月影の闇 月華の雫 |
あたしは走った。 けっこうウサギってスピードが出る。まぁ、足の速さぐらいしか身を守る手段がないんだから当たり前か。 目的地は、歩いて行くとだいたい一日かかる距離にある隣町。もうすぐ行われる月華祭で有名な街。月華祭には月見草が不可欠だからあの街には沢山咲いている事をあたしは知っていた。 問題はゼロス。あいつの事だから月華祭の事もその街に月見草が沢山ある事も知っている筈。見つからないようにするにはやっぱりウサギのままで探すしかないのかもしれない。 ゼロスの目をかわす方法がなければ自力で魔法を解除するのは難しい。 試しにあたしは街に着くまであえてウサギのままでいる事にした。 ◆ ◆ ◆ 家を出て数日が経過した。 ゼロスは現われない。 ……どうやら本当に人間の姿に戻った時を警戒しているみたいね。 あたしが街外れの丘に到着した時だった。 あたしの耳が、周囲に野犬の唸り声を捉えた。 まずい。 ウサギのままで野犬を相手にするのは自殺行為だ。ゼロスに見つかるかもしれないが野犬に食い殺されるよりはましである。 けれど、野犬たちはそんな隙はくれなかった。あたしが気がついた時は三匹の野犬たちに退路を絶たれた後だった。 こうなったらやるしかない。体の小ささと素早さを活かして何とか逃げる隙を見つけないと……問題は時間。ぐずぐずしていれば追い詰められてしまう。 牙をかわすと同時に蹴りを入れる。人間に戻ればこんな野犬なんてどうにでもあしらえるというのに…… 何とか牙や爪をかわしていたが、一匹の動きに対応するのがほんの一瞬遅れた。 後ろ足に焼け付くような痛みが走る。 噛み殺される、そう思った時あたしは大きな腕に抱え上げられていた。 ちらりと見上げると、助けてくれたのは金の髪のハンサムな男の人だった。 「悪いなぁ。お前さんたちの食事を邪魔するつもりは無かったんだが、なんだかこいつ見捨てられなくてな。かわりにこいつでも食ってくれ」 そう言って持っていた袋を投げるとゆっくりとその場を離れていく。 その人は野犬たちの様子を確かめると、足早に丘を後にした。 その人の家は……すごかった。 そう言う意外になんと言えと言うのか。 確かに、生活するスペースは開けてあるし、そこはそれなりに片付けてあるのだが…… それ以外の所も片付けなさいよ!! 今だってどうやら薬を探しているみたいだけど、こうガラクタが山積みでは見つからなくても当然よね。 ランプに照らされた横顔は………その、まぁ、かなり良いけど……… あたしが呆れながら眺めていると、どうやらやっと目的の物を見つけ出したらしくあたしの方にやって来た。 「ほら、足見せてみろ」 その人はあたしの傷口を丁寧に洗って消毒薬をつけ包帯を巻いた。けっこう手馴れてるわね。 消毒はかなりしみたがあたしはじっとしていた。 「お前さんちゃんと大人しくして偉いなあ。ルークのとこの犬なんてちょっと怪我しただけで大騒ぎしてたぞ」 わしわしと大きな手があたしの頭を撫でていく。 「お前さんの寝床を作らなくちゃな………」 そう言って彼はまたガラクタの山の中から開き箱を引っ張り出して床に置いた。今度は自分のベッドから毛布を剥いで敷き詰める。 秋になったばかりとはいえけっこう夜は冷える。あたし自身寒いのが苦手だからここに来るまで夜はつらいものがあった。 「怪我をしているからな、寒くしちゃまずいだろ。ほら、これでいいぞ」 彼はあたしを箱に入れて毛布で包むと楽しそうににこにこしている。 うぅ……何だか照れくさい。 「さてと、晩飯はあいつらにやっちまったからな。俺も寝るとするか」 あ、あれってこの人の夕ご飯だったんだ。 ……悪いコトしちゃったな。この人の毛布も貰っちゃったし…… 「んじゃ、おやすみ」 あたしの頭を撫でて彼はランプを消した。 カーテンの隙間から、柔らかな月の光が差し込んでくる。 寝息を確かめてから、あたしはそっと箱を抜け出した。久し振りに人間の姿に戻る。 「ま、正体ばれちゃまずいわよね。…『眠り』」 こっそり眠りの呪文をかけて、あたしは彼の部屋を抜け出した。 予想していたとはいえ……あたしは溜息をつかずにはいられなかった。 こりゃかなりほったらかしにしてたわね。ゴミが捨ててあるだけましというところか。 とりあえずは片付けをしちゃわないとこれじゃ何も出来ない。 片付けに平行して食材を確かめる。 「あの人、一体どういう生活してるのよ……ほとんどお酒ばっかりでロクな物ないじゃない。これじゃ困っちゃうわね……」 使えそうなものと言えば野菜とコーヒーぐらい。 そうだ、あれを使っちゃおう。 あたしは服の下から一本の笛を取り出した。 「ふふん♪やっぱりコレ持ってきておいて正解だったわね」 おもいっきり吹き鳴らす。 「さてと、今のうちに片付けを終わらせなくちゃ……」 あたしは散らかった台所の片付けに取りかかった。 そして数分後。 『何のようだリナ=インバース!』 窓の下に獣人のディルギア、もといスポットがやってきた。 「来たわね。大至急あたしの家から小麦粉と卵とハム、作り置きのだしスープ持ってきて。鍵はここ。ちゃんと戸締りするのよ」 『大至急ってここまでどれだけあると……』 あたしがにっこり笑うとスポットはだくだくと泣きながら猛スピードで姿を消した。さすが母さんに徹底的に仕込まれただけあるわね。 ま、あたしに逆らおうなんて五百万年くらい早いってものよ。 朝食の支度が整ったのは夜明け間近だった。 もちろんあたし一人でここまでやるのは不可能と言うもの。普通ならあの台所をどうにかするだけで精一杯だ。ディルギアにもちゃんとハムを一切れやったし、文句は無かろう。 あたしはそっと彼の部屋に戻った。うん、良く寝ている。 朝日と共にあたしはまたウサギになった。 あ〜〜あ、一晩中働いたから眠くなっちゃった。 これで昨日の夜のお礼はしたし。ゆっくり眠れそう…… ◆ ◆ ◆ 目が覚めると、皿にレタスが乗せられてすぐ傍に置いてあった。 とりあえずそれを齧る。 あの人は出かけているみたいね。 ちらりと足に巻かれた包帯に目を向ける。この程度の怪我なら人間に戻った時に治療呪文を使えばあっという間に治ってしまう。 けどこれからどうしよう。 このままここに居るわけにもいかないだろうし…… 気がつくと何時の間にか夕方になっていた。ドアが開く音がして、彼が帰ってきた。 「ただいま〜、お、起きてるな」 ひょいと抱き上げられ、彼の端正な顔が目の前に来る。 あ、この人の瞳って、青空の色なんだ。透き通った優しい蒼。 「まだ怪我が治ってないんだからあんまり動き回るなよ」 抱き上げられたまま一緒に台所に連れて行かれる。 あたしを抱きかかえたまま彼は持っていた袋をテーブルに乗せ、片手でコーヒーを入れ始めた。抽出している間にレタスを千切り、皿に乗せる。 「んじゃ、食うか。ほれ、お前さんはこっち」 抱きかかえられたままだったのがひざの上に乗っけられる。 ちょっとまて、このままここにいろっての〜〜〜!? 「ほらほら、暴れるなって」 ぢたばたしていると目の前にレタスが差し出された。思わずパクリとくわえると上からくすくす笑いが降ってきた。 彼はコーヒーを飲みながらパンをかじっている。 まさかと思うけど…… テーブルの上を覗いて見る。やっぱり、コーヒーとパンしかない。 「何だ?お前さんも何か食べたいのか?」 こいつ、こんなにでっかいくせにこんな貧しい食生活してるわけ?これだけ顔が良いんだから食事を作ってくれるヒトの一人や二人いそうなのに…… そんなあたしの考えが分かったのか、彼は苦笑いを浮かべた。 「ほらほら、お前さんもしっかり食わないと怪我が治らないぞ?」 またレタスが差し出される。 嬉しそうな顔で覗きこんでくる彼の顔にそっぽを向きながらレタスをかじっていると、また笑いながらわしわしと頭を撫でられた。 食事の後、彼はあたしの足の包帯を交換してくれた。 「結構血が出て出てたから心配だったが……これなら大丈夫だな」 ふわりと毛布の中に下ろされる。 「それじゃ、おやすみ」 明かりが消える。 そしてあたしはこっそり立ち上がった。 ◆ ◆ ◆ 目が覚めると彼はいなかった。 台所に行ってみると、朝食はきれいに食べてあった。お昼用に作っておいたサンドイッチもちゃんと持っていったみたい。 用意されていたレタスをかじりながらあたしは頭をひねった。 それにしても、昨日の朝食といい今日の食事といい……普通いきなりこんな事が起きてたら不審がると思うんだけど。自分で言うのも何だが、少なくともあたしなら食べないと思う。 まぁ、忙しい思いをして一生懸命作ったものを食べてもらえなかったり残されたりするのは嫌だけど。 世話になったのは事実だし。何よりあんな貧しい食生活見ていられない。 明日のメニュー……どうしよう…… 夜になって帰ってきた彼は空のサンドイッチの包みを持っていた。どうやらちゃんと食べてくれたみたい。 今も作っておいたシチューを火にかけて温めている。 「こんなものかな」 シチューとパンをテーブルに乗せ、レタスを持ってくる。 「こんな豪勢な夕食は久し振りだな。よっと」 またひざに乗せられる。 うう、恥ずかしいけどどうせ下ろしちゃくれないだろうし…… 「お前さんが来てからだな。こんな風に食事が良くなったのは」 どき。 「あれ?もしかして本当にお前さんの恩返しか?」 やば。 あたしは知らん顔をして黙々とレタスをかじった。 「……んなワケない、か。んじゃ、いただきます」 どうぞ。 あたしはこっそり耳を振って答えた。 ◆ ◆ ◆ 次の日は起きたらあの人が家にいた。 今はたまっていた洗濯物を干している。それにしても……へたくそ。あんな干し方じゃ乾いた時に皺になっちゃうじゃない。あぁもう、見てらんない。 不意に彼がこっちを向く。しばらくあたしをじっと見ていたがやがて頭を振って作業を再開した。 何だったんだろ、今の。 洗濯物を干し終えると、彼はまたあたしを抱き上げて家の中に入った。この人は移動するたびあたしを抱っこしていく。前はドキドキしたけど今はそうでもない。 それにしても……要するに何だかあたし、この人に抱きかかえられるのに馴れちゃっているんじゃ……(赤面) 今日のお昼はミートパイ。実はこれかなりの自信作♪ 昨日の夕食の時にも思ったけれど、この人ってば本当においしそうに食べるのよねぇ。 「今日は夜の仕事なんだ。お前さん一人で留守番だけど大丈夫か?」 ふぅ〜〜ん……なら、今日はかなり徹底的に掃除ができるわね。この人の部屋なんて、前から掃除したくてうずうずしてたし。 そんな事考えていたら目の前で微笑まれた。 この時ばかりは自分がウサギで良かったと思った。瞬間的に真っ赤になったのが自分でも分かる。 真っ赤になってるなんて彼に分かるはずも無いのにそっぽを向くと、ひょいと抱き上げられた。目の前には彼のいたずらを思いついた時の子供のような笑顔。 「なんだ?お前さんひょっとして照れてるとか?」 そのまま顔が近づいて…………!?!?!?!?!? い、い、い、今のって……ま、ま、ま、ましゃか…… 思いっきり本気で暴れる。が、かえって抱きしめられてしまった。 あうぅぅぅ……キス、されちゃったよぅ…… ◆ ◆ ◆ 夜になって。日没と同時にあたしは元の姿に戻った。 今日は朝まであたし一人。彼って結構帰りが遅かったりもするから眠ってからだとあんまり時間の余裕が無いのよねぇ。 その点今夜は時間がたっぷり。これならちょっと手の込んだ時間のかかる料理も作れるわね。 それにしても……あう、思い出しちゃった。 あいつはあたしの事ただのウサギだと思っているんだし……あたしだってそりゃ小鳥にキスしたりした事あるけど…… だめだ。思い出すと顔が赤くなって元に戻らない。 忘れるために、あたしは掃除と料理に専念しようとした。 …………忘れるなんて無理だって事が、分かっただけだったけど………… ◆ ◆ ◆ 夢を見た。 どんな夢かは憶えてない。ただ、何となく幸せだったような気がする。 大きな手がゆっくりと髪を撫でてくれて…… あんまり気持ちが良くて、あたしの意識はまた深い夢の底に沈んでいった… ◆ ◆ ◆ 昼になって、お客さんが二人来た。一人はおかっぱ頭の可愛い女の子でアメリアという名前みたい。もう一人は何だか難しい顔をした銀髪の青年でゼルガディスというらしい。 何かを推し量ろうとするように、ゼルガディスはあたしをずっと見つめている。 「うわぁこの子ですね?ガウリイさん」 「あぁ」 ガウリイ? そっか、この人ガウリイっていう名前なんだ。 この子のおかげで彼の名前が分かった事だし……ただのウサギのフリして遊んでもいっか。 男たちは二人で向こうの方で話をしている。 「ふわふわで気持ち良いな……ねぇ、あなたは知ってるかな?」 女の子はあたしを撫でながら言った。 「ガウリイさんって、すっごくもてるのに今まで誰とも付き合おうとしたコトなかったんだ。けどあなたが来てから毎日がすっごく楽しそうで…きっとあなたのおかげなんだろうな♪」 楽しそうにアメリアは呟いた。 「あなたが本当は人間の女の子だったらいいのになぁ」 う。 ……なんでこうドキッとするような事を皆して言うんだろう。 「本当は女の子なら、悪い魔法使いに魔法をかけられたって事に……」 え。 「悪い魔法使いのかけた魔法を青年が愛の力で解く………あぁっなんて燃える展開!これこそヒーローの王・道!!」 彼女はそう言ってぐっと握りこぶしを作った。 ……ヘンな子かも……この子…… しばらくして、二人は帰って行った。 ◆ ◆ ◆ その日の夜も、あたしはいつもどうり眠りの術をかけてから台所に行った。 昨日の夜徹底的に片付けたおかげでやっとこの家も綺麗になった。うんうんやっぱりこうでなくっちゃ。 さてと、今日は何を作ろう。 夕飯が問題なのよねぇ。作り置きの効くもので温めやすいものって結構限られてきちゃうし……それを言ったらお昼のお弁当だって…… ぱたぱたと動き回りながらいろんな事を考えていたあたしは、ドアの隙間から注がれた視線に気がつかなかった。 その3に続く |