回ばかりはあたしも暴れるのを止めるわけにはいかない。
「リナ?」
《今までありがと。けど、もういいわ、ガウリイ》
「リナ!?」
《もういいの。……それにこんな姿じゃ何の役にも立たないし、ね……》
 力の抜けたガウリイの腕から抜け出して、あたしは彼を見上げた。
《後は自分で何とかするわ。もともとあたしの問題なんだし》
「何とかって……どうするんだ」
 彼の声はかすれていた。
《そんなの、後で考えるわ。それに……》
 くるりと彼に背を向ける。
《……心を無くしていくとこ、あんたに見られたくない……》
 そう。
 あたしがあたしで無くなる……そんなところをガウリイには見せられないし見せたくない。
 だからといってゼロスに屈するのはもっと嫌だ。
 ずっと一人で暮らしていた。だから、一人には慣れてる。
 そう………一人には………
「リナ、あれ!!」
《!?》
 目に映ったのは優しい銀色の光。
「はは、まさか俺の家で咲いてるなんてな」
 ガウリイがあたしを抱き上げ、そっと花の傍に下ろしてくれた。
 月見草の銀の花びらに宿る月露。それと花の蜜が溶け合って柔らかに光り輝く雫となり、あたしに降り注いだ。
 銀の輝きがあたしの全身を包み込む。
 さっきとは全然違う暖かな力に包まれて、あたしはゆっくりと意識を手放した。倒れこむあたしを大きくて力強い腕が支えてくれる。
 ここなら、大丈夫。
 何があっても、例えゼロスがまた来たって守ってくれる。
 そんな事をぼんやりと考えながら、あたしは心地よい睡魔に身を委ねた……



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