月とウサギと少女と魔法










              《後編》


 真夜中の台所。そこで動くウサギの耳。
 最初に視界に飛びこんできたのはそれだった。

 台所で右へ左へと忙しく動き回っているのは一人の少女だった。
 白い膝丈のワンピース。なぜかお尻の所にウサギの尻尾のような飾りが付いている。
 袖は料理の為に捲り上げていて、白く細い腕が剥き出しになっていた。
 長いクセのある栗色の髪は邪魔にならないように一つに束ねられており、動くたびに揺れて白い項がちらちらと見え隠れした。しかもふわふわもこもこのウサギ耳がぴょこんと顔を出している。
 ちらりと見えた横顔。その瞳の色は鮮やかな真紅。
 白くほっそりとした足には、やはり白い足首までのショートブーツ。
 そこに巻かれた包帯に気がつき、ガウリイは目を丸くした。どうやら冗談抜きであのウサギ=この少女という事らしい。
 しかしなぜあのウサギがこの少女の姿になったのか。いやあの少女が昼間自分の前にいる時はウサギの姿を取っているのか。ガウリイには分からなかったが、彼は少女に気づかれないようにそっと扉から離れた。
 自分が気がついたことが、あの少女にバレないように。
 いつになく幸せな気持ちでガウリイは再びベッドに潜り込み目を閉じた。

 翌朝。枕もとの毛布の中で、ウサギはすやすや眠っている。
「お前さん、一晩中働いてるんだもんなぁ」
 名前を尋ねたいが今は我慢。そっと部屋を出て台所に向かうと予想どうりの料理の数々がガウリイを出迎えた。
「それにしても材料はどうしてるんだろうなぁ?今日は帰りに市場で何か材料でも買って置いておくかな」
 そして今日も、お弁当を持ってガウリイは出かけていった。
 今までになく、幸せな気持ちで。


              ☆ ☆ ☆


 そしてまた夜。
 ガウリイは物音に目を覚ました。箱の中にウサギはいない。
 きっとまた台所で沢山の料理を作ってくれているのだろう。その様子が目に浮かんでガウリイは我知らずに微笑んでいた。
 彼女がどこから材料を調達しているのか知らなかったが、おいしい料理を食べさせてもらう以上材料ぐらい揃えておかないと失礼だろう。そう考えて帰り際に様々な食材を買い求めるガウリイを、同僚たちは物珍しげに見ていたが。
 邪魔をしてはとガウリイは再びベッドに潜り込んだ。
「ゼロス!?」
 不意に聞こえた少女の悲鳴と何かが落ちる大きな音。
 ガウリイは跳ね起きると傍らの剣を手に音をたてずに部屋を飛び出した。

 少女は一、二歩と後ずさりした。その拍子に手がテーブルの上の皿を落として割ってしまったがその音すら彼女の耳には届いていない。
「どうして……」
「随分探しましたよ?いけませんねぇ、若い女性が夜中に男性の家に忍び込んだりしては」
 少女の前に立ち塞がるのは全身黒で統一した衣服をまとった一人の男。細く糸のように開かれた紫の瞳が獲物を見つけた野獣のように光った。
「さぁ帰りましょう?こんな所長居するものではありませんよ」
 言葉使いは丁寧だが、有無を言わせぬ口調で少女に手を伸ばす。
「不法侵入者はお前の方だろうが!」
 鋭い声と共に何かが男の頭を直撃した。

 金属のボゥルが床に落ちて甲高い音をたてる。
 そして男は頭から小麦粉を被って真っ白になっていた。
「ぷっ」
 可愛らしい吹き出す声。
 ショックで固まった男の脇を、素早く少女はすり抜けた。彼女をそのまま背後に庇い、油断なく男の様子をうかがう。
「貴様が何者かは知らないが、夜中に人の家で騒ぐのは止めてもらおうか」
 真っ白に染まった顔に紫の瞳が怒りに染まる。が、男は小さく笑っただけだった。
「………やれやれ、邪魔が入ってしまったようですねぇ。今日のところはこれで失礼するとしましょう。
 …………また、お会いしましょうね。リナさん?」
 手にしていた血の色の紅玉のついた杖を振って、男は姿を消した。


 ガウリイの背後で少女は小さく息を吐いた。
 振り向いてみると、少女は黙ったまま俯いている。
「………お前さんだろ?いつもうまい料理作ってくれてたのは」
 小さく首が縦に振られる。
「そっか。ありがとな。おかげで久々にうまい食事にありつけた」
 少女は無言のまま。何と話しかけたら良いものやら見当もつかなくてガウリイが困り果てた時。
 何かが焦げる匂い。
「あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
 不意に顔を上げて少女は鍋に走った。
「あう……やっぱし焦げちゃってる……」
「どれどれ」
 少女の脇から手を伸ばし、ひょいと鍋の中のものをつまみ食い。
「………うまいぞ、これ。この焦げ目が香ばしいし」
「ホント?………あらま、これって焦がしても良いみたいね」
 思わず顔を見合わせ、二人同時に吹き出した。
「あんたって変な人ね。普通気味悪がったりするもんでしょ?」
「そうか?俺は別に気にしないぞ?」
「普通は気味悪がるものよ」
「んーーでもお前さん可愛いし、何で気味悪く思わなきゃいけないんだ??」
 面と向かって「可愛い」などと言われ、少女は真っ赤になってそっぽを向いてしまった。
「良かったら名前を教えてくれないか?」
「……レディに名前を尋ねる時は、最初に自分から名乗るのが礼儀ってものなのよ」
 ぷいっとそっぽを向いたまま少女が言う。
「俺はガウリイ=ガブリエフだ。お前さんは?」
「……リナよ。リナ=インバース」
 小さな声でそう言って、リナは床に落ちた皿の破片を拾い始めた。
「リナ、か。いい名だな」
「誉めたって何も出ないわよ。…っ」
「なんだ、切ったのか?」
 白く細い指先にぷつりと真紅の玉が浮かび上がる。ガウリイはリナの手を取ると傷ついた指先を口に含んだ。
「!?!?!?」
 リナの顔が瞬時に真っ赤になり。
「なっなにすんのよ〜〜〜〜〜っっ!!」

すっぱぁーーーんっっ!!

 どこからともなく取り出したスリッパを一閃させた。
「〜〜〜〜〜っっ…消毒しただけだろ?」
「んな消毒するんじゃないっ!!」
 恥ずかしさと怒りで紅潮したまま大声で怒鳴るリナをガウリイはにこにこしながら見つめた。
「…………と、とにかく。あんた明日も仕事でしょーが?いつまでも起きてないでさっさと寝たら?」
「なんでさっきの奴に襲われたのか教えてくれるか?」
 打って変わって真面目な顔で尋ねるガウリイに、リナはふっと顔を背けた。
「リナ?」
「……あたしがあいつの誘いを断ったからよ」
「それでウサギに?」
「………」
 リナは何も言わなかったが、ガウリイはそれを肯定のサインだと知った。


             ☆ ☆ ☆ 


「…………なんでウサギ連れなんだ?ガウリイ」
 出勤したガウリイを出迎えたのは、ゼルガディスの不機嫌な一言だった。
「たちの悪いのら犬がリナを狙ってるんでな。危なくて一人で留守番されられなくてな」
 そう言いながらウサギに極上の笑みを向けるガウリイを気味悪そうに眺めたのは夜勤明けのルークだった。
「リナってのはそいつの名か?」
「おう。可愛いだろ?」
「あんたならどんなイイ女でも選り取りみどりだろうに……何でまたそんなちんくしゃのウサギなんだ?」

げし

「……言い忘れたが、こいつ馬鹿にすると蹴られるぞ」
「そおいう事は早めに言っといたほうが良いと思うが…」
 臨戦体勢のルークとウサギにゼルガディスは頭を抱えた。
 ルークはウサギから視線を外し、ふっと格好をつけて髪をかきあげた。
「こんなちびウサギに構ってられるか。何せ俺の帰りをミリーナが一日千秋の想いで待って」
「なんかいません。勝手に話を作らないでくれませんか」
「ミリ〜〜〜ナ〜〜〜」
「おはようございますガウリイさん。ゼルガディスさん」
 完璧に滝のような涙を流すルークを無視してミリーナは二人に近づいた。
「もうすぐ月華祭ですがその警備について町長がご相談したいそうです。お手数をおかけしますが、ゼルガディスさんに庁舎まで来ていただけないでしょうか?」
「あぁ分かった。ガウリイ、こっちは任せた」
「おう」
「ミリーナ、それなら俺が」
「あなたは夜勤明けでしょう。寝ぼけた頭で町長の前に出るつもりですか」
 冷ややかにそう言い残しミリーナはゼルガディスと共に出ていった。
「あ、待ってくれよミリ〜〜ナァ〜〜〜」
 それでもやはり彼女の後を追うルークをガウリイは肩をすくめて見送った。
《……変なヤツ。目つき悪いし》
「そう言うなって。まぁ確かに目つきは悪いが結構良いヤツだぞルークは」
 誰もいなくなった部屋の中でウサギは後ろ足だけで立つと腕を組んでガウリイを見上げた。
《それで、何であたしまでここに来なくちゃいけないわけ?しかも人が寝てる間に》
「俺がいない時にゼロスが来たら危ないじゃないか」
 一度居場所が知れた以上いつゼロスが再び姿を現わすかわからない。そんな状態でリナを一人で家に残す事などガウリイに出来る訳がなく、こうして仕事場まで連れて来たのである。
「確か満月の夜だったよな。その特別な月見草が咲くのは」
《そう。その花の蜜があればゼロスのかけたこの魔法を解く事が出来るのよ》
 魔法が解ければ人間の姿のリナをいつでも見れる。そう思うとついつい顔がほころぶガウリイをウサギはジト目で見ていた。
《けど次の満月の晩はここで月華祭があるんでしょ?あんた仕事で忙しいんじゃないの?》
「んなもの休む」
 迷わず即答するガウリイにウサギは後ろ足キックをお見舞いした。
《ちゃんと仕事をしなさい!》
「悪い奴に狙われる女の子を守るのも立派な仕事だぞ」           真面目な顔で答えるガウリイに、ウサギは頭に手を当てて溜息をついた。


              ☆ ☆ ☆


 月華祭。
 秋を迎えてから最初の満月の夜に行われる祭りの夜。
 未婚の少女たちは白い衣服に銀の髪飾りをつけ、次々と街へ出ていく。一方青年たちは月見草の花を手に街へ出る。
 今夜は月の祭りの夜。
 神聖な月の光のもと、互いに想いを伝え合う夜。
 幾つもの想いが交差する中、ガウリイは街外れの丘に来ていた。
「そういえば、リナを見つけたのもここだったっけ」
「そうね。……あの時はおかげで助かったわ」
「いいって。もしかしてあの夜も花を探しに来てたのか?」
「ええ。探してる花は満月の夜にしか咲かないんだけど見当ぐらいはつけておきたかったから」
 月が銀の光を投げかける中、月光を浴びて佇むリナはこのまま夜の闇の中に消えていってしまいそうで根拠のない不安をガウリイに抱かせた。
「人の姿に戻れるのは日が沈んでいる間だけだし。この時ってゼロスに見つかりやすいのよ」
「銀の花びらの月見草。それがあればリナの魔法は解けるんだな?」
「だけど満月の夜なら必ず咲いているってワケでもないのよ。一度咲いたらかなりの期間花をつけないし……」
「かなりってどの位咲かないんだ?」
「はっきりとは知らないけど……数百年単位でしか咲かないって話よ」
 リナは盛大に溜息をついた。
「あたしの家の近くにも月見草の群生地があってその中に一株だけあったんだけど………」
「ゼロスだな」
「そう。あたしが魔法を解けないようにね」
「それにしても随分詳しいんだな。魔法に」
「そりゃそうよ。あたしも使えるもの」
 ガウリイが目を丸くすると、リナは挑戦的な笑みを浮かべて彼を見た。
「……怖い?」
「いーーーや」
 そう言うなりガウリイはリナを抱きしめた。
「怖いんじゃなくて、可愛い」
 真っ赤になってリナは暴れるがガウリイの腕はそんなに力を入れていないようなのにびくともしない。
「ちょっと!月見草探せないでしょお!!」
「はいはい」
 少し、いやかなり残念だったがガウリイはリナを離してやった。抱きしめるのは彼女の魔法を解いてからでも遅くないだろう。
「銀の花びらの月見草だからね!」
「おう!まかせろ!!」
 暫し二手に分かれ丘に咲く花々を見て回る。
 秋になりだいぶ減ってきたとはいえまだ丘には沢山の花が残っている。
 黄色い月見草ばかりが目に入ってくる中、ガウリイはリナの方についつい目が行ってしまっていた。
 月明かりの中、ぴょこぴょこと動くウサギの耳。白い衣服は月明かりによく映えている。
 誰よりもまっすぐな瞳を持っているのにどこか儚げな所もあるリナの姿に、今まで感じたことのないような想いが溢れて止まらない。
 その時だった。視界の隅に、銀の輝きが飛びこんできたのは。
 慎重に黄色い花々をかきわけると月の光を閉じ込めたような美しい花びらを持つ小さな月見草がひっそりと花開いていた。
「あったぞ!リナこっちだ!」
 ガウリイが呼びかけるとリナは飛ぶように走ってきた。
「ほら、これだろ?」
「ホントだ!これ本物よ!!」
 心底嬉しそうなリナにガウリイも嬉しくなる。
「これであいつの魔法が解けるんだな?」
「そうはいきませんよ」
 月の光を遮るような黒衣を纏ったゼロスが空中から二人を見下ろしていた。
「こうしたらどうなるでしょうねぇ?」
 ゼロスの手に赤い輝きが宿り、一気に丘に放たれる。
「リナッ」
 とっさにリナを庇って伏せたガウリイの背後で灼熱の炎が弾けた。
「花が!」
 ゼロスの放った炎の中で、銀の月見草はあっという間に燃え尽きてしまっっていた。
 折からの風に煽られ、炎は見る間に広がっていく。
「何て事を……」
「もう一つ。おまけですよ」
 ゼロスがリナに向けて杖を振るう。
「あ、……あ、あぁーーーーーっっ」
「リナ!?」
 突然苦しみ始めたリナはガウリイの目の前で小さなウサギに姿が変わる。
「今回はちょっと手を加えましたからねぇ。夜になっても元の姿には戻れませんよ。それに時間がたてばたつほど人としての心も薄れていく。
 魔法を解いて欲しかったら何時でもいらっしゃい?僕の所には銀の月見草なら沢山ありますからね」
 そう言い残し、ゼロスは哄笑と共に姿を消した。


              ☆ ☆ ☆


 幸い火はすぐに消えた。
 姿を変えられたショックか、意識のないリナを抱きかかえてガウリイは自分の家に向かった。
 家の近くまで着た時、リナは目を覚ました。
「気がついたか。……大丈夫か、リナ」
 ガウリイの腕の中で暴れ出した彼女を抱き止めようとするが、今回は一層暴れるのを止めようとしない。
「リナ?」
《今までありがと。けど、もういいわ、ガウリイ》
「リナ!?」
《もういいの。……それにこんな姿じゃ何の役にも立たないし、ね……》
 ガウリイの腕から抜け出して、澄んだ真紅の瞳が彼を見上げた。
《後は自分で何とかするわ。もともとあたしの問題なんだし》
「何とかって……どうするんだ」
《そんなの、後で考えるわ。それに……》
 くるりと後ろを向く。
《……心を無くしていくとこ、あんたに見られたくない……》
 ガウリイは何も言えなかった。
 自分にはリナにかけられた魔法を解くことは出来ない。けれどこのままリナを失うのは嫌だった。
 でも彼女は、ここを去ることをもう決めてしまっている。
 何も出来ないのか。
 何も出来ないまま、これで終わってしまうのか。
 冗談ではない。
 あんな力ずくで、リナを苦しめてまで手に入れようとするゼロスのやり方は絶対に許せない。
 血が滲むほど拳を握り締める。

 ぽう………

 目に映ったのは、優しい銀の輝き。
「あれは……!?」
 ガウリイの家の、壁に沿って咲いている月見草。
「リナ、あれ!!」
《!?》
 そこに咲いているのは紛れも無く銀の月見草。
「はは、まさか俺の家で咲いてるなんてな」
 そっとリナを抱き上げ、花の傍に下ろしてやる。
 銀の花びらの上に宿った月露と花の蜜が溶け合って、光り輝く雫になり花びらの上を滑り落ちた。
 雫が、小さなウサギに降りかかる。
 銀の輝きがウサギを包み込み、光の中で小さなウサギはウサギ耳をつけた少女に変化する。
 光が消え、崩れ落ちるように倒れたリナをガウリイが抱きとめる。
 意識のないリナの頭から、白いウサギ耳のついたカチューシャが滑り落ちていった。


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