月影の闇 月華の雫









プロローグ



 その日も、いつもと同じ日になるはずだった。

 両親が亡くなった後、あたしはずっと一人で暮らしていた。
 女の子の一人暮しなんて言うと何だか物凄く大変そうに聞こえるけれど、実際はたいした事はない。まぁ、あたしの場合は家も仕事もあるんだからかなり恵まれているはずだけど。
 あたしの仕事は魔導師。もともと両親ともにそうだったから、小さい頃からこの点に関しては天才教育を受けてきたと言っても良いと思う。ある程度大きくなってからは様々な魔法薬の作り方も習った。
 そのおかげで、今も薬作りや様々な護符などを作って売る事で生計が成り立っている。
 注文された薬の調合、お守りなんかの作製、庭の薬草の世話。やる事はいっぱいあったしそんなに寂しいと思った事もなかった。それなりに、楽しい毎日を送っていた。

 ―――あいつが現われたのは、そんないつもの一日の終わりだった。


その1『現われた闇』


「こんにちわ。迎えに来ましたよ、リナさん」
 …………はぁ?
 あたしは面食らった。多分、かなりマヌケな顔をしてたと思う。
 あたしの前に現われたのは、全身黒ずくめの一人のニコ目の男だった。年齢はよくわからない。あたしより上と言われても納得できそうだし、同じ年と言われてもやはり頷ける。
 手に持っているのは血のような紅玉のついた杖。
 ………って事は、こいつはたぶんあたしと同じ魔法を使う者なんだろう。
「迎え?何の話よ」
「もちろん、貴女を迎えに来たんですよ」
 話しがさっぱり見えない。
「あんたに迎えに来てもらうような話は聞いてないわ」
「そうでしょうねぇ。言ってませんから」
 おちょくってんのかしら、こいつ。
「ずっと見てたんですが、やはり貴女が一番相応しいんですよ」
「だから、何の話なのよ!あたしはこう見えても忙しいんだから用件はさっさと言いなさいよね。だいたいあんた一体何者なのよ。名前くらい名乗ったらどうなの」
「これは失礼しました。僕の名はゼロスといいます。以後お見知りおきを…」
 そう言ってゼロスは一礼した。
「それで、あたしに何の用なのよ」
「ですからお迎えに」
 あたしはいらいらしてきた。このゼロスとかいう男、どうも気に食わない。
 さっきからのらりくらりとした物言いばかり。話し方自体どこまで本当の事を話しているのか相手に悟らせない話し方。
 直感で分かる。こいつは油断しちゃいけないタイプだ。
「何の迎えか知らないけど、そう言われてはいそうですかってついて行くような馬鹿な女と一緒にしないで」
 あたしはそう言って荒々しくドアを閉じた。女の子の一人暮しという事でヘンなちょっかいを出してくる奴がまだいた。その時あたしはそう考えていた。
 ドアを閉め、溜息を一つ。
「いけませんねぇ。溜息を一つつくと寿命が縮まるって言いますよ?」
 弾かれるように振り向くと、ドアの外にいるはずのゼロスがうっすらと瞳を開いてあたしを見ていた。
「何で……」
「たかがドアの一つや二つ、僕にとっては何の障害にもなりませんよ」
 にっこりと笑って見せるゼロス。けれどその笑顔は見る者を凍りつかせる冷たいものだった。
「勝手に入ってこないで!あんたなんかを招待した覚えはないわ」
「でしょうねえ。ご招待しているのは僕の方ですから」
 ゼロスは杖を持っていないほうの手をあたしに差し伸べた。

パシッ…

「ふざけないで。あたしは行かないって言ってるのよ」
 差し伸べられた手を振り払ってあたしは言った。
「……どうしても、僕の手は取らない、と?」
「さっきからそう言ってるでしょう?分かったらとっとと出て行って!」
 そう言ってそっぽを向く。そのせいであたしは気がつかなかった。
 ゼロスの紫の瞳に浮かぶ、獲物をいたぶる獣の目に。
「困りましたねぇ。それでは僕の手を取る気になって頂くしかありませんね」
 あたしは、ゼロスの言葉の意味がわからなかった。
 ゼロスの手の杖に、禍禍しい輝きが灯る。
「!?」
 防御用の結界を張る隙もなく、あたしはゼロスの杖の放つ光に包まれて意識を失った。


               ◆ ◆ ◆


 うっすらと目を開けると、辺りはもう明るかった。何時の間にか夜が明けていた事に気がつき、あたしは跳ね起きた。
《あれ……何、これ》
 目の前にあるのは太い木の棒。何でこんなものが家の中にあるんだろう?
 異変はそれだけじゃなかった。何だか妙に巨大な部屋の中にあたしはいる。
《…違う、ここは確かにあたしの家……まさかあたし!?》
 慌てて自分の体を見てみる。
 ふわふわもこもこの白い毛皮。頭の上には長い耳。声だって何でか知らないけれどさっきから出ない。
 近くに落ちていた(置いてあった?)鏡に映ったのは、小さな白いウサギの姿だった。一気に頭が覚醒する。
 そう。夕べ、あのゼロスとかいう得体の知れない相手に魔法をかけられたんだ。それも変身魔法を。
 気を失いかけた時に最後にゼロスが言った言葉。
『……僕の所に来る気になったらその魔法は解いて差し上げますよ。それまでは昼の間はその姿です。太陽が沈んだら一時的に元の姿に戻れるようにしたのは……まぁサービスですね。もっともその時の服装は僕の趣味にさせて頂きましたけれど』
 冗談ではない。こんな方法を取るような奴に何でこのあたしが頭を下げて降参しなくちゃならないのよ!!
 何としてもゼロスのかけた魔法を解いて、あいつをぎゃふんと言わせてやるんだから!!
 あたしは天に向けて中指を立て……ようとした。
 ウサギじゃ、出来る訳なかったんだけれど。


               ◆ ◆ ◆


 深夜,あたしは深深と溜息をついた。
 今日は一日大変だった。今日受け取りの薬やなんかを準備しようにもウサギじゃ瓶だって持てない。あたしに出来たのは取りに来たお客の前で跳ねて薬の所まで案内して、代金の支払いがちゃんと出来ているか見ている事くらい。中にはあたしがいないと思って代金をちょろまかそうとした奴もいたっけ。
 そーゆー不届き者には、ウサギキック(命名)をお見舞いしてやったけど。けっこうこれが効いたみたい。かなり本気で痛がっていたわね。
 やっと日が沈んで。
 元の姿のあたしを思い浮かべると、何だか身体がむず痒いような感覚がして意外にあっさりと元の姿に戻れた。
 ………しかし、何なのよこの格好は!!
 白いブーツはまぁいい。
 白いワンピース(ウサギしっぽ付)。袖は長袖で、袖口はウサギの毛皮のようなふわふわの飾りがついている。これも……まぁ一部気になる所はあるにせよこの位なら平気な方だ。
 問題はふわふわもこもこの白いうさ耳カチューシャ。どういう訳かこれが外せない。
 仕方ないのでそれはそのままにして、あたしは家を出た。
 かけられた魔法の解除をする為に。


 外に出たあたしは家の近くの森の中に入って行った。この森の中の少し開けた場所に月見草の群生地がある。
 滅多に咲かない銀の月見草。その花の蜜を、月光を浴びた夜露に混ぜればどんな難解な呪いでも解く事が出きる薬になる。
 だてに一人で暮らしているわけではない。様々な魔法薬を作っている以上そのくらいの事は知っていて当然である。ましてあたしは魔導師なのだから。
 銀の月見草が咲くのは滅多にない。実を言うとあたしもまだ見た事はない。でも強い魔力を有する以上、咲く時期が近いものは分かるはず。
 森を抜けたあたしの前に、再び闇が舞い降りてきた。
「こんばんわ、リナさん」
「ゼロス…」
「何をお探しですか?」
 あたしはそっぽを向いた。こんな奴、顔も見たくない。
「そういえば……ここには銀の月見草がありましたねぇ。ほらここにも」
 そう言ったゼロスの手に一株の花が出現した。一見ただの月見草。しかし膨らんだ蕾の色は銀。
 凍りついたあたしを見て、ゼロスはにっこりと笑った。
「こんなものは……こうしちゃいましょう」
 ゼロスは持っていた一株の花を一瞬のうちに焼き尽くしていた。
「おや?どうしました?」
 くすくすと笑いながらゼロスが近づいてくる。
「銀の月見草なら僕の所に沢山ありますよ。よろしければご案内しますが?」
「けっこうよ」
「それは残念。僕は何時みえても構いませんからご用の際はお気軽にどうぞ」
 ゼロスはそのまま闇の中に溶け込み消えた。


 あたしは家に戻ると猛然と掃除を始めた。
 ドアには閉店の看板をかけ、都合によりしばらく休みの張り紙をつける。
 ゼロスはあたしが人間の姿に戻った時を見張っている。確かに、ウサギの姿の時は何かが出来る訳じゃないからあいつもマークする必要がないんだろう。
 家の近くにまだ月見草が咲いている場所はあるが、この分ではそこは全部ゼロスに押さえられていると考えて良いだろう。
 となれば取るべき行動はただ一つしかない。
 夜が明ける前に外へ出て、鍵をかける。
 夜明けと共に、あたしは家を後にした。





その2に続く